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刺青美人画で知られる異才の絵師・小妻要が本当に描きたかった「責め絵」とは──小妻画伯追悼原画展トークショー|志摩紫光 × 小出英二 × 慧梨香 × 芳賀英紀

その代表的な作風である“刺青美人画”によって、日本画壇に新しい潮流を巻き起こし、国内外の多くのファンを魅了してきた日本画家・小妻要(容子)。7回目となる追悼原画展の会場にて開催されたトークショーの一部を掲載する。


 

「女性の表情が苦痛に抗っている感じがしない。どこか諦めたような表情をしているでしょう?」

9月、芳賀書店の6Fにて開催されていた小妻画伯追悼原画展の会場。小妻要の描いた艶めかしくも厳かな“刺青美人画”を前に固唾を飲んでいると、不意に裏から志摩紫光氏がそう声を掛けてきた。

言われてみれば、いずれの小妻作品においても、女性の表情からは抵抗の念といったものは感じられない。絵の中の女性たちはみな麻縄による熾烈な拘束を施されているにもかかわらず、その諦念を湛えた静かな表情が彷彿させるのは、脆さよりもむしろ強かさである。それは課された運命に対する憎しみでは決してないだろう。運命への全面的な委ね、あるいは「運命愛」とさえ言ってもいいものかもしれない。

「見事なものですね」

思わず口をついて出た言葉に、志摩氏は嬉しそうに頷く。

「多くの責め絵を見てきましたが、小妻先生ほどの才能は他にいませんよ」

小妻要(容子)とは誰か。その代表的な作風である“刺青美人画”によって、日本画壇に新しい潮流を巻き起こし、国内外の多くのファンを魅了してきた日本画家である。70年代のSMブームの中で頭角を現し、「小妻容子」なる女性ペンネームのもと「SMキング」「別冊SMファン」「SM秘小説」などの名だたるSM雑誌の表紙を描いてきた。2011年に逝去された後も、小妻作品の鑑賞の機会は多くの人々に求められており、そうした声に応えるようにして追悼原画展は回数を重ね、今回で7回目の開催となる。

小妻画伯の生前、作品デッサンへの協力などを始め、浅からぬ親交のあった志摩紫光氏は、現在、小妻要・容子の会の代表を務めている。志摩氏といえば、その残忍非道な(そして、それゆえの慈愛に満ちた)調教でSM界において知らぬ人はいない、伝説の責め師だ。そんな稀代の責め師がそこまで惚れ込んだという、稀代の責め絵師の魅力とは、一体いかなるものなのだろうか。

9月27日、展示会場では、志摩氏、小出英二氏(大洋図書会長)、慧梨香氏(緊縛モデル、緊縛セラピスト)、芳賀英紀氏(芳賀書店代表)による展示開催記念のトークショーが執り行われていた。小妻画伯の生前のエピソード、その作品の魅力、さらには日本のSM界の現在、志摩紫光氏の調教哲学をめぐって展開したトークの一部を、以下に掲載したい。

 


 

 

 

小妻要が晩年まで明かすことのなかった本当の“趣味”

慧梨香 小妻先生が亡くなってもう8年になるんですよね。

志摩 そうですね。

慧梨香 あっという間な気がします。

志摩 本当に。

慧梨香 2011年、あの震災の翌日も志摩さんは小妻さんと打ち合わせがあると言って出かけられてて、私なんかは「こんな日なのに?」と思ったものです。ただ、いま思えば、当時すでに小妻さんの体調はあまりよくなかったので、志摩さんは残された時間が少ないことを分かってて親交を密にされていたのかな、なんて思ったりもして。

小出 小妻さんが亡くなられたのは震災のすぐ後なんでしたっけ?

志摩 お亡くなりになったのは2011年の9月です。だから震災の半年後ですね。

芳賀 まさに今日(9月27日)が命日ですからね。

志摩 そうです。

芳賀 そうした特別な日に、芳賀書店で皆さんとお話しできることを光栄に思います。早速、小妻先生との思い出について伺っていきたいのですが、まず小出会長が小妻先生とお仕事をするようになったのはいつ頃からなんでしょう?

