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ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎|バッドテイスト生存戦略会議・中編「インセルでも加速主義でもなく」

1990年代に一つのシーンを作り出した悪趣味・鬼畜系カルチャー。そもそも「悪趣味」をあえて称揚する文化的態度は、そのはるか以前から存在した。SNSとネット炎上が一般化し、気安く「悪趣味」を遊べなくなったかのように見える今、「バッドテイスト」の新地平を3人のクリエイターが探る。

バッドテイスト生存戦略会議・前編を読む

地下へと潜行することで失われる「テイスト」

ヌケメ ここまでの話を少し整理しておくと、まず、ネット人口が増えたことで、様々なコンフリクトが生じ、なおかつ、そのコンフリクトによる炎上を享楽している人がいっぱいいる、という現状があるわけですよね。で、そうした状況はある意味すごく「バッドテイスト」なものでもあって(笑)、すると90年代に雑誌カルチャーの中で栄えたバッドテイストというものは、実はインターネットのインタラクティビティによって遍在化したとも言えるんじゃないか、と。

QUE そうだね。ある種、そういう露悪的な感覚がネットを経由して薄く広まったのかもしれない。深さは無くなったんだけど、表層に薄い悪意の膜が張っている感じというか。

村山 今はコミュニケーションの様式がバッドなんだよね。90年代のバッドテイストとの区別は重要で、こちらは趣味の内容がバッドだったと。

QUE そうそう、元々のバッドテイストはスタイルなんだよね。今のバッドはよりフォーマリスティックなものになってる。

ヌケメ で、フォーマリスティックになったことで、それはもはやカルチャーではなくなってしまったわけですよね。結局、スカムなものやゴアなものは、表層からは排除されてしまっているわけだから。

村山 まあ今や、ダークウェブやディープウェブと言われるように、バットなものが完全に地下化したんだろうね。余計なコンフリクトが起きないように、その趣味の人たちだけで集まってシェアしていく。90年代の雑誌のようにマニアックとはいえオープンな場にバッドなものがあった状況とは違う。もっと局在化してる。

QUE うん、完全に局在化してますよね。

村山 それはクラブとかの現状ともパラレルだよね。クラブカルチャーも今は衰退しつつある。観光の要素がかなり入ってきていて、現場にあったコミュニティが弱体化し、固定の人たちが退却してしまった。クラブに今まであったようなカルチャー、それは反社会的な要素も含むんだけど、ディープなゾーンには簡単にはアクセスできなくなっちゃった感じ。

QUE それはすごく感じるね。アンダーグラウンドなコミュニティにアクセスするためのプロトコルが以前よりもかなり複雑になってきてるという印象がある。昔、というか、14、5年前からはかなり変わってしまった感じがあるな。当時はアングラの人たちも割と浅い地層で一般人と混在していたんですよね。それはいろんなジャンルにおいてそうだった。クラスタ化が進んだことや風営法などでの摘発によってクラブを始めとするカルチャーシーンを支えていた「場」が衰退したことで、そういう人たちが本当に深い地下層に潜り出したんだと思う。

かつてのクラブがアングラだったって言ってみても、実際はそんなにアングラじゃなかった。あくまで地上から見て相対的にアングラだっただけ。実はその地下によりディープな深層があって、クラブを経由して、その深層へとアクセスすることができた。今はこのクラブにあたるような中間的な場がなくなっちゃったんですよね。上部構造と下部構造の境目の空間というか。今、深層にアクセスしたい場合、それぞれがダイレクトにそこの人たちとコンタクトを取る以外に道がない。最初にヌケメが提示していた問題はこれだよね。

