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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第八回《空っぽの豚積車》

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第八回は、ある日、ふと目の前を通り過ぎていった豚積車に思いを馳せて。

 

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 空っぽの豚積車が通り過ぎていった。街頭に照らされていたためハッキリとではないが中が空っぽなのが分かった。薄暗い荷台の檻の中から血の匂いが漂ってきて、その匂いに私は興奮を感じた。怒りがふつふつと湧いてきた。その怒りはどこか楽しくて、喜びと哀しみとが同時に存在していた。私は、この世界に存在する人間を豚積車に乗っていただろう豚と同じ運命にしてやりたいと、その時、思った。

 人間も大量に生産されて喰われてしまう日が来ればいい。あるいはペット人間なるものも誕生して、ペット人間たちは豚のようには殺されず可愛がってもらえるかもしれない。しかし喰われる人間と喰われない人間に大した差はあるまい。あるのはただ背負っている運命の違いだけだ。

 人間が豚とは違い崇高な生き物であるという証明書がこの世に存在するだろうか? 知性があれば崇高な生き物なのであろうか? 人間も豚も同じだ。ゴキブリもハエもネズミも同じだ。

 

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 私は高校三年の時に統合失調症だと医者に言われた。しかし、幼い頃からずっと私は私で、同じ症状と付き合って生きてきた。それなのになぜ高校3年生になって初めて統合失調症と言われるようになったのか。それは私が学校に通うことが難しくなったからだ。社会生活ができないとこの世界では病気だと言われてしまう。

 ジプレキサ、インヴェガ、セロクエル、たくさんの向精神薬を処方された。向精神薬というものはホルモンのバランスを崩してしまう薬が多い。そのため私も薬を飲んでいる時は激太りしたり、生理が三ヶ月こなかったり、いろいろな症状に悩まされた。血液検査をすると女性ホルモンが妊婦の女性と同じくらい過剰に分泌されていたこともある。その時に医者に言われた言葉を今でも鮮明に覚えていて、その時から私は日本の精神医療に対する不信感を持つようになった。

「そろそろ母乳が出てくるかもしれないので、産婦人科に行った方がいいです」

 なぜ私は病院で処方された薬の影響でさらに別の病院に行って、またお金を払い、薬を買わなければならないのか。精神科に通うことを当時の私は義務付けられていたため精神科の医療費は受給者証という証明書でタダになる。しかし別の病院に通うとなるとそれは適用されないのだ。私の体は健康的で正常であったはずなのに、向精神薬を摂取することで異常になってしまう。副作用というものは薬にあって当然のものだが、精神は良くなるどころか余計に苦しさは増していき、その上に体までおかしくなって、私は一体全体どうなってしまうのだろうかと不安しかなかった。

 

 

 私が向精神薬を飲み始めて感じたことは自分がどんどんと押さえ込まれていく感覚だった。今までキラキラしていた世界は霞がかって灰色に近い色へと変わり、飲む前は感動していただろう物事にも一切感動できなくなり、とても怖かった。かといって私の幻覚や幻聴、被害妄想は収まることを知らず、生まれたばかりの姪っ子を殺さなくてはいけないという幻聴と、自分が姪っ子をあらゆる手段で殺害している様子が映像で見えた。

 そんな自分が恐ろしくて私は母親に自分を縛ってくれるように頼んだり、オーバードーズして救急車で運ばれたりと、薬を飲み始めてからのほうが消えてしまいたいと思う頻度が増えたのだった。

 私が薬を本気でやめようと思えたのはモーコの存在が大きい。モーコが私に話してくれる精神世界の話は面白かった。モーコもまた私と似たように幼少期から大人のエゴに悩まされて育ち、社会生活が困難だった。まるで本物の双子みたいで、そんなモーコの存在が私には救いだった。

 モーコがアメリカに行った時、私の精神をポジティブにキープするためのサプリメントだったり、極力ナチュラルに近いもので私の状態を改善することができるものをたくさん調べてくれた。私はずっと薬以外の解決方法がこの世には存在しないのだと思い込んでいたが、モーコのおかげでナチュラルなものでも自分を良い方向に持っていけるのかもしれないと思うことができるようになった。

 すでに断薬をしてから3年が経つ。3年経って感じることは、精神世界を物理的に解決しようとすることはとてつもなく困難だということである。

 統合失調症はドーパミンやセロトニンの量が通常の人間の量とははるかに異なる量が分泌されることによって幻覚、幻聴、被害妄想を引き起こすと言われている。しかし、その根本的な原因については未だに解明されていない。人間の精神世界は目にすることも触れることもできないのに、物理的に解決できるとは私には思えない。

 

 

 最近強く感じることは私の方が正常な人間なのではないかということだ。本来人間はたくさんのことを感じ、たくさんのことを目にしていた生き物であったはずだ。それが時代が進むにつれて社会や科学の発展で薄れていってしまったのではないだろうか。人間の交流が盛んになることによって集団心理が100年前、200年前よりもさらに発展し、人間が生物として本来持ち合わせていた機能が働かなくなってしまっているのだとしたら?

 もし私が考えることが真実だとしたら、この世界はとても面白い世界なのだと思う。人間にはまだまだ可能性が秘められていて、その可能性に私はワクワクしてしまう。ここで述べていることはあくまで私が自分の経験を通じて感じたこと、いろんな書物を読むことによって考え出したことで、100%間違いの可能性もある。もともと私はほとんどの時間を空想の世界で暮らしている。脳内がお花畑な夢見る30のババアなのだ。社会的に見ても私は生活が困難な学歴もない精神障害者でしかないため、私のいうことが正しいと証明することは私には永遠にできないかもしれない。でも、私の例をとってみても現代の医学だけが人間を救うことができるとは言い切れないと思う。

 

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 私は今この世に存在する人間は豚や牛と同じだと感じる。人間の肉を食べないというだけで、汗水流して働いた金で人間の価値が見出され、物を買うために、自分の欲望を満たすために、苦しみながら働き、無駄なものを買ったり、素敵なものを買ったり、裏切られたり、裏切ったり、そうこうしているうちにうつ病になってしまった! 統合失調症になってしまった! 精神を病む人間が増え、社会復帰するために薬をお金で買い、薬を飲み続けなければいけないと医者に言われると、社会の中で自分が身を粉にして働いたお金を医療施設につぎ込んでいく。まるで大きな、知り得ない力にコントロールされているようだ。

 私たちも豚積車に乗ってるのと変わらないのではないかと最近よく考える。私は豚積車の柵の間から広くて青い空を見て、あの空を飛びたいと考えながら死に向かって運ばれている、あの豚なのではないだろうかと。

 あの日、通り過ぎていった空っぽであるはずの豚積車に私は乗っていて、私の車を運転していたのは豚だった。そうして私も豚も自分の抗えない運命に、解放に向かって、ただ共鳴しただけなのかもしれない。

 私は豚であり、森花であり、宇宙であり、世界である。ときどきカフカになって、ときどき豚になる。そんな人間をこの世界は病気だと言う。

 

(All Photos by MORIKA)

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特報:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が、10月に那覇の沖縄県立博物館・美術館で開催。現在、クラウドファンディング募集中。

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。