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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #08 死後の闇を照らすフラクタルの文様──ボルネオ島の首狩り族タトゥー・後編

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第八回は前回に引き続きボルネオトライバルシーンをめぐって。ボルネオタトゥーのリバイバルを牽引するエルネスト・カルムとジェレミー・ローという二人の偉大なるタトゥーイストとの交流の中で見えてきたタトゥーの本質とは。

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アジアに拡散する中華系

ボルネオは国としてはマレーシアなので、安い生活物価と高い仕事のギャラという僕好みの経済バランスとは違い、物価は結構高くてギャラはローカルプライスという環境であり、さらに地元の一般の人々のタトゥー熱がそれほど高いわけでもないし、かといって欧米からの旅行者がそんなに多いわけでもない。東南アジアの現代タトゥーシーンを実質的に支えているのは中華系の人々だ。

まず北方アジア人なので肌色が明るくタトゥー向きなことはもちろんだが、タトゥーに関するタブーが彼らが広く信奉する仏教や道教には特になく、また移民として中国共産党を含めたそれぞれの国の政治や風俗からも一線を引いた距離感でコミュニティを形成している点などが理由として挙げられるだろうか。ボルネオの場合は広東省や福建省あたりにルーツを持つ中華系が多く、街にあるタトゥーショップはだいたい彼らのコミュニティの中に向けてローカルプライスで堅実にやっている感じなのだ。技術も高いし商売も上手い。つまり、はっきり言って僕らオンザロードに付け入る隙がある地域ではない。

中華系、とは言ってみたが、ボルネオの諸部族をDNAのアングルから見た場合は全体的にほとんど中華系でもある。長い歴史の中で何度も大陸サイドからの移住が継続的に行われた結果として、かつての先住民であったはずのオーストラロイド的な形質(つまりパプア・ニューギニアみたいな人種)はすっかり影を潜めて、いわゆる東南アジア人の中でもより中華系寄りのルックスになっているのだ。部族たちは文字も国家も持たない生活スタイルなので、それぐらい昔に中国南部の雲南などの山岳地帯の方角から流れてきた人々がその主な先祖ということになるだろう。古代に中国平野部で起きた文明の膨張圧力がもたらした周辺への部族の逃避、拡散の結果が現在のアジアや南太平洋地域のトライバルタトゥーの地図を作り上げたのだ。

たとえば東南アジアの西の果て、インド東北部に食い込むナガランド諸部族と、東の海上に浮かぶボルネオの部族たちは、タトゥーだけではなく、首狩り習俗や武器のスタイル、強い米の酒、ホーンビル(犀鳥)崇拝など多くのものを共有していて、彼らはかなり近い親戚同士でもあるのだろうと僕は感じている。言ってみれば、みんなもともと中華系なのだ、移ってきた時代がいつなのかの差があるだけで。日本だってその例外ではない。

 

森の民とアウトサイダー

僕がボルネオに行く場合はトライバルタトゥーの専門家ということで招待してくれた地元タトゥーコンベンションなどのイベントに絡めた、誰かのスタジオでの短期のゲストワークが中心の滞在だ。だから現地のタトゥーイストの友人は多い。彼らは皆一様に外人をべろんべろんにするのが大好きな種族なので、毎晩、度数の非常に高いランカウという地元の酒を浴びるように飲まされ、滞在中は二日酔いが醒めるヒマもない日々が続く。

 

ボルネオのタトゥーコンベンション

 

そして彼らが日本に来る時にはもちろん僕の家に滞在し、新宿のスタジオでゲストワークをやっていく。本物の部族のトライバルタトゥーを日本の愛好家たちに紹介する役目を果たせるのは光栄なことだが、マニアック過ぎて僕の発信力だけではイマイチ人が集まらないのが悩みどころだ。こんな時はメジャーなタトゥーマガジンが二誌とも廃刊してしまった現在の日本の状況が本当に残念に感じる。これは本来ならとびきりのネタのはずなのだ。

