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石丸元章 『危ない平成史』 #07 サイバースペースからの挑戦状、その後 ──あの「1995」から四半世紀を経て・ 前編|GUEST|松永英明

GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“サイバースペース”。ゲストは松永英明(旧名:河上イチロー)。暴露サイト「デア・アングリフ」の元運営者であり、1995年にあのテロ事件を起こした宗教団体の元信者である。


 

平成前期のアンダーグラウンドに異形の花を咲かせたバッドテイスト・カルチャー。その立役者のひとりであるGONZO作家・石丸元章が、毎回、ひと癖もふた癖もある客人を招いて、過ぎ去りし平成の「危ない歴史」を振り返る当シリーズ。

今回のゲストである松永英明(旧名:河上イチロー)とは、1990年代のインターネット黎明期に暴露サイト「デア・アングリフ」を主催し、当時、新たな監視システムとして問題視されていた「Nシステム」の全国マップをそのサイト上にリークするなど、サイバースペースの路地裏でアナキーな活動を行なっていた御仁だ。

同時にネット発のライターとして『サイバースペースからの挑戦状』はじめ複数の著作を出している松永氏には、実をいうとかつて、とある宗教団体の信者であったという過去がある。そして、その宗教団体が起こしたあるテロ事件こそが、他ならぬ松永氏をサイバースペースへと導く契機となった。

平成のインターネット、平成のサブカルチャー、平成の新興宗教──同世代の二人によるこの日の対話は縦横無尽に展開した。しかし、それら全ての話はいずれも、地下鉄サリン事件が発生し、『危ない1号』が創刊され、ウィンドウズ95が発売となり、石丸元章が覚せい剤所持で逮捕された、あの“1995年”に端を発する。

 


 

 

『サイバースペースからの挑戦状』(河上イチロー著)

 

 

石丸 松永英明さんと言えば、ネット上の旧名:河上イチロー。言わずと知れたインターネット黎明期のネット世界の著名人です。当時自分は、ネットの人ではなかったんで絡みはありませんでしたが、存在はもちろん知っていました。特に、90年代に松永さんが開設したページに関しては、新聞の一面でも報道されたりと大きく話題を呼んで、ネットに何かを期待、あるいは感応していた人間は誰でも河上イチロー=松永さんのやり始めたことに興奮を覚えた。有名なのは、Nシステム(※)の全国マップをネット上に公開したことです。あれはかっこよかった。今でいうウィキリークスのような感じ。実にアナキーなネットの可能性を、人々に提示して見せた。

※Nシステム…自動車ナンバー自動読取装置。1987年から設置が始まり、現在、約1700台が設置されている。自動車ナンバーだけではなく、運転者、同乗者の写真も自動的に撮影されるため、当時、プライバシーの侵害が問題視された。

その後、松永さんは現在のペンネームに名前を変え、有名ブロガーとして、また紙媒体のライターとしても成功。本もベストセラーです。しかし、ある瞬間からブログ、SNSなど、全ての更新が突如途絶えてしまった。ツイッターも、2013年のツイートが最後です。まさに忽然と消えてしまった──。だから今回、自分はビックリしたんです。松永さんが対談に応じてくれた……本当に? 本当に本物なのか? なりすましと言うことはないのか? お誘いしておいてこんなことを聞くのもなんなんですが、なぜ出てくれたんです?

松永 まあ……なんでしょう。たしかに色々な申し出がこれまでにもあったにはあったんですが、全てお断りしてきました。ただ、この対談依頼に関しては、シンプルに裏がなさそうだと感じたんです(笑)。変なこと企んでる感じが一切しなかった。それで受けてみることにした感じです。

石丸 なるほど。まったく裏はない、なぜなら自分は存在が裏の人間ですから。では、裏表なしに、率直にお聞きしたい。この6年間、ネットから姿を隠されていたのはなぜなんです?

