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神本秀爾 『History Hunters ラスタファーライの実践』 #09 マイクロチップは「悪魔の徴」である──スクール・オブ・ヴィジョンの終末思想

文化人類学者・神本秀爾によるジャマイカ・レゲエの旅。ラスタファーライの歴史と実践を追う。スクール・オブ・ヴィジョンではマイクロチップが「悪魔の徴」と考えられている。なぜか。

2007年、世界が終わる

前回は、SOVコミューンの概略が中心だった。今回は主に、その教えや主張について書いていきたい。

前回、さらっと書いただけでほったらかしにしていたことがある。それは、SOVが「来るべき終末に向けて、洗礼を受けて生まれ直すことをすすめる」ということだ。探せばほかにもあるんだろうけど、2008年当時、他に洗礼を取り入れているラスタを知らなかったこともあって、SOVを知っていくときには、このことを大事なキーワードにした。

まず、終末という言葉について考えておきたい。ここでいう終末というのは、終末論という言い方をされるように、「世界の終わり」のことを指している。終末については過去から現在まで、無数の想像のパターンが生まれては消えてを繰り返している。ここで紹介するのもそのようなもののひとつだ。

 

信徒に語りかけるフェイガン

 

文化人類学では、終末の想像にかかわるこういった運動(固定化していない、まさに変化しつつあるといった語感で言うとムーブメントの方が合うかもしれない)について、「千年王国運動」(Millenarian movements)という言葉でその特徴を分類・一般化してきた。手元にある『文化人類学事典(縮刷版)』(弘文堂2002、第4刷)の一部を、少し長いけれど抜き出して紹介しよう。

 

“千年王国”ということばの最初の意味はきわめて限定されたものであり、これはキリストが再臨の後、地上にメシア王国を建設し、最後の審判の前の1000年間そこを統治するであろう、というヨハネ黙示録に拠っている。しかしながら後年、中世ヨーロッパに出現した様々なキリスト教異端派とされる宗教運動に対し、“千年王国運動” “千年王国主義”の名が冠され、さらには、キリスト教の救世観と結び付いた各種の宗教運動に対してもこの“千年王国運動”なる用語が用いられるようになる。千年王国運動は、「絶対的、切迫的、最終的であり、そして現世的かつ共同体的な救済を探求する宗教運動」と定義できる。新しい秩序が単なる改革ではなくて、完璧な変容、完全そのものをもたらすという意味で絶対的、究極的であり、間もなく突如として到来するという意味で切迫的である。彼岸の天国においてではなく、此岸の地上において実現されるという意味で現世的であり、信者によって集団として享受されるという意味で共同体的である(426)。

 

これまでに、こういう事典的な定義にのっとってSOVのヴィジョンについて説明したことはなかったけど、上の説明でSOVのかなりの特徴について言いきれてしまうように感じるからすごい。実際にやってみよう。

再臨する主人公はイエスではなくセラシエである。彼が中心となって新しい世界秩序がつくられる。それでは、間もなく突如として到来するという点ではどうだろう。実は、フェイガンはこれまでに何度もその到来を予言してきている。ぼくが最初に聞いたのは2005年で、そのときは2007年が終末の時だと彼は話していた(エチオピア暦で2000年のミレニアムの年だったからだろう)。2005年に2007年が終末と言われると、それはたしかに切迫感がある。彼岸の天国ではなく、此岸の地上において、という点ではどうだろう。この点については、ラスタファーライでは死後の天国というキリスト教のヴィジョンを否定し(現世の苦しさを我慢させるためのキリスト教徒による嘘として)、現世で救済を得ることへの期待が強いので、これも当てはまる。信者によって集団として享受される、という点については、洗礼を受けてSOVの信徒になっておくことが当てはまる。つまり、現世で救済を得るために、洗礼を受けて生き直しておく必要があるということなのだ。この枠組みにのっとってSOVについて、説明し直すと、「ブルーマウンテン山麓のコミューンで、終末のその時を待ちわびながら、農業を基盤として生きるラスタの宗派」と言うことができる。

 

