そこに「悪意」はあるのか?──いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー 2/3
世界中を旅しながら数々の映像作品を制作してきたアーティスト・小鷹拓郎。彼の作品はいつだって「嘘」を起点としていて、その作品制作の根底には「悪意」が漲っている。
南アフリカで強盗に襲われて
HZ あらためてなんですが、小鷹さんが映像作品を制作するようになった経緯を教えてもらえますか。
小鷹 僕はアーティストと名乗ってはいるものの、芸大とか美学校には行っていなくて、元々はデジタルメディアデザインの専門学校に行ってたんです。プログラミングの勉強ですね。ただ、その学校がとことん僕には合わなくて、20歳くらいの頃はかなり精神的にも落ち込んじゃってたんです。それで、少し気持ちを変えたくて、友達にビデオカメラを借りて、バックパッカーとして海外を旅してみることにしました。映像を撮るようになったのは、そこからですね。
HZ 旅の記録としてってことですよね。最初はどこらへんの国をまわられたんです?
小鷹 まずはアジアですね。タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなど。特に目的のない旅だったんですが、一応、カメラは回し続けていて、そんな中、タイの首長族の集落である女性に出会い、その出会いから最初の作品が生まれることになったんです。
HZ 2006年に制作された『Dear NOZOMI』ですね。
タイの首長族の集落にて出会った少女カヤ・ムダと(写真:小鷹拓郎)
小鷹 そうです。首長族は僕にとって初めて接した少数部族だったんですが、そこで仲良くなった一人の女性がとても可愛くて。まあ、好きになっちゃった(笑)。で、彼女を頑張って口説き続けていたんですよ。一度、日本に帰国してからもビデオレターを作って送ったりもしていて。最終的には再会しに現地へと向かった結果フラれてしまうんですけど、その一連の流れも撮影していたので、編集して一本の作品にしてみました。それが運良くあるキュレーターの目に止まり、KITA!! Japanese Artist Meet Indonesiaという国際交流基金が主催しているインドネシアの展覧会に放り込まれることになって、まあ、これがキャリアの始まりですね。
(小鷹の映像作品『Dear NOZOMI』より)
HZ 当初はアーティストとしての自意識もなかったわけですよね(笑)
小鷹 まったく(笑)。単に個人的な記録のつもりで撮影してただけですから。ただ、映像を撮ること自体は楽しかったので、その後も撮影し続けました。細かい作品を作りつつ、2008年には初めてアフリカにも向かいました。
HZ その時にアフリカで制作されたのが『ポテトとアフリカ大陸を縦断するプロジェクト』ですよね。僕はこのアフリカでの小鷹さんのエピソードがとても好きなんですよ。南アフリカのバスの中で強盗にあったという。
2008年、小鷹はポテトを片手に7ヶ月間にわたりアフリカを旅した(写真:小鷹拓郎)
小鷹 ああ(笑)、でもその強盗にあった経験が作品制作のきっかけにもなったんですよ。あらためて説明すると、僕は最初、南アフリカに向かったんです。空港のあるヨハネスブルグは世界でも指折りの治安が悪い街として知られていますが、僕はそこからさらに治安の悪いとされるダーバンという街に行きたくて、ダーバンに向かうバスに乗りました。最初のうちは車内の様子は普通だったんです。ただ、バスが高速に入ったら若い男が近づいてきて、すぐさま銃を突きつけられ、「金を出せ」と言われて。
HZ 他の乗客は助けてくれなかったんです?
