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遠迫憲英 『神々のセラピー|サイケデリック精神医学』 #04 フローティングタンク

精神科医・遠迫憲英が精神世界の迷宮を綴った虚構手記。音楽とドラッグと精神分析。交錯していく現実と妄想。2011年、東日本大震災と原発のメルトダウンから逃れた人たちは精神の安堵を求めてフローティングタンクへと集まった。

 

✴︎✴︎✴︎

 

 

呼吸音とともに目覚める。

目を開くが何も見えない。

漆黒の闇

一切の光なく、手を伸ばしてもそこに手はない。

水が滴る音が聞こえる。

全身が水の上に浮いている。

身体は半分が水中に沈み、ベッドの上にいるかのように支えられている。

足で壁を蹴ると、頭の側にスーッと水面を滑って移動する。

水は体温と同じようで、ほのかに温かい。

 

 

水面に大の字に浮かびながら、天空を見上げている。

そこに広がる宇宙が心の空間だと感じられる。

暗闇に圧倒され、落ち着かない気持ちに襲われながら

抗わず、闇に身を委ねてみる。

 

 

自分の感覚が失われる。

時間の感覚が失わる。

意識が失われる。

 

 

そしてまた目を覚まして気づく。

ああ、またこの場所に来たのだと。

これがスタート地点であり、ゴールである。

生のギリギリの帳に佇んでいる。

自分だけ、ただ一人だけいる。

ずっとここが本来の自分の居場所だと感じていた。

 

 

最初にして、最後の俺。

 

 

そいつは自分のなかの一番深い部分にいて、いつも帰ってくるのを待っている。

 

 

ここは肉体の制約を超えた場所。

むしろ心と身体が一つに溶け合っていて、存在だけがそこにある。

悩みや迷いから開放された世界。

すべてをありのままに見ることなのだ。

現実の世界では、そうやってすべてを受け入れていればよい。

 

 

現実の世界では。

ではいまここは現実ではないのか。

いや今この場所こそが現実なのだ。

 

 

全身を伸ばしてみる。

水の中をゆっくりと両手足を伸ばし、身体を捻ってみる。

大小様々な筋肉の働きの機微を敏感に感じる。

その筋肉への思い出を思い出す。

20年前の記憶を、感覚までも昨日の事のように思い出す。

 

 

意識は肉体という乗り物にのった操縦士のようなものだ。

死んでしまえば肉体は消えてしまうだろう。

その時のために備えている。

死の向こう側への期待を持ちながら。

 

 

我に返ってみれば

こちら側が本当のように感じられる。

自分が自分のように感じられる。

このままでいいと囁いてくれる。

安心が生まれる。

 

 

身体が動くことが幸せに感じられる。

呼吸が心地よく肺を満たす。

全身の力を抜いてみる。

足の先からゆっくりと頭まで力を抜いてゆく。

頭の松果体を通るとき、

意識が拡大する、さあ吃驚!

 

 

ブラックアウト

 

 

全身を優しく水が撫でる。

周りに島一つない太平洋の海原のよう。

身体の中が静寂で埋め尽くされる。

深く水の底に沈んでゆく。

なんて気持ちがいいんだ。

まるで母親に抱かれているように。

水面がキラキラと輝いている。

海は朝焼けの薄明かりのなか、穏やかに波打っている。

大洋感覚。

死がこういうものだったら、悪くはない。

 

 

もう、何回目のセッションであろうか。

クリニックをはじめてから、1年はほぼ毎日入っていた。

アイソレーションタンク。

現在ではフローティングタンクと呼ばれる、

ジョン・C・リリー博士が考案した感覚遮断タンク。

 

 

五感の感覚を遮断することでの意識の状態の観察の科学。

ジョン・C・リリーが自らの身体を賭して探索しようとした意識探求の旅。

彼の意識は死の壁を超え、地球外意識まで広がっていった。

2001年9月30日にこの世を去ったが、タンクの技術は特許フリーで公開されており、

フローティングタンクの技術は残った。

世界中でフローティングタンクが作成され、販売されている。

水に浮くFloatという感覚を媒介にした、タンク愛好家のコミュニティが生まれている。

 

 

俺が今入っているのがフローティングタンクだ。

 

 

