あいちトリエンナーレの8月──次なる展開に向けて|村山悟郎
あいちトリエンナーレ 2019の全ての展示が再開することの意味を確認しておきたい。それは表現の自由を勝ち取るのみに留まらず、「平和の少女像」を日本人の手で立ち上げることであり、この出来事を拠点にして日韓の友好親善を再び深めてゆきたいという日本の市民からの国際的な意志の表明なのである。
あいちトリエンナーレの8月
8月、もう何回目の名古屋入りだろうか。幾度となく訪れ、あいちトリエンナーレ2019の問題について議論し、事態の把握と問題の解決にむけて動いている。私は8月1日にインスタレーションとパフォーマンスを完遂して、短い夏休みをとるつもりだったのだが。
愛知県美術館10F 第4展示室で、私はパフォーマンス/ビデオインスタレーションを展示している。私がようやく展示作業とパフォーマンスから解放されて、ずっと詰めていた愛知県美術館10階フロアから8階へ展覧会を観に降りて行ったのは、8月2日のことだった。「表現の不自由展・その後」の噂はすでに耳に入っていた。とにかく早く観ておかなければと思って駆けつけた8階にはどこか不穏な空気が張りつめていて、著名な美術関係者とも幾人かすれ違った。彼らの表情には「この状況をどう扱うべきか?」と、思案するなかに不安が表れていた。
他の作家の作品なども観て回りたいところだった。しかし、不自由展を観た私はとても他のアーティストの展示を観る気になれず、すぐに10階に戻ってきてしまった。展示辞退を決めた後のイム・ミヌクが、8月12日のフォーラムで同様のことを語っており、それこそが展示閉鎖決断の理由だったと述べていたことに、深く共感する。私自身はその瞬間、それまでの展示準備の苦労もあいまって、ほんの一寸だが、この展覧会を辞めてしまいたいとすら思った(まだ不自由展が中止する前だったと記憶している)。
そこはかとない怒りを私がおぼえたのは、不自由展の展覧会の「内容」についてではない。8階の展覧会導線に不自由展をめぐる状況が非常に悪い情動的影響を与えており、丁寧に編まれたキュレーションの情態的構成を破壊していたからだ。たとえば本や映像の編集、広告のトーンアンドマネジメント、ひいてはプロ野球の打線にすら、情態性(気分や雰囲気)の流れがある。対戦投手にどのような心理的プレッシャーを与えるか考えながら打線を組むように、キュレーターは導線を考えるなかで展示室の展開に情のトーンで流れをつくり鑑賞者を包んでゆく。そうした繊細な情態の変化のなかで感性はよりひらかれ、芸術の鑑賞経験というものはつくられるのだ。私は、不自由展が津田芸術監督の肝入りの企画だと聞いていたので「なるほど、これか」と思いつつ、一方で事実を伝えることを第一義とするジャーナリズムにおいては、そのような情態性への感覚が乏しいのかもしれないという邪推も抱いた。確かにニュース番組などでは著名人の訃報のあとにスポーツニュースが並ぶなど、情態的展開は「事実の報道という目的」によってしばしば分解される。
今年のあいちトリエンナーレは、ジャーナリストでありかつメディアアクティビストでもある津田大介氏が芸術監督をつとめ、日本の現代美術にとって明確に新しい挑戦を打ち立てていた。日本の公立美術館が政治的中立性という原則のもとに、政治的あるいは社会的批判を主題とした芸術を回避してきたという実態を指し示し、そして打ち破ること。芸術には、私たちの生活に浸透しきった常識を転覆させるような鋭い批評精神が、本来ある(また法的にみても、基本的には公的機関で表現の自由と政治的中立性が対立したさいには、自由が優先し、中立性が譲歩するかたちで衡量されるはずだ)。海外の国際美術展において言えば、そのモデルはドイツの「ドクメンタ」に求められるだろう。
私は津田監督の志を今でも支持してはいる。しかし、津田監督のやり方はあまりに急進的で、国際芸術祭という大きな組織にとっては独断専行だったと言わざるをえない部分がある。なぜ「表現の不自由展・その後」は、美術の専門家であるキュレーター不在で展示がつくられたのか。専門家不在のキュレーションに欠陥はなかったのか。芸術監督とキュレーターチームの協力体制や意思決定、ガバナンスに不備はなかったのか。そして、他なる分野から招いた芸術監督と美術の専門家が恊働するにはどのような組織的工夫が必要だったのか。このような問いについて、いま現時点で書き記しておくことには大きな意味がある 。