バナナの木の奥に見えるのが信徒たちの暮らす住居

 

コミューンの少し下から右奥のキングストンを望む

 

洗礼を通じた再編成

この連載では、コミューンを拠点とする宗派に焦点を当てて話を進めてきたので、エピソードで紹介する信徒たちは、特定宗派に対して排他的にコミットしている人が中心になっている。しかし、ラスタのあいだでは、特定宗派に排他的に帰属を表明する人は少ない。言い換えると、一般的には、そういったコミットメントの意識は弱い。そして、個々のラスタたちは、ラスタファーライの一般的な理念と、さまざまな宗派の教え、そのほかの思想や教えなどを自己流で混ぜ合わせて、それぞれのラスタファーライを実践しているというのが実状である。そのなかにボボやSOVのコミューン居住者などのような、特定宗派へのコミットメントの意識の強い人々もまだらに存在している。

何を言いたいのかというと、一般的なラスタは経験したことがない「洗礼」という儀礼を導入したところにSOVの新しさがあり、ブリコラージュ的に漠然としたラスタファーライを実践してきていた人々の一部を、洗礼を通じてSOV派のラスタとして再編成してきたということだ。簡易的にオリーブオイルを額に塗ることで済ませる場合もあるが、パピンの公園での安息日集会が終了したあとなどにコミューンの外で暮らす潜在的な信徒を対象に近くの川でもやっていたようだ。ただ、生き直し(生まれ直し)だけなら話はシンプルなのだが、この話にはもう少し続きがある。以下に、2004年の7月28日にフェイガンがジャマイカの一般紙Jamaica Gleanerに投書した主張を引用して、補足説明を加えながら、その論理を紐解いていきたい。

 


 

編集者さまへ

最近、数名のメキシコ連邦職員が、2003年11月に埋め込み用チップを受入れはじめたのは、個々人に「タグ付け」をしていくという、彼らの計画と関係していることを明らかにしました。このような情勢は、人間へのチップ埋め込み技術が存在し、その技術が私たちの世界を変貌させ始めているということを証明しています。ジャマイカで、ハイレ・セラシエ陛下をたたえるスクール・オブ・ヴィジョン派は、1996年より人びとに対して、神から彼らに授けられた預言は、悪魔が魂を奪うためにチップを用いる時が到来するというものだということを警告してきており、そのため、より多くの人びとが、その技術が存在することに気づき始めましたが、この技術的革新こそが聖書に記された「悪魔の徴(mark of the beat)」であるということについては、未だ受け入れようとしていません。

 

霊的な影響

人びとが、この徴がもたらす霊的な影響(についての理解)を受け入れることを拒むのにもかかわらず、このラスタたち(スクール・オブ・ヴィジョン派)は、新月には各地のコミュニティで彼らの神を讃え続け、土曜日にはパピン公園で多くの人が語る、白いジーザス(Geezus, Geezas)を弾劾し、聖書に描かれている黒いジェスアス(Jes-us)を認めるべきだと力説しています。彼らはまた、ハイレ・セラシエ帝が地上における二番目の救い主の現れであり、新たなエルサレムへの移動の約束された時に馬車(chariot)に乗る権利を得るために、彼の名において洗礼を受けることが必須であると認めることが不可欠だと強調しています。

 

デルモット・フェイガン(司祭)

9、ブカン・アベニュー、ドウェイン・パーク、キングストン20

 


 

この記事では、生体に埋め込むことのできるチップが悪魔の徴であるということと、スクール・オブ・ヴィジョン派のセラシエ崇拝の正当性について語られている。もう少し補足を続けよう。ここで悪魔の徴とされているチップは一般にはマイクロチップと呼ばれるが、SOV派ではマイクロバイオチップと呼ばれることが多い。このチップは、円筒形の生体用ガラスにチップを入れた、電子標識器具のことである。この技術自体は1983年に開発されたもので、現在ではペットや危険性物の管理等に用いられているし、トランスヒューマニズム系の発想では、人間性の拡張としてポジティブに評価されている。

