神本秀爾 『History Hunters ラスタファーライの実践』 #07 父は黒人優越の時代が来るとおっしゃった、まさにそれが“今”なんだ── ラスタを繋ぐ「黒い愛」
文化人類学者・神本秀爾によるジャマイカ・レゲエの旅。ラスタファーライの歴史と実践を追う。ラスタ社会には素朴な黒人中心主義もある。「人種」という概念の虚構性と「黒さの優越」をめぐって。
どうして日本人のあなたがジャマイカのことをやっているの?
当たり前の事実を確認しておきたい。ぼくたちは自分だったり、他人だったりがどこから来たのかということに強い関心がある。それは、人類の起源への興味や、日本人になった人類の歴史、もっとスパンの短いところでは、「ハーフ」とか「クオーター」という言葉が存在するという事実によって裏付けられる。このことを踏まえて、差し当たってのところ、とてもざっくりと表現すると、「(一般的に)歴史の面でも文化の面でもジャマイカ人と日本人」は遠いところに位置している。
2013年、カナダのトロントであった、カリブ海地域やラテン・アメリカをフィールドとしている大学院生を中心とした学会で発表をしたことがある。カナダなので留学生や移民の子孫だというカリブ系の参加者も一定数いてなかなか勉強になったのだが、会も終わって帰り道で一緒になったカナダ出身の白人の若い女子学生に、「どうして(日本人の)あなたがジャマイカのことをやっているの?」と聞かれたのを覚えている。
「好きだから」「興味を持ったから」「感動したから」、あるいはアカデミックな関心を持ちだしたりすることで、様々な答えのバリエーションを準備することはできたけれど、どの答えも、彼女の質問に対する答えとしては噛み合わない気がした。なぜなら、「好きだから」と答えても、「興味を持ったから」と答えても、「感動したから」と答えても、それは、ラスタのことはあなたにとって無関係の世界のことなんじゃないか、と思われるように感じたからだ。もちろん、こういった場合に、絶対的に正しい答えなど存在しない。そもそも、彼女自身もバス停まで一緒に歩く羽目になったので、とりあえず質問をした程度のものだったかもしれないし、たいした答えは期待していなかったことだろう。ただ、そのときぼくは、「たしかに彼らのことは彼らに近い人がやればいいのかも知れない」とも思った。おそらく、これまでに多くの人類学や社会学に限らず、ドキュメンタリー作家やルポライターなんかも感じてきたことなのだろう。
たしかに、なぜ、その対象を選び、どのような目的で(たとえば、誰のために? どのような立場で?)書くのか、ということは大事な問題で、そのあたりの表象(representation)については、分厚い議論が存在している。また、簡単に言い切ってしまうなら、ぼくが研究をはじめた動機としては、日本語を使って、日本のコンテクストを生きている人たちに向けて、彼らのことを論じたいというものが大きかった。これまでに何本かは英文で論文を書いたけれど、その時には、人類学や地域研究をしている、カリブやジャマイカに関心がある英語話者を主な読者に想定するので、そのときは、ぼく自身からは乖離した表現や説明になっているような気がする。この、後者のスタンスでいたときに、ぼくは、「どうして(日本人の)あなたがジャマイカのことをやっているの?」と問いかけられたのだった。
わざわざこんなエピソードを出したのは、ラスタ世界における非黒人のラスタの経験について、少しでも読者のみなさんに想像してもらいやすくするためだ。ラスタ世界には、「白人のキリスト教が黒人を隷属状態に留めてきた」というように、黒VS白を基準にした、「善悪」「正義と不正義」といった二項対立が散りばめられている。このような世界に、白人ラスタやアジア人ラスタ、先住民系のラスタは、どのように向き合っているのだろうか。今回はこのことを考えてみたい。そのためには、厄介な言葉を用いる必要がある。それは、多くの人が問題含みだと知っている、人種という言葉だ。
人種というファンタジーと「黒人らしさ」
人種という言葉は日本では、アメリカの黒人差別の歴史の文脈で、リンカーンやキング牧師といった人たちの名前を知るときに意識されることが一般的なのではないだろうか。先に言っておくと、その時にほとんどの人が考えもしないことがある。それは、そもそも人種なんてものは、人間が作ったカテゴリーに過ぎないということだ。これから先もどんどん人の移動は増えて、ぼくたちは混じり合っていくだろう時代に、どのようにすれば、白人と黒人の境界なんてものを定義し続けることができるのだろうか。同じように〇〇系日本人なんて言い方で、〇〇の部分の説明を増やしていくのにも当然限界がある。
