旧共産遺産は「僕たちの想像力がいかに制限されているか」ということを僕たちに思い知らせてくれる ── 対談|星野藍 × 中村保夫
旧共産圏に遺る奇抜な廃墟と朽ちゆくスポメニックの写真集『旧共産遺産』。冷戦体制が崩壊し30年近くになる現在、旧共産圏の建造物たちを前に僕たちはなにを感じるのか。同書の著者である写真家・星野藍と、編集を務めた中村保夫が語る。
スポメニックの衝撃
中村 今日は写真集『旧共産遺産』についてあらためて星野さんとお話する機会をいただいたわけですが、僕はこの本の編集を務めさせていただいたものの、いわゆる旧共産圏の国々にはこれまで行ったことがないんですよね。はっきり言ってしまえば、そこに関する知識がない。だからこそ、星野さんの写真を初めて観たときには大きなショックを受けたんです。
もちろん、空港や工場の廃墟写真にも魅せられたんですが、特に僕の目を引いたのはスポメニックでした。「一体なんなんだ、これは」と。星野さんの写真を見るまでは、僕はその存在すら知りませんでしたから。当初の企画では「廃墟写真集」の括りで捉えてたんですが、スポメニックの写真を見るにつれ、これはどうも廃墟写真というジャンルからは逸脱しているぞ、と思い直したんです。
星野 私も初めて見たときは驚きました(笑)。スポメニックというのは旧ユーゴスラビア一帯に残る戦争の記念碑なんですが、歴史の亡霊のように、各地に点在していて、それこそ、その数は1000個以上にもなるんです。戦争の記念碑のようなものは西側にもたくさんあるわけですが、スポメニックはちょっと見た目からしてそれらとは様子が違う。バリエーションもいろいろあって、本当にとても面白いんですよね。
中村 見れば見るほど奇異なものですよね。特に面白いと感じたのはマケドニアのスポメニックです。ウルトラマン怪獣のブルトンに似ていて、レトロフューチャー的というか。ものすごく未来志向が強く、だけどその未来感覚が現代のものではなく70年代的なんですよね。どこか手塚治虫の漫画に出てきそうな感じもあって。
星野 ああ、出てきそうですよね(笑)
中村 だから、ある意味では旧共産圏においても、当時は西側と同じような未来感覚を持っていたんだな、と。ただ、西側の国ではその後、資本主義がどんどん強まっていって、経済合理性に反するような建物は作られないし、あっても淘汰されていった。ただ、旧共産圏においてはそれが作られ、また残されている。それこそ、廃墟化しながらも、住民たちの憩いの場になっていたりするわけで、これは西にはない光景だな、と思ったんです。
星野 スポメニックは国策として、ある種のプロバガンダとして作られていた側面がありますから、中には歴史的な遺恨から爆破されてしまったスポメニックとかもあります。世代によってはあまりよく思ってない人もいるのかもしれませんが、ただ、当時から青年部の集会だったり、子供の教育を行う場だったりと、割と暮らしに即した利用をされていたとも聞きます。そういう意味では、今も一般の人々の暮らしに自然に溶け込んでいるのかもしれませんね。
旧共産圏には暗くなっていい自由がある
中村 今回の写真集ではそうしたスポメニックを筆頭に、旧共産圏の廃墟、建造物の写真が多く収録されているわけですけど、星野さんとしては、西側諸国の建造物や廃墟と比較した時、旧共産圏の建造物の魅力というのはどこらへんにあるとお考えですか?