村山 そうだね。本当に身近な人としか趣味をシェアしないという方向にどんどん向かってて、それもコンフリクトが起こらないように隠れてひっそりとやるという形になってる。もちろん、元からディープなコミュニティってそういうものだったんだけど、以前はそれが部分的にパブリックな世界にも滲み出ていて、いわば扉があったんだよね。時々はその扉から人が出入りすることができたんだけど。もうストレンジャーが来るのは嫌だから、扉自体をなくしてしまおう、というのが今のモード。これはある種、必然的な流れだとは思うけど、今の悪趣味というのは、もはや「バッドテイスト」ではない。「バッド」そのものなんですよ。

ヌケメ 分断主義的な状況にはなってますよね。いろんな人がいて分かり合えないことは多いけど、ある程度、パブリックな場では妥協しながらやっていきましょう、という状況ではもはやなく、一切の妥協をしたくない、いちいち摩擦を繰り返すことに耐えられないという状況になっていて、だったらもう面倒くさいから壁を立てちゃおうぜって方向に向かってる。そして、実際にそうするしかないんだろうなって僕も思う。この鼎談に向けて木澤佐登志さんの『ダークウェブ・アンダーグラウンド』を読んだんですが、あの本はダークウェブについての本なのに、後半はずっとオルタナ右翼の話ばかりになってて、でも、新反動主義(※)とかオルタナ右翼の人たちの言うことも、気持ちとしては分からなくない。ていうか、気持ちとしては完全に分かってしまって(笑)

※新反動主義……フランス革命以降のリベラルな民主主義を否定する思想的立場。反進歩主義、反啓蒙思想、シンギュラリティ信仰、ニヒリズムなどを特徴とする。代表的な論者に、カーティス・ヤーヴィンやニック・ランドなどがいる。

 

『ダークウェブ・アンダーグラウンド』著・木澤佐登志

 

QUE 分かる、分かる。僕も加速主義(※)とか共感できてしまうところがある。この際、いくとこまでいって底が抜けちゃえばいいじゃないか、と。資本主義的なものを乗り越えることができないなら、資本主義が割れるまでそれを突き詰めてしまえばいい、という考え方はすごいよく分かるんです。それが新反動主義やオルタナ右翼に結びついているという流れにはとても納得している一方、ただ僕にはついていけない、とも感じる(笑)。なんていうか、そこにぬるさがないんですよね。本気かゼロかみたいになってて。

※加速主義……社会的変革を生みだすためには資本主義のプロセスを「特異点」に到るまで推し進めなければならない、という考え。

村山 そうだね。本気かどうか、つまり思想を共有できていなければ、そのバッド集団の一員にはなれない、だから「テイスト」ではないんですよ。

QUE 楽しくないんだよね。ただ、さっきヌケメくんが「壁を作る」という比喩を用いていたけど、僕も壁は作ったほうがいいと思う。実際にインターネットは広くなりすぎていて、あるいは狭くなりすぎていて、空間を仕切らない限り、互いに安心して過ごせない状態になってる。だから、壁の建設は必然的な流れだと思うんだけど、ただその時に、僕は壁そのものよりも扉の問題の方が重要だと思ってて。だって、壁を作るからには扉が必要でしょ。で、みんな扉に鍵を掛けがちなんだけど、僕はそこの鍵は開けときたいんですよね。

ヌケメ へえ、僕は鍵はかけときたいかな。友達の紹介なら開けるよ、くらいの感じ。

QUE ガチャって知らない誰かが入ってこれるくらいにはなっていた方が面白いと思うんだよね。その方が出会いもあるし。今のインターネットってほぼ路上なんですよ。で、路上は路上で面白いんだけど往来に晒されてしまってることでセキュアない。だから、みんな家に入っていくわけだけど、そこで鍵を掛けてしまうと普通には誰も入れなくなって、すると、そのコミュニティは先鋭化していく。まさにダークウェブがそうなってるわけでしょう? だから、玄関はある程度、開放しておきたいんです。

僕はさっきも話した通りネットゲームをよくやってるんだけど、最近、ゲーマーたちのコミュニケーションツールがスカイプからディスコードというゲーム用のチャットアプリに変わってきているんですよね。そのディスコードのシステムは面白くて、これまでのSNSであったりレディットとかのスレッド型コミュニケーションであったりのシステムを上手くいいとこ取りしてるんです。