35.6度に設定された水温、今の季節ならこの温度が適温だろう。

体温とタンク内の水が同じ温度になる必要がある。

温度管理は重要だ。寒いと心は寂しくなり、温かいと安心する。

感覚遮断に必要な温度は、少し最初は肌寒いと感じる程度が良い。

そのうちすぐに水温は身体に馴染んで、身体の輪郭を失わせてくれる。

小型車一台分くらいの大きさ。

真ん中に横たわって、両手を伸ばしても壁に手が当たらないくらいのサイズ。

1トンの水に225kgのエプソムソルト(硫酸マグネシウム)が入れられている。

これで人が完全に浮かぶことができる浮力が準備される。

タンクの中は光がないため真っ暗だ。

ゆっくりとハッチを閉め、タンクの中に入る。

ひんやりとした水に少し不安になるが、水に身体を横たえる。

身体は水面に浮き、身体の下半分は水に浸かっている。

底から10cm程度に、身体は浮かんでいる。

両手を動かしてみると、水が波打って気持ちが良い。

暗闇の中で視覚が奪われると、空間が広大に感じられる。

感覚遮断されると、意識はイメージできる範囲で実現できる。

とりあえず狭い感覚は抱かない。

 

 

水の中、真っ暗闇に浮かぶ

という状況に慣れるのに最初は数十分を要すかもしれない。

なれてくると、あっという間にタンクの浮かぶ感覚を思い出す。

ここでしかない、自分に戻ってきた感覚。

完全に関係性を遮断されたタンクの中に入ってみると、

本当に必要なものは非常にシンプルだと気づく。

 

 

生きていること

くらいしか重要なことは見つけられず、

生きているだけで満足するべきなのだ。

存在の秘密を、こちらが学べるように計らってくれている。

 

 

ドラッグなしでのトリップ。

より純粋に意識に向き合える場所。

頭の中の自分と対面する場所。

自分を取り戻す場所。

 

 

タンクに入る。

身体を水の中に浮かべて、静かに身体をリラックスさせる。

水のひんやりした感じが身体に馴染んでくる。

頭の中では、これから起こるトリップへの不安が渦巻いている。

日常の葛藤がTVのスクリーンのように目の前を流れてゆく。

それをただ眺めている。

心に残るノイズ。

それぞれに囚われず、ただタンクに身を委ねてみる。

 

 

タンクに完全に自身の存在を委ねる。

身体を放棄したとき、こころと身体は一つになる。

 

 

ブラックアウト

 

 

心地よい安心感に包まれて目が覚める。

 

 

ここはどこだ。

俺は誰だ。

今はいつだ。

 

 

だんだんとフローティングタンクにいることを思い出す。

自分自身の勇気ある行動を評価したくなる。

タンクに入るということは、自分の存在の根源にふれるということなのだ。

1年間週5回、計260回のタンクセッションの中で精神科医は死と友達になった。

タンクに入るということは、死を経験するということに近い。

 

 

死はいい。

すべての人間に平等に訪れて、別け隔てがない。

死の後のことはすべて謎。

あっという間に死神の鎌で人生を終わらせる。

肉体という乗り物の消滅。

乗り物が死ねば意識も死ぬかもしれない。

その後のことは何もわからない。

 

 

むしろ死すらも存在しない確率も高い。

むしろこちら側が夢で、向こうの世界で集合的意識の中で目を醒ますことになるかもしれず、俺たちのこの人生が、死が大半を覆い尽くす宇宙の中で、奇跡のようなご褒美であったかもしれない。

 

 

俺が死ぬと、世界が終わる。

今まで見てきた、すべての愛しいもの。

俺の終わりとともに、終われ。

この世は空、全ては幻。

 

 

イメージは実現する。

それは我々がそのイメージの通り生きるからだ。

聖なる願望をイメージし、タンクの中で確認する。

それが次の自分のゴールになる。

タンクの漆黒の闇は、心を映し出すスクリーンにもなる。

眼の前に自分のイメージが現出するさまを目撃するだろう。

イメージは無意識に刻印され、現実世界でイメージを実現するように作業し、

実現に向けて創造性を発揮する。

フローティングタンクは、無意識を魔術的に取り扱うツールになる。

 

 

俺の持つタンクの種類はi-sopood、イギリスのフロートワークス社のフローティングタンクで、卵や繭を思わせるふくよかな丸いデザインで、ジョン・C・リリーの考案した古式ゆかしい棺桶式と言われるタンクデザインを、現代的に改良したものだ。モダンでミニマルなタンクのデザインは、2000年以降のタンク文化を一気に加速してくれた。フロートワークス社からが発売されたi-sopodはその後のフローティングタンク再興の起爆剤となったが、我々はその最初期の頃のクライアントだった。取引はネットを経由したものだったが、その設置の際にはわざわざロンドンから日本まで設置しにきてくれたほどだ。