小鷹 いや、乗客全員が強盗みたいな感じでした。別に彼らはプロの強盗というわけじゃないんでしょうけど、一般市民なのに強盗もする市民といいますか……、とにかく僕の席の周りをぐるっと囲まれちゃって、完全にパニックになってしまったんです。そのとき、僕は体調はとても良かったはずなんですが、人間の体って不思議なもので危険を感じると途端にお腹が下りだしてしまうんですよね。で、その場で勢いよくウンコを漏らしてしまって。
HZ (笑)
小鷹 でも、そうなったら今度は向こうがビビりだしちゃったんです。まあ金を取ろうとしたらウンコを漏らされたんだから当然といえば当然ですが、突きつけてた銃を引っ込めて「おい、誰か拭くものもってこい!」みたいに慌てふためいて。挙げ句の果てにバスも止めて、みんなでウンコ掃除を始めることになった(笑)。強盗たちも気分が変わったのか「いや~、冗談だよ、冗談」みたいに言われて、なぜだか荷物を盗まれずに済んだんです。
HZ 銃は突きつけてくるのにウンコにはビビるという(笑)
小鷹 そうなんですよ。いずれにせよ、その時に僕はアフリカという土地の洗礼を受けたわけです。命の軽さというか、金の重さというか、同じ人間だけど感覚がこんなにも違うんだということを痛感しました。そうしたトラブルを経つつ、僕は日本人バックパッカーが集まるという宿に向かったんですが、その宿は世界中を旅してきた人たちの終着点のような宿で、彼らとお酒を飲みながらアフリカ大陸の色んな話を聞いたんです。その話の一つに「エジプトにはジャガイモが存在しない」という話があった。え、そんなわけないだろう、と思ったし、所詮は飲みの席の軽い噂話ではあったんですが、妙に引っかかったのもあって、その旅のテーマをジャガイモにしようと思ったんです。
言ってしまえば、旅をする上での手掛かりのようなものですよね。エジプトにジャガイモがないという噂を確認しに行くという旅の目的も作れますし、強盗にあったことで、僕はアフリカの人たちと自分との接点を見失ってしまっていたから、彼らを知り、彼らと自分とがどうズレているのかを探る上で、きっかけになるものが欲しかったというのもある。それがジャガイモである必要は特になかったんですけど(笑)
(写真:小鷹拓郎)
HZ たまたま目についたものがジャガイモだった、という。あくまでもズレを確認する上でのメディウムというか。
小鷹 そうです。ただズレがある一方で、本当は繋がっているという予感もしていて、そこも確認したかった。たとえば目の前でウンコを漏らされると焦ってしまうという心理は、日本人もアフリカ人も変わらないわけです。それを確かめる旅をしたかった。
結局、7ヶ月くらいかけてアフリカ大陸を横断しました。南アフリカ、スワジランド、レソト、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、ザンビア、マラウィ、ケニア、ルワンダ、ウガンダ、タンザニア、スーダン、シリア、ヨルダン、イスラエル、エジプト……と、かなり多くの国を渡り歩いたのですが、適当に選んだにしてはジャガイモって素朴な食べ物ということもあって、コミュニケーションの道具としてすごく都合がいいんですよね。たとえば政情が不安定な国などに行くと、住民に直接的に政治の話を聞くことって難しいじゃないですか。だから、「ジャガイモと大統領だったらどっちが好き?」みたいに、あくまでもジャガイモに絡ませて質問していくんです。すると「ジャガイモ!」って素直に答えてくれたりする。
あるいは、ウガンダのピグミー族は南アフリカ産のジャガイモに大興奮して、マリファナと交換してくれとせがんできましたね。はたまた別の場所では理由は分からないけどジャガイモが大嫌いな部族もいて、ジャガイモについて質問しただけでとてつもなく怒られたりしてしまうということもあったり。本当に反応はさまざまでしたけど、楽しい旅でした。
(小鷹の映像作品『ポテトとアフリカ大陸を縦断するプロジェクト』より)
HZ 「ジャガイモの人類学」として一冊の本にしてもよさそうな面白いアプローチです。で、結局、エジプトにジャガイモはあったんです?