なぜなら、本件は愛知県によって発足された「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が現在ヒアリング中の案件であり、先にあげたような問題について、会期中に出される中間報告のなかで十分な検証が望まれているからである。あらかじめ問題を公に指し示しておくことは必要になるだろう。しっかりとした検証結果は、トリエンナーレの組織を速やかに再生するため、脅迫や卑劣な抗議にきぜんと立ち向かってゆくために必要なことなのだ。本展中止の責任が現場の職員にはないことが明確に示されなければ、彼らの士気が回復することはないだろう。一人の参加作家の実感として言えば、この問題の検証と、トリエンナーレの今後期待される展開は密接に結びついている。津田監督をはじめ、キュレーターチーム、表現の不自由展実行委員会そしてアーティストとそれぞれに真相の解明に尽力するよう期待する。
また、CIMAM(国際美術館会議)もまた本件に関して発表した声明において「展覧会の背景にあるキュレトリアルな前提の考察」を必要とすると示していた。もちろん、本件にはそのほかにも様々な論点が存在する。そのことは理解した上で、本展に参加した美術家の一人として、本欄においてはまず、「表現の不自由展・その後」がキュレーションにおいてどのような不備があったかを形式的に指摘しておきたい。そのうえで、8月18日に「DOMMUNE瀬戸内」で私が津田監督に質問・提案したあいちトリエンナーレ2019のこれからについての考えをまとめておくことにする。予め端的に述べておけば以下のようになる。
『「表現の不自由展・その後」はその実行委員会および同展出品作家の協議によって自律的にキュレーションを再考し、十分に展覧会内容が伝わるよう考慮するべきである。あいちトリエンナーレ実行委員会および事務局は、電話抗議の具体的な対策を講じて、職員および観客の安全性の確保を実現し、全ての展示を再開するべきである。参加アーティストである私はそのために尽力する。』
改めて断っておきたいのだが、私は美術の専門家としてあいちトリエンナーレに出展参加しているのであって、その本懐に基づいてあくまで展覧会ベースで議論をしたいと考えている。ただ同時に、はっきりと言明しておかなければならないのは、いかなる民族的ヘイトにたいしても私は反対の立場であるということだ。寄せられた抗議のタイプについては、テロ予告などの犯罪、極右勢力からの抗議、一般市民からの苦情の3つに分類できると認識しているが、その詳細な分布や内容の分析はいまのところ検証委員会に委ねる他ない。ここではまず本展覧会における芸術監督とキュレーターチームの関係を整理するところから始めたいと思う。
選手兼監督のガバナンス
津田大介芸術監督は、いわば選手兼監督だった。北海道新聞の取材にも答えているように、当初は芸術監督が設定したテーマに応じて美術の専門家であるキュレーターチームが作家を選定するという図式であったが、決定権を芸術監督が握るかたちに途中から方針転換した。加えて、キュレーターからの提案を決済するだけでなく、自らも作家の選定を行う。このような意志決定の組織のなかで「表現の不自由展・その後」は津田監督の肝入りで進められたということを押さえておく必要がある。不自由展は、言うなれば「代打、俺」だったのだ。雑な言い方かもしれないが、選手(アーティスト)からすると「監督がトップバッターから代打で打席に立って、いきなり乱闘をはじめた」、そんな印象でもある。ちなみに選手兼監督というスタイルは、管理職と労働者が混同されるなどの理路からして、野球界では成功例は少ない。ではアートにおいてはどうか。テーマを先鋭化させて実現してゆくうえでは、少なからず権力の集中が必要な場合もあるかもしれない。いずれにせよ、これらの意思決定のプロセスやガバナンスについては、今後、検証委員会のヒアリングで実態が示されると思われる。
名古屋を本拠におく中日ドラゴンズで輝かしい戦績を残した落合博満元監督は、投手は自分の専門ではないとして、その采配をすべて森繁和ピッチングコーチに一任していた。しかし案外、特定のセクションを専門家に任せるということもまた簡単ではないだろう。まして、他なる領域から招かれた芸術監督が、美術の専門家であるキュレーターとの恊働のなかでいかにコミュニケーションを深化させてゆくか、この点が状況に応じて工夫されなければならない。考え方、思惑、キャリア、プライド、モチベーション、それに加えて国際性。複雑なメンバーをファシリテートしながら展覧会をつくってゆく過程は、スリリングだが難題である。これは、今回のあいちトリエンナーレだけの課題ではなく(次回のヨコハマトリエンナーレでは初の海外招聘芸術監督、インドのアーティスト集団「Raqs Media Collective」が務める)、今後の反省材料として引き継がれなければならない。
