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亜鶴 『SUICIDE COMPLEX』 #09 いまこの時代に「縄文」であるということに意味などいらない

タトゥー、身体改造、ボディビル、異性装……絶えざる変容の動態に生きるオイルペインター亜鶴の、数奇なるスキンヒストリー。第九回は亜鶴が縄文ボーイになった経緯、タトゥーアーティスト・大島托との邂逅をめぐって。

 

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 この連載は、自分自身の心身の変容を、皮膚をベースとしたパースペクティブから時系列を追いつつ書き記していこうというコンセプトで始まったものだ。しかし、ここ数回は時系列からはズレた内容になってしまっていた。そこで、今回はあらためて話を本筋に戻そうと思う。

 さまざまな身体改造の実践を経て、僕が縄文タトゥーのモデルになった経緯についてだ。

 

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 その出会いは突然だった。

「黒いって良いですよね」

 誰だ。このおっさん。

 2015年の夏のことだった。

 

 その日、僕は都内のTAV Galleryにて開催されていた「現在幽霊画展」なる展示に顔を出していた。自分もまた作品を出していたこともあって、本拠地である大阪から上京していたのだ。

 数日の間、都内に滞在する予定にしていたものの展示の搬入とオープニングに出席するほか特には予定を入れてもいなかった。そのため、空いた時間にほんの成りゆきで『オキュパイ・スクール 2015夏バージョン』という講義イベントのようなものを見にいくことになった。

 会場は高田馬場にある白夜書房ビルの1F、今あらためて調べなおしてみるとケロッピー前田さん主催のイベントであったらしい。場所も場所だ。どこか敵の総本陣に単身で乗り込んで行くような、そんな気分でもあった。

 

オキュパイ・スクール 2015夏バージョン

 

 その変なおっさんが声をかけてきたのは、講義の合間の休憩時間に喫煙所で煙草を吸っていたときだった。

「黒いって良いですよね」

 突然過ぎて何の話か分からなかったが彼の風体を見て悟った。おそらく刺青の話をしている。

 彼の前腕には黒いトライバル文様が描かれており、腰には年季の入ったレザーポーチ。無精髭に長髪を束ね、浅く被ったワークキャップ。一目でいわゆる勤め人ではない事が見てとれた。

 僕が怪訝な顔をしたことが彼には悟られなかったのだろうか、それとも身体装飾者に一定数存在する、周囲の空気感を全く気にしない男だったのだろうか。ともかく、そのおっさんはタトゥーの話を続けてきた。

 この手合いの雑談をすることは日頃から多い。というより、昔からいろんな人にいろんな場所で話しかけられる。だから言ってみれば、いつも通りの感じだ。

 この足自分で塗ったんですよ~、なんて適当な話をする。当時、僕の足はタトゥーを彫る練習をしていた名残で右脛面が全面真っ黒になっていた。

 

 

 相槌がてらそう返すと、少し食い気味に、そのおっさんは言った。

「俺、アポカリプトの大島って言います」

 使い込んでいるであろうウェストポーチから名刺を取り出し、話の途中で突然に自己紹介をしてきた。にしても、ことごとく、こちらのリズムを崩してくるのが上手い人だった。

 高校生の時分からタトゥーに強く関心のあった僕は、当然、「アポカリプト」の存在は知っていた。トライバルタトゥーを好む人で知らない人はいない程のブラックワークの大御所だ。それは衝撃的な出会いだった。

「大島托のタクは托鉢の托なんですよね。ほどこしを受けて人に助けられないと生きていけないっていうか」

 ニヤリと笑って煙を吹き出す彼を見つつ、次の講義の開始時間となったので僕はひとまず会場内に戻った。そしてそこから何コマかの講義も終わり、再び彼の元に話を聞きに向かった。