ディスコードでは基本的にはサーバーを誰もが自由に立てられて、さらにその中にいくらでもスレッドを立てられて、ボイスチャンネルもいくらでも作れるんですが、サーバーにアクセスするためにはサーバーアドレスを知っている必要がある。ただ、その先には鍵がないんです。どの部屋にも自由に入ることができる。クローズド加減がほどいい感じなんですよね。だから、そういう、みんなが勝手に遊べる建物があればいいんじゃないかな、と。

村山 玄関がいくつもある家とかね。

QUE そうそう、巨大なシェアハウスじゃないけどさ、そういう感じ。

ヌケメ まさに渋家(※)はその物理的な実践だよね。

※渋家(渋ハウス)…2008年に美術家・齋藤恵汰らによって始動したカルチュラル・ネットワーク、また同メンバーによって運営されている渋谷区南平台町のシェアハウスのこと。

QUE 渋家はまさにそうだね。そういう空間を様々なバリエーションで今後きちんと作っていくということの方が大事だと思う。オンラインがあまりにも殺伐しているので、リアルスペースに戻って完全クローズドのサロンをやりましょう、というのはそれはそれで自由だけど、反動的すぎる。その中間点を探りたいんです。

ヌケメ それってつまり物理的に壁を立てるのではなくリテラシーの部分で壁を立てていくってことだよね。理解できる奴だけが辿り着けるくらいの、ちょっと入り組んだところに家を建てるというか。

QUE そう、大通り沿いから少し脇に逸れた路地の奥深いところとかにね。いまや公共もアングラも共にバッドなわけだから、そこから「テイスト」を立ち上げるためには、そういうアーキテクチャを作っていかないと難しいと思う。

村山 俺は作品を展示するときには、あるリテラシーを鍵にひらく扉を意識して設けているかな。「こういう系が好きな人、話したいから連絡ちょうだいね」みたいな感じでフックラインは作っていく。

ヌケメ なるほど。「これはお前らエサだぞ」というのを、「お前ら」を限定しすぎない形で、かつ「お前ら」だけに伝わるように仕掛けておく、と。

村山 そうそう。たとえば俺はセル・オートマトンの作品をずっと創り続けてるんだけど、数理系やプログラミング系の人とかは、作品を美術とは違う文脈で見て、そこにどういうメッセージが込められているのかということをちゃんと解読して、リプをくれたりするんだよね。その作品は誰にでも見て感じることができるけど、それを解読するためにはある種のリテラシーが必要という。そういう理解の階層をつくる仕掛けによって不要なコンフリクトは回避できるところもあるんじゃないかな。

 

村山悟郎 “Drawing / Coupling” 2011/壁に鉛筆、ペン/サイズ可変(ギャラリーαM 撮影:加藤健)

 

QUE アンテナを高くしておけば見つけられる扉を用意しておくってことだよね。僕も2017年の4月に銀座にある松崎煎餅という老舗の煎餅屋さんの建物の建て替えタイミングで、取り壊し前の廃ビルを1日だけ好きに使わせてもらってちょっとした展示をやったことがあったんだけど、告知はほとんどしなかったんですよ。渋ハウスの地下のサウンドシステムを借りてDJブースを作った上、若手の現代美術家たちに「ここでは何やってもいい、現状復帰もしなくていい」みたいに声をかけて作品を展示してもらうという企画で、1日だけということもあって正式な告知は行わず、ただツイッターで「何かやるぞ」って仄めかしつづけた。そしたら、結果的に24時間で800人も集まったんですよ。

 

 

ヌケメ すごいよね。DMしないと住所も分からない、みたいな感じだったのに。

QUE 僕はただ銀座の一等地で馬鹿騒ぎがしたかっただけなんで、勘がいいやつじゃないとたどり着けないようにしてたんです。つまり、アクセシビリティはかなり低く設定していた。だけど、扉は開放していたんですね。そしたら800人集まった。ドアさえあれば、ちゃんと人は集まれるんです。