しかたがないので毎晩足腰が立たなくなるまでべろんべろんに呑ませる役目に重点を置くことになるのだが、結局はミイラ取りがミイラになって、またしても彼らの滞在中は僕の二日酔いが醒めるヒマもない日々になってしまう。

うちにはダヤク族もイバン族もケラビット族も泊まっていく。なにしろほんのちょっと前のお祖父さんの世代までは首狩り族だった人々だ。いったいどんなことを考えてるのかとか興味も湧こうというものだが、彼らは案外と普通だ。えー! そうくるかぁー、ってのは特にない。ただし、それはうちに泊まっていく他の友人たちと比べて、ということ。ヒッピー系トラベラーとか、野外フェスによく行ってるような音楽ファンとか、トライバルやブラックワーク専門のタトゥーイストとかの、とにかくいろんな国から来て泊まっていく友人たちと比べて普通ということだ。

が、その人たち、というか、ようするに僕らが全般的に、社会の中の、あるいは業界の中ですらもさらにアウトサイダー的な面々であることはうっすら感じてもいる。比較対象としては良くないのかもしれない。とすると現代日本社会の平均的なあたりと僕らそのものをまず比べなければラチがあかないということになるだろうが、そもそも平均的なあたりってどういうのだろう。通勤電車の中の人たちとか息子の公立学校のPTAの集まりとかがそれなのか。そういう場では僕がそうであるようにみんなある程度はソトヅラ提げているものだろうし、ポリティカリーコレクトネスみたいな交流に終始するものだろう。では居酒屋の隣のテーブルはどうだ。とか観察してしているうちにすぐにべろんべろんになってまたどうでも良くなってくる。

そういえば、イバン族の村出身同士でもイバン語で会話していたかと思うと、いつの間にか英語やマレーシア語にスイッチしていたりするのをよく見かける。わけを尋ねると、話の内容が複雑になってくるとイバン語の概念のボキャブラリーでは正確に伝えられないことが多くあるとのことだった。これはその言語の習熟度とかの問題ではなく、より大きく複雑な国家のようなコミュニティで練り上げられている言語と、深い森の中の部族の集落の単調な生活に必要とされるそれとの違いなのだ。そういう面から考えるとかつての部族のメンタリティは概ねもうちょいシンプルだったのだろうという推測はできる。まあ、こういうのは日本でも世代間の違いとして普通にあるし、都市部と地方の田舎のギャップでもある。当たり前だろそんなこと、というレベルの話だ。

つまるところ、僕らは並よりシンプルなのかもしれない。それが結論になるのか。

僕の旅仲間では、前回の話でも触れた森の移動少数部族ペナン族の男性と結婚した日本人女性がいるのだが、二人は結婚後しばらく東京で暮らしていたものの、旦那さんの方が精神的に疲れてしまって今はボルネオに戻ったらしい。そんな風の噂をふと思い出した。

 

筆者(ボルネオ島にて仲間たちと)

 

ボルネオタトゥーの雄、エルネスト・カルム

さて、ボルネオトライバルタトゥーといえばまずはサラワク州の州都クチンの「Borneo  Head Hunter Tattoo」のエルネスト・カルムが最も有名だろう。一度は途絶えたボルネオハンドタッピングタトゥー(叩き手彫り)の技術を、欧米の衛生基準をクリアーする形で独自に復興した人物として世界的に知られている。

 

 

スタジオには彼が自分の脚でジャングルに踏み入って集めた、人類学的にも貴重と思われるフィールドワーク資料&画像が豊富に揃っていて、その情報収集のクオリティと見識の高さにまず驚かされる。今はもう存命してはいないであろうと思われる老人達のポートレイト。彼等の口から語られた数々の言い伝え。アソ(ドラゴンドッグとも呼ばれる密林の精霊で、狩猟の重要なパートナーである犬が半ば神格化したようなもの)、サソリ、エビ、さまざまな花モチーフ、などの古くから知られるイバン族のデザインはもちろん、そのスタイルでデザインされたピストルや双翼の飛行機などのタトゥー画像からは、トライバルタトゥーのデザインは歴史上延々と変化しなかったのではなく、その時々で常に変遷していくものだったのだということがよく分かり、ボルネオトライバルタトゥー往時のバイタリティーを生々しく感じる事が出来る。