表現の不自由展とキュレーション
「表現の不自由展・その後」には、専門のキュレーターが不在だった。ジャーナリストと美術評論家によって選定された作品群は、出展拒否事例の社会的意義という観点で吟味されたものであったが、企画に相応しい展示空間、作品形式にあった配置構成を練り上げて、鑑賞者にその意図や内容および時代背景を伝えるという観点では不十分だったと言わざるをえない。
本来的には、表現の不自由展という企画の枠組み(展示拒否にあった作品を、その事例の資料と共に展示する)は、日本の学芸員が総出で取り組んでも良いほどに意義深いテーマだ。逆に言えば、総出で取り組まねば達成できないほどに困難なものでもあるだろう。個別の展示拒否案件について、綿密な調査を行い、時代背景や規制主体の構成など重厚な資料に織り上げる。また作品の性質によっては、作品内容に誤解が生じないよう配慮し、過剰な表現についてはゾーニングを設けるなど作品を観ない選択ができるような会場構成を検討する。作品をめぐった歴史的背景や政治的立場を解説し、また鑑賞者の信仰を毀損しないよう十分に配慮した展示、および教育プログラムと組み合わせなければならないだろう。本展のように、炎上したら中止するという姑息な準備のために、小さな展示室に作品を押し込めていいような内容ではなかった。国際展ということを鑑みれば、海外の検閲案件を取り上げても良かっただろう。いっそのこと、8階の展示室すべてをそれに充てるという大胆な試みを実行しても良かった企画だと私は思う。ただ、それは表現の不自由展の企画の枠組みを最大限に敷衍したものではあるが。
本来の表現の不自由展を理解する上で重要なポイントは、本展が展開されてゆくきっかけには2012年の安世鴻氏のニコンサロン展示中止事件があるということだ。今回のような小さな展示室においては、まずその原点を再考することがキュレーションにおいても核になっただろう。表現の不自由展のミッションは、別に党派運動ではないはずだ。国内に偏在する差別と、その表現への抑圧の問題を提起することにこそ本源があった。これは公益性の高い主題であって、美術館で開催される価値も十分あるものだ。日韓関係と差別という問題にはっきりと焦点をあてても良かったのではないだろうか。あり得た別の可能性として一考に値すると思う。しかし、一方で差別の問題は、表現が抑圧されるレベルが重層化しており、表現に至るまでに掻き消されてしまうほどに小さな声もまた存在している。それらをしっかりと掬いとることができるのかという、非常に繊細な問題も孕んでいる。
さて実際の展示はといえば、あの小さな空間に17作品も詰め込んだのも驚きだったが、作品の形式上とくにそぐわなかったのは大浦信行《遠近を抱えてPartII》(2019)と白川昌生《群馬県朝鮮人強制連行追悼碑》(2015)の二点だったと思われる。大浦氏の新作映像作品は「天皇の肖像を燃やした」といった大きな誤解を生み出してしまった。これについては、天皇制を批判する意図はなかったと、作者自身が釈明している。むしろ天皇に深く自らを同一化してゆくなかで生じる心の葛藤を描いたものであったと、私は当作の意図を解釈している。つまり本作はいわゆる日本人ヘイトにはあたらない。この誤解の主たる原因は、展示室導入の細い通路にかけられたモニターディスプレイによる映像展示であり、20分全編を鑑賞しようとすると鑑賞者が導線を塞いでしまうことにあった。当然、映像の一部を切り取って観れば、誤解が生じる恐れがあり、これに配慮しなかったことは展示側の重大な責任である。毎日多くの観客が訪れるトリエンナーレの状況について熟知したキュレーターであれば、このような展示構成はあり得なかっただろう。本展を攻撃したい勢力に積極的誤読を許すかたちになってしまったことは残念でならない。また天皇に親しみや一種の信仰心を抱く市民の大きな疑念には、真摯に向き合ってゆかねばならないだろう。加えて、本作は企画の枠組みを大きく逸脱する新作の発表であり(作家の欲望としては理解できなくもないが)、この点は併せて検討されねばなるまい。検閲という歴史的かつセンシティブな事例収集と、現存作家の現在の意向とを調停することが、ときに困難であることが示されている。