小出 実はほとんど仕事をさせて頂いたことはないんです。大洋図書としては、うちの死んだ父の代に「SMキング」という雑誌がありまして、これは父が団鬼六先生と作った雑誌なんですが、このSMキングの初期の数号では、小妻先生がが表紙を描いてくれていたことがあります。ただ、数号だけでした。

その後、小妻先生が主に作品を出されていたのは司書房や三和出版、それこそ「SM秘小説」などですよね。ミリオン出版(大洋著書の子会社)から出していた「SMスナイパー」にとっては、小妻先生はすでに敷居が高かったんです。正直に言えば原稿料が高かった(笑)

だから、大洋図書としては小妻先生がなくなる3年前の2008年に、豊満な女性を描いた作品を集めた画集を出させてもらったんですが、それくらいのものです。あともう一冊、先生がお亡くなりになった後にも画集を出させてもらっています。

 

『小妻容子秘画帖 豊艶の濫り』(大洋図書)

 

芳賀 2008年に出された画集ですね。この画集は豊満な女性ばかりが描かれてますけど、今回、芳賀書店で展示させていただいたような刺青緊縛画の画風とはだいぶ違いますよね。小妻先生は元から豊満な女性の絵を多く描かれてたんですか?

志摩 これは裏話になってしまいますが、小妻先生は個人的に非常に豊満な女性が好きだったんですよ。ただ、僕も最初はそれに気づきませんでした。僕は元から小妻先生の作品が好きで、やがてアトリエにお伺いするようになり、作品のデッサンの資料写真や映像の撮影用に緊縛をお見せしてたんです。ただ、何度か通っているうちに、どうやら小妻先生はスレンダーな女性を連れていくと、あまり機嫌が良くないということが徐々に分かってきて。一方、豊満な感じの女性を連れていくと、おおっとなって盛んに撮影をしているんですね。

小妻先生は非常にダンディな方でしたから、ご自身の性癖を語るということはありませんでした。ただ、アトリエには豊満な女性のデッサンがいっぱいあったんです。絵にはしてなくて、ただデッサンだけが溜め込んであった。おそらく、それは自分の密かな趣味として発表するつもりはなかったものなのでしょうが、自分の死期を感じたからかもしれません。2007年頃になり、ようやく発表する方向に向かいだしたんです。

芳賀 今日、大洋図書の編集の方が二冊の作品集を持ってきてくださいましたが、ある意味ではこの二冊で小妻さんの両面を見ることができるんですね。

志摩 そうですね。刺青緊縛画家としてのいわば表の作品と、豊満な女性への愛着を描いた裏の作品と。実際に春川ナミオさんの描くような絵に対する憧れもあったようです。

小出 うちは春川さんの作品も出してますからね。今日、担当編集者が会場に来ているんですが、おそらく彼が豊満女性好きなんですよ(笑)

芳賀 (笑)。豊満な女性のどういうところに魅力を感じてるんでしょう。好きになったきっかけとか是非知りたいです。

担当編集者 幼い頃に近所のお母さんに買い物に連れ行ってもらったことがあるんです。その時に、その女性の後ろを私は歩いていたんですけど、その方のお尻がとても大きくて、そのお尻しか見えない中をずっと歩いていた思い出があって、それ以来、大きいお尻に魅力を感じるようになりましたね(笑)

芳賀 興味深いです。僕もこれまでいろんな方の性の話を聞いてきましたが、皆さんのセクシュアリティの根源になっているものは幼少期の経験に紐づいているようなことが多いんですよね。小妻先生のそうした性の根源についても拝聴してみたかったです。

慧梨香 逆に芳賀さんはこのメンツの中では一番お若いですけど、小妻先生の絵と個人的に触れ合うようなことはあったんですか?

芳賀 意識して、という形ではほぼないですね。ただ、僕の場合は生まれついて芳賀書店でしたから(笑)。子供の頃から父が持ち帰ってくるエロ本を普通に読んでましたので、あらためて小妻先生の絵を見ると「あ、見たことがある」という懐かしい感覚がありましたね。

慧梨香 日常風景の中に小妻先生の絵があったんですね(笑)

芳賀 そうです。ただ、その絵が持っている意味やメッセージを読み解く力は当時はありませんでしたから、今になって志摩さん伝いに色々と伺って、学び直しているところです。驚いたのは、刺青画を想像で描かれていたという点ですよね。刺青のある女性にポーズを取ってもらって、それを描いたのではなく、あくまでも想像の中で、身体をこう捩ったら刺青はこうなるだろうと推測して描かれていた、と。それは凄いことだなと感じます。

 

 

小出 そこは本当に凄いですよね。貼り付けているわけじゃないんですから。志摩さんがアトリエで緊縛を見せていたと言っても、刺青の入ってる子を連れて行っていたわけではないでしょう?