 

アソをモチーフとした作品

 

都市から隔たったイバン族の村の名家に生まれ、イギリスの大学で学び、将来はボルネオを背負って立つ政治家にでもと嘱望されていた彼が、いったい何がどうなってこうなったのか。

年齢もタトゥーのキャリア年数も僕と同じで、親からは大学まで出してやったのにタトゥーなんぞやってるバカ息子とか言われている同士でもあるので興味があって聞いてみたら、そこには当時ボルネオを訪れていた故フェリックス・ルーとの出会いがあったようだ。これはトラベリングタトゥーの開祖みたいな伝説のスイス人ヒッピーのタトゥーイストだ。僕のホームグラウンドだったインドのゴアでそれをやり始めた最初の人物でもある。僕は、身体を壊してゴアを去った彼とは入れ違いでインドに入ったため、彼とは実際に会ったことはなかったが、いろんな人からその自由で破天荒な逸話の数々を聞いていた。エルネストと僕はヒッピー文化に感化された者同士でもあったわけだ。

ちなみに現在世界中のスタジオにあるボルネオ伝統デザインの資料の多くは、この時のフェリックスのスケッチが元になっている。どうしてそれが分るのかというと、スケッチの対象が古くてにじみの多いタトゥーだったことと、シワシワの老人達の皮膚だったためにパターンが判然とせず、フェリックスがテキトーなアレンジを加えた箇所があるためなのだが、今でもそれが普通に出回っているという事実からも彼の影響力の大きさをうかがい知ることが出来る。ボルネオの伝統デザインの多くは木のハンコをステンシルとして使うので、実はそれを見ればパターンの細部まで正確に判る。だから、本当のところはそもそも人に入っているタトゥーをスケッチするまでもなかったのだが。

現在、エルネストのクライアントは95%が外国人、そしてそのうちの半数以上がプロの彫師だという。彼がかろうじてつなぎ止めた伝統の重大さに気づく社会は、まだボルネオにはやって来てはいない。いつでもどこでも、失われつつある文化のかけがえのなさは当事者には分かりづらいものなのだ。

 

 

とは言いつつも、さら正直に告白するならば、僕らは無類の釣り好き同士でもあり、しかも互いに一番好きなのは、これもまったくマニアックな偶然だがライギョ釣りなのだ。スタジオ内に自分が釣ったライギョの頭骨を飾ってあるところなんて世界中探してもきっと彼と僕のところぐらいだろう。実際、奥地のイバンの村々までわざわざ車で何日もかけて一緒に出かけても、沼や水路を見つけてしまうとどうしても誘惑に抗えず、結局タトゥー観察はそっちのけで竿を振ることに日が暮れるまで没頭してしまう。水草の生い茂る静かな水面をいきなりボンッ!と炸裂させるライギョよりも重要な物事なんて、実際のところ世界にはそんなにないのだ。

赤道直下用の超強力日焼け止めクリームを塗りたくり、その上から熱帯雨林用の超強力虫除けスプレーを吹きまくり、地元名物のコロミーという汁なし麺にチャーシューのレッドソースをたっぷりとかけ回したジャンクテイストのやつをいくつもビニール袋に小分けしてリュックに詰めて、ひたすら泥沼に立ち込んでいくのみだ。

 

筆者(ボルネオ島にて仲間たちと)

 

ジェレミー・ローの類いまれな実践

もう1人、これはエルネストとは好対照でもあるし、ぜったいに書いておかなければならない新世代の旗手としてジェレミー・ローがいる。彼はクレイジートライバルの大流行を実体験としては知らない世代だ。世界のあちこちでしょっちゅう出会うので地域性も全く感じないのだが、彼もまたボルネオトライバルタトゥーのリバイバルを手がけている世界的なタトゥーイストなのだ。彼の非常にユニークなところはデザインと旅との関係性自体をリバイバルしている点だ。