ヌケメ あの方法はいいと思う。オーディエンスとしても、そこまで辿り着けたという達成感や優越感みたいなものが得られし。それこそバーニングマンみたいな。

QUE バーニングマン的だよね。実際、イベントが終わった後のビル解体中にボヤもあったし(笑)でも本当に扉の存在が大事で、あれで扉を閉めきってしまうと、やっぱり犯罪性が一気に高まっちゃうんですよ。犯罪のど真ん中にいるときって、それを趣味的に楽しむなんてことはできないじゃないですか。「犯罪が趣味です」なんてただのヤバイ奴だしさ。「テイスト」を立ち上げるためには、本当に悪いものからはある程度の距離を取る必要がある。それに完全クローズドだとやっぱり色々と澱むものだしね。

 

 

 

 

ネット上に遍在するマルチペルソナと人身売買

村山 今の話と関連したところでいうと、最近、俺は大学でも美術を教えたりしているんだけど、学生たちと関わってみて感じるのは、自分たちが学生だった十数年前と比べても、だいぶ感じが変わってるなってことなんだよね。何が違うかっていうと、趣味のゾーンと作品のゾーンというのを明確に分けている子が多くなってる。俺らの時代ってオルタナティブ全盛で、作品に作り手の趣味が滲み出ている、というかむしろ、趣味性を中心にして、そこから美術作法を仕立てていくやり方が多かった。まぁ、それの良し悪しは脇に置くとして、少なくとも趣味性というものが作品の軸になるという考えがあったと思う。

一方、今の生徒たちは、それぞれ漫画やアニメに限らず趣味があるんだけど、大学で制作する作品は教授にも分かるようなもの、趣味は趣味、作品は作品といった淡白な切り分けがある。さっきはインターネットを含むコミュニケーション空間が表層と深層で分断しているって話だったと思うけど、ある意味では意識のレベルでもその分断は進んでいるのかもしれないなと思ったんだよ。

QUE 多分、ミレニアム世代以降のインターネットやSNSが当たり前にある世代の子達は、自分の社会的人格そのものも一つのアカウントとして捉えているようなところがあるんじゃないかな。SNS用のアカウント、学校用のアカウント、友達用のアカウント、みたいなサブ垢が無数にあって、むしろメイン垢みたいなものがない、というか。アカウント単位で自己が偏在している感じがするんだよね。

ヌケメ 分人という言葉もあよね。それは一種のマルチペルソナだと思うんだけど、ただ僕は、親といるとき、恋人といるとき、仕事しているとき、友人と遊んでいるとき、それぞれにそれぞれのペルソナを使い分けるのって割と普通なことのように思いますけどね。むしろ、たった一つのペルソナで全ての人と付き合おうとする人がサイコパスなんじゃないかなって気がする(笑)。「これが俺だから」で押し通す感じってヤバさがある。その点、アーティストという生き方がある意味では特殊、ペルソナを一つに統合しがちなんですよね。

 

Nukeme and GraphersRock “Dear Supreme Dear Play” 2016/Embroidery, Supreme hats, PLAY garments(Photo:Hidemasa MIYAKE)

 

村山 もちろんペルソナは一つには絶対にならないから分散はさせるんだけど。一貫した人格ですよってアーティストはアピールはしがちだよね。

QUE う~ん、僕も本当は分けたいんだけどね、気がついたら集まって来ちゃうんですよ。僕の分人みたいな奴らが。

ヌケメ 分人みたいな奴らってどういうこと?(笑)

QUE ようするに分人化しているつもりでも、その分人たちが作品制作において集合してきちゃうってこと。たとえば僕はネットゲームのアカウントはアーティストとしての部分は切り離したいんですよ。だからネットゲームの友人とかには仕事を聞かれても自営業みたいに答えてる。だけど、自分がアーティストとして制作活動をするときに、普段ゲームをプレイしている自分の実存みたいなものが、どうしても創作の中に流れ込んでてきてしまうから、結局、気がついたら一つになってるんですよね。