 その時すでに、僕もまた彼の一滴の黒に謎の磁力を感じ、惹かれてしまっていたのだろうか。

 当時、すでに僕は、縄文土器からインスパイアを受けているのであろうタトゥー作品をインスタグラム上で目にはしていた。しかし、それが縄文タトゥーというコンセプトのもとに展開されているプロジェクトであること、そしてその作品群を大島さんが手がけているということは知らなかった。だから、それは作品と作家が一致した瞬間だった。

 僕が刺激に飢えていたこと、そしてタトゥーをベースとした美術作家は僕の知るかぎり国内においては少なくとも自分くらいしかいないと思っていたこともあって、彼の話はとても興味深く感じられた。彼は縄文タトゥーの被験者を探しているとのことだった。僕は二つ返事で縄文タトゥーのリバイバルプロジェクトにモデルとして参加することに同意した。

 

 

 果たして、僕は彼に身体を貸すことにしたわけだったが、はっきり言ってしまえば、ただモデルになろうと思っただけではなかった。アーティスト同士、共闘できると思ったというのが本意だろう。

 タトゥーとは見た目に分かりやすいタグ付けのようなものだ。身体に大島さんのタグが付いた僕が何らかの活動をすれば、そのぶん、大島さんのタグは世に出ることになる。あるいは逆に大島さんが僕の身体を世に出すことによって、彼のタグを持った僕自身もまた自動的に世に出ることになる。

 そうした多少の計算もありつつ、僕はモデルになることを決めた。その思惑は当初の段階から大島さんにも話していたことだった。

 

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 身体中にタトゥーが入っている人間はおそらく誰でもそうだとは思うが、「なんでそのタトゥーを入れたの?」「その文様にはどういう意味があるの?」という質問をしょっちゅう受けることになる。

 しかし、そもそもタトゥーに意味を持たすということが僕は好きではない。タトゥーとは出会いがしらの縁や、ただの成りゆきの記念品だ。少なくとも僕にとってはそうなのだ。だから、僕のタトゥーが今のこの文様であることにも、基本的に意味などはない。

 大島さんとの邂逅によって、結果的にほぼ全身が真っ黒に仕上がってしまったわけだが、彼と出会うまでは全身に刺青を入れるのであれば、総和彫りにしようと企んでいたくらいだ。ようするに、適当なのだ。

 大阪に戻り、彼とのメールでの簡単な打ち合わせの後、下書きが送られてきた。ありえない程に真っ黒に塗られた下絵にいささか驚きはしたが、極端な方が何ごとも面白いはずだ。特に加筆修正の希望を伝える事もなく下絵を受け入れた。

 

 

 ちなみに初期の打ち合わせでは背中面だけを、という話だったのだが、その後に足の前面、手の甲、首、頭、と黒の面積は着実に拡張していっている。それら追加の施術にあたっては、一切の打ち合わせの時間は設けられない。後にも先にも下絵を見せられたのは最初の一回だけだった。

 

新大久保「アポカリプト」のスタジオにて

 

 下絵のない場合はどの様にして図柄を把握するのか。なんてことはない。アポを取り、彼のスタジオに赴く、そしてこう聞かれるのだ。

「今日は何しに来たんですか?」

 僕がたとえば「首を黒くしてもらおうと思って」と答えたら、その直後、その場のフィーリングで下絵を肌に直接書き込まれていく。「黒くなりたい!」と自らの口から高らかに宣誓させられた時点で運の尽きなのだ。彼とのハードなセッションを何度か経験した被験者の、これが行く末である。

 どんな宗教でもグルの言う事は絶対だろう。彼がこうしようという提案は基本的に受け入れる以外の選択肢はない。もちろん、圧倒的な技術力があること、そして彼と僕との関係性が成立しているからこその遊びではあるが、そんな遊びをしつづけて気がついた頃には、全身が真っ黒に仕上がっている、という寸法である。

 

 

 ありがたいことに極端なまでに黒の面積を広くしてもらったことで、縄文タトゥーにまつわる何やかんやの質問をされることも最近は多い。ただ僕は縄文タトゥー自体にも、そもそも縄文文化にも一切の興味がないというのが本音だ。岡本太郎の良さにしたって、礼讃されているほどには分からない。