白川氏の作品配置は、その巨大なサイズと小さな展示空間が合っていないだけでなく、県立公園「群馬の森」の記念碑をかたどった公共空間の特性—対称性や開放性がスポイルされてしまっている。作品構造に対して、キュレーションが耳を澄ますような感性があればこのようなことにはならないだろう。あの展示方法では、はっきり言って白川氏が気の毒である。
キュレーションによる作品選定は、いわば新たな星座を紡ぐようなものだ。星と星との間に関係性をつくりだし、星座という上位の意味を構成する。もし本展のキュレーションの意図が、大浦作品への誤解と「平和の少女像」等とを結びつけて、日本の戦中の罪状を暗示しようというものだったとしたら、これは少なくとも大浦作品への重大な背信であり、看過できるものではない(ただし、戦中の罪状を暴くような表現自体は可能だ)。そのような意図が全く存在しないのだとしたら、「表現の不自由展・その後」の実行委員会は出展作家と協議し、大浦作品の誤解が生じないような展示方法へと自律的に改善するべきである。また、本来の作品選定の意図を、明確にステートメントとして展示の導入に示すべきだろう。
アーティストの知る権利——自作がどのようなコンテクストに置かれるか
あいちトリエンナーレ2019のなかで私が作家として感じた由々しき問題 は、アーティストの知る権利についてである。アーティストは、芸術監督やキュレーターに権限を委譲し、全体の構成を委ねている。それは信頼関係と、自作がどのようなコンテクストに置かれるかを事前に知る権利が守られることによって担保されると考える。展示のオファーの前段で、自作の置かれるコンテクストを明確に説明できないキュレーターは信頼できないだろう。初めは調子のいいことを言って、後から話が二転三転して振り回されるようでは困る。また、表現の不自由展・その後における大浦信行の新作のように、作者の意図を超えた誤解が不本意な意味を構成することは避けねばならない。ここで改めて確認しておくが、アーティストは自作がその展覧会においてどのようなコンテクストに置かれるかを事前に知る権利があり、企画者には知らせる義務あるということである。
この権利に関しての問題が、津田芸術監督とトリエンナーレ出品作家、および表現の不自由展実行委員会と同出展作家の間で、それぞれ発生していた。なぜか。おそらくそれはジャーナリズムの考え方が影響していると思われる。たとえば報道の自由とプライバシーの関係を考えてみれば良い。報道では、市民の知る権利や公益性と事件当事者のプライバシーを比較衡量して判断する。当然ながらプライオリティは報道の自由の方に置かれるだろう。さらに言えば、取材対象に意見誘導を行わないよう不要な情報は提供しない対応をとるのではないだろうか。ジャーナリストがキュレーターとしてアーティストに関わる際の問題は、こうした職業規範の齟齬によってもたらされていた可能性がある。
そんな中、本展において津田芸術監督の最大の瑕疵だと思われるのは、不自由展の展示中止を事前に想定するなかで、トリエンナーレに出展している二名の韓国人作家イム・ミヌクとパク・チャンキョンへの影響を考慮していたのか、という点である。もし中止になれば「平和の少女像」との関係で国際問題へと至る蓋然性が極めて高い。ゆれる日韓の間で、韓国人作家が展示を続けることは立場上、非常に厳しいものになる。韓国の作家たちに事前に企画主旨を説明し、中止のリスクも含めて理解を求めていたのだろうか。そして当然ながら、それは他の作家にも及ぶ問題でもあった。つまり、国際展ではとくに、各作家に予定している企画の政治的、宗教的リスクを事前に知らせておく配慮があって然るべきなのである。これは日本の美術全体の信用喪失にかかわる重大な問題である。
あいちトリエンナーレの次なる展開に賭けて
イム・ミヌクとパク・チャンキョンが展示辞退したあと、タニア・ブルゲラをはじめとする中南米系の出品作家達は、今回の検閲に抗議し「表現の不自由展 その後」の再開が実現するまで、テンポラリーに展示を中止および改変を行うと表明した。その決断がなされるさい、タニアは日本のアーティストと数時間に及ぶ話し合いを二度もって、日本の状況を理解するよう努め、自分の考え方を共有しようと丁寧に向き合ってくれた。8月10日、今回の事態を受けて日本人アーティスト有志で集まった小さなミーティングにタニアは大阪から駆けつけ、12日のパブリックフォーラムを実現するために私を含む日本の若いアーティストたちを導いたのだ。