松永 たいそうな理由はありません。ただ、一つの理由としては、ネット上で私に粘着してくる人がいて、それが面倒臭くなってしまった、というのがあります。

石丸 粘着ですか。

松永 やはり、教団の問題ですね。あれがリークされて以来、色々なことを言われ続けてきましたから(※)。「幹部だ」だの「だれそれと同一人物だ」だの間違った情報ばかりではあるんですが、それにしても、10年以上前の発言などを掘り起こしては、「あいつはあの時にこう言っていた」なんてことを繰り返され続けると、疲れてくるものです。私をいくら叩いても誰にも非難されませんからね、ようは叩きやすいんでしょう。いっときはそれがストレスで自殺未遂までいきました。

※松永氏はかつて某宗教団体に所属しており、河上イチロー時代はその事実を明かすことなく活動していた。その詳細については対談の後編にて。

石丸 たしかにネット上の粘着だからと言って、軽く見てると殺されかねない時代でもあります。hagexさんの事件(※)なんかもそうでしたね。つい先日判決がありました。裁判員裁判で懲役18年。自分の経緯からも、あのニュースにギョッとされたんじゃないですか?

※福岡IT講師殺害事件…有名ブロガーでありIT講師だったhagex氏が「はてなブックマーク」ユーザーの一人に刺殺された2018年の事件。

松永 私はどちらかという恨む側の人間になってしまっていましたから、ギョッとするというより、こういうことも起こってしまうよな、と感じましたね。あまり故人のことを言うべきではないですが、殺されてしまったhagexさんもネットで書いていたものを見る限り、口はかなり悪い方だったんです。恨まれる要素というのがたしかにあった。もちろん、だから刺していいなんてことは絶対にないんですが、そうした恨みや憎しみが、ネット空間では増幅されやすいところがあると思いますね。

ただ、私自身、河上イチロー時代は批判的な口調で物事を論じるということを一つのキャラにしていました。だから、恨みを買っていたこともあるんじゃないかと思う。現在はそうしたことがより一般化していますよね。ネット上には虚像が溢れています。炎上程度で済めばいいですが、ネットは母集団が非常に大きいので、確率的には微々たるものだとしても、一人か二人、ネットを飛び越えてくる危ない人たちが混ざりこんでしまう場合がある。そうなった時が危険です。

石丸 “虚像ビジネス”は、今に始まったことじゃありません。が、ネットはかつてはあったはずの対象との距離感を、極端に縮めてしまいました。インタラクティブといえば聞こえはいいけど、著名人をまるで友達かなにかのように錯覚させてしまう。アイドルへの傷害事件なども、そうしたところに原因の一つがある気がします。

松永 自分しかいないんじゃないか、というくらいマイナーな趣味であっても、2、30人くらい集められてしまうのがネットの魅力でもある。ただ、そこで集まってくる人は選べない。その2、30人がどういう背景を持った人間なのかは、分かりませんから。

石丸 極端に幸福な、あるいは極端に不幸な結びつきを生んでしまう、というのもネットならではです。それでいうと、90年代の雑誌カルチャーもまた、インターネット的でした。記事を書く存在はその時代になると、“作家”という別世界の人間ではなく、ライターという読者と同じ地平の誰かになった。書き手と読み手の距離が突如として近くなった。それが90年代の雑誌カルチャーです。

2018年にhagexさんの事件があったとき、世間が驚嘆しているときに、自分はひどく冷静に村崎百郎さんを思い出していました。村崎さんもまた、雑誌を通じて虚像を演じていた=売っていた人だけど、読者の人の中には虚像と実像の乖離に困惑して、極限までやみつかれてしまう人が現れた。そして、「てめえ、違うじゃないか!」と刺されてしまった。

ざっくりと振り返ると、平成という時代は、ミーイズムというか、村崎さんのような強いキャラクターを演じる人物が個人としてメディアで異端なる主張をし、それが世間的にはマイナーなまま、カルト的に支持されるということが全盛化した時代であったように思います。そして、それはインターネットと非常に親和性が高かった。今じゃツイッターには、見たことも聞いたこともないネット有名人が溢れ、百花繚乱、実像とも虚像ともつかない肥大した自我像をあちこちに投げつけています。

松永 そうですね。しかし、アングラという言葉はもう生きてません。世界中の人が繋がると謳われて始まったインターネットも、90年代当時、そこに接続していたのは世界でもごく一部の人たちだけだった。ある意味、新しく発見された路地裏だったんです。だから、アングラなものが生きやすかった。しかし、今じゃすっかりネットは表通りです。風景はだいぶ変わりました。

