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亜鶴 『SUICIDE COMPLEX』 #06 肥大する身体と遺伝子の限界──ステロイドで「遊ぶ」ための試論

タトゥー、身体改造、ボディビル、異性装……絶えざる変容の動態に生きるオイルペインター亜鶴の、数奇なるスキンヒストリー。第六回は結果に従属しない「遊び」としての筋トレ論。

「結果にコミット」しない

 気がつけば前回の連載より2カ月近くが経過していた。

 本来であれば今回の連載記事の発表は、とある方のインタビュー記事をリリースする予定であったのだが、いかんせん言語が英語であること、なかなかに複雑なコンテクストをもった方であること、そして自身の日常に忙殺されていたことにより筆が進まず、今回の内容は僕にとって書きやすいテーマを優先させることとする。

 元来、僕は重度のアトピー持ちであった。中学受験を終えるまでの間、僕自身はそこまでストレスには思っていなかったはずなのだが、お受験への圧などによって、皮膚は本当にひどい状態になっていた。顔にアトピーの症状が出たら嫌だ、と自分では思っていたものの、残念ながら身体には裏切られ、耳の皮までがボロボロと剥がれ落ち、全身うろこ状の様になってしまっていたこともある。

 それは僕が初めて身体、皮膚の事を考えたきっかけでもあった。アトピーによって僕は自分の皮膚によって自分の精神が裏切られたように感じたのだ。幸いなことに現在はもう寛解していると言える状態であり、おそらく客観的に僕の容姿を観た人にはかつて重度のアトピー患者であったことは理解されないとは思うが、いまだ僕にとって皮膚は自分自身の一部でありつつも、同時に他者であり続けている。現在でも夏場などは、自身の汗によって痒みが出ることもあり、コントロールする事で表面的には問題ない様に見える、という状態(完治というより寛解という表現が適切だろう)。いずれにしても、僕の現在へと続く身体へのアプローチは、この経験を大きな動力としている。

 さて、そんな僕が本連載において、身体の変容についてと同様に延々と書き続けてきたことは、僕が行為のもたらす結果というものにほぼほぼ興味を持てない性分である、ということだ。

 僕にとって身体の改造は、日々変容する、流動し続ける動態として身体を捉えることであり、簡単に言ってしまうと、結果よりプロセスを重視した実践である。それは身体改造に限らず、対人関係などにおいても同様で、アクションを起こすことによって、そのアクションそのものがもたらす影響にゾクゾクとした興奮を感じている。その際、結果はあまり僕にとって重要ではない。ちなみに結果に頓着がないというのは、当然、リスクへの警戒が低いということでもある。それゆえに早死にしそうと周りから言われるのだろう。これはもうフェチのようなものなのかもしれないが、ここについてはそれなりに考えもある。

 グローバル資本主義経済は現代社会における奴隷制度である、とスラヴォイ・ジジェクは言う。僕もまたそう思う。いかに楽しんで生きているように見えても、それは奴隷的だ。あるいは、「この世界をもっと楽しもう」という掛け声の本当の意味は「もっと家畜として飼い慣らされよう」であるようにも思う。そして、この「奴隷」や「家畜」というのが何に対して隷従しているのかといえば、僕はそれこそが「結果」だと思っているのだ。

 資本主義社会の正体は人々が「結果」に隷属された社会だ。それは別の言い方をすれば「意味」への隷属でもある。資本主義社会が恐ろしいのは、本来、結果や意味とは無関係だったはずの「遊び」が、ことごとく結果や意味の中に掬い取られてしまうことだろう。その点、僕は「遊び」が好きである。そして、僕にとって「遊び」とは、結果ではなくプロセスを目的化することに他ならない。

 たとえば、僕がこの2年半ほど、気の狂った様にハマり続けている趣味の一つは筋トレだが、この筋トレにおいても、僕は「結果へのコミット」が低い。

 

 

 現在、筋トレはウェルネスの追求の一つとして、グローバリズムに対する反動の一例として宣伝され、意識の高い人間の中でちょっとしたブームを作っている。たしかに、いくら社会がどうなったとしても最終的に唯一手にし続けられるものが身体であり、皮膚であることは間違いない。身体性への回帰それ自体は僕も共有しているテーマだ。