志摩 刺青の子はいませんでしたね。だから、本当に小妻先生の才能は凄かったんです。他にも刺青女性を描いている方というのはいましたが、皆、平面的なんですよね。体が丸くなっているのに、絵が平面になっているからどうしても違和感がある。ただ、小妻先生の絵ではその違和感がない。凄いことです。

ただ、惜しむらくは小妻先生の描いた刺青女性のイメージは、鉄火肌のヤクザな女という風になっている。そのため、顔つきが非常にきついんです。刺青画という新しい潮流を生んだにも関わらず、それが原因で画壇から黙殺されてしまった。やはり画家の世界は絵が売れてなんぼですからね。ヤクザな雰囲気があるとやっぱり一般受けはしづらいんですよ。

ただ、実際には売れているんです。小妻先生は多作で、半端じゃない枚数を描いてきましたが、実は雑誌などに提供される前に、まず好事家の人たちが買って持っていってしまってる。だから未公開の絵というのも相当数あるはずですよ。

小出 今、小妻作品における女性の顔の話になりましたが、実は美容整形の世界における小妻先生の影響力はとても大きいんですよね。実際、美容整形医が、こうした美人画の中の顔を整形に活かしてきたという歴史があるんです。あるいは小妻先生の描くおっぱい、これは上から膨らんで丸くなっている形なんですが、これは今の豊胸手術においては非常にポピュラーな形でしょう。ここに関しても小妻先生の絵の影響は大きいと思いますね。

 

 

慧梨香 私、ツイッターで高須クリニックの高須院長が小妻先生の絵に「いいね」を押しているのを発見しましたからね(笑)

芳賀 文化の壁を超えて現実に影響を与えているというのは面白いなぁ。女性である慧梨香さんの視点からは小妻作品はどのように見えているんですか。

慧梨香 これは私個人というわけではないんですが、M女で展示を見にくる人たちと話していると「この吊りはつらいんだよなぁ」とか「これすると腕を痛めるよね」とか、ちょっと違う視点で盛り上がるんですよね(笑)

芳賀 (笑)。意外とそういう現場の声を拾ったものってないですよね。

小出 女の子の裏話というのはね、男としては聞くのがつらいところですから(笑)

慧梨香 M女のあるある話はエグいですからね(笑)。ただ、今になって小妻先生の絵を見ていると、年齢を経ていくことの怖さがちょっと薄れます。熟女、悪くないじゃんって思えて、安心するんです(笑)

芳賀 今は熟女ブームが行き過ぎてるくらいですからね。逆サバとかが増えてるのは、それはそれで失礼なんじゃないかと思えてきますよ(笑)

慧梨香 26歳なのに36歳で売り出されてたりしますよね。こんな36歳いないよっていう(笑)

 

調教における「失敗」とはなにか

芳賀 現在、緊縛文化がメジャーになっていて、有名な緊縛師が海外に出て、緊縛を教えていたりしていますよね。そういうSM界の状況の変化についてはどう思われてますか?

小出 僕はあまり好きじゃないですね。「俺、女の子を縛ってるんだ」なんて話した日には走って逃げられるくらいの方がちょうどいい。あまりおおっぴらにやるものではないという認識です。目立って警察に入られたら一巻の終わりですしね。本当に好きな人だけの小さな世界でやっていくのが一番いいと思うんですけどね。

芳賀 すごく難しいところですよね。それがSMなのか、緊縛なのか、みたいな話もあるじゃないですか。

慧梨香 今はその二つが分かれているイメージがありますよね。

芳賀 たとえばSMは西洋の概念でもあるわけですが、一方で緊縛は日本独自の歴史を持っていて、元をたどれば拷問術なんですよね。緊縛はそうした拷問を悦びへと変換していく技術でもあって、それを1ショットのレッスンとかで精神性を含めて伝えられるものなのかどうか。