小鷹 最初から薄々気づいてはいたんですが、めちゃめちゃありましたね(笑)
僕の代わりに妻のオノヨーコがパフォーマンスをします
HZ 『ポテトとアフリカ大陸を縦断するプロジェクト』をはじめ、小鷹さんの作品は一貫して噂や嘘といったものをめぐっているように感じます。たとえば、『河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト』などもそうですよね。河童という架空の生物、ある種の噂を起点にしつつ、さらにそこにフェイクドキュメンタリー的な手法が重ねられている。
小鷹 あの作品は渡良瀬アートプロジェクトという地域アートに参加する際に作った作品ですね。地域の人たちとともに人を「騙す」作品を作ってみたかったんです。渡良瀬に河童が生息しているという嘘の設定を作り、その設定だけ住民の人にも共有してもらい、アドリブでインタビューに応じてもらう、という形で製作しました。最終的には村の人たちと河童を捕まえに行くんですが、実際に河童は存在しないわけですから映像としてはそこで終わり。アートプロジェクトの主催者はこの作品を観てかなり怒ってしまったんですが、地域の人たちは面白がってくれました。
実はあの『河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト』はドイツのオーバーハウゼン国際映画祭でも上映されたんです。僕としては渾身の作品だったのでドイツでもウケるだろうと思っていたんですが、これがまったくウケなかった(笑)。作品の意味を理解してもらえないんです。「これは何が面白いんだ?」ってドイツ語ですごい質問されて、ようやく気付きました。彼らは「河童が架空の存在」ということをそもそも理解してなかったんです。
(小鷹の映像作品『河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト』より)
HZ それはウケようもないですよ(笑)。コンテクストがまるで共有されてないんですから。
小鷹 そう、コンテクストを共有していないという当たり前の話だったんですよ。僕はそれまで旅の中でなんとなく映像を撮って作品にしてきただけの人間だったんで、そんな当たり前のことにも気付けなかった。ある種の挫折ですよね。こんな風にいちいち失敗しながら学んでいきました。
HZ もう一つ、小鷹さんの作品で強烈に印象に残っている作品があって、それは『僕の代わりに妻のオノヨーコがパフォーマンスをします』なんです。あの作品のもつ悪意に僕はしびれました。
小鷹 ああ、あれ(笑)。ミャンマーで制作したものですね。もともと、あの作品を制作するきっかけになったのは、高円寺であるバーの手伝いをしていた時に、お客さんで来ていたミャンマーの方と仲良くなったことだったんです。その人がたまたまミャンマーで最も大きかったパフォーマンスアートフェスティバルのディレクターで、僕も作品を制作しているんだと話したら、なぜかアーティストとして招待されることになった。でも、そもそも僕はパフォーマンスなんてやったことがなくて(笑)。そこで当時、ちょうど妻が仕事を辞めたタイミングだったというのもあり、妻と一緒に何かできないかと考えたんです。
その頃、ミャンマーは軟禁状態にあったアウン=サン=スーチーとヒラリー・クリントンが会談をしたというニュースに湧いていました。これは独裁政権下にあったミャンマーにとって非常に大きな出来事で「これでミャンマーは世界に開かれる」と変革の予感に民衆が色めき立っていた。僕はもともと、行く先々の状況を利用する形で作品を制作してきたので、今回もミャンマーのそうした状況に応じる形で何かできないかな、と考えたんです。
HZ 当時のことは覚えてます。そもそも会談したのがヒラリー・クリントンだったことに、なんともいえないキナ臭さを感じてました。
小鷹 そうなんです(笑)。日本から見ると、その構図にはかなりいかがわしさがある。でも、当時、ミャンマーは民主化の希望に熱狂していて、そこを冷静に分析できるような状態じゃとてもなかった。そうした違和感を含めて何かできることはないか、そう考えていった結果、僕は妻にオノヨーコを演じてもらい、「オノヨーコがミャンマーをお忍びで訪れパフォーマンスをする」という大掛かりな嘘をつくことにしたんです。オノヨーコを選んだ理由は単純で、彼女が世界で最も有名な日本人女性だからです。