石丸 いいですね。今日はそういう話をお聞きしたい──。松永さんの目に映った平成のインターネットとはなんだったのか。それは一体どんな“現象”だったのか。あるいは、自分はやはり、平成という時代に数奇な青春時代を送った松永さんという人物にも関心がある。教団の信者だった人物が、なぜインターネットの世界に迷い込むことになったのか。そういったあたりについても、お聞かせ願えましたら幸いです。

松永 僕はITの人間ではなくネットの「使い方」の人間ではありますが、可能な範囲でよければお話しますよ。

 

テロ事件をきっかけにネットワーカーへ

石丸 さきに自分の話をしましょう。自分がインターネットを始めたのは1999年です。小学館の『サブラ』という雑誌が創刊された時なんですね。サブラは「ネットと連動する日本初の雑誌」という触れ込みで始まったグラビア誌で、結局はその後、完全グラビア雑誌になっていくんだけど、創刊時は明確にネットをテーマにしていました。

 

『sabra』創刊号

 

小学館がインターネットをインタラクティブに遊ぶ雑誌を創刊したということは、つまり、その頃にネットが大衆化したということです。自分は、それをきっかけに小学館からパソコン一式の提供を受けて、パソコンを始めた。モデムでガピ~ヒャラヒャラという音とともにネットにアクセスし毎晩毎晩のめり込んで連載を持つことになった。その時、サブラの創刊編集長からこう言われたんですね。

「インターネットは巨大なショッピングモールになるとか、現代文明の巨大な脳になるとか言われているじゃないの。でもね、そんないい面だけのはずない思うんだよね。インターネットが表向ききれいにモール化していったとしても、そこではハッカーが万引きをするだろうし、偽物も売られるだろうし、詐欺や恐喝犯もいて、とすると逃げ込む路地裏もあるはずで。とするとそこではドラッグの売買が行われたり、売春が行われていたり、やばいことが起こっていくに違いない。だから…キミはそこの担当~!」

まあ、そんな形で、自分はネットに出入りするようになった。99年という年は、2ちゃんねるができたりした年でもあって、「インターネットの世界ではどうやらおかしなことが起こってるらしいぞ」ということが、ようやく世間に認知され始めた頃でもあった。ただ、松永さんはその以前から、ネットのディープな住人だったわけですよ。その最初の頃のお話をまずお聞きしたい。Nシステムの配置地図をネット上にアップしたのはいつ頃でしたか?

松永 あれは98年ごろだったと思います。Nシステムの情報をくれたのは後にサイバッチ(※)を創刊する毒島さんという人でした。当時、「一矢の会」というNシステムの調査をしている団体があったのですが、毒島さんはその団体のデータを持っていて、僕に渡してくれました。僕はそのデータをもとにマッピングして載せただけです。

 

※サイバッチ…1998年に創刊したメールマガジン。その名はサイバー・パパラッチをイメージした造語であり、またメールマガジンでは「インターネット史上最悪のゴシップマガジン」を標榜していた。2010年に廃刊。

 

僕はその以前からはたから見れば怪しい活動をしていたので、おそらく毒島さんは「こいつにこのデータを渡せば何か起こるんじゃないか」と思って、接近してきたんだと思います。そしたら、実際におおごとになってしまったわけですが(笑)

石丸 なるほど、サイバッチ経由だったんですね。今でこそ我々は監視社会に慣れきって、町中に監視カメラがあるのを当たり前と思って、安心さえ感じている。しかし98年当時、Nシステムが導入されはじめた時期は――新しい監視技術がわれわれを監視するといういことに、批判も多かったわけです。顔を撮影されるのはプライバシーの侵害なんじゃないのか、と。しかも、Nシステムは全国どこに設置されてるか分からない。そんな中、いきなりNシステムの設置箇所の全国マップをネット上にアップした人がいた! あれは衝撃でした。

松永 朝日新聞の社会面に掲載されたりと、想像以上に反響がありました。

石丸 そもそもなんですが、松永さんがインターネットを始められたのはいつ頃なんです?