 だから、僕の身体に縄文タトゥーが入っているのは、僕があの時に出会った男が偶然、大島托であって、彼がたまたま縄文タトゥーなるものをリバイバルしようとしていた、というだけのことなのである。なのでもし、彼が全身をレインボーに塗り分け、怪奇虹色男爵なる生き物をこの世に生み出そうとしていたのならば、僕はきっと虹色になっていただろう。

 

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 そもそも図柄に対する興味があまりないのだから、縄文タトゥーの素晴らしさをこのコラムで説くつもりもなければ、「Let’s 縄文、なろうぜ縄文!」だなんて、縄文タトゥーを全面肯定するつもりもサラサラない。

 その上ややこしいことに僕は美術作家であるという強い自負もまたあるので、先日まで開催されていたTAV Galleryでの縄文タトゥー展についてや、行われたパフォーマンスについても、美術の枠組みからの視点であれば言いたいことはあったりする。

 僕ならどう展示していたのだろうか、どう見せていたのだろうか、なんてことを考えたりもする。

 ただ、そこの答えには未だにいきついていない。というのも、僕だってタトゥーをベースとした美術作家である。細かく言えば、僕の場合はタトゥーから皮膚へ、そして皮膚を通して見た世界を、美術というものに置き換えて世に出すことを作風としている。その中で確実に言えるのは、タトゥーは生身のままが一番良いということだからだ。

 

 

 ただ生身の身体を掲示し続けるわけにはいかないというのも事実なので、掲示の手法の1つとして写真というものが採用されているのだと思う。しかし、ファインダー越しのタトゥーはどこまでいっても、すでに採取された昆虫標本でしかありえないとも思う。

 彫る側と彫られる側、その物語には登場人物は2人しか居てはならない。しかしファインダーを通した瞬間に、ファインダーを覗いている3人目が確実に存在してしまう。そして、その3人目は細かく分類すると一族には成りえない。ファインダー越しに見ている人間は温度を抜いた目線であるため、どちらかというと観客寄りである。すると、写真展とはその性質上、自ずと観客が観客に何かを提示しているという形を取ることになる。僕はそこに違和感を覚えてしまうのだ。

 

 

 あるいは、撮影されたそのものが昆虫標本です、という掲示の仕方であればよいだろう。ただそれは作品にこそ成りえるが、美術として提示がなされるのであれば、やや重みを欠くようにも思える。現状、ただの昆虫標本がメディアに載ったり、ちやほやされたりしているのは、昆虫を、さらには昆虫標本さえをも見たことない人が、あまりに多いだけだからだと僕は感じている。

 恐らくこのままの展開を繰り返していくだけだとすれば、せっかくの昆虫をもったいない形で消費してしまうことになるのではないか、という不安もないわけではない。僕からすればタトゥーとは物珍しさで引っ張っていい話でもモチーフでもないのだ。タトゥーの奥底にはその個人のLIFEであったり、スクワッドが必ず存在している。ここには商業とアート、商業とタトゥー、タトゥーとアートというカテゴリー間の翻訳しがたい大きな壁がある。

 

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「資本主義を乗り越えない事には何にもならないんですよ」

 そう、彼は言っていた。

「いったん金銭の呪縛から乗り越えることが出来るか出来ないかで将来が変わるんで」とも。

 確かに僕は2015年から大島さんのモデルとして刺青を彫られてきて、過去に1度も彼に金銭的対価を支払ったことがない。

 ビールを差し入れすることくらいはあったが、逆に食事に招待してもらったり、家に泊めて頂いたりと色々と施しを受けている。当初の約束として、なるべく早くに初期ロット作品として完成させて世に出すこと、そのために高頻度で上京すること、それを守れるのであれば費用は不要とのことだった。

 刺青のことが好きである結果、毎月決まって刺青代にまとまった出費をし、タイトな生活をしている若者が僕の周りには多かった。

 そして多分にもれず僕もその一員であった。そういった刺青ラバーたちの親分格になることで、結果、タトゥー屋は儲かる。個人事業主である大変さも十分に分かるのだが、名うてのタトゥー屋は基本儲けている。