星野 実は私は西ヨーロッパではイタリアにしか行ったことないので、そこでいうと正確な比較はできないんですが、まず個人的なところとしては情報量の多さにおいて違いますよね。自分は日本という西側陣営に属していた島国で生まれたわけで、西側諸国の情報というのは割と小さい頃から触れる機会が多かった。すでに冷戦が終わって30年近くが経ちますが、とはいえ、流れてきている情報量にはまだまだ格差があると思うんです。だから、旧共産圏に行くと今まで自分の中になかったもの、見たことのない世界を知ることができる。そこに、一番魅力を感じているのかもしれません。
中村 確かに情報の壁は大きいですよね。僕は旧共産圏には行ったことないんですが、キューバには行ったことがあるんです。やはり、あそこの国も情報の壁が大きくて、周辺の国々とは明らかに雰囲気が違う。それこそ隣にはジャマイカがあるのに、似ても似つかないんですよね。キューバには400年前のスペイン統治時代の建物なんかが多く残っていて、そこに社会主義的なプロパガンダのグラフィティが描かれていて、全体として僕なんかの目線にはおとぎの国のように見える。たとえばアニメ的な表現一つとっても、キューバにもアニメ表現は入ってこそいるんですが、日本やアメリカのそれとは全く違うもので、情報の壁というのがフィルターになって、奇妙な変形を遂げているんです。
星野 そうですね。旧共産圏においても、形とか見た目の部分でも明らかな違いは感じます。でも、目に見える部分だけじゃなく、私は街を覆う空気なんかにも、より違いを感じますね。なんていうか、旧共産圏ってとても暗いんですよ。西側諸国って、もちろん国によって差はあると思うんですけど、どこか歴史における勝者という感じがあって、変な言い方をすればリア充感が強い(笑)、全体的に明るいんです。私みたいなネクラな人間には、少し居心地が悪いんですよね。その点、旧共産圏は全体的に暗くて、憂いを帯びてる。そこがすごくいいんです(笑)
中村 ああ、分かります。僕は90年代に世界中の音楽を掘っていた時期があって、その時にやはり旧共産圏の音楽なども買っていました。たとえば日本って、ボサノバとかが入ってきても、日本的なボサノバに変形しちゃうじゃないですか。共産圏もそうなんですよね。ジャズとかに関してもちょっとテイストが変わってしまう。音がすごく真面目で、どこか暗いんですよ(笑)
ただ、その暗さにオルタナティブを感じるわけですよね。それこそ、僕らは「暗いことはいけない」って教えられてきたわけですから。特に80年代なんかは「ネクラ」とか「ネアカ」とかいう言葉が生まれて、暗い奴はダメみたいな感じがすごくあった。基本的に僕は「ネクラ」だった側の人間なので、日本の「明るくあろう」という空気にすごい不自由さを感じてました。その点、旧共産圏の暗い音楽とかを聞くと、ああ、暗くなっていいんだって、逆に自由さを感じるんです。
星野 ですよね。実際、旧共産圏の国ってめちゃくちゃ居心地いいですから。日本に帰ってくるのが憂鬱になるくらい。暗くてもいいってなんて自由なんだ~って(笑)。私は撮影のために外国によく行ってるんですけど、外に向かって開放的に出かけていってるんじゃなくて、外に篭りに行ってるって感覚がある。でも、イタリアとかだとそれが難しいんです。すぐナンパされますし、また一人で静かにしてると「どうした?」って言われてしまいますから。それも優しさだとは思うんですけど、時として重く感じることもあるじゃないですか。
中村 黙ってるのは悪いこと、みたいな感じがありますよね。でも、黙りたい時、放っておいてほしい時ってやっぱりある。放っておいてほしいっていうと語弊があるかもしれないですけど、沈黙を楽しみたい時ってあるんです。それはもしかしたら風景とも関係しているのかもしれなくて、日本の都市の街並みって、合理的に隙間なく埋め尽くされてるじゃないですか。どこかコミュニケーションもそうなっていて、まるで沈黙の隙間を恐れているかのように、言葉が充溢してる。まさにテレビなんかはハッキリとそうなってますよね。憂鬱はだめなんだ、悩みは解決しなきゃいけないんだ、みたいなノリは、正直疲れます。
星野 その点で言うと、スポメニックはおすすめですよ。基本的に人がいないので、思う存分、沈黙に浸れますから。ただ一度、モンテネグロのスポメニックを撮影していたとき、後ろから視線を感じたので振り返ったら、知らないおじさんが下半身を剥き出しにこちらを見て笑顔を浮かべていたということがあり、あれには困りましたね(笑)
中村 星野さんその時一人ですよね? なかなかヤバい状況じゃないですか(笑)
星野 あら~、何してるの~って感じでしたけど、しばらくしたら満足したのかどこか行っちゃいました。ただただ苦笑いで見送りました(笑)
ありえたかもしれないもう一つの未来
中村 あらためてではありますが、星野さんが旧共産圏の建造物に関心を持つようになったのは、そもそもどういう理由だったんでしょう?