松永 ネットワークということで言うなら、まずはパソコン通信の頃ですよね。大学時代、私はシェアハウスをしていたんですが、居住者の一人がパソコン通信をしていたんです。ニフティサーブとかの頃です。しかし、その時は、その居住者がしているのを横で見ていた感じでした。印象としては「なんかみんないい加減な話ばっかりしているな」というもので、実際、間違った情報がいっぱい飛び交っていた。時期的には平成のあたま頃ですね。

僕自身がインターネットを自分でも使うようになったのは95年です。ちょうど例のテロ事件があって、その頃、僕は仲間とともに教団を離れていたんですが、とはいえ、なんかしないといけないよな、となっていた。そこで、あの事件によって生まれた破防法に対するカウンター情報を流すようなサイトを作ったらどうだろうかという話になったんです。

ちょうどウィンドウズ95が出て、インターネットが大きく話題になった年でもありました。パソコン通信の頃であれば広がりは小さいですが、インターネットはどうやら世界中と繋がっているらしい。それで使っていたウィンドウズを3.1から95に変えて、接続を試みたんです。

石丸 なるほど。最初は教団の元メンバー内でのプロジェクトだったんですね。

松永 はい。ただ、メンバーにパソコンに強い人がいたわけでもなかった。だから、僕が色々と本を買ってきて、HTMLを学び、手探りでページを作っていったんです。そうして最初にできたのが破防法のページ(STOP!STOP!破壊活動防止法)です。そこから徐々に裾野を広げていって、マスコミ批判のようなページ(MassComMix)も作るようになり、気づけば告発系の検証サイトになっていき、「デア・アングリフ」(※)を開設するに至ったという感じですね。

※デア・アングリフ…松永英明が開設した、破防法問題、通信傍受法案、軍事・諜報関連やネットの規制問題やマスメディア批判をはじめとする幅広いジャンルの話題を扱ったサイト。Nシステムの全国マップ掲載の他、「紀宮清子内親王殿下の御座所」のページが週刊誌等で報道されるなど、しばしば話題を呼んだ。サイト名の由来はヨーゼフ・ゲッベルズが1927年にベルリンで創刊した新聞名であり、意味は「攻撃」。

石丸 面白い。インターネットが始まるギリギリ手前の時代って、人面犬やドラえもんが死んだに代表される「子供のウワサ」や「都市伝説」がブームだった時期です。自分は、そうした「子供のウワサ」に注目して雑誌で原稿を書いていた。というか、あまつさえ奇怪なウワサを広めていたアクティビストです。さきほど、ニフティなんかで交わされていた話が真偽のはっきりしないものが多かったとおっしゃいましたが、実際、あの頃のパソコン通信には、偽の自分がよく出没していたそうですよ。ただ、雑誌も似たような感じで、街で集めたウワサにライターがさらにウワサを盛って、それがまたウワサを生み出し増殖していく…みたいなことになってた。というか積極的に自分はそれをやっていた。フェイクを作ることこそが時代の表現だと思った。一方で、松永さんはそういう噂や嘘を検証するという側にまわったわけですが、これは雑誌でいうと「ラジオライフ」などの方向性なんですね。

 

『ラジオライフ』1995年1月号

 

松永 たしかに私がやっていたことは検証に近かったですね。ただ、それも自然とそうなっていったところがあります。最初の頃は、ただ一方的に持っている情報を発信していただけでした。しかし、ページに掲示板を置いておいたところ、私が書いたものを読んだ人が、それに関連して情報をさらに書いていってくれるようになったんです。面白いので、今度はその掲示板をまとめたページを作ってみると、そこにもさらに情報が集まってくる。果ては軍事・諜報に関するような話まで入ってくるようになった。もちろん、噂に過ぎないものもあるので、一応はファクトチェックをして、嘘ではなさそうであったら載っけるということをやっていった結果、徐々にサイトが大きくなっていったんです。

石丸 なるほど。やはり、当時のインターネットは雑誌カルチャーと非常に近いと感じます。自分たちはウワサや都市伝説を投稿からピックアップして掲載したり、あるいはラジオライフのように、それを検証するというようなこともやっていたわけですが、結局、そうすることで何をしていたかといえば――マスメディアに対するカウンターだったんですよ。

当時は、テレビや新聞がメディアとして今以上に権威を持っていました。そこで発信されていることがトゥルースだとされていたんです。しかし、それは本当に本当なのか。あるいは、真偽不明のウワサや都市伝説の中にこそ、真実の切れ端があるんじゃないか、と。それがカウンターな心情で世の中を見るその頃の人間の時代の気分です。

松永 そうですね。インターネットはその点、発信が簡単でしたから。基本的には契約料だけ。ただ、サイトを作ったばかりの頃は閑古鳥で、一日20アクセスとかそんな感じでしたけど(笑)

石丸 ブレイクしたきっかけとかはあったんですか?

