ケロッピー前田 『クレイジーカルチャー最前線』 #08 縄文タトゥー復興に大きなインスピレーションを与えた岡本太郎、《太陽の塔》の内部観覧でこみ上げる新たな感動
驚異のカウンターカルチャー=身体改造の最前線を追い続ける男・ケロッピー前田が案内する未来ヴィジョン。現実を凝視し、その向こう側まで覗き込め。未来はあなたの心の中にある。
縄文タトゥーは岡本太郎の霊感によって生まれた
先日の大阪遠征の機会に、やっと《太陽の塔》の内部を体験することができた。正直、万博記念公園を訪ねるたび、ポツリとそそり立つ岡本太郎の傑作《太陽の塔》を見ては、ついついほっこりしてしまう。
来年2020年の東京オリンピックの後には、2025年の大阪万博が待ち構えている。万博開催が迫ってくれば、東京オリンピックと同様に、ネガティブな話題も噴出することになるかもしれない。とはいえ、2度目の大阪万博でも《太陽の塔》は再び来場者たちのアイコンとしてもてはやされることになるだろう。
1970年の大阪万博のために作られた《太陽の塔》は、万博閉幕後には取り壊されるはずだった。しかし、保存を望む声も多く、1975年には永久保存が決定した。さらに、1992年から翌年にかけて、外壁の補修工事がなされ、03年からは試験的に《太陽の塔》の内部公開が始まると大きな反響を得る。16年にやっと内部修復に着工、18年に一般公開にこぎ着けた。同年、2025年の大阪万博が決定し、《太陽の塔》は新たな生命を吹き込まれることとなった。
ところで、私、ケロッピー前田は、タトゥーアーティストの大島托とともに、縄文時代のタトゥーの復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」を推進している。そして、何を隠そう、このプロジェクトを始動するにあたり、大いに励みとなったのが、岡本太郎の存在であった。
「原始と現代を直結させた」ような神像
ここで改めて、岡本太郎と《太陽の塔》、縄文との繋がりについてみてみたい。
1951年、岡本太郎は上野の国立博物館で、縄文土器と初めて出会った。その出来事は、戦後の縄文ブームのきっかけとなった出来事としてよく知られている。翌年、そのときの感動を岡本は「縄文土器論 四次元との対話」として発表している。
ここでまず注目したいのは、岡本太郎は縄文土器との出会いを経て、絵画から立体作品へと創作のフィールドを広げていったことである。もともと彼は画家として絵画作品を主に制作し、パリ時代も、その後、第二次世界大戦勃発で日本に戻ってからも、ピカソを超えると標榜し、前衛的な絵画の領域でのひとつの達成を目指していた。だが、縄文土器との出会ってからは、立体作品にも積極的に挑むようになり、多くのモニュメントや巨大彫刻を手がけてきた。そして、その集大成といえるのが《太陽の塔》なのである。
「私がつくったものは、およそモダーニズムとは違う。気どった西欧的なかっこよさや、その逆の効果を狙った日本調の気分、ともども蹴飛ばして、ぼーんと、原始と現代を直結させたような、ペラボーな神像をぶっ立てた」と、岡本は《太陽の塔》について語っている。
《太陽の塔》は、もともといわゆる“モニュメント”ではなく、大阪万博「EXPO 70’」のテーマ館だった。もっと詳しくいうなら、《太陽の塔》は、その地下に作られた展示スペースと、お祭り広場から30メートルの高さにあった大屋根の空中展示とを結ぶ、上下交通のためのエスカレーターシャフトだった。つまり、テーマ館としての展示の多くは地下展示と空中展示にあり、《太陽の塔》はそれらを結ぶ通路であったのだ。
それでも、塔の内部には《生命の樹》といわれる、アメーバから恐竜、猿人を経て、ホモ・サピエンスに至る進化のプロセスを地上6階分の高さで見せる立体作品があった。当時はエレベーターで下から上っていく構造で、《太陽の塔》の腕が空中展示がある大屋根に繋がっていた。
内部が修復された現在は、この《生命の樹》を含む塔内展示と地下展示のごく一部、《地底の太陽》を配した【いのり】のゾーンの部分的な再現を観ることができる。
ちなみに、地下展示のテーマは「過去:根源の世界」で、〈カオスの道〉から〈雷光の空間〉を経て、それに続く【いのち】のゾーンでは、5億倍に引き伸ばされたDNA、ATP、たんぱく質が浮かぶミステリアスな空間を作られ、【ひと】のゾーンでは、狩猟時代の人類の姿が模型で再現され、洞窟壁画や屈葬の遺跡が〈手の洞窟〉や〈未開の痕跡〉としてインスタレーションされた。そのあとに続く、【いのり】のゾーンには、世界中から集められた仮面、神像、民具など、おおそ1400点あまりが展示されていた。それらの民族資料の多くは、万博跡地に作られた国立民族学博物館に収蔵されている。
一方、空中展示は「未来:進歩の世界」と題され、【宇宙】【人間】【世界】【生活】の各ゾーンに分けての展示が行われた。いまではそれらを再現することは不可能だが、幻となった原爆展示までも準備された。そこでは「破壊」「戦争」「平和」をフォトコラージュで表現しようというアイデアだったが、開幕1年前にお蔵入りとなった。それでも、原爆のイメージは「矛盾の壁」や「転換の壁」に織り込まれていたという。
また、空中展示がある大屋根からはエスカレーターで《母の塔》と呼ばれるプラットフォームを通過して下ることとなった。そして、「調和の広場」での地上展示には、「世界を支える無名の人々」と題した写真展示が行われた。各国のパビリオンが自国を代表するような英雄や芸術家をアピールしていたのに対し、芸術写真や報道写真も退け、世界中から名も無き民衆の生活写真619枚を集めて展示したという。
こうして見てくると、岡本太郎が《太陽の塔》を通じて表現しようとしたものは、その塔の外観的なデザインばかりでなく、その内部や周辺にあった展示すべてを含めたものであることがよくわかる。そして、いま、《太陽の塔》の内部が修復され、一般公開されることによって、そのような《太陽の塔》の役割、先の万博で「岡本太郎がやりたかったこと」について、もっと正しく振り返り、理解できるようになってきている。
翳りなき《太陽の塔》の呪力
岡本太郎が縄文に惹かれたのは、ドメスティックな感性からではなく、むしろ縄文のなかに全人類に共通する生命の息吹やパワーを見出していたからだろう。だからこそ、《太陽の塔》の内部にある《生命の樹》は、縄文あるいはさらなる原始から続く根源的なエネルギーに気づかせてくれるものになっているのだ。
「根源に立ち戻れ! 血のなかにある記憶を呼び起こせ! 原生日本を思い出せ!」
そのようなメッセージが《太陽の塔》には託されていたことだろう。そんな岡本太郎の過剰さと根源的なパワーが、縄文タトゥー復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」という活動を大いに励ましてくれているのだ。
あの広場に立って《太陽の塔》と向き合うとき、それは千年後もしかしたら一万年後もあの地に存在し続けるだろうと感じられる。そして、その内部も観覧するとなおのこと、その芸術のパワーに圧倒されるばかりなのだ。
岡本太郎は生み出した“現代の縄文”としての《太陽の塔》は、いまも強力な呪力を未来に向かって放射し続けているように感じるのだ。
〈INFORMATION〉
縄文タトゥー復興プロジェクト 展覧会
大島托 × ケロッピー前田「縄文族 JOMON TRIBE 2」2019年11月15日 – 12月1日 @阿佐ヶ谷 TAV GALLERY
〈MULTIVERSE〉
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