もっとシンプルに言うと、ぼくたちは、いつからが春でいつからが夏か、という点ですら、一致することができない生き物なのだ。要は、世界を言語で分節しつくすのは、不可能だということである。だけど、ラスタに関わる話で重要なのは、人種という言葉はつくられたもの、つまりファンタジーであるにもかかわらず、現代を生きるぼくたちにとって、それなりのリアリティを持つ言葉だということだ。このあたりの人種主義(レイシズム)に関する議論に興味のある人は、日本語で読める興味深い論集もあるので、ぜひ読んで欲しい(たとえば竹沢泰子さんの『人種主義の普遍性を問う-西洋的パラダイムを超えて』『人種の表象と社会的リアリティ』とか)。
本題に入ると、今回のテーマは、どのように黒人とか白人といったリアリティがボボの世界で経験されているのか、ということだ。ぼくが調査をしていた頃、たとえばこのような人たちがいた。各国によって人種や民族の分け方は違うので、ここでも単純化してまとめると、ジャマイカ生まれのジャマイカ黒人、ジャマイカ以外生まれの黒人、ジャマイカ以外のカリブ海地域やアルゼンチン、チリなど南米出身の白人、コスタリカ出身の先住民系の人などである。明らかなアジア系の人間はぼくひとりだった。
それでは、ジャマイカ黒人は全員おなじような系譜をたどってきた人たちなのだろうか? そんなことはない。第3回の話と少し重複するけれど、説明しておきたい。ジャマイカに中国・インドから年季奉公人として人びとが入るようになったのが19世紀半ばなので、上に書いたジャマイカ黒人のカテゴリーの人たちのなかにインド系、中国系の「血」を引いている人はそれなりにいる。つまり、この段階で「黒人としての経験」は人によって違うということが明らかになる。また、出身・居住地域を無視して「黒人」というカテゴリーで考えたとしても、アメリカ黒人とジャマイカ黒人でも、その経験は大きく異なることだろう。つまり、こういった、多様性を踏まえながら、「黒人らしさ」(blackness)という基準で自分たちをまとめようとする試みとして、ラスタファーライは理解する必要がある。別の言い方をすると、ボボで創造された「黒人らしさ」を実践することで、ボボに集う人々は、ボボの文脈で言う「黒人」としてまとまることが可能になっているということだ。
ここまで来ると、非黒人がボボになることも可能だということが分かるだろう。重要なのは、第4回で書いた「神を体現するために、ちゃんと振舞おうとする」ことである。その場合、核心となるのは、ただ、セラシエの神性を認めるだけでなく、なによりもエマニュエルを認め、彼が説いた「黒人らしさ」「アフリカ人らしさ」を実践することである。とは言え、初期のボボでは、そのような信徒の多様化については想定されていなかったようだ。
ここはインディアンの来る場所ではない
ボボで読むことが進められている冊子『黒さの優越』を見ると、信徒は「黒いエチオピアの子供たち」(The black Ethiopia children)[E.A.B.I.C. n.d.:26]、「黒いイスラエル人」(black Israelites)[E.A.B.I.C. n.d.:30]、と呼ばれ、ボボの教えは「黒いキリストによる贖罪」(The black Christ salvation)[E.A.B.I.C. n.d.:26]の教えなどと呼ばれている。ひとことで言うなら、このようなボボの教えにはディアスポラ(離散)黒人中心性と呼べる特徴がある。
ボボにおいて圧倒的にマジョリティであるジャマイカ黒人の信徒の多くは、共にエマニュエルの教えに従うものとして、マイノリティ信徒も仲間として同じ目線で向き合おうとする。そして、エマニュエルの教えに帰依した人間を、黒人カテゴリー、アフリカ人カテゴリーに引き入れることがある。その時には、例えば、「非白人は黒人である」「眼球の色が黒ければ黒人である」「肌の色は違うけれど、同じ黒い心を持っている」などと表現される。
一方で、『黒さの優越』に代表される、教義・教えの次元では、黒人や白人といったカテゴリーは明らかに本質主義的に語られている。例えば、ガーヴェイの「アフリカはアフリカ人のためのもの、ヨーロッパはヨーロッパ人のもの、中国は中国人のもの」といった分離主義的な言葉は、儀礼の場面ではもちろん、日常生活の場面でも頻繁に引用される。このような言葉は、しばしばマイノリティ信徒をどっちつかずの立場においやってしまったり、彼らの排除や蔑視を正当化してしまったりすることがある。そして、現に、少数ながら、面と向かって差別的な発言をするマジョリティ信徒もいる。
たとえば、コスタリカ出身の先住民系の男性信徒マルティネスは、ボボ・シャンティで生活をはじめた初日に、アフリカ系ジャマイカ人の信徒に「ここはインディアンの来る場所ではない」と言われショックを受けたと語っていた。このように、マイノリティ信徒には、しばしば上述のディアスポラ黒人中心主義と向き合わなければならない局面がある。また、ボボは、他のラスタ同様に、アフリカとヨーロッパ、黒人と白人といった二分法を多用する。特にラスタファーライにとって根幹である植民地支配と奴隷制下での具体的な苦難が話題になる際に、黒人信徒と白人信徒のあいだには乗り越え難い溝が出現することがある。以下に、その具体例を示したい。
