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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #12 ハイダ族が築いた鮭本位制の資本主義社会

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十二回は北アメリカの先住民・ハイダ族のトーテミズムと赤いタトゥーをめぐって。

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タトゥーとトーテムポール

 ハイダ族のタトゥーデザインは動物などの具体的なモチーフを一定の法則を持ったパターンで描くという点で、紋様と絵画の特徴を併せ持つという特色がある。これは90年代のトライバルタトゥーブームを考える上では重要な要素で、ここまで辿って見てきたボルネオやケルティックにも共通しているところなのだ。絵画、イラスト的な表現から始まったポップアートとしての現代タトゥーの流れから、いかに本来はパターンそのものを持ち味とするトライバルタトゥーといえども、その頃はまだ完全には抜け出してはいなかったのだ。

 さらに他のトライバルタトゥーと一線を画す点としてハイダには赤色の使用が挙げられた。周辺の他の部族の記録にはそれは見られないので、あるいは期間もエリアも非常に限定的なケースだった可能性もあるのだが、北方民族であるハイダ族は日照時間の少ない生活によって、これまでに紹介してきた南の部族達よりも肌の色が薄く、赤色が映える条件が整っていたため、それを使用するようになったのだろう。

 

大島托によるタトゥー作品

 

 かつての彼らのタトゥーの赤色は赤土から作ったものらしいなので、酸化鉄がその成分だと考えられる。これはつまり、日本の江戸や明治の和彫りで赤として使用されていたベンガラと同じということだ。これは皮膚の健康的にはリスキーな素材であり、効果的に定着させるのも難しいのだが、それを知っていてもなおかつ皆が求めてきたという特別な色だった。黒と赤、そして肌の白、の三色が作り出す強力なコントラストに人はずっと魅せられ続けてきたのだ。

 現代ではそのようなセンシティブな材料はもはや使われないのだが、赤が人気の色であることは昔と変わらず、それがハイダデザインを90年代にポピュラーにしたという面は確実にあったと思う。

 ハイダ族のアートとして有名な、主に生物を独特の描法で表現するトライバルタトゥーパターンは、アラスカのコッパー川周辺からオレゴンのコロンビア川あたりまでの広大な範囲の北米大陸北西沿岸部の、トリンギットやクワキウトル、ツィムシャンなど多くの部族たちにも同様に見る事ができるのだが、それらの生物と彼等を結びつけているものは、特定の生物が変化して自分たちの氏族の霊的祖先となっていると考える祖霊信仰だ。

 

大島托によるタトゥー作品

 

 この特定の生物がトーテムと呼ばれるもので、そのような信仰の形態をトーテミズム、さらにそれをシンボライズした巨大な柱状の彫刻オブジェが、かの有名なトーテムポールということになる。

 かたちあるものは滅びるが、魂、精霊は残り続けるというアニミズムの思想が、生物が人間に変化しうるというアイデアを成り立たせている。そしてもう一方で西洋の紋章や日本の家紋のようなデザインの社会的役割を、ここではこれらの生物のトライバル柄が表しているのだ。

 

ハイダ族が築いた鮭本位制の資本主義社会

 ハイダトライバルタトゥーにおける最もポピュラーなモチーフとして挙げられるのは、なんと言ってもワタリガラスだ。それは彼等の神話の中で人類に知恵を授け文化をもたらすという大きな役を担っているためだろう。カラスたちが高い知能を持っていて、合理的で複雑な社会的行動を持つことは世界のどこでも周知の事実なので、これは日本人にもなんとなく理解しやすいと思う。

 

Jean Michel Manuteaによるハイダデザイン1

 

 僕などは学生時代にカルロス・カスタネダのドンファンシリーズを愛読していたので、カラスがトーテムというイメージには特に親しみを感じる。ちなみにワタリガラスはカラスのグループの中でもかなりの大型種で、力も強く、空を飛ぶ他の鳥を狩ったりもする。実物を目の当たりにするとカラスなのに雄大なその姿にちょっと驚かされる。今にもBGMにオペラのテノールが聞こえてきそうなぐらいだ。新宿のハシブトガラスみたいなセコさや哀愁はあまり感じられない。

 

大島托によるタトゥー作品

 