 ただし、本来なら、それはただの「遊び」であって、そこに「結果」など必要ないし、「意味」も必要ないはずなのだ。なのに、筋トレファンの間では有名な某ツイッターアカウントは「筋トレは最強のソリューション」「筋トレをすれば何だって克服できる」「鬱だってなんのその!」「筋トレだけは裏切らない」といった言説を発信し続けている。これは一例だが、なんだかんだ「筋トレには良い結果が伴う」といった言説は筋トレファンからも支持されやすい。

 僕から言わせれば、そうした発想は不純だし、それこそ資本主義的な発想である。肉体が肥大した結果、人生が豊かになる。そんな屁理屈は筋トレに無用なはずだ。あるいは言ってしまえば、結果に従属させた途端、筋トレはある意味において身体の搾取になってしまう。それでは身体性への回帰とは真逆の方向だろう。だから、僕は筋トレにおいてもプロセスを重視する。それは先ほどの言い方でいうと、身体そのものを目的化するということでもある。

 

身体を超えて肥大する「イメージ」

 さて、本題に入ろう。今回は僕の筋トレにおける実践についてを紹介してみたいと思う。多分だが、今回は(もまた?)多くの方の反感を買うことになってしまう気がする。こればかりは致し方ない。「結果にコミットしない」生き方というのは、現代においてはどうしても少数派になってしまうからだ。

 もともと、僕が筋トレを再開することになったのは、ある日、知人の自宅近所にジムが出来たことをきっかけに入会を誘われ、僕も参加することとなったというだけで、いわば偶然だった。ただ、本連載の第一回にも記したように、僕は学生時代に熱を入れていた柔道を唐突に辞めざるを得ない怪我を負ってしまったという過去がある。再開と書いたのは、当時はそれなりに筋トレをしていたためである。

 人が何かを始める際には、とりあえずの目標を立てるものだ。たとえば旅に出るにしても、とりあえずの目的地は設定したりする。別にその目標に特に意味はないのだが、便宜的にフラッグを立てておいた方が、自分を鼓舞しやすい。

 理由は不明なのだが僕はいわゆる黒人の身体のフォルムが昔より好きでたまらない。だから、さしあたって目標にしたのは「Ulisses World」という海外のとある筋肉系の黒人モデルの身体だった。とにかくひたむきに筋トレをすれば僕の身体もあんな身体に変容していくのだろう。当初は簡単に考えていたところが正直ある。周囲からは「遺伝子には逆らえない」「日本人の骨格では無理」「目標高すぎ(笑)」と、言われたりもしたが、そんなことおかまいなし。とりあえずは盲目なバカとなり、連日、激しいトレーニングに打ち込むようになった。

 

Ulisses World(画像引用元:https://www.ulissesworld.com/)

 

 ただ、言うまでもなく現実は思っていたよりもシビアだった。

 ジムにいる最中は、思考は無になっている。とにかくダンベルを上げ下げする。そこに存在するのは虚空の宇宙に浮かぶ自我と身体を映す鏡のみ。その鏡の中の身体と自我を結び付けるのが短絡動作であるダンベルの上げ下げだ。この虚空の中の自我を1mmでも肥大させるための動作の連続こそが筋トレの醍醐味であり、当初はそれだけで十分だった。しかし、やがて僕は、自我を肥大させている最中に、さらなる加速を伴って肥大しているのがイメージの中の自分である事に気づいてしまったのだ。

 周囲から見れば僕の身体は日々伸張、膨張を重ね、2年ほどで当初より体重も20kg近く増え、かつては着ることの出来ていたSサイズの服など到底着ることが出来なくなり、お気に入りだったNIKEのXLのパーカーさえ小さくなってしまった。手応えはあってもよかったはずだった。だけど、僕は一切の満足を覚えることができなかったのだ。いや、満足とは程遠い。とにかく満たされない。イメージの世界に存在する僕の身体は確実に肥大していたはずなのに、日々自身の成長、伸張を目にしている自分自身には、悲しい事にその微々たる身体の変化にはすでに気づくことが出来なくなっていたのである。