松永 最初にアクセス数が増えたのは酒鬼薔薇聖斗事件の時です。あの時、ネット上に彼の実名がバンバン出てきて、それがすぐに消されて、という攻防戦が繰り広げられたんですが、その状況を眺めてる人たちが、うちのサイトの掲示板に集まってきたんです。それぞれ最新情報を書き込んで、ものすごく盛り上がりました。それでまずその人たちが定着したんです。その後、掲示板に書かれた情報をまとめる、ということをはじめたら、話題の数も増え、アクセス数が伸びていった感じですね。

石丸 最初は破防法がテーマだったのに、いろいろな話題が勝手にくっついてきちゃったんですね。のちにネットジャーナリズム、ブログジャーナリズムと呼ばれるものが色々と出てくるわけですけど、松永さんの活動はその走りでもあった。自分は松永さんを尊敬しています。その頃も、教団の仲間たちと一緒に運営していたんです?

松永 いや、結局、他の人はまるでやらなかったんです。私が自分の好きにサイトを広げていっていたので、「何やってんだ」みたいには言われてましたけど(笑)

 

サイバースペースの思想、あるいは路地裏の経済

石丸 ところで、当時、そうしたサイトはお金になってたんですか?

松永 まったく。そもそもインターネットがお金になるという発想がありませんでした。むしろ、お金にしようとするやつはうざい、くらいに思われてたと思います。「ネット乞食」なんてスラングもありましたから。

石丸 インターネットでマネタイズなんていうのは、割と最近の発想ですよね。youtubeの登場なんかが、ネットがお金になるということの一番分かりやすい発端だったんですかね。

松永 最初はアフィリエイトだと思います。たしか2003年くらい。それまでは広告バナーでいくらいみたいな形がせいぜいでしたから。だから、amazonの登場が大きかったんです。

石丸 松永さん自身はマネタイズには関心を持たなかった?

松永 当時はいかに情報を無償で提供できるか、ということを考えていましたね。たくさん情報を提供したことによって評価がもらえる。そうした評価経済的な感覚が強かったので、ネットでお金を稼ごうという意識はありませんでした。

石丸 なるほど。それこそがネット黎明期の感覚なんですよね。2ちゃんねるもそうでした。評価そのものが目的だった。そこにはカウンター性があったと思う。金銭という報酬を得るために書き込むのではない。資本主義の価値観とは異なる価値観によってインターネットは動いていた。

松永 そうでしたね。表通りは金儲けの話ばかりでつまらないから、路地裏で自由に遊んでいるという感覚でした。

石丸 インターネットを技術としてではなくカルチャーとして捉えた場合、その根底には60年代カルチャーがあるわけですよね。マルチメディアという言葉が生まれたのもその頃。その当時、ヒッピーたちが思い描いていたユートピア思想が、その後、シリコンバレーへと受け継がれ、インターネットは誕生したわけです。アップルの創業エピソードなんかは本で読めるけれど、顕著ですよ。

ただ、日本にはテクノロジーだけが輸入され、そうしたネットが誕生当時に持っていたカウンターな思想性までは、きちんと輸入されなかった。これはしばしば指摘されてます。あるいは、カルチャー全般にも言えることではあって、日本に輸入された途端、カルチャーからカウンター性が剥奪されるというのは、もはやお家芸のようにさえなってる。なんでだろう。

その点、松永さんの90年代の活動は、教団が背景にあったとはいえ、むしろ本家寄りにも見えるんです。そうしたサイバースペースの思想のようなものも意識していたんです?