ヌケメ ああ、ホコリが部屋の隅で一つに固まってるみたいな。

QUE それそれ(笑)。吹き溜まりとしての「自分」みたいな。まあヌケメの言う通り、分人であることがオーソドックスなことというのは確かにその通りだと思うんだけど、ただインターネット以前はその分人たちの境界線がもっと曖昧だったようにも思うんですよね。今はアカウントごとにアイコンやログが存在することである種の実存が視覚的にも与えられるわけですよ。つまり、それぞれの分人を明確に区切れるようになった。で、そのようにして区切ったオンライン上の自分が、ある種の願望を投影できる器にもなっている。さらにいうと、今的なネットがアカウントそれぞれに個人であることを強いてくる状況というのもあると思う。『ダークウェブ・アンダーグラウンド』にもパーソナライゼーションの話が書かれてたじゃないですか。

ヌケメ フィルターバブルの話よね。つまり、検索エンジンのアルゴリズムによって各ユーザーが見たい情報しか見えなくなる、という。

QUE そう。さらに、そうしたパーソナリゼーションを経たアカウントが複数化していく状況を踏まえ、その先に何があるのかなってことを考えていくと、僕は人身売買があると思ってるんですよね。

ヌケメ え?

QUE アカウントって売れるわけですよ。

ヌケメ ああ、RMT(※)ってことか。

※RMT……リアル・マネー・トレードの略称。オンラインゲーム上のアイテムなどの物品を現実の金品によって取引すること。

QUE RMTにおいてはフォロワーの数とかがステータスになるんで、アカウントに換算可能な価値が生じるわけですよね。でも、個人化を強いられて、実存の伴ったアカウントが売れる、というのは、なんだか部分的な人身売買のようじゃないですか。もともとRMTはゲームの世界で発ししたもので、レベルを上げて育てたキャラを売ることで買った人は強い状態から始められる、というものだったんだけど、SNSにもそれが入ってきたことで、軽い人身販売的な意味を帯びてくるようになった。

ヌケメ 人格とアカウントというものが密接に結びついた結果よね。

QUE ただ、そこに複雑さがあるのは、アカウントコードの中に実存は定着するんだけど、実在性は定着しない。たとえば、亡くなった友達のアカウントが残ることはあるけど、でもそこに実在してるわけではないよね。だからアカウントが売買された場合、自分の部分的な実存だけが人の手に渡るという状況になる。たとえば僕がいまSNSのアカウントを誰かに売ったとすると、そのアカウントは同じコードのままこれまでと全く違うことを始めるわけですよね。さらに、周りのやつは当然それを僕だとは認知しない。そこではかつて僕だったものの抜け殻が、他の誰かによって使用されている。レイバンのサングラスとか薦めたりして。なんだかそれってサイバー奴隷みたいだな、と。

ヌケメ 実際にやってみたらどうなるんだろう。社会実験として面白そうだね。SNSのアカウントって美容院とかと一緒で、店ではなく美容師、アカウントではなく中の人にフォロワーがつくわけですよね。たとえばQUEくんが今のアカウントを売っぱらって、新しく「HOUXO QUE 2nd」みたいなアカウントを作り直したら、僕はそっちをフォローするわけですよ。すると、アカウントを育てて売って、育てて売ってを繰り返す、脱皮した皮を売る蛇みたいな人生が不可能じゃないってことでもありますよね。それをホリエモンさんくらいのフォロワー数の人がやったら面白いかもしれない。

QUE 面白いね。そういうインターネットが強いてくる「同一であれ」という抑圧を反転させて、非同一性みたいなものを作ってしまう試みは、どこかyoupy的だし、いい意味でバッドテイストな感じがする。