つまり、かつてボルネオの部族たちが旅をして外のデザインを自分たちのデザインにどんどん取り込んでいた、その風習そのものを、彼は実践しているのだ。

これは非常に新しく画期的な企みだろう。彼はパンクな奴だ。ともすれば血統主義、人種差別にハマりがちだったり、観光地のお土産レベルの遺物に陥りがちな世界のトライバルタトゥーのリバイバルシーン全体を覆うまやかしに、1人で中指を突き立てているファイターであり、本物の旅のタトゥーイストでもある。が、どれだけ大きな声でそれを説明しても、世界のタトゥーマガジンの読者たちはどっちみち記事の文章の部分なんてほとんど読んではいないから、彼の思想は一般にはほとんど理解されていないようだ。とても残念なことだ。

 

ジェレミーのボルネオトライバル作品1

 

ジェレミーのボルネオトライバル作品2

 

デザインは変遷し続けるものだ。つねに他のものに影響されて変わり続けるのだ。純粋に固定されたトライバルタトゥーデザインなどは幻想に過ぎない。

こういうことを殊勝に書くのはちょっと気後れするのだが、現世人類のルーツはDNA の分野ではアフリカの1人の女性まで遡ることが出来る。その後、我々の先祖はアフリカからユーラシア大陸に進出し、分かれたり混ざり合ったりしながら世界中に広がり続けてきたのだ。だから純粋にオリジナルなどこかの国の伝統やなんとか族の誇りなどを想定してみても、そんなものはしょせんはこれまでの、一つの源泉から流れ出した膨大な混血の歴史の大河の中の、今この刹那のミックスジュースの一滴に過ぎないのだ。

今まで変化してきたように、これからもそうしていくのが当たり前。それこそがリアルなのだ。これは僕の意見というよりも大局を眺めたときの真実だ。

狭量なアイデンティティも、エキゾチックな懐古趣味の観光地土産もいらない。そういう要素をフレーバーとして営業促進に使うことが普通の世界のトライバルタトゥー業界の中で、正々堂々とNOと言い放つ危険な正直者である彼と、同じく変わり者である僕とは「叔父貴」「デブ専」と親しく呼び合う仲だ。彼のファンタジーの中では僕らはニビル星という場所から派遣されて地球に来ている同僚ということになっているらしい。なんだか昔の天然系アイドルの営業用の設定みたいな話ではあるが、彼の目はあくまでもガチだ。いちおう言っておくが僕が「叔父貴」の方だ。ニビル星の一般的な習わしのせいなのか僕も太った女はかなり好きではあるものの、さすがにメスのアフリカゾウを見て辛抱たまらなくなるほどではないし、地球滞在時間は僕の方が長いからだ。

 

出アフリカとタトゥーの起源

ある時、地球におけるタトゥーの起源をジェレミーと話し合った。ボルネオの人々やタトゥーがかつて中国の雲南省あたりから流れて来ていて、それはおそらく平野部で起きた中華文明の膨張と関係しているだろうことはすでに述べた。文字、農耕、そして国家の発生とともにタトゥーは周辺部に追いやられていったものと思われる。もちろん、人々の集まる豊かな土地である平野部は、そのさらに昔はさまざまな部族とそのタトゥーが百花繚乱する地域でもあったことだろう。タトゥーそのものも他の地域に先駆けて行われていたのかもしれない。何かが一番先に流行った場所が、廃れるのも一番先というのはよくあることなのだから。この辺りまでは僕らは同じ見解だ。