 あまりに盲目的だったのかもしれない。ただ、満たされないことをネガティブに感じていたわけではない。むしろ、その満たされない身体性を楽しんでいた。こんなにも満たされないものなのか、という発見が面白かった。

 しかし同時に僕は遺伝子の問題とも直面していた。当初はやればやるだけ肥大すると思っていたというのに、ある時期から肥大のペースは下がり始めていた。僕にとっての目標の体型はたとえばVシェイプと言われる、広背筋がウエストから大きく広がった体型であった。ただ残念なことに僕の体型はTシェイプと呼ばれる肋骨下部あたりから広背筋が広がった体型であった。

 このあたりの話はあまりにマニアックな話になるので、分かりやすいところでいうと、モデルさんのメイクや服装をいかに真似しても、そもそもの骨格が違って同じようにはならないということは、体感的にわかると思う。ようするに、やればやるほど理想に近づけると思っていたというのに、やればやるほど理想から遠い身体に変容していき、むしろ自分の身体の気に食わない部分が強調されてしまうという状況に直面したというわけだ。

 トレーニングをすることで体内に新たな筋肉がぼこぼこと生まれてくるということはありえなく、生まれ持って所持していた筋肉を大きく肥大させ可視化させるというのが筋トレなのだから、これは当然のことである。僕は僕の身体のガチャをはずしてしまっていただけなのだ。

 ガチャをはずしてしまった僕が次に取る行動はトレーニングを諦めるのか、あるいは自分自身の自然な身体を受け入れ、生まれ持った身体を「最強にして唯一の個性」と捉え、肯定的に肥大させ続けるのかの二択であった。しかし、身体を肥大させ続けると言っても、そこにこそまた遺伝子の問題が大きく作用してくる。要は皮膚の拡張限界という問題だ。

 拡張限界を超えるためにはどうすればいいか。当然、1年や2年そこらでは拡張限界に到達はしえない。まずは忍耐という考えもある。ただ、どうせ僕自身が望むのは拡張限界の先の領域だった。そして出来ることならば皮膚という境界線を広げるのではなく、想像よりも少しだけ遠くへいくこと。そのために出来ることといえばなにか。

 筋トレの世界にはすでにこの問いに対して回答があった。薬物を使用し、遺伝子の限界値を超えることだ。

 

 

アナボリック・ステロイドの誘惑

 ステロイドを自己輸入し、投薬する。僕はこの方法を選択した。現状本国においてはステロイドに違法性はない。ただ、海外ではすでに違法認定をされている薬物でもあったりするため、使用には慎重をきたす必要がある。

 たとえばボディビルの大会などでは、遺伝子の限界のその先の勝負ゆえに、暗黙裡にユーザーと呼ばれるステロイド使用者たちが舞台に立っている。ただし、あくまでそれは暗黙の了解である。そのため、その使用を公言している人は少なく、周囲にもいなかった。

 頼れるのはインターネットの知識のみ。自身の遺伝子を超えるためにホルモンバランスに直接攻撃をしかける薬を摂取するというのに。

 付帯してくる問題として考えられる倫理の問題については、僕はそもそも競技者ではないのでは倫理的などうこうもないと考えている。あくまで自分の責任の上においてステロイドの使用を決めたのだ。僕の身体、精神が、それによってクラッシュしようとも、誰に咎められることもないだろう。

 さて、使用を決めてから2カ月ほどの間は、国内外のネット上にあふれるステロイドの知識をとにかく自身に叩き込んでいった。その中にはアフィリエイトの記事もあり、知識の質もピンキリであった。その中から必要であろうものを自身の知識として統合することが使用の第一歩だった。5ちゃんねる上にあるステロイド掲示板(笑)も50スレッドほどだったろうか、全て端から端まで読破した。その中には日々のトライ&エラーを克明に備忘録として書き記しているものもあった。

 ここでは安易にステロイドのサイクル(投薬方法)などを真似られてもいけないので詳細を記す事は避けるが、とにかく、ホルモンバランスを強制的に左右させる薬を使用するので断薬後のケアも入念にしないといけないことだけ記しておく。ちなみにケアの際に飲んでいたのは乳癌治療に使われる薬、排卵誘発剤など。このあたりにも倫理の問題が発生するかもしれない。が、僕にとってはその使用が必要不可欠なものであった。本当に必要、のガイドラインは時と場合によって変わるのだから。