星野 大きなきっかけとしては、チェルノブイリですね。以前から私は廃墟好きで色々なところで廃墟の撮影もしていたたんですけど、廃墟好きにとって、ウクライナのチェルノブイリって廃墟の王様のようなところがあり、私自身、いつかは行ってみたいと憧れてたんです。ただ、チェルノブイリに実際に行く前に2011年の震災があって、原発事故が起こってしまった。それにより、私にとってチェルノブイリがロマンティックな廃墟ではなく、ものすごくリアリティのある存在になってしまったんです。特に私は福島出身でしたから、故郷がチェルノブイリのあとをなぞるかもしれないと考えると、それまでのようなおめでたい感じでチェルノブイリを眺めてていいのか、廃墟というものを撮り続けていいのかといった、葛藤も生じてしまって。
でも、日本で悩んでみたところでしょうがないよな、結局は行ってみないとよく分からないよなって思い、震災から2年半後に初めてチェルノブイリに行って撮影をしました。そして、その翌年もチェルノブイリを撮影したんですが、やっぱり実際に現場に向かうことで色々なものが見えてきたものがありました。あと、チェルノブイリを見たことで、それまでは怖くて立ち寄ることができなかった、福島の原発地域とかにも行ってみようという思いが生まれて、実際にしばらくは福島も取材していたんです。
中村 なるほど。でも、そこから旧共産圏の他の地域に向かわれるようになったのはどうしてなんです?
星野 当時、チェルノブイリに私が向けていた視線には、廃墟ファンとしての視線と、3.11を経験した福島出身の人間としての視線が混じり合っていたわけですが、ただやっぱり現実の街並みには、もっと多くの要素があるわけなんですよね。その一つが「旧共産圏」であるという要素で、チェルノブイリには共産主義時代の建物がたくさん残っていて、シンプルにそこに魅力を感じたんです。これは行くまで分からなかったことですよね。
で、そこからその角度で廃墟を巡ってみようと思い、まずはコーカサスの三国、アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンを巡りました。その後、旧ユーゴ圏へも向かい、スポメニックを知るに至り、とどんどん興味が広がっていった感じです。
中村 僕はまだ写真でしか見てませんが、星野さんがそこに惹かれたというのは、非常によく分かります。これは感想になってしまいますが、現代日本の建築物って想像の範囲を超えることってそうないんですよね。無駄なものがない。一方、旧共産圏のこうした建物には無駄が多くある。そして、無駄なものって想像を超えてるんですよ。
そもそも、資本主義社会に慣れ親しんだ僕らからすると、建造物に無駄がたくさんあるという、その感覚自体に驚くわけですが、ただ逆から考えると、僕らがそれに驚いてしまうという事実こそが、僕らの偏りなんですよね。そういう意味では、この写真集はある種の鏡として、自分たちの想像力がいかに制限されているのかということを思い知らせてくれる本でもある。
実際、世界の街並みというのはますます均質化に向かっているわけですよ。経済合理性を軸にすると、ビルのデザイン一つをとっても大きくズレるということがない。いかに合理的にスペースを利用するか、そういうところばかりに力点が置かれてしまう。一方、旧共産圏のこうした遺産って、機能性とかが度外視されてて、実に贅沢なんですよね。あるいは、それは民主主義的なデザインではないということなのかもしれませんし、権力者の気まぐれみたいなものが露骨に反映された結果かもしれない。ただ、民主主義的に全てが平均化されている現代を踏まえると、豊かさとはなんなのか、色々と考えさせられてしまいますよね。
星野 最近の建造物を見てて、すごいな、立派だな、と思うことはあっても、面白いな、と思うことって少ないですよね。それがそのように作られている理由が分かるというか。驚きがあまりないんです。まだ日本でも昔の建築の方が面白いものが多い気がします。多分、西側の建造物も冷戦体制時代に作られたものの方が面白かったんじゃないでしょうか。
