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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第十一回《世界》について

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第十一回はデジャブと欲望と《世界》をめぐって。

 

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 丸くてボウっとした大きな光がスーッと迫ってきて消えていく。私の顔面まで後数センチというところでその光は消える。眩しくてクラクラとして目を開けていられないのに、私は光を見ている。それだけじゃなく世界は異様にコントラストが高くて、ただ生きているだけでも目が眩むような陰影と鮮やかさで私を魅了し、恐怖へと導く。

 なぜコントラストが高いと知っているんだろう。そうだ、私はこうじゃない世界も見たことがあった。あれは3年前だったかな。何もなくて薄暗い灰色の世界を私は見た。誰かが吸ったタバコの灰が積もったような世界だった。それはそれで私は眺めていることが辛くて死にたくなったのを覚えている。それならこのコントラストの高さは私にとっては素晴らしく素敵なものでしかないじゃないか。その世界は鮮やかに美しく迫ってきて、私を押しつぶす。

 私の半分は時間の概念の中に住んでいて、残り半分は時間という概念の外を浮遊している。

 

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 デジャブというやつなのか、最近そんなのがよくある。私は私を知っていて、この後のことも記憶している。走馬灯のように何度も何度も私の目の前に色々な光景が繰り返されている。私はそれを知っている。夢を見たのか、もしくは私は違う次元の時間を覗いているのだろうか。私はいつまでも夢の世界をさまよっている。現実も夢も本当は同じで、境界線があるなんて誰かが勝手にそうだと言っただけなのではないかと考える。

 そのよくわからない夢のような映像は、現実と言われるモノと必ずしも同じ結果にはならない。それが日に何度もあって私は怖くなる。

 私の記憶ではこの後最悪な事態になるはずだ。私の記憶ではこの後私は死ぬ。私の記憶ではこの後猫が吐く。私は知らないはずなのに私のことを知っているし、私は自分で自分を傍観している。

 このロクでもない人間をずっと監視しているのは私だったのかとそういう時に思う。ずっと何かに監視されている気がしてならない私は、真剣に監視カメラがないかと家中を探し回ったりするような人間である。だが、私を見ている人間は私自身だったのかもしれない。もしくは私のことを監視している人間が私に私自身の映像を電波で送ってきているのだろうか。

 

 

 

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 年々、歳をおうごとにこの世界で生きることが難しくなる。人間の顔がプラスチックに見えてきて、外に出ると吐き気がしてきて熱が出る。私はプラスチックの顔に自分の笑顔を写し、プラスチックの人間達に自分を見出せないかともがいて苦しむ。でも人間という生き物は触れると温かい。肌の弾力と肌の下を流れる血液の動きは私の冷たく汚い手をも温める。人間の心から流れ出る言葉は美しく胸を打ち、私の顔から作り笑顔ではない本当の笑顔が溢れる。

 安倍公房の『他人の顔』って小説を思い出した。私は安倍公房と同じことを感じているのかもしれないなと嬉しくなるのだが、数秒後には、いや、でももしかしたら感じさせられているだけなのかもしれんと思う。それどころか、安倍公房という作家を好きになったのも、小説を手にすることになったのも、全部仕組まれていたのかもしれない。そんなら私は何も自分で選択していないし、私は何も自分で創造していないということになるのではないか。そうやってまた怖くなる。私は操られてるんだ。そんなら死んで操ってるやつに一矢報いてやりたいと思う。でもそんな考えも操られているがゆえなら生きるしかないじゃないかという結論に行き着く。

 生きるということは苦しいことであり、修行である。修行を頑張るとたまにご褒美がもらえて、だから、私のような単純な人間はまた頑張ってもがく。

 

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 色んなことがあった。このオモチャの世界で私は色んな感情を感じてきた。色んな感情を感じて、喜び、悲しみ、空虚になり、満たされて、私は人間であることに苦しむ。なぜ人間に生まれてきたんだろう。私はなぜこんなにもたくさんのことを感じ、考えなければならないのだろうか。これが猫だったらどうだろうか? 少しはマシだろうか? いや、でも猫達もたくさんのことを感じているのが見ていてわかる。なら私はどの生物に生まれてきたら満足しただろうか。

 きっとどの生物でも苦しんだのかもしれない。

 この世界は何のためにあるんだろう。無になるのはいつなんだろう。でも私は愛する人間の笑顔を見たいと欲を出す。愛する人間達が喜ぶ顔を見たいと欲を出す。

 私は貪欲な生き物で、どうあがいても人間だった。

 愛する男と毎日3回くらいはセックスしたい。美味しい食事を満足に2回は取れるようになりたい。愛する男の子供を産みたい。両親を、家族を、大好きな友達を幸せにしたい。美しくなりたい。ずっとただ絵を描いていたい。私は何をどう頑張っても人間でしかない。欲望も本能も思考も、何かに操られているのか、自分の意思で選択しているのか、確かなことはわからないけれど。

 

 

 

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 1月1日の元旦の空気が私はとても好きだ。人間の大半が新しい年に希望を抱き、その人間達の希望が世界の空気を変える。こんなに希望に溢れる日はなかなかないんじゃないだろうか。私にとって2019年は試練の年だったと言える。その年を終えて、新しいと言われる年になっても私は泣いていた。でも翌日には嬉しいことをまた感じて、その喜びを私は噛み締めるのだ。人間は面白い。痛みを完全に忘れることはできないけれど、人間は新しい光にまた喜びと希望を抱ける。バカなのではなく、そういう生き物だから、この世界は回っている気がする。

 モーコに新年の挨拶を送った。

「僕らはこの世界では生きづらいけれど、死なないことに何か意味があるのかもしれない。だから今年もとてつもなく苦しくて試練が絶えないだろうけれど死ぬまで生きよう」

 そんな新年の挨拶を送った。

 いつ死んでもいいと思う。それくらい自分の人生を全うできたと今は感じる。ちゃんと結果を出してみんなを、自分自身を満足させて死にたいけれど、もしそうできなかったとしても満足できる人生だった。今私がそう思えることも私が愛を知っているからなのかもしれない。欲望と本能といろんな感情といろんなしがらみに溢れた世界だから、この世界に平和という言葉は言葉として存在するだけで、全人類の意識改革をしなければその2文字は現実にはなりえない。この世界のトップにいる人間がそうしないのだから、きっと21世紀末になっても、なおこの世界に平和は訪れないだろうと思う。

 でも私が愛を知っているということが、他の誰かが愛を知っているということが、地球の財産になるんじゃないだろうか。だから私は自分らしく生きてきて良かったと今は思う。苦しくて道を踏み外しかけることも何度もあったけれど、信じるべきモノと人間をこれからも信じ続けたなら、きっと私は自分が生まれてきた意味を知ることができる。こんなふうに感じることができて本当に良かった。

 いつかそれをこの世界に証明できたらいい。

 

 

 

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(Photgraphy by MORIKA)

 

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。