ではそのあたりのどこか特定の部族の誰かがタトゥーの発明者で、それが周辺にどんどん伝播していったのか。

ジェレミーは、針と染料という服飾の道具がそろえば、それはすなわちタトゥーの準備が整ったことにもなるので、服飾の普及した地域ではどこでも偶発的にタトゥーは生まれ得ると考えている。過去だけの話ではなく、たとえば明日にでもタトゥーを知らないどこかの誰かが新たにタトゥーを発明するのは難しいことではないのだ、と。かつて行われていたタトゥーの習俗が完全に廃れて知識も技術もないような社会でもタトゥーはまたいきなり出現したりするのは、どこの国でも、誰に教わるとでもなく中学生などが針と墨汁でちょっとしたタトゥーを自分たちで彫って楽しんだりしている様子からもよく分かる。針を束ねるとインクを表面張力でホールドしやすいことや、彫る角度、深さ、ちょっと引っかけるようなモーションなどもあっという間に独自に次々と発見していくものだ。僕の中学時代のクラスでも家庭科と書道の教材をそれぞれ使ってデタラメなタトゥーを彫って遊んでいるやつはいた。それだけ針と染料と皮膚のイメージは相性が良く連想しやすいということなのだ。

僕はこうした複数起源説自体に異を唱えるわけではないのだが、約五万年前にあったとされる現世人類のアフリカからユーラシア大陸への拡散時点では、スカリフィケーションはあったがタトゥーはまだなかっただろうと想定していて、その後のネアンデルタール人やデニソワ人との混血や日照量が少ない北方地域への進出により皮膚の色が明るくなってきたタイミングで最初のタトゥーが出てきたとのではないかと思っている。それまで効果的だったスカリフィケーションが目立ちにくい皮膚になった時に、代わりにタトゥーが鮮やかに見えるようになったということだ。

スカリフィケーションとタトゥーの過渡期にあるもの。スカリフィケーションの枝の一本として派生したタトゥー。非常にマイナーな手法だがまさにそういうものがある。インクラビングと呼ばれるその技術は、刃で皮膚に傷を作り、そこに煤などの色素を擦り込むことによって定着させるのだ。これにより皮膚の下に色素が定着するという原理は理解され、その後さらに作業と傷の回復の効率を高めるようにして針状のもので刺すタトゥーが出てきた、という流れで僕は考えている。

ジェレミーと僕の説は互いに矛盾しない。色素を皮膚下に定着させる全ての技術をタトゥーと考えるか、針による手法だけをタトゥーと捉えるかの違いがあるだけだ。今度、ニビル星の本部から使用許可を取り付けたいと思っている。もちろんタイムマシンの、だ。

最新のマシーンや技術を駆使し、旅先で出会った新しいアイデアを次々と吸収して彼のデザインは日々進化していく。そんなリアルタイムのボルネオトライバルタトゥーを彼自身は「ムオタワイ」と呼んでいる。全てを考える、という意味だ。武道家、総合格闘家でもある彼らしいネーミングだ。ルール無しでの最強を目指さない戦士に意味などない。首狩り族の魂を伝承する者なのだ。

 

ジェレミーのムオタワイ作品1

 

ジェレミーのムオタワイ作品2

 

なお、僕はボルネオでデング熱をもらったことがある。ローカルでも滅多にかからないようなこの病気になってしまったのは、きっとエルネストと奥地の密林の沼地で遊び呆けていた時に違いない。今まで何度も死にかけた人生だったが、こと病気というカテゴリーではあれが最も死に近づいた経験だった。ピーク時は43度の体温が何日も続いたらしいが、その間の記憶は、将来的な子作り能力を心配した当時の彼女が睾丸を氷嚢でキンキンに冷やしていたこと以外には全くない。

デング熱は二度目にかかった時が命取りとなるケースが多いらしい。そう言えばあれ以来、僕はボルネオからなんとなく足が遠のいているような気がする。

空前の規模で大流行し、現代タトゥーブームの象徴にもなったボルネオトライバルタトゥー。一方、そのヒットに触発されるようにして世界各地ではいくつもの御当地トライバルタトゥーがリバイバルされていった。

たとえばヨーロッパではどうなっていたのかを次回は振り返ってみたいと思う。

 

特報:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が、10月に那覇の沖縄県立博物館・美術館で開催。現在、クラウドファンディング募集中。

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html