中村 たしかに60年代や70年代の建築って日本は面白かったですよね。マンションのエントランスホールなんかにも無駄なものがいっぱいあった。あるいは当時は、東側には別の世界があるって現実が想像力を豊かにしていたところがあって、挑戦的な建築が生まれやすかったのかもしれませんよね。
だから是非、この写真集を読んだ人には、今の目の前の現実が全てじゃないってことを知ってもらいたいです。いまや、東側諸国も同じく資本主義社会に組み込まれているわけですが、各地に亡霊のように取り残された廃墟たちに、ありえたかもしれないもう一つの未来を感じることはできる。単に面白い、興味深い、というだけでなく、今を見直すためのヒントにしてくれたら嬉しいですね。
星野 そうですね。ただ、私としてはまず理屈は抜きに感じてほしいと思います。私自身、知識よりも「すごい!」っていう感動から、撮り始めたわけですし。まずは興味を持ってもらって、その上で実際に歴史を調べたりしていくのがいいと思います。さらに驚くようなことが、きっといっぱいあると思いますから。
中村 ええ。星野さんは今後もこのテーマで撮り続けていくつもりですか?
星野 はい、まずスポメニックがある国で、唯一スロベギアにはまだ行けてないので、行きたいですね。あと、クロアチアの東の果てにあるスポメニックにも、以前にクロアチアに行ったときには時間的に行けなかったので、そこにも行けたらなと思ってます。それと抱き合わせで、どんどん行けるところを潰していきたい。なんせスポメニックだけでも1000個以上ありますからね(笑)
中村 それは先が長い(笑)、これからも楽しみにしています。
✴︎✴︎✴︎
星野藍 ほしの・あい/写真家、書道家、グラフィック&UIデザイナーなど。福島県出身。従姉の死、軍艦島へ渡ったことをきっかけに廃墟を被写体とし撮影を始める。旧共産圏、ソビエト、未承認国家に強く惹かれ、縦横無尽に徘徊する。著書に『チェルノブイリ/福島 〜福島出身の廃墟写真家が鎮魂の旅に出た〜』(八角文化会館)、『幽玄廃墟』(三才ブックス)、『旧共産遺産』(東京キララ社)がある。
✴︎✴︎✴︎
中村保夫 なかむら・やすお/1967年、神田神保町の製本屋に長男として生まれる。千代田区立錦華小学校、早稲田実業中学、同高校卒業。2001年に東京キララ社を立ち上げ、「マーケティングなんか糞食らえ!」をスローガンに、誰も踏み込めなかったカルチャーを書籍化し続ける。書籍編集者以外にもDJ、映像作家として幅広く活動。永田一直主催「和ラダイスガラージ」で5年半レギュラーDJを務め、現在は両国RRRで定期開催されるDJイベント「DISCOパラダイス」を主催。数々のMIX CDをリリースしている。著書には『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』(東京キララ社)、映像作品には『CHICANO GANGSTA』(監督)『ジゴロvs.パワースポット』(監督・編集)などがある。
✴︎✴︎✴︎
(Text_Yosuke Tsuji)
特報:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が、10月に那覇の沖縄県立博物館・美術館で開催。現在、クラウドファンディング募集中。
〈MULTIVERSE〉
「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー
「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行
「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性
「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue
「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”
「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー
「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る