彼女はキューバ出身でメキシコを拠点にするアーティストであり、これまでも多くの検閲を受けた経験から、これを容認することは出来ないと語った。彼女にとって検閲とは、作品内容にかかる中止すべてがこれにあたるという認識であり、また安全性を盾にした行政の中止の判断は検閲の常套手段である、とも語った。かつて、国際展で自らが検閲の憂き目にあったとき、周囲のアーティストがボイコットによる抗議の声をあげ彼女を助けてくれたこともあったそうだ。そうした立場から、今回の件で困難な政治的立場におかれた韓国人アーティストであるイム・ミヌクが、自分のとなりの展示室でクローズをしていることを無視できない、それはあまりに辛いことだと、目に涙を滲ませて苦しみを訴えたのだった。
私たち日本人アーティストは日本の現状や、安全性の問題、現場職員の疲弊などを出来るだけ真摯に説明し、そのことについては彼女も理解している。だから、不自由展の再開を条件に、ボイコットを解除するというテンポラリーな中止に留めたのだった。
私は、タニアの強い意志を受けて、18日のDOMMUNE瀬戸内に臨んだ。あいちトリエンナーレ全ての展示の再開を目指すこと、展示中止によって分断されたトリエンナーレに関わる人々をもう一度つなぎ直すこと、そしてそのためには津田芸術監督の責任を厳しく追及しなければならないこと。20日には大村秀章愛知県知事から「あいち宣言」の提案がなされた。25日には、加藤翼と毒山凡太郎によるアーティストランスペース「サナトリウム」が円頓寺商店街に始動し、全ての展示の再開を市民に理解してもらうための多元的な活動を行ってゆく用意が整った。今後も、様々なアーティストのアクションが起きてくることが予想される。ぜひ見守り、参加し、ともに考えて頂きたい。
日本における現代美術の表現の自由 の正統性が失われかけたこの状況を放置しては、今後30〜40年あるいはそれ以上に大きな禍根を残す可能性がある。非常に憂慮すべき事態だが、もしこの難局を乗り越えることができれば、日本の現代美術は新しいステージに進むことができるかもしれない。私は、立場を超えて連帯を促し、解決の道を探るよう尽力したいと考えている。
元来、私は芸術の政治的な表現については慎重な立場だ。その理由は、私が美術の修練をスタートさせてから間もない頃にまで遡る。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロがおきたあと、ドイツ電子音楽のパイオニアであるシュトックハウゼンは、ニューヨークに現れた悪魔ルシファー(堕天使)という文脈でこう語った。「あれは芸術における最大の作品です。私はルシファーのおこなう戦争と破壊の芸術の、身の毛もよだつような効果に驚いています」。当時、コンサートを前にしてひらかれた記者会見における質疑応答の言葉は、マスコミによって文脈を操作され、世界中にスキャンダラスに報じられた。私は、このときから芸術の悪魔的な破壊と暴力の側面、あるいは破壊と暴力とが芸術と結びつくことの危険性について考えつづけるようになった。世界の戦後美術の歩みに目を向けても、ナチスをはじめとした暴力と芸術の結びつきが問題となっており、それにたいする深い反省から今日に至っている。あいちトリエンナーレ2019の一つのモデルとなった「ドクメンタ」もまた、第1回(1955)はナチスによって「退廃芸術」と弾圧されてきた芸術家たちを取り上げた展覧会だったのである。芸術が政治的でありうる可能性は、重い倫理的な枷をつけながらも、自らの社会や歴史を顧みるためにならばひらかれるだろう。表現の自由もまた、表現者の内心にある真なる倫理観によって裏付けられる。私はそう考える。キム・ソギョン、キム・ウンギョン氏夫妻の「平和の少女像」が真に説得力を持つのは、「ベトナムピエタ」を観ればわかるように彼らが自国のベトナム戦争時の責任をも引き受けて、平和を希求しているからだ。
最後に、あいちトリエンナーレ 2019の全ての展示が再開することの意味を確認しておきたい。
それは表現の自由を勝ち取るのみに留まらず、「平和の少女像」を日本人の手で立ち上げることであり、この出来事を拠点にして日韓の友好親善を再び深めてゆきたいという日本の市民からの国際的な意志の表明なのである。
村山悟郎
https://aichitriennale.jp/artist/murayama-goro.html
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