 こうして、僕は現在までに2回のステロイドサイクルを経験した。1サイクル長くてもおよそ数週間。ケアの期間をまた数週間。断薬の期間を数週間。という按配だ。そのサイクルを2回経験したということだ。

 その2回のサイクル時、僕はコントロールのためにも備忘録としてメモを残していた。ここでは、そのメモからいくつかを抜粋し、リライトなしで掲載したいと思う。僕の精神の加速、あるいは迷い、そして実際に存在するステロイドの弊害も知ることができると思う。

 

 


 

【初サイクル:初日夜】

兎に角、ステロイド摂取を始めた初日の感想としては

今まで原付バイクに乗っていたのに、いきなり750ccのマシンに乗り換えたかのように感じた。

際限なく追い込める気がし、時間で制限しないと無限にトレーニングを続けてしまえる様に感じた。

そして皮膚がはち切れそうな程に張った。通常時のパンプアップ(炎症などによる一時的な筋肉の張り)とは比較にならないレベルだ。

これは確かにナチュラル(ステロイド未使用者)がユーザー(使用者)に勝てるはずが無い。そう言われる理由がわかった。

1日今日を過ごした感覚としては、ドラッグユーザーの言ういわゆる「速い」感覚に近い気がする事となんとなく頭痛がある気がするというのが現状感じられる弊害だろうか。

まさしく悪魔の実である。計算の上では6週間の摂取サイクルを行うつもりだ。その後にケアのサイクルを設ける。

結果がパンプアップではなく筋肥大として目に見えて分かってくるのはまだ暫く先の事であり、これから明日以降については今日感じたことの延長戦上のようなものだと思う。

もし今後副作用含め新たな発見があれば追記していきたいと思う。

夜間のステロイド摂取時間が到来したのでサプリメント含め今から7種程の錠剤を身体に入れようと思う。

酒を飲まない夜は果てしなく長い気がする。

 

【初サイクル:7日目】

断酒にも慣れすでにまったく苦にならず、幸いなことに副作用的なものは現状感じられていない。

若干の皮脂異常がある気もするが多少のレベルに過ぎない。

睾丸収縮も未だなし。性欲も落ちることもなし。

唐突にムラムラと来てたまらない!ということは流石にないが、なんなら逆に体内での精子の生成がとめどなく行われてる感もあり、自己処理をした場合の排出量、張りに驚きを感じた。

ホルモンバランスを変えるということを今となってやっと理解しつつある。自らが筋肉を育てる器となっている気がするとは以前から言っていたが、明らかに自己の体内に何か別の生き物を育てている感覚がある。神の一手が器となった身体に加えられている。それを見守っている感覚に近い。

 

【初サイクル:10日目夜】

30mgサイクル3日目の晩

無性に吼えたくなるような、落ち着きのない感覚を理解。精神がゾワゾワ来る。

 

【初サイクル:26日目】

残量が残り30錠(30/120錠)。どのように減薬、断薬、回復サイクルを組むのかを再思案し始める。

計算上ではすでに40mgから30mgに減らしている筈が40mgでも現状副作用の体感がないために40mgサイクルを驀進中。断薬をする事で張りが消えしぼむということにとてつもない恐怖を感じる。ハマる所以を知る。

 

【初サイクル:ケア開始5日目】

ケアサイクルに入り約1週間。

ステ抜きを始めてから半端ではない陰鬱感にさいなまれることとなる。気分が圧倒的に上がらない。これが鬱症状なのかと思い知る。疲労や、ホルモンバランスの急変に起因するものだと思われる。

この状態が続くのであれば、再度サイクルに入ることを強く踏みとどまることとなりそう。あまりにも辛い。

思い切って本日と明日、と久方ぶりの筋トレオフを取る。

身体を鍛えるほどの精神の余力がない。非常につらい。

 