小出 時代は変わりましたよね。一番変わったのは女の子の意識ですよ。女の子がどんどん積極的になっていて、歌舞伎町のSMバーに行くと、お客さんは女の子が多い。男性客の方が少ない。それくらいSMの世界は変わってきているんだと思います。

志摩 昔は女の子がまったくいなかったですからね。いかに女の子を集めるかというのがクラブやバーを運営する上においてのポイントでしたから。

芳賀 今は逆らしいですもんね、縛られたい子はいっぱいいるけど縛り手が足りないという。

小出 そう、チンチンが足りないんです。

慧梨香 それは大きな問題ですね(笑)

芳賀 心にチンチンを持った男性客が少ないということですね(笑)

小出 そうそう。ただ、そういう意味では小妻先生も画風がどんどんと変わっていきましたよね。

志摩 そうですね。最初の頃は縛り方にはこだわりがありませんでしたから。どっちかっていうとぐるぐる巻きに近い形。そんなのは実際には無理ですよっていう絵を描かれてました。その後、僕などと付き合うようになって、縄のテンションを含めて正確に描かれるようになったんですけど、むしろ最初の頃の方が斬新さはあったように思います。女性をどうやってリードしていくか、という視点があった。生々しさという点では初期の方があったように思いますね。

慧梨香 ところで、この前、小妻先生の最後のお弟子さんだった彫蓮さんとお話ししたんです。ちょうど彫蓮さんのショーがある時だったので、どんなショーなのか聞いたら、なんでもステージ上で、彫蓮さんがライブペイントをして、そのペイントが仕上がったらペイントされた紙を突き破って、次の方が登場するという演出になっているそうで驚いたんです。「え、せっかく描いたのに破いちゃうの?」と思うわけですが、彫蓮さんは「どうせゴミになるものだから」って。ようするに描き上げること時代にカタルシスがあるのであって、描いてしまった後のものには情熱を感じないと言うんですね。もしかしたら小妻先生にもそういうところがあったんじゃないかなと思うんですけど、どうなんでしょう?

小出 小妻先生は作品を放出してますよね。手元に置かずにどんどん外に出してる。色んなところに寄贈もしてますし。

志摩 そうですね。ただ、自分の本当に気に入った絵と、執着を感じない絵とを分けていたように思いますね。だから、自分の本当のこだわりの絵に関しては外に出さなかった。先ほどの話に出た豊満な女性の画集に収録された作品などがまさにそうですよね。あるいは出したところで世に受けると思っていなかったというのもあるでしょうし。

担当編集者 そうですね。制作過程においても「これを世に出していいんだろうか」と何度もおっしゃってました。その後、何度も加筆をされて、結局、自分では終わりにできないからもうそっちで持っていっちゃってくれ、と仰られて。

芳賀 画集の制作に1年かかったそうですね。一冊に一年は相当ですよね。

小出 そこはもう本当に、一年は勘弁してもらいたいところだったんですけど。家を作ってるわけじゃないんだから(笑)

志摩 出すなら完璧なものを出したいというこだわりも強い方でしたから。描きあげても「これはディテイルが狂っているから」と言って破り捨ててしまうということもありましたし。

小出 志摩さんくらい小妻先生の絵を見ていると、中には「あんまり良くないな」ということもあるわけですよね。そうしたものを踏まえた上で素晴らしい絵師さんだと考えられているわけで。

志摩 そうですね。

小出 それは私たちが調教師の方々に向けている視線と一緒なんです。たとえば志摩さんも今回は調教に失敗ちゃったなとかあると思うんですよ。でも、それを失敗とは言えないわけで。ただ、我々、編集者はそういうのを知った上で調教師の方を尊敬しているわけですから。

芳賀 実際に失敗することも結構あるんですか?

慧梨香 そこは耳をダンボにして聞きたい話です(笑)

志摩 失敗したなと感じている調教はもちろんありますよ。今まで4000人以上を相手にしてきて、全部が成功したなんてことはもちろんありえません。いいように利用されて裏切られたこともあります。変な話、4000人以上を見てきて、今なお「女性は魔物だな」と思います。

 

志摩紫光氏の映像作品

 

芳賀 志摩さんほどの経験があってもそう感じるんですね(笑)。やはり調教師も、そうした失敗を経たり、訓練を重ねていく中で調教術が磨かれていくものなんでしょうか?

