大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #11 バンクーバーでは“アレ”がいくらでも好きなだけゲットできる
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十一回の舞台は90年代のカナダ・バンクーバー。まったく信じがたいことだったが、それはきわめて手軽に、いくらでも好きなだけゲットできたのだ。
まったく信じがたいことだったが、それはきわめて手軽に、いくらでも好きなだけゲットできたのだ。
そう、ただバンクーバーにいるというだけで。
熱帯魚のような男はベーっと舌を出した
工場地域のガスタウンはガラの悪いエリアとされている。
観光客でにぎわうショッピング街や大きなビルが立ち並ぶオフィス街とも隣接しているのだが、ここに一歩入るといきなり空気が変わるような感じだ。危険、ということではない。なんかこう、荒んでいるのだ。港湾都市にそういう一隅があるのはどうやら世界共通の現象のようだ。
そのガスタウンでテキトーに宿を決め、荷物を部屋に置いて平日のまだ昼前の通りをぶらつき始めるとスケボーの少年がこちらに滑ってきた。
「やあ、腕のタトゥー、カッコいいね。何か探してるのかな?」
ありがとう。何持ってるの?
「ウィード」
たとえ見知らぬ土地でも僕にはすぐに売人が向こうから寄ってくるというのもまた世界共通の現象だ。
「店で買うより安いよ」
店があるのか。アムステルダムみたいだなと思った。これはちなみに98年のことだ。
当時の僕の彼女のチュニジア娘は言った。
「ハッシないの? グラスはバカになるからちょっと……」
そんなのどっちでもいいだろと一瞬思ったが、これは我々で言うところのインディカ米と餅米とを混ぜ合わせて握った寿司と日本米のそれとの選択みたいなものだ。彼女はムスリムで、ムスリムはハッシなのだ、とにかく。
ちょっと離れたところには凝った造形のガラスパイプやら巻紙やらを売っているヘッドショップが見えた。これはオトナのオモチャ屋みたいなものだと思っていい。ここかなと思い軽く中をのぞいてみるが、ウィードが陳列されているわけでもなかった。店員に聞いてみると、それは2ブロック先の薬局にあるのだという。薬局?
交差点で信号待ちしてるとカリビアン風の男が寄ってきて口を開けてベーっと舌を出してきた。舌の上に白っぽい錠剤を砕いたような小さな塊がいくつか乗っている。フリーベースか、あるいはクラックか。水に溶けない性質を利用して口の中に保管しているのだ。きっとピンチになったら飲み込んでしまうのだろう。ある種の熱帯魚みたいな行動だ。
ほんの10メートル先ぐらいには退屈そうに警官が立っていた。
あのさ、ケーサツいるけど。
「大丈夫、大丈夫。あんたとトラブルになったりしなきゃこっちには来ないよ。一個ここで試してみなよ」
そう言ってスチールウールの詰まったガラス管を差し出して来た。
朝の交差点でワンショットきめて世界の帝王みたいな気分で会社に出勤するのがここのスタイルなのだろうか……。
わざわざ警官の近くでプッシャーをやっていることのメリットについて考えてみる……。口の中に入れてるんだから合法ってことはないのだろう。ひょとして守ってもらっているのか? 自分より強くて危険な同業者から? あるいはこいつは詐欺師で、騙された客の仕返しから、なのか?
どっちにしてもやっぱりこの男にはある種の熱帯魚みたいな性質があるようだ。
シャッターが半分閉まったガスタウンの薬局
「店」があった。パープルヘイズとかホワイトウィドーとかAK47などの、あの頃のおなじみのアホみたいに強力な効き目で知られるさまざまなブランド品種が透明な容器に入ってガラスのカウンターにズラーッと並んでいた。ハッシもあった。モロッコのやつだ。素晴らしい。合計20数時間の格安フライトアレンジで疲れていた彼女のイライラもこれで一安心というものだ。
改めて見渡してみると看板も間取りも薬局そのものだったが通常の薬局の取り扱うような商品はまったく無い。カウンターの中のジョン・レノン風の店員と話してみると、どうやらつぶれたドラッグストアーをドラッグディーラーが間借りしているのだという。つぶれてるのかつぶれてないのかよく分からんという、笑い話みたいな状況だ。スクワットしているわけではないのだが、新しい店子が正式に決まればまたどこか別のところに移るんだとか。つまり正式には店は出せないということなのか。
なるほど、店のシャッターが半分ほど閉まっている状態でそれをやっているというのが、表向きと内情との間に引かれたこの街の今のリアルな境界線を表しているのだろう。法的規制はあるものの、トラブルでもない限りは実際のところの取り締まりはない感じといったところか。