【初サイクル:ケア終了:断薬後1週間】

ケア剤による副作用が目に来た気がする。

明らかなる視力低下が誘発された…。次回からケア剤の種類を変えたい…。最悪~…。

そして睾丸収縮はオンサイクル中はなかった気はしていたが、PCTサイクルが終わった段階で考えると、多少縮んでいたのかもしれない。

ステロイドの何が難しいかって、How to やメソッドが確立されているようで確立されていないところだと思う。

自身の身体に合う方法、合う薬剤を探し続ける必要があるということ。(トレーナーがついている場合は別だが)トライ・アンド・エラーを繰り返さないとイケないこと。そして万一にもエラーが出てしまった場合(自覚してしまった場合)には遅いということ。

慎重に慎重にチキンレースを進めていかなくてはならない。

頑張りたい…

 

【MEMO】

人にはわからない。

自分でやらなくては!

 


 

 ここまでが1サイクル目の備忘録だ。そしてここからが2サイクル目。たしかに様々な弊害を伴ってしまった気はするが確実に身体は大きくなり、周囲からは見違えるほど大きくなったと言われるようになったし、挙上出来るダンベルの重さも飛躍的に伸びた。

 

 

 一度得たものを手放すのは人間誰しも惜しいはずだ。チート行為にハマってしまうのもそれが原因だろう。

 


 

【2サイクル目:初日】

ピエール瀧がコカインで。後藤真希が不倫で話題となった2019年3月13日、ステロイド2ndサイクルを開始した。

鬱症状など副作用状況を見つつ、随時切り替えていくつもりではいる。

初回サイクル時の初日のような感動は無いもののトレ時の張りは、やはり早い。コレだコレ! という感じがややある。懐かしささえ覚える。

フレームが小さいことは生まれ持っての問題なのでどうしようもないのだが、もう少し大きくなりたい。

 

【2サイクル目:2日目】

2ndサイクルということで今から約1ヶ月、前回と同じ様に数時間おきに薬を飲まないといけない。精神的にもいろいろと追い込まれていくだろう。そう思うだけで気だるくなってくる。

そういえばドラッグ類を好まない理由もテレビドラマを好んで見ない理由もそれだ。毎日決まった時間にこれをしないとイケない。見ないといけない。自由を束縛される。摂取したあと、ここから何時間この状態。そういった「状況」に面倒臭さを感じてしまうのだ。現にサイクルが開始された事で薬を飲む時間までは確実に起きていないといけないという束縛が発生している。

ひたすらに面倒くさい。

 

【2サイクル目:5日目】

以前ユーザーの事情を暴露していた、とある女性のツイッターの投稿を思い出す。夜になったらステの副作用でホルモンバランスも無茶苦茶となり精神不安定になった彼から電話が掛かって来て電話口で泣かれる。

まあ、気持ちは分かる。沼に進んで行ってる気がする。というか、そんな気しかしない。話せる相手が必要だと思う。幸いいるのはいるが、あまりに個人的な話すぎるので申し訳なくも思う。困った。

俺にはステロイドは向いていないのかもしれない。やっぱり俺はデカくなれない運命だったのかもしれない。

つらいなー

2、3日様子を見て状況が続くようなら即断薬、PCTに移ろうと思う。はぁ…

 

【2サイクル目:12日目】

性機能の慢性低下ではないが自テスが恐らく下がって来ているのだろう。性機能への神経回路が絶たれているような感覚がある。

どのようにすれば回路がつながるのか、意識出来るのかが不明な状況。

一過性のものと信じ進めていくしかない。

大丈夫か、俺の精神…

 


 

 ここから先は記している内容が何をどのくらいの量を摂取しただとかの話に集約しているので記載は避ける。

 とにかく心身ともにこれほどの急上昇急降下をし続けるのがステロイドなのだと思う。もちろんのこと、もう少し気を付けつつ、セーブをしつつトライすることも出来るのかも知れないが、残念なことに内服薬タイプの、いわゆる経口と呼ばれるステロイドは内臓へのダメージをも加味しつ使用しないといけないので、入れる時にドカっと入れ、抜く時はサッと抜くのが定説となっている。このあたりもエビデンスは自分自身、みたいなところがあるので、あまり信憑性のある内容だと思わず「ふーん…」くらいに流しておいてもらいたい。