ヌケメ バッドテイストであり、パンクよね。アカウントをバンバン売り歩くみたいな。そういえば樹木希林さんも自分の芸名を売ってるんですよね。元々は悠木千帆という芸名で活動してたらしいんですが、あるテレビ番組の有名人のオークション企画で特に売るものがなかったから芸名をオークションにかけて、一般人に2万円くらいで売ってるんです。それで名前が使えなくなって、新たにつけたのが樹木希林という名前らしい。

QUE パンクだなあ(笑)

ヌケメ 旦那さんはロックだけど奥さんはパンクだったという(笑)。名前を売るという行為にはどこか自己破壊的で自殺的なニュアンスが伴からね。

 

 

来たるべきオルタナ童貞のために

QUE ただ、そういうある種の自壊的な快楽を楽しむという姿勢は、やっぱり加速主義と親和していく部分があるよね。そして、そういう欲動が自分にもあるから彼らに共感を抱いてしまうわけだけど、どこかでお前らは無理だわとも思ってしまう。そこを分かつものはなんなんだろうな、と考えさせられるんです。悟郎はそれこそ童貞をアイデンティティにしてるくらいだから、インセルとかに思うこととかあるんじゃないの?

ヌケメ え、童貞ではないんでしょ?

村山 まあ……、今となってはね。ただ童貞推しでやっていきたい気持ちもあって、ツイッターなんかではちょろちょろ童貞ネタを小出しにしてるんだけど、全く反応がないね。「僕も童貞です」みたいなフォロワーが集まってきてくれてもいいはずなんだけど(笑)

で、インセルについてだよね?  まあ、彼らに対しては色々な思いがあるよね。インセルというのはモテない人たちの運動なわけだけど、それ自体にはあんまり共感するところはないかな。ただ、彼らのスローガン、「セクソダス」(※)という言葉は素晴らしいなって思ったよ(笑)

※セクソダス…オルタナ右翼を代表する論客の一人であるミロ・イアノポウロスによるセックスとエクソダス(脱出)を掛け合わせた造語。手塚治虫の1975年の漫画『セクソダス』とは無関係。

ヌケメ あれめちゃくちゃいいですよね(笑)

QUE カエルのぺぺがアイコンになっちゃう感じとかもすごくわかる。さっきも言ったように共感はできるんだよ。だけど同じ船に乗ろうと思えないのはなんでなのかなって。

村山 なんていうのかな、童貞っていうのはやっぱり……ダメなんですよ。ずっと童貞っていうのは。だからセクソダスというのは言葉としては最高なんだけど、方向性は違う気がするんだよね。ただ俺も、積極的に童貞期をなんらかの思想的背景に基づいて維持する必要性は感じていて、それはあってもいいし、あるべきなんじゃないかと思ってる。だからこの先、俺があえて発信していくバッドテイストの物語があるとしたら、それは積極的童貞についての話になるかな、とは思ってるよ!

QUE ごめん、全く意味が分からないんだけど(笑)

ヌケメ 精神性としての童貞ってこと? (笑)

村山 個人的な話をすればさ、俺は26歳まで童貞だったんだよ。まあ、別に気にもしてなかったしね。大学の同級生たちが一ヶ月に一回くらい合コンをやってたんだけど、俺は「ふ~ん」みたいな、「俺は童貞だしそんなのいらないから」みたいなクールな視線を彼らに向けてて、特に焦ってもいなかったの。ただ、24歳の誕生日の日に、実家でテレビ見ながらゴロゴロしてて、急に「ハッ!!!」ってなって。やばい、このままだと俺は永遠に一人だ!!! って気づいて。

ヌケメ 天啓がおりてきたわけですね(笑)

村山 そう、誰に言われるでもなく、ハッと気づいたんだよね、「これは大変だ!!!」 って。それで今まで見向きもしなかった合コンチームの友人たちにお願いをした。僕も行きたいですってね。それで一年くらい合コン通いを続けて、女の人と話す練習をし、やがて彼女ができて、となったわけ。