松永 最初は思想なんてありませんでしたが、ぐるっと回ってそこにたどり着いた感じです。面白いと感じる情報を集めて提示するということがインターネットだと手軽にできる。商業ベースであれば潰されてしまうような情報もインターネットならパッと載せられる。そこに面白さと新しさを感じていて、後追いでジョン・ペリー・バーロウの『サイバースペース独立宣言』なんかを読んだら、「ああ、これこれ、これなんだよ」となった感じですね。

 

ジョン・ペリー・バーロウ

 

石丸 なるほど。しかし、非常によく分かります。インターネットはストリートだったんですよ。当時よく、田原総一郎なんかが、「2ちゃんのネット言説は“便所の落書き”」と言い切って揶揄してたけれど、便所の落書きでいいじゃん。かつて神田の三省堂書店の二階の便所の個室が伝言板になっていた時代がありました。主にアイドル情報をめぐるものだったんですが、みんながそこに、匿名でアイドルの情報を書き込んで、虚実めちゃくちゃになっていた。何度ペンキで塗り隠されても、すぐにサインペンやボールペンで書きなぐられる。つまり、情報の自由は便所にこそあったんです。自分はあの三省堂書店の二階の便所はネットの原型だったと思ってます。あるいは、落書きということで言えばグラフィティなんかとも通ずる部分があった。

実際のところ、どうでしたか。当時、90年代は、デア・アングリフ、あやしいわーるどを始め、アングラサイトがいくつかあったわけです。新しいストリートに集まった仲間同士、共に時代の最前線にいるような感覚はありましたか?

松永 連帯感のようなものはありましたね。当時、相互リンクというものがあって、申し出て、お互いにお互いのサイトのリンクを貼り合うということをしてました。ちょっとしたアングラネットワークみたいなものはあったと思います。

ただ、僕個人に関して言えば、それほど大げさには考えてなかったですね。サイバースペースという新しい路地裏をどれだけ面白く使えるか、というくらいで。ただ、やがてその路地裏に人が増えてきた。すると、そこでお金儲けをできないかと考える人間も出てくる。その流れの中で、徐々に路地裏が路地裏ではなくなっていったんです。

石丸 00年代以降はホリエモンを筆頭に、ネット発の起業家がたくさん登場して、「ネットでお金を稼ぐ」ということに世間の関心が集まっていきました。そしてそれこそが価値であるということになった。今に至ってもそうです。しかし、ホリエモンにしても、自分はまったく面白いと思わないんです。刺激を受けない。金を儲ける、という凡庸なことに、凡庸なやり口でしがみついている。

そもそも、オン・ザ・エッジ時代はホームページの代行制作みたいなことをしてて、『サブラ』にも営業に来ていましたよ。ホームページ作ります! みたいな普通の仕事を提案していた。ライブドアではプロバイダを運営って言ったって二番煎じでしかない。今は宇宙とか言ってるけど、それも誰もが考えそうなことでしょう。もっとも凡庸な、語るための夢というか。具体的な新しい夢を語れない人間が、今、宇宙を夢として語るんですよ。現在の彼は、夢を語れる人というキャラクターにしがみついてギリギリやってるように見える。カウンターでもなんでもない。いつの時代にもいるビジネスマン。

松永 おっしゃる通り、多分、堀江さんはインターネットの人ではなくてビジネスの人なんですよ。初期投資のかからないビジネスとしてインターネットを最大限に活用した人。そもそもが違うんです。彼が書いたものもいろいろ読みましたが、こういう風にやれば儲かって収入を増やして自分の夢を叶えることができるみたいな話が多く、事業の社会貢献的な役割だとか、働くことでお金以外に得られるやりがい・生きがいなどの価値だとかにはまるで関心がなさそうですから。シンプルにお金儲けが好きな人だという印象ですね。まあ、推測でしかないですし、本人には「違う」と言われてしまうかもしれませんが。