現地に辿り着いてからは、妻には24時間、オノヨーコとして振舞ってもらいました。僕はその夫という設定です。国際アートフェスティバルだから色々な国からアーティストが来ているわけで、彼らはもちろんそれが嘘だということに気づく。ただ、彼らもアーティストですから、コンセプトをすぐ理解してくれて、「お久しぶりです、ヨーコさん、ちょっと若くなりましたか?」なんて言って、僕たちの嘘に乗り始めてくれたんです(笑)
こうなると、ある種の集団演劇です。河童の作品を制作した時のような状況ですよね。一方、ミャンマーの人たちは当時、インターネット環境も整備されていなければ、情報も制限されていたため、オノヨーコの写真も古い資料でどうにか見たことがあるくらい。だから、僕たちの嘘をすっかり信じてしまうわけです。
(小鷹の映像作品『僕の代わりに妻のオノヨーコがパフォーマンスをします』より)
HZ 圧倒的な情報格差があったわけですね。あるいは情報格差そのものを可視化させたとも言える。
小鷹 そこはどう受け止めてもらっても構いません。いずれにせよ、オノヨーコが来ているという噂は一気にミャンマー中に広まり、たちまち現地の記者たちも大量に集まってきて、実際に妻は壇上でオノヨーコとしてパフォーマンスをすることになったんです。とはいえ、実際にオノヨーコではないわけですから、本来、パフォーマンスはできない。ただ、唯一真似ができそうだったのがオノヨーコがMOMAで行ったVOICE PIECE FOR SOPRANOという、マイクスタンドの前で嗚咽するというパフォーマンスだったので、それを披露してもらいました。すると、驚くことに観客たちは感動して涙を流し始めたんです。もちろん、その嘘によって一切の利益は供与してませんよ。ただ、嘘をバラすこともしませんでした。最初から最後までオノヨーコとして振る舞い、そして帰国したんです。
(小鷹の映像作品『僕の代わりに妻のオノヨーコがパフォーマンスをします』より)
HZ 最後までバラさないというところに、小鷹さんらしさを感じます。単なるドッキリ企画ではなく、真実そのものを屈折させていくといいますか。ある意味で、悪ノリの強い作品だなとも思いますけど、僕は小鷹さんがこのパフォーマンスを通じて何を表現したかったのか、理解しているつもりです。
さっきも触れましたが、小鷹さんの作品では嘘や噂が重要な要素を占めていて、それらはコミュニケーションにおいて、ある意味では劣位にある、情報としての価値が低いものです。でも現実において、人は嘘や噂によって、怒ったり喜んだり、あるいは繋がったり離れたりしている。以前、アーティストのヌケメさんが「意味のない嘘が好きだ」ということを話していたんですけど、僕もそこにすごく共感するんです。
小鷹 そうですね。多分、僕はそういうものに関心が強くあるんだと思います。とはいえ、根本にあるのは悪意なんです。あるいはある種の社会風刺であって、一般的に褒められる作品を作っているつもりはありません。ただ、その悪意は人を貶めたいというようなものではないのは確かで、あるいは僕にとって現実社会の方が悪意のある嘘に満ちているという感覚があるのかもしれない。それでいうと、同時期にもう一つ、似たタイプの作品を作りました。フェイクデモ、それもヘイトデモを仕掛けたことがあるんです。
小鷹拓郎 こたか・たくろう/1984年、埼玉生まれ。アーティスト。これまでアフリカ、中東、アジア、欧米で映像作品を発表。2017年からの一年間はタイに渡り、軍事政権下における芸術表現をリサーチ。タイ深南部ではテロリストと宇宙人を置き換えたSF映画をイスラム教徒たちと共同制作。2019年10月より一年間インドネシアで活動予定。
9月26日(木)表現規制をかいくぐれ!小鷹拓郎トークショー STUDIO VOICE vol.415「次代のアジアへ」リリース記念イベント開催決定@高円寺Pundit’_
〈MULTIVERSE〉
「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー
「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行
「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性
「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue
「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”
「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー
「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る