 それを僕はビレッジヴァンガード的戦法だと思っている。作家と購買者、トントンの構図の様に見せつつも、確実に三角形の上下がある。与える側、与えられる側の貧富の差が大きかった。その事はあまり大々的に言われることがなく、刺青好きなもの同士、俺たち仲間だよナ!という雑な話に落とし込まれているのを、至るところで幾度も見てきた。

 仕方のない話だとは言え、そういったことにモヤモヤとした気持ちがなかったといえば嘘になる。それを大きく乗り越えてきたのが大島さんであった。

 

写真左、大島托(2016年12月、沖縄にて)

 

 ぼんやりと探していたピースがハマったような気がした。だからこそ僕は彼に魅力を感じる。そして僕は出来るかぎり、彼の魅力を称えたいと思うし、出来るのならば彼の魅力を外に伝えたい。彫る人と彫られる人、という、ただそれだけの単純な形に落とし込んだ結果、僕は彼に強烈に引き込まれたのだ。

 そうこうしている間に僕は縄文ボーイとなってしまった。

 ただ縄文ボーイになってしまったからには縄文への興味は全くないとは言え、昨今のアート業界における謎の縄文ブームには理解がしがたいだけでなく、若干の嫌悪感もある。

 そもそも僕は実体験ベースで物事を考えるところがあるので、「やれ縄文とは~」だなんて、ペラペラと喋っている作家達を見ると、「なぜお前が縄文についてを考える必要があるんだ?」 とさえ思ってしまう。これについては、僕がひねくれているだけなのかも知れないが……。

 しかし、アトピーになったことのない人間が「アトピーのつらさとは~」といくら語ったところで、リアリティの破片すら感じなかったとて、無理はないだろう。

 レイヤー構造を持つ皮膚に、濾過沈殿していく自身の経験が表出したものが、刺青であり、ケロイドなのだ。それは想像力などという、陳腐な力で得られるような類のものではない。どうにも皆さん、少し口が軽すぎなんではないか。

 

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 さて、まとめよう。

 縄文ボーイであることには特にこれと言った誇りはないのだが、大島さんの激しいセッションにおいて尋常ならざる量の血を流したこと、その痛みを乗り越えてきたことで謎の自信がついたのは事実だ。そして、刺青を全身に纏うということは、あえて自身の身体を一般的と言える形状からズラしていく行為でもある。あえてタイミングをズラすこと、リズムを崩すこと、そのことで得れるモノはとても多い。

 一般に没している限り、僕らは日中の陽射ししか知りえない。ただ、あえてそこから逸脱することで明暗の差を知ることが出来る。そこで知った明暗への審美眼は日中しか知らない人間より確実に鋭敏であるはずだ。

 そして、それは旅と同じなのだろうとも思う。初めて訪れた街の温度、匂い、人の気配。皮膚で体感できるものがあるうちは、僕はまだ旅を楽しめているのだ。しかし、どんな街でも長く居続けることによって、どこか街に溶け込む瞬間が出てきてしまう。そうなると旅人は滞在者、果ては住人になってしまう。

 安住の地などないのだ。絶えざる変容の動態に生き、時が来たならば朽ち果てるまで。僕にとって刺青とは、そうしたLIFEの本質を体感させてくれるものである。

 

 

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

亜鶴 あず/1991年生まれ。美術家。タトゥーアーティスト。主に、実在しない人物のポートレートを描くことで、他者の存在を承認し、同時に自己の存在へと思慮を巡らせる作品を制作している。また、大阪の心斎橋にて刺青施術スペースを運営。自意識が皮膚を介し表出・顕在化し、内在した身体意識を拡張すること、それを欲望することを「満たされない身体性」と呼び、施術においては電子機器を一切使用しないハンドポークという原始的な手法を用いている。

【Twitter】@azu_OilOnCanvas