logoimage
HAGAZINE

石丸元章 『危ない平成史』 #04「反・資本主義・リアリズム」── 左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な三角関係・前編|GUEST|花咲政之輔 from 太陽肛門スパパーン

GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“イデオロギーとカルチャー”。ゲストは今年結成30年を迎えたバンド「太陽肛門スパパーン」のバンマスにして、ノンセクト左翼活動家である花咲政之輔。前後編の前編。


 

平成前期のアンダーグラウンドに異形の花を咲かせたバッドテイスト・カルチャー。その立役者のひとりであるGONZO作家・石丸元章が、毎回、ひと癖もふた癖もある客人を招いて、過ぎ去りし平成の「危ない歴史」を振り返る当シリーズ。

今回のテーマは、米ソ冷戦体制が崩壊し、フランシス・フクヤマがいうところの「歴史の終わり」と共に始まった平成という時代において、イデオロギーとカルチャーがいかに関係し、またいかに距離を取ってきたか──について。ゲストは今年結成30年を迎えた音楽集団「太陽肛門スパパーン」のバンマスにして、ノンセクト左翼活動家である花咲政之輔氏だ。

シリーズにおいては異例だが、以下に本記事をお読みいただく上での捕捉として、編者よりいくつかの視点を提供してみたいと思う。やや長文であり、また対談内容を先取りしてしまうものになるため、ひとまずは読み飛ばしてもらっていい。ただし、対談の前後編を読み終えたら、再びここに戻ってきて目を通して欲しいと思う。そうすることで、この記事に仕込まれた「毒性」が、あなたの血中においてより薬効を奏することになるはずだから。

さて、今回の対談テーマは「イデオロギーとカルチャー」である。一見して、なんだか古臭いテーマだ、と感じた方もいるのではないだろうか。実際、「現代はイデオロギーの時代ではない、我々には資本主義以外の選択肢は残されてないのだから」といった言説は、令和を迎えた今日、もはや語られるまでもなくなってきている。それはすでに「言うまでもない自明なこと」であり、そんな当たり前のことを語ることに時間を費やすくらいなら、この資本主義社会でいかに人々が幸せに生きれるかということにこそ最大限のコストを割くべきである──というわけだ。

しかし、実を言うと、こうした言説もまた、すでに古臭いものになっている。90年代以降、一方ではこれらポストイデオロギー系の言説が虚妄に過ぎないという批判が、多くの思想家、批評家、活動家から提出されてきた。代表的なところとしては、思想家のスラヴォイ・ジジェクによる批判だろう。ジジェクは、僕たちが資本主義以外の選択肢は残されていないと考えているまさにその時、僕たちは「かつてないほどイデオロギーに組み入れられている」と論じ、ポストイデオロギー時代のイデオロギーを巧みな逆説によって暴き出している。

あるいは近年においてなら、批評家のマーク・フィッシャーの名が挙がるかもしれない。フィッシャーはジジェクの議論を引き継ぐ形で、ポストイデオロギー的に人々を生きさせ、現状の外へと向かう力を抑圧する働きを「資本主義リアリズム」という言葉で表している。同名の著書『資本主義リアリズム』において、フィッシャーはその資本主義リアリズムのあまりに高い包摂性に絶望しながらも、そこから逃れるための隘路を丹念に探り、ヨーロッパにおいて熱狂的な支持を集めた。

このようにポストイデオロギーという時代認識を巡っては、十分と言っていいほど多くの有効な批判がすでに寄せられている。しかし、ここで僕が、わざわざリード文の枠組みを逸脱してまで言っておきたかったことは、そうした批判が存在するという事実についてではない。あるいは同じことかもしれないが、ここでより強調しておきたいのは、“2019年を生きる僕たちは、現代がイデオロギーの時代ではないという時代考察そのものが虚妄に過ぎないということを、すでに、よく、知っている”という事実の方だ。

ややこしい話かもしれないが、本記事を読む上で、これは欠かして欲しくない視点である。なぜかと言うと、それにも関わらず、つまり、僕たちは資本主義リアリズムのトラップについてをすでに熟知しているにも関わらず、いまだ左翼だ右翼だというイデオロギーの話になると「(笑)」を付けずにはいられないからだ。「打倒資本主義」という希望を乗せた紋切型に、コミカルな響きを伴わせずにはいられないからだ。

もちろん、僕たちはそうした態度が「シニシズム」と呼ばれ、これまで数多く批判されてきたことも知っているし、なんならその批判に共感だってしている。その上でなおも恥ずかしそうに笑っているのである。それはどこか、性器の隠蔽がローカルな信仰であることを「知って」以降も、性器の露出に恥じらいを感じなくなるわけではないということと似ている。つまり、問題の根は想像以上に深い。

いや、主語を「僕たち」にすべきじゃないだろう。現代においても真摯にイデオロギッシュである人たちはたしかに存在しているのだから。これはあくまでも、80年代に生まれ、平成のサブカルチャーの薫陶を受けて育った編者である