 他のタトゥーモチーフにしても同様のセンスが働いていて、鷲は神や精霊と人とのあいだを自在に飛んで橋渡しできるもの、フクロウは首を傾げて考え事をしているようなので森の賢者、蛇は脱皮するので再生、熊は圧倒的な力、ビーバーは巣作りに長けているので家族の絆、狼は獲物を工夫して狙うので探究心、海の王者シャチは部族のリーダーの生まれ変わり、といった具合になっている。諸部族によって捉え方にすこしずつ違いもあるようだが、そこに一様に見受けられるのは、すべての生物を人に対するのと同じような敬意の視線で解釈しているところであり、それこそが精霊という概念をもって世界に接する彼等の思想のコアの部分なのだと思える。

 このように独特の豊かで複雑な文化を育んだ北太平洋沿岸部の部族たちは狩猟採集民であったが、定住化を果たした彼らのコミュニティは大きく、身分制度なども発達していた。

 ちなみに農耕を経ずにこのような社会を形成するのは人類学的な観点から考えるときわめて異例とされている。通常は農耕や牧畜の技術が確立されることによって富の蓄積が可能となって、大きなコミュニティによる定住化が進み、やがて格差社会も生まれてくるとされるからだ。

 芸術にしてもそうで、一般的に狩猟採集民のアート活動は全ての生活に関わる作業との兼業となるのでささやかなものであり、大規模でディテールも凝ったトーテムポールのような創造物は、農耕による富の蓄積により創作活動に専従する者たちが現れて以降のものとされているのだ。

 北西沿岸部でそれを可能にしたのが鮭だった。冬以外の全てのシーズンを通して無尽蔵に川を遡上し続ける、シロ、ギン、ベニ、カラフト、スティール、キング、といった各種の鮭マス類が狩猟採集社会が持続していけるコミュニティ規模の常識を覆したのだ。これは塩ずけや燻製にしたりして大量に貯蔵のできる鮭による鮭本位制の資本主義社会だ。彼らの世界観では鮭は他の生物全般と同じように普段は人間の姿をして海の中の村で暮らしているのだが、季節になるとカヌーに乗り込み、鮭の形になって人間やクマに食べられるために川に登ってきてくれるありがたい存在とされていて、食べ終えた後の骨を敬意を持って川に流せばまた海の中の村で人間に戻り、また再び川を登ってくれるとされている。

 

Jean Michel Manuteaによるハイダデザイン2

 

ハイダタトゥーの隆盛

 そんなハイダのデザインが90年代のタトゥーマーケットで一気に人気になり、僕らタトゥーイストたちは競うように資料を集めて対応していった。Dover をはじめとするいろんな出版社から出ているデザイン本や、タトゥーサプライからタトゥーイスト向けに出ているシリーズなどだ。

 でもそれらは何かが違った。ちょっとユルい。微妙に足りない。タトゥーマガジンで当時のトップアーティストたちが発表しているハイダ作品画像と比べると明らかに見劣りする資料しか出回っていなかったのだ。歴史的な資料。すでに死んでいる大御所作家の昔のデザイン。つまり博物館に展示されているようなものしか売ってなかったのだ。これじゃたいして使えない。

 しかし僕は欲しい資料がどこにあるのかは正確に分かっていた。実は学生時代の90年にアメリカのシアトルから国境を越えてカナダのバンクーバーに立ち寄ったことがあったのだ。当時はトライバルデザインに特に興味があったわけでもなかったから、ほとんどチラ見した程度だったが、僕の記憶が正しければ、バンクーバーの中心街の、観光客相手のお土産屋の棚に、それはギッシリと詰まっているはずだった。

 なお、学生時代から旅好きだったかのような、ちょっと洒落たというか、意欲に満ちた若者みたいな印象を与えてしまうのは不本意なのでいちおう付け加えておくのだが、僕はもともと旅は好きではなかった。

 というか本当は家の自分の部屋からほんの一歩出るのも、他人とほんの一言声を掛け合うことすらも避けて通りたいぐらいの性分だったのだ。かつてシアトルやバンクーバーを訪れたのは、通っていた大学の語学研修プログラムの単位を取る上で不可避な展開だっただけのことだ。

 そんな僕がのちに無期限の旅を始めたことには相当なワケがあったのだ。

 そういえばこの連載を始めて、最近とても多くのクライアントからそれを訊かれることが増えた。そこで、次回はいったん話を寄り道して、僕がなぜ旅だったのか、そしてなぜタトゥーだったのか、というあたりの個人的な事情を、一旦つまびらかにしてみたいと思う。

 

大島托によるハイダデザイン

 

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html