悪魔の徴と陰謀論

フェイガンは、人間にも利用可能なマイクロチップを「悪魔の徴」と呼んで警告している。この「悪魔の徴」とは、ヨハネの黙示録13章16-18節、14章9-11節に由来している。彼がメキシコ連邦での計画に言及していたように、彼は人びとの悪魔への隷属は、国等の組織を介して貫徹されるというイメージを抱いている。彼は2005年5月のラスタファリ関連誌IRASCOM JOURNALでも同様の見解を示し、ジャマイカの納税者番号、アメリカの社会保障番号も同様の性質のものとして非難している(InIversal Rastafari Community 20)。しかし、実のところ、このマイクロチップによる人間の管理をめぐる議論は、フェイガン独自の発想によるものではなく、代表的な「陰謀論」のひとつであり、さまざまな機会に引き合いに出されてきたものである。例えば、2009年のある安息日集会の際に配られたパンフレットには、アフリカ系アメリカ人の左翼活動家グレン・フォード(Glen Ford)が2006年に書いたとされる、マイクロチップに言及した私信、あるいはブログの記事が印刷されており、別のものには、アメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration)が認めた、人間向けの埋め込みチップを製造しているVerichip Corporationのマイクロチップの写真が用いられていた。また、ある信徒は、チップやその挿入機、挿入されたチップを判別する読取機の写真、チップが映ったレントゲン写真等を印刷した紙を配布用に所有していた。

ここで重要なのは、彼がマイクロチップによる管理を、奴隷制の延長線上に位置づけたことに加えて、セラシエによる救済というラスタファーライの核心と、いわゆる陰謀論的な要素を結びつけたということだ。彼は、新世界秩序をつくりあげている世界の背後に、彼が記事中で白いジーザス(Geezus, Geezas)と呼ぶ、世に広く知られているイエス・キリストがいると考えていて、この状況について、ジャマイカ人は現在も「制度的にも霊的にも奴隷状態にある」と語っていた。

救済を「積極的」に待つ

それでは、どのようにコミューン暮らしは正当化されていたのだろうか。ブルー・マウンテンのコミューンに住むことについては、救済を待ちわびる人は山に住まなければならないというイザヤ書56章7節(わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ)や、マタイ伝24章(特に16節の「その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ」はわかりやすい)、詩編87章(特に1節の「主が基をすえられた都は聖なる山の上に立つ」もわかりやすい)などを用いて正当化されている。つまり、SOV派は救済に向けて「積極的に待つ」という手段をとったのである。そして、フェイガンはイザヤ書66章13-15節を用いて、救済のときに、主が戦車に乗って火の中を突き進み、新しいエルサレムに信徒を運んでくれると主張した(15節には、見よ、主は火の中にあらわれて来られる。その車はつむじ風のようだ。激しい怒りをもってその憤りをもらし、火の炎をもって責められる、とある)。彼のイメージする火の戦車(chariot)はUFOのようなものだ。

 

終末のイメージ1

 

ある信徒が使っていた聖書。SOVのステッカーが貼られている。

 

このような猛々しいセラシエのイメージと農業、この一見ミスマッチな要素が混じり合っているところが、20世紀末に新しく出現したSOV派らしさであるようにぼくには見える(※)。

※鈴木慎一郎さんは、このような発想も含まれる、アフロ・フューチャリズムという言葉を使って、レゲエの世界とSOVの世界が連続的であることを示唆している。

 

【参照文献】

鈴木慎一郎2009「混交への回帰/脱出――音楽を通して黒人ディアスポラのルーツを再想像する」『世界中のアフリカへ行こうー<旅する文化>のハンドブック』中村和恵編、岩波書店

石川栄吉ら編2004『文化人類学事典(縮刷版)』弘文堂

 

特報:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が、10月に那覇の沖縄県立博物館・美術館で開催。現在、クラウドファンディング募集中。

 

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PROFILE

神本秀爾 かみもと・しゅうじ/1980年生まれ、久留米大学文学部准教授。専門は文化人類学。著書に『レゲエという実践—ラスタファーライの文化人類学』(京都大学学術出版会)など。