ディアスポラ黒人中心主義と「黒い愛の教え」
何気なく、マジョリティ信徒たちに出身を問うと、彼らからはアフリカやエチオピア、ガーナ、エチオピアの旧名のアビシニア、ハイレ・セラシエの生まれたハラール等の答えが返ってくることが多い。史実とも適合するガーナをはじめとした西アフリカがあげられることもあるが、彼らには、正確に自分の出身地を伝えようとすることよりも、会議派の教えという神学的な次元に寄せて答えを返そうとする傾向が強い。もちろん、アフリカ帰還という彼らの重要な教義とも関わっている。このような、アフリカとの連続性の主張は、彼らに先行する世代の被抑圧経験を自分たちのものとして特権的に引き受けることを可能にする。
2008年4月に、ムガベ政権下のジンバブエで起きた白人経営農場の強制接収をめぐるニュースをめぐって、筆者と複数の信徒のあいだで交わした会話を紹介したい。最初に確認しておきたいのは、このエピソードの背景となった事件について、ぼくは多少知っていたが、彼らは知らなかったということだ。そのため、ぼくは背景を説明しながら話をしていた。しかし、出来事の背景をなるべく同時代の問題として「客観的」に捉えようとするぼくと、出来事を解釈の源泉として、過去を基点として意味を与えようとする彼らとのあいだの溝は埋まらなかった。
主にぼくと対話をしていたのは、60代のプリーストのクレイグだったが、彼は植民地支配に諸悪の根源を見出すことで、被抑圧者としての黒人の側に立っていた。その場には、ぼくを含めると、クレイグをはじめ、30代のプリーストと50代と20代のプロフェットの5名がいたのだが、クレイグの語りは筆者に対してというよりも、周囲にいる信徒に対する説教のような側面もそなえていたため、他の信徒は「その通り」などと口にしたり、うなずいたりしながら聞いていた。クレイグはこう言った。
お前の言い分はわかった。でもシュウジ(ぼく)は目の前のことしか見えていない。おれたち黒人は、ずっと虐げられてきた。いろんなものを奪われてきた。お前がいうように、ジンバブエの黒人たちは白人の農場を奪ったんだろう。でも、それは元々誰のものだったんだ。おれたち黒人の土地だ。それをいま、黒人が奪い返しているからといって非難するのはあまりに偏った見方じゃないか。父(エマニュエル)は黒人優越の時代が来るとおっしゃった。まさにそれが今なんだ。自由と贖罪のときが近づいているんだ。聖なるエマニュエルを讃えよ(2008年12月4日)
クレイグは、信念にもとづいて出来事を釈義論的に読み解いてみせている。また、おれたち黒人と何度も繰り返すことで、黒人対白人という構図を持ち出し、会ったこともなく、ほとんど知識を持たなかったジンバブエの黒人と自分たちを結びつけていた。こういった境界線の引き方は、マイノリティ信徒を不安にさせる。つまり、マイノリティ信徒は、ここで紹介したような黒人としての経験や連帯意識に共感したとしても、ある場面では部外者、あるいは別の存在として線を引かれるのである。しかし、彼らもまた、エマニュエルを崇拝するひとりとして、ディアスポラ黒人中心主義を相対化したり、あるいは適度な距離を取ったりしながら、新たな解釈を加えている。
チリ人の女性信徒カロリーナは、自分の祖先に植民者がいること、植民地支配は大いなる暴力をともなっていたことを踏まえながらも、人類のエチオピア起源説を持ち出し、もともと自分たちのあいだに差異はないと主張することで、現在の肌の色や国籍の違いについて問うことは不毛だと主張していた。そして、彼女は自分たちも現在の社会システム(ラスタの文脈で言うバビロン)で苦しんでいるところでは、一緒だという点を強調していた。
黒人信徒から差別を受けたという、前述のマルティネスは、コスタリカで白人信徒から学んだという「黒い愛の教え」という言葉をもとに、自分を差別した信徒を批判していた。この「黒い愛の教え」とは、彼によると、普遍的な愛に向かう教えで、色としては無色透明なものだが、アフリカ系ジャマイカ人が発展させたというところに敬意を示しているのだと言う。彼は、自分を差別した信徒に対して、「奴隷根性にとらわれているので、このままでは普遍的な愛には近づくことができない」と非難していた。
このように、ラスタファーライには非常に素朴な黒人中心主義も存在するため、マイノリティ信徒は、何かしらの理論武装をして、自分の「黒さ」やアフリカとの関係を正当化できるようになることが求められる。それは、ボボに限らず、ラスタファーライ一般で用いられる人種やエスニシティにまつわる言葉と距離を取ったり、それらを脱臼させたりすることで達成される。
こうしたマイノリティ信徒の経験は、トロントでのぼくの違和感とゆるやかにつながっている。複雑な物事については、なるべく複雑なまま話すのが正しい。
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