だから、俺にはインセルたちの物語、マノスフィア(※)のピックアップアーティスト、セクソダス、全て理解できるんですよ。その上でインセルと俺が違うのは、クリエイティブ童貞だってことだよね! 俺が考えている童貞の重要性というのは「想像力を膨らませる」ための期間として、であってさ。そういうことを今後はバッドなテイストで発信していきたいんだけど、正直、ちょっと不明だよね。果たしてそれが社会において何か有効な議論となるのかどうか(笑)

マノスフィア……インターネット上の反フェミニズム的な言論空間、コミュニティの総称。

QUE すごいアホくさい話だなとは思ったけど、割と有効だと思うよ。これは悪趣味系の話にも通じるんだけど、つまりは内心では何を描こうと自由なんです。ここの領域をまず拡張する上で、重要になってくるのは想像力なんですよね。その上で童貞時代の想像力というか妄想力というか、物語形成力ってちょっと異様なくらいすごいじゃないですか。客観的にはなんの予兆でさえない出来事を勝手に感知して物語を作り出してしまう。たとえば、目が一瞬だけ合った気がするってだけで、もしかしてこいつは俺のこと好きなのか? みたいに。なんのフラグも立ってないのに、そういう想像をできる。

ヌケメ 童貞時代ってピーキーだからね。

QUE ちょっとした入力で振り切れちゃうんだよね。悟郎が言いたいのは、あの起爆力をいかに保存し、制作活動に結びつけるか、ということでしょう?

村山 そうだね。ただ、気をつけないといけないのは、クリエイティブって言っても色々あるってことで。たとえば人とコミュニケーションをとりながら作っていくタイプの作業においては、絶対に童貞をこじらせるべきじゃないと思う。なるべく早く済ませてくださいっていう(笑)。一方、数学者が新しい数式を発明するみたいに、ある体系の中で独自の言語や構造を組み立てていく、というようなクリエティビティを発揮する上では、童貞的なメンタリティが有効なんではなかろうか、と。まあ、なんの後ろ盾もない説なんですけど。

ヌケメ 僕も童貞の話は割とよくするんだけど、童貞ってセックスしても童貞じゃなくなるわけじゃないって思ってて、つまりセックスをしまくる童貞っていうのもいると思うんですよね。多少セックスしたところで童貞感は消えないぞっていうことを自分に対しても他人に対しても思う。そこで僕のいう童貞というのが何かっていうと、これはやっぱり距離感がピーキーであることなんですよ。

QUEくんが言ってたみたいに、ちょっとした予兆で距離感がグッて縮まってしまったり、あるいはなんてないことを気にしすぎてもうその人と会えなくなってしまったり、近づいたり遠のいたりというのをスムーズにできない人、それが童貞であると思うんです。自意識がオーバードーズしやすい人ですね。じゃあいつ童貞じゃなくなるのか、というと、その肥大した自分しか存在しない妄想世界から、なめらかに相手の存在する現実世界に着地できたときだと思うんですよね。

QUE 正しい意味で二人称が生まれる、みたいな。

ヌケメ そうそう。過度な妄想も、過度な排除もなく、「あなた」を発見する瞬間というか。

QUE 実際、ピーキーさの中にいるときは相手のことなんて見えてないわけで、ストーリーが自分の頭の中にあるだけなんだよね。いわばオフラインゲームなんです。それがオンラインゲームになったとき、童貞を卒業したと言えるのかもしれない。ただ、実際はそう切って二つに分けれるようなものではなく、オンラインゲームをやっていてもオフライン的な感覚は引きずってる部分はあるかもしれないマルチプレイだと思ったらソロCOOPでした、みたいに。つまり、童貞的な妄想、現実から飛躍していく創造性は、誰にでも内在してる。たぶんこれはジェンダーも関係ない。