小出 どちらかというと「我」じゃないですかね。調教師の「我」がいかに強いか。「大丈夫だろ?」「気持ちいいだろ?」っていう我の強さでどんどん責めていく。SMのプレイというのは基本的につらくて痛いものだから、「勘弁してよ」と受け手は思うわけです。ただ、それを言わせない、思わせない。「いや」って言われたら三流なんです。それをどうにか言わさずに「我」を最後まで通すのが一流の調教師なんじゃないですかね。だって、「勘弁してよ」と思うことの方が多いでしょう?

慧梨香 まあ、そうですね。M女の側としては、「勘弁してよ」っていう肉体的な限界を思いの強さでいかに超えていくかというところがポイントになるので。

志摩 基本的には相手に聞きながらプレイするのが一番ダメですね。「これできる?」とか「大丈夫?」とかお伺いを立ててはいけない。相手ができると言ったからやったんだ、相手がいいと言ったからやったんだ、ではダメなんです。相手がそれを受け入れられる状態になっているかではなく、受け入れられる状態に持っていけるかどうかなんです。

芳賀 すると、志摩さんからすれば、今のAVの制作現場なんてありえないんじゃないですか? まず同意を持ってプレイが始まるという。

志摩 ありえないです。僕はほとんどモデルを使わないんですが、それはモデルにはNG項目というのがあるから。あれがダメ、これがダメ、というのが事前に決まってる。大体、そのように事前に定めていけば、できることは縛ることくらいなもので、絵にもならないんです。だから、僕の映像では自分で調教してきた女の子を使ってきました。その際、「できる?」とは聞かないですよね。「これとこれをやる」とこちらが指示して、それに従わせる。その感覚でリードしていく。だって、雪の上を車で引きずるという時に「できる?」なんて聞いても「できます!」とはなりませんからね。

芳賀 そこで「できます!」と言えるのは一流スタントマンくらいですよ(笑)。志摩さんの調教は最終的に火炎放射まで出てくるわけですから。

慧梨香 もしそんなものがアンケートにあれば軒並みNGをつけますよね(笑)

志摩 だから相手をいかにリードできる人間関係に持っていけるかどうか。縛り方がうまいとか下手とかは関係なくて、そうした立ち位置を作ることができれば、相手はついてきますよね。お伺いを立ててしまうと相手にリードを取られてしまう。そうなれば、大体が何もできないです。

 

「全身調教師」としての志摩紫光

慧梨香 志摩さんの調教におけるリードの取り方は本当にすごいです。そして、すごい待遇がいい。私も何年も前に志摩さんの調教に加わった時に真っ先に思ったのが「志摩奴隷ってこんなに待遇がいいのか」ということでした。奴隷が色々とやるんではなく、やってもらえる。雪山でエルグランドで女の子を引きずった後は、みんなで温泉に行ったりしてて。車の中にもM女のケア用品がいっぱい詰まってるんですよね。

小出 死んだ人はいなかったんですか?(笑)

志摩 それはいなかったですね、はい(笑)

慧梨香 志摩さんもリスクを背負われてましたよね。絵面が悪いからと、雪山でも長靴は絶対に履かない。だから、足の裏がずっと凍傷みたいになってて。

芳賀 そこらへんはもう覚悟のようなものなんですかね?

志摩 それはもう当たり前のこと、という感じです。SMだから作務衣を着るとか、衣装を着るとかという人もいるけど、僕にとってSMとはそういうものじゃなくて、日常生活の中でできることなんです。だから冬でも革靴だし、川の中でもそのままだし、大体このスタイルのまま。雪中でもセーターを着る程度。実際、雪山をずっと歩いてるからすごい暑いんです。気分的にはこちらも裸になりたいくらいですが、男が裸になると落差が生まれず、絵にならないので我慢してます。

慧梨香 雪中緊縛は憧れるM女は本当に多いんですよね。すごく綺麗に見えるから。

 

志摩紫光氏の映像作品2

 

小出 行って帰るのが大変ですけどね。うちも志摩さんの担当者が撮影がつらいと言って何人か辞めていきましたよ(笑)

芳賀 僕からすると志摩さんはとても温厚な方なんですけど、現場だとやはり違うんでしょうかね。

担当編集者 いえ、まったく変わりがないですね。ただ、ビデオの時の志摩さんは、また少しトーンを変えてらっしゃいますけど。

志摩 まあ映像は商品ですからね。優しい顔をしてたら興醒めしてしまうので。

慧梨香 私はビデオから志摩さんのファンになったタイプなんです。当時、勤めていたSMクラブのお客さんからビデオを頂いたんですけど、その晩だけで3回くらい繰り返し見ましたね。「人妻ピアッシング奴隷」という作品で、もう衝撃的でした。女性がすごく酷いことをされているのに、少しも逃げようとしない。信頼関係がすごくて、愛に溢れる作品で。それで東京のSMのオフ会に行った時に、ゲストで志摩さんもいらっしゃってるのを知って、自分から話しかけさせてもらったんです。覚えているのは、みんな志摩さんを怖がってて、会場の誰も志摩さんに近寄らないんですよね。

芳賀 作られてるもののエッジが強かったですからね。

慧梨香 そう、M女さんから見れば「あんなプレイは無理、きつすぎる」だし、S男性から見れば「緊張感がすごすぎて怖い」になるんです。志摩さんの調教は、必ずM女の想像の上をいくじゃないですか。その時の緊張感がすごい。それは責める側も怖いんです。どこまで自分が引き受けられるか、どこまで相手の「やめて」に耐えられるか。志摩さんは相手の「やめて」をさらっと「はいはい」と言って躱すだけですからね(笑)

芳賀 それは耐えられる素質のある女性を初めから選んでいるということでもあるんですか?

慧梨香 どうでしょう。でも志摩さんの奴隷さんってバラエティが豊かですよね。年齢層も20代から60代まで。普通、調教師さんにも好みや偏りがあるんですけど、志摩さんの奴隷さんは偏りがない。対応能力が広いなあって思います。

志摩 基本、人間性なんですよ。

慧梨香 そうですよね。志摩さんのすごいところは、24時間、徹底して志摩紫光であるということ。普通、奴隷も24時間ずっと奴隷であり続けることってできないし、主も24時間ずっと主であり続けることってできない。でも、志摩さんはそれができる。そこはすごい尊敬します。

だから、表では4000人の女を調教してきた人なんですけど、裏から見ると4000人の女に八つ当たりされてきた人なんですよね(笑)。M女さんはやっぱりみんな何かを抱えている人が多くて、志摩さんとの関係性の中でそれが癒されていくわけですけど、その間の八つ当たりっぷりって言ったら半端じゃないわけなので。本当、4000人、お疲れ様です(笑)

小出 思えばSMの全盛期を知っている方ってほとんどもう亡くなられてる。残ってるのは志摩さんと杉浦則夫さんくらいですよね。

芳賀 そこは僕らがきちんと受け継いでいかないといけないなと感じていて、それこそ小妻先生の作品の魅力を伝承していくことなども、その一つだと思っています。最後に、志摩さんにあらためて小妻作品の魅力を語っていただいて、この場を締めさせて頂きたいと思います。

志摩 小妻さんの作品はどれも責めとして完成されていないんです。どういうことかというと、この絵の中のポージング、縛られた状態、吊られた状態というのを見ていると、俺だったらこの後はこういう風にするなとか、おそらく、こういう展開でこうなっているのだから、俺だったらこの後はこういう風にしていくなとか、そういうことを想像させられるんです。あるいは、こういう風に運びたいという欲望を起こさせるような構図になっているとも言える。完全に縛りが出来上がっていて、これ以上の展開のしようもないというような絵は一枚もないんですね。どういう風な形ででも、先を予感させ、妄想させてくれる。そういう目でもってあらためて鑑賞してもらえれば、小妻先生の絵の素晴らしさが、より伝わるんじゃないかと思います。

 

 

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志摩紫光 しま・しこう/縄師、調教師。

小出英二 こいで・えいじ/太陽図書会長。

慧梨香 えりか/緊縛モデル、緊縛セラピスト。

芳賀英紀 はが・ひでのり/芳賀書店三代目。

 

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