ただ、人が集まっているところに、お金儲けの人たちが目を付けるというのは自然な話ですよね。それ自体は責めても仕方がないところではあります。

石丸 カルチャーというのはいつも荒地みたいなところに生まれると思います。その荒地で最初は自治的に始まって、それが盛り上がってくると、そこにビジネスマンが入ってくる。これは確かに避けられない。けどですね、同じビジネスマンでも、面白い人はいる。たとえば、ホリエモンよりも、元ZOZOの前澤の方がずっと面白い。ZOZOスーツって、あれとんでもないでしょ。全員が同じデザインのものを、しかしあり得ないくらい個人個人のジャストサイズで着るって──もはや一つの思想ですよ。是非は別としても気が狂ってる。資本主義の人民服を作るってことじゃないですか。ユニクロの20年先を行こうとしていて…、だからコケた。

松永 (笑)

石丸 ただ、ホリエモンにしても、前澤さんにしても、どちらかというと、外からネットにやって来た人ですよね。90年代に松永さんと同じようなアングラ界隈にいた人でビジネスとして成功してる人はいないんですか?

松永 聞かないですね。

石丸 え〜〜!!

松永 みんなビジネスに興味がない人たちでしたから。だから、あんなアングラなところでアングラな遊びをしていたわけです。ネットには詳しいけど、金儲けには詳しくない(笑)。私なんかはamazonがネットショッピングを始めたこと自体が衝撃でしたし。ネットで商売する人が現れるなんて予想もしてなかった。

石丸 それでいうと、自分はひろゆきは意外でしたね。彼はビジネスの人じゃなくて、松永さんとかと同じ類の人間だと思ってましたから。それが、いまや立派な金儲けの人になってる。

松永 どうでしょう。あめぞうがピンチに陥ったときにまったく同じようなシステムを作ってできたのが2ちゃんねるですからね。ある意味では最初からマネタイズの人だったようにも思います。

石丸 まあ言ってしまえばモンテローザの手法ですよね。同じ業態の店を、似たような看板で、近くに出店する。ただ2ちゃんねるに参加していた人たちは、サーバーが落ちたりしたときに無償で協力とかしていたわけですよ。ネット空間という自治空間に参画しているという喜びを原動力に2ちゃんねるは動いていた。

松永 参加していた人たちはそうですね。協働的に何かをすることに喜びを感じていた。電車男(※)なんかもそうでしたし、ウィキペディアとかも同じですよね。オープンソースというのは、そういう人間の心理を利用して成り立つものなんです。ひろゆきは、そうした心理をうまく刺激して、連帯感を作り出すプロだった。煽り上手だったんです。

※なお、電車男は、何者か(おそらくひろゆきも含まれる集団)が仕組んだフェイク・ストーリーであって、実話と信じた2ちゃんねらーを巻き込んで盛り上げさせたプロモーションであったと考えています。(松永)

石丸 そうなのかなあ。もうちょっと率直に自分はひろゆきを、松永さんと同じように眩しく見ていたし、期待もしていた。今の彼は、マネタイズという見地から女性専用車両問題に対してyoutubeでトンチンカンなこと言ったりしてて、無残です。

 

 

にしても、これは日本独特の現象なんですかね? 海外のITスターたちは、是非はともかく思想性がある。何か大きなビジョンと思想を持った人が、同時にビジネスでも大成功しているという印象なのに、しかし、日本では若者たちが成功するとすぐに蹉跌に襲われる。

松永 90年代から日本語圏のインターネットは英語圏のインターネットと違うよね、という話はありました。やっぱりツールとしての輸入だったんだと思います。初期に関わっていた人たちも、なんか面白いぞ、というノリが強くて、別に思想性があったわけではなかったですからね。

石丸 うーん。同時代における鬼畜カルチャーにも通じるところがあるかもですね。思想性よりも悪ノリが勝っていた。反抗精神はあったけど、明確なビジョンがあったわけじゃなかった。すると、結局、金儲けしたい人たちに抗えないんですよね。当時のカルチャー系のライターたちも、現在はみな貧乏です。とことんお金儲けが下手なんですよ。

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PROFILE

石丸元章 いしまる・げんしょう/GONZO作家。80年代からライターとして活躍。96年、自身のドラッグ体験をもとに執筆した私小説的ノンフィクション『SPEED』を出版、ベストセラーに。その他の著書として、『アフター・スピード』、『平壌ハイ』、『DEEPS』、 『KAMIKAZE神風』、『fiction!フィクション』、『覚醒剤と妄想』など。訳書にハンターS.トンプソン著『ヘルズエンジェルズ』。