そうしたクリエイティビティが被害妄想的に加速していくとインセルみたいなものが作られていくんだろうなって気がします。だから、インセルの根底にあるものは僕にもあって、それがインセルのように過激化していないというのは、やっぱり環境の問題なのかな、とも思った。ようするに、僕がインセルにならないのはアメリカのインセルに比較して恵まれているからかもしれない。まだ余裕がある。この余裕がなくなれば僕もインセルになってたんじゃないかな。

ヌケメ もう戦うしかないってくらいのっぴきならない状況になったら、たしかにインセルと共闘するかもしれないね。

QUE うん。僕がここに僕として立ってるからインセルになっていないだけ。彼らと同じ立場に立ったらそうは言えない。おそらく思想的な背景よりも、そうした生得的なものを含めた環境からの要請強いんじゃないかな。

ヌケメ 環境的な要因でストレスがずっとかかって、その中で自分を肯定するためにはどうすればいいのかっていう形で思想が入ってきてるのかもしれない。

QUE 思想で補強してるんだよね。

ヌケメ 補強しないと壊れてしまうくらいのストレスが常にかかってるから補強しつづける。それをクローズドな集団で行うことによって、ますます先鋭化していってるんだよね、多分。

QUE インターネットは共感型のコミュニケーションがすごいブーストする空間だからね。

村山 話の腰を折るようだけど、俺は童貞でもモテてたからね!だから、ストレスはなかったよね。ここ強調しておきたいんだけど、モテないから童貞というのとはまた異なる層が存在するんですよ。

ヌケメ なんか著しく説得力を欠いた論をぶっこんできた。

村山 いやいや、本当にモテてたから。統計的に25歳から30歳までの間に童貞を捨てる層というのが童貞界には5%くらい存在しているんですが、これが童貞界のエリートなんですよ。

QUE へえ、その層はエリートなんだ?

村山 そう、俺は勝手にそう呼んでる。まあ、俺もその層だからなんだけど。

QUE (笑)、それ完全にインセル的なロジックだよね。

村山 ようするにさ、恋愛市場というものが形成されて、モテなくて童貞という人もいるんだけど、女の人との関わりに興味を持てなかったから童貞のままっていう人もいるわけだよ。そういう人たちは、恋愛的コミュニケーション能力にポイントを割り振ってないぶん、別の脳領域にポイントが振り当てられてるんですよね。

俺の場合、10代の頃から自己評価が異常に高かったんですよ。なんとなく俺はすげえって思ってた。でも実際はまだ何も成し遂げてない若者で、そのまま24、5歳までいくわけです。それで自己評価と他者評価に落差が生じる。普通はここでモテるために自己に変容をかけて行くんだけど、じっと制作を続けるわけよ。

さっき、26から30の間に童貞捨てるのがエリートって言ったのはここからで、能力のある若者って20代後半でなんかまとまった仕事を達成するわけですよ。それによって、これまでは勝手に高かっただけの自己評価に、他者評価が合致し始める。そのタイミングで、自然と女性ともうまくいくようになる。その前の段階で女の子に走ることの何が問題かといえば、自己評価にブレが生じるし、独自の体系が崩れるんですよね。だから、俺はそうした童貞界の潜在的エリート層にきちんと呼びかけたいの。「ちゃんと守れよ」と。

 

 

QUE いやだからなんのイデオローグになろうとしてるのよ?(笑)

ヌケメ 平たくいうと「お前にはやるべきことがあるんだから、女にうつつを抜かしてる場合じゃない」ってこと

村山 ん~、簡単にいうと、そういうこと(笑)

QUE なんかナードが辿り着いた変異型のマチズモって感じがする。

ヌケメ いや完全にマチズモでしょう、童貞主義って(笑)

QUE ストレートなマチズモじゃなくって、ちょっと屈折があるっていうかさ。いつかリベンジするからな、みたいな。

村山 いや俺はモテてたから。

QUE ソースがないんだよなぁ(笑)

 

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(Text by Yosuke Tsuji)

 

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