 結果として言いたいのは筋トレによって得られたことは何か、失ったものは何か、ということなのだが、まず何を得たのかというと、大して得たものはない。僕はとにかく乱気流に身をまかしてみる、未知のものは自分で経験してみることでしか納得しない人間だということをあらためて強く自認したくらいだ。

 一方、何を失ったのかと言えば、おそらくだが多少の精神の健康は失ったかもしれない。実害が出るレベルではないがチート行為にハマったのだからそれはある種、当然の代償と言えるだろう。

 そして、こんな言い方は決して良くないのだろうが、僕にとってステロイドとは筋トレにハマっている間の最高のおもちゃとなりえるだろうな、ということを今現在は感じている。自分の身体にステロイドという薬物を投与することにより、遺伝子のレベルにまでアクセスをする事が可能になった、つまり、今までよりさらに深いレベルで身体という他者との勝負が可能になったわけで、これはなんというか、まあ控えめに言っても面白い。当然、身体も黙ってはおらず、ホルモンバランスのキーを弄られた腹いせに、僕の精神に攻撃を仕掛けてきた。ようするに、リスクも伴っているわけで、さらに精神がクラッシュしたら最後という不可逆性も備えている。「遊び」としては完璧じゃないか。

 おそらく、こんな筋トレ論は、一般の方には到底受け入れられないだろうと思う。別に僕の筋トレが正しく健康的な在り方だなんて主張するつもりはさらさらない。僕は筋トレで日々を前向きに生きたり、精神的にリフレッシュして快適さを手に入れたりという「結果」には最初からコミットしてないのだ。ただ、遊んでいるだけ。そして、その遊び相手が身体という他者であるというだけだ。

 そして、それは身体改造に関しても一貫した姿勢だ。「ピアスを入れてモテたい」「皮膚に焼印を入れることでエンジョイ・マイライフ」だなんて、考えたこともない。それは僕と身体の「遊び」であって、変容と変容の過程を楽しんでいるに過ぎない。「なんでそんな痛そうなことするの?」「だって楽しいんだもん」、本来、それにて終わる話なのだ。

 ただ、この筋トレ話の悲しい顛末としては、ステロイドを使用してまで身体を大きく、皮膚を伸張させることにハマったというのに、前回の連載で書いた通り、2tトラックに巻き込まれ轢かれてしまい、手首の骨を折ったこと、そして未だに足の痺れも抜けないことも相まって、事故から2ヶ月半ほど経過するがいまだジム復帰には至っていないということである。

 事故以来久々に会う知人にはもれなく言われるのだ。

「亜鶴くん、萎んだな!」

「うわ!ちっちゃなってる!」

 もちろん僕の性格も知っているのだろうから、必ずそのあとに、

「いや、言ってもまだデカイで! 大丈夫やって!」

 と、フォローが入るのだが、うーん……気持ちは嬉しいのだがそういう問題ではないのだ。日に日に伸張をし続ける皮膚に悦びを感じていたというのに、いまや日に日に萎み続ける身体を見てため息をつく毎日。

 人間というのは悲しい生き物なのだと痛感する。得ているときはそれを認識も、理解もすることが出来ないというのに、一度手にしたものが失われるときにだけその変化に鋭敏になるのだから。

 ところで、この身体の肥大への深い欲望は、無限に膨張を続けていく資本の運動とも似ている。これって結局、僕もまた資本主義の豚だということなんだろうか。

 

 

特報:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が、10月に那覇の沖縄県立博物館・美術館で開催。現在、クラウドファンディング募集中。

 

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PROFILE

亜鶴 あず/1991年生まれ。美術家。タトゥーアーティスト。主に、実在しない人物のポートレートを描くことで、他者の存在を承認し、同時に自己の存在へと思慮を巡らせる作品を制作している。また、大阪の心斎橋にて刺青施術スペースを運営。自意識が皮膚を介し表出・顕在化し、内在した身体意識を拡張すること、それを欲望することを「満たされない身体性」と呼び、施術においては電子機器を一切使用しないハンドポークという原始的な手法を用いている。

【Twitter】@azu_OilOnCanvas