ちなみに、フロートワークス社の社長のTimは、シカゴハウスがロンドンに飛び火して、レイブが生まれた第一世代のパーティオーガナイザーだ。カール・コックスが、彼のパーティ・チームのトラックドライバーだったという。シカゴからルイ・ベガを呼んでレイブしたというエピソードに、創成期のレイブの雰囲気が感じられる。アムステルダムとロンドンで彼らはヨーロッパ初のレイブを行ったというが、それがアムステルダムからロンドンに大量のエクスタシーが流入するきっかけになり、社会問題化したのだという。タンクに係る人たちは同じ船に乗っている事がわかる。

現代のフローティングタンクは、メンテナンスが完全に自動化されており、温度管理、水質管理、衛生管理など、全てCPUによってコントロールされて、いつでも最適な状態でフローティングタンクに入れるように作られている。

 

 

ブラックアウト

 

 

ここはどこだ。

俺は誰だ。

今はいつだ。

だんだんと思い出す。

 

 

今は2011年。宮城県沖を震源地とする、マグニチュード9.0の東日本大震災で1万6000人が津波と地震による圧迫によって亡くなった。そして福島第一原子力発電所がメルトダウンし、原子炉格納容器が水素爆発を起こし、大量の放射能が東北地方から関東全域に渡って拡散し、放射能汚染が拡大した。

東京のタンクサロンは放射能汚染されているだろう、水道水を嫌い、サロンを閉鎖し、九州へ避難した。震災から1ヶ月、メディアはシャットダウンされ、政府によって情報統制された画一的な情報のみが、TVから一方的に流れ続け、津波によって人々が押し流される死の映像と、重要なことがすべて隠蔽されている嘘の情報による洗脳によって、日本国民は一種の解離状態に陥っていた。

震災の直接的な被害の問題とともに、メルトダウンしつつある原子力発電所のコントロールが問題であった。自然災害ならまだしも、人災による放射能の恒久的な自然に対する汚染は、日本の存亡をかけた戦いのように思われた。

震災によって経済のみならず、政治機能がストップし、空白化した安全保障に対しても危機的状況が訪れた。ロシア連保や中国政府の戦闘機が領空を侵犯し、自衛隊機がスクランブル発進する。アメリカのドローン戦闘機が福島第一原発を上空から警護する。日本全土が第三次世界大戦の舞台になる可能性もあった。

断片的な情報のなかで、生存のために必要なこと直感的に考える。西日本に移動する人たちがいた。また大勢の人たちが関東に留まった。

我々のリアリティを担保していると思われていた、マスメディアの情報が全て嘘だと本能的に気づいた我々は、考えることを放棄し始めた。甘い嘘を信じることを選択するようになった。

関東から移住してきた人たちが、フローティングタンクに集まりはじめた。震災によって疲れ果て、長い緊張を強いられた状態から開放されるために。タンクによって外部から隔絶された状態になってはじめて、こころからの安堵を手にすることができた。安全な水に包まれて。

フローティングタンクに入っている時、真実のリアリティに直面する。洗脳から解放され、本来の自分自身を発見する。

 

 

 

呼吸音とともに目覚める。

目を開くが何も見えない。

漆黒の闇

一切の光なく、手を伸ばしてもそこに手はない。

水が滴る音が聞こえる。

全身が水の上に浮いている。

身体は半分が水中に沈み、ベッドの上にいるかのように支えられている。

足で壁を蹴ると、頭の側にスーッと水面を滑って移動する。

水は体温と同じようで、ほのかに温かい。

 

 

水面に大の字に浮かびながら、天空を見上げている。

そこに広がる宇宙が心の空間だと感じられる。

暗闇に圧倒され、落ち着かない気持ちに襲われながら

抗わず、闇に身を委ねてみる。

 

 

自分の感覚が失われる。

時間の感覚が失わる。

意識が失われる。

 

 

意識……、そういえば意識って、なんだ?

 

 

✴︎✴︎✴︎

 

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

遠迫憲英 えんさこ・のりひで/精神科医。大学時代は音楽活動、格闘技に熱中。またバックパッカーとしてインド、東南アジア、中米、地中海沿岸など各地を放浪する。幼少期から人間の意識についての興味が深く、古代の啓明とテクノロジーの融合を治療に活かすべく精神科医を志す。平成21年にHIKARI CLINIC(http://hikariclinic.jp/)を開院。