トラベラーの界隈では、吸う吸わないは関係なく、マリファナの扱われ方はその土地の暮らしやすさの分かりやすい指標になると言われている。香港の中国返還に際して香港人が世界中のさまざまな候補地の中から特にこの街を選んで大量に移民したことも、これなら頷けるというものだ。ちなみに何日か後でその薬局の前を通った時にはもう内装業者が次のショップのための工事をしていた。
腹が減ったのでそのへんでフィシュ&チップスとビールを買ってガスタウンの公園のベンチで食うことにした。
野球のボールぐらいのデカさの揚げた切り身がゴロゴロと入っているオヒョウのフィシュ&チップスは最高だ。畳みたいなサイズの巨大な魚ならではの身離れの良いジューシーな白身の塊。北太平洋の熱々のキャノンボールだ。これに優るフィシュ&チップスなど世の中にはそうそうあるもんじゃない。
いや、もちろん上品なタラもいいに決まっている。
いやいや、イワシの香ばしさだって本当に捨てがたいのだけれど。
とにかく、こういうものはちゃんとしたところではなく、いつも「そのへん」で買うのが当たりを引くコツなのだ。
隣のベンチでは髪の毛ボサボサの先住民風の初老の男が自分の腕に注射器で何かを打っている。時間をかけてじっくりと打っている。ダウナーの何かだ。まあヘロインなのだろう。今にも身体がとろけてポタンと地面に滴ってしまいそうな様子だ。安全のため、ベンチから転がり落ちるまでにせめてポンプを抜いて欲しいと思ってハラハラするのだが、とにかく平日の白昼堂々うらやましい限りのメルトダウン風景だ。
芝生の上では先住民風の中年女とボーダーコリーがフリスビーで遊んでいる。百発百中、というか百スロー百キャッチだ。僕は今まで何頭も犬を飼っていたから分かるが、これはそうとうな練習量の成果だ。
カナダでも先住民はヒマを持て余しているのだろうか。
カモメとカラスが僕らの周りをずっと遠巻きにトコトコ歩いていた。キャノンボール1個で満足して、さっそく買ったばかりのハッシを揉みはじめた彼女の方ではなく、モグモグせわしなく食っている僕の方を注視している。が、紙袋を逆さにして揚げカスのひとかけらまでも残さず口に放り込んで完食し、タルタルソースのついた指をしゃぶって服で拭い、インドタバコのゴールドフレークに火を点けたら諦めてどこかに飛んでいった。利口なやつらだ。喫煙の健康被害まで知っているらしい。
陽射しが麗らかだ。空は恐ろしいほどに青い。
いいところなんだなぁ、ここ。
「うん」
ハートマークの煙を燻らせて彼女は言った。
バンクーバーが世界のマリファナ都市ベスト10に選ばれる理由
バンコクのジャンキー御用達のゲストハウスのロビーのテーブルの上にあったアメリカの雑誌「HIGH TIMES」で世界のマリファナ都市ベスト10みたいな記事を眺めていた時にはかなり意外に思ったものだった。
アムステルダム、バルセロナ、サンフランシスコなどは分かる。シドニー、メルボルン、イビサ、ゴア、バンコク、ニューヨーク、とかもおなじみだ。どこもイェーイってな感じにハシャぎたくなるほどに待ち遠しい、自由で華やいだ休暇のイメージの街々で、いずれも先進的なアイデアが次々と爆発し、文化がとめどもなく溢れ出ずるヤバい噴火口のようなスポットだ。その、誰だって知ってる「いかにも」な面々の中に、私のことはそっとしておいてくだされば幸いですみたいな顔して(してないか別に)バンクーバーが佇んでいたからだ。
でももう分かった。ハシャぐ必要もないほどに悠々自適で余裕綽々の大人なわけだ。民度が高いのだ。着いてわずか半日で分かってしまったのだが、この後でここを訪れる度にこの実感はますます強くなっていった。
が、とりあえずこの連載のテーマはこっち方面ではないし、冒頭に書いた“いくらでもゲット出来るもの”というのもこれのことではないのだ。
取ってつけたような展開で申し訳ないのだが、今、ズラッと挙げた都市の数々はタトゥーが非常に盛んなことでも有名なのだ。
ここバンクーバーもそうだ。多くの優れたタトゥーイストたちを輩出し、街中にはさまざまなタトゥーショップが軒を連ねている。港町だからか船乗り風のデコレーションのスタジオが多いような気がする。これは日本のレストランチェーン、「レッドロブスター」の店構えをイメージしてもらうと分かりやすいと思う。ちょっとオールディーズで、昔の捕鯨船とか毛皮貿易やなんかを想起させるようなグッズが飾ってあったりする、あの感じだ。
そしてさらにここにはとてもスペシャルなトライバルタトゥーの発祥地という側面もある。
アメリカ大陸の北西海岸地帯、いわゆるノーザンフォームラインコンシスツの諸部族は非常にユニークでレベルの高いアートスタイルを持っていることで知られているが、その中でもとりわけ有名なのがハイダ族であり、その彼らの本拠地が、クインシャーロット諸島を中心とした、ここブリティッシュコロンビア州周辺なのだ。
彼らのトライバルタトゥーを支えるそのユニークなトーテミズムの世界を、次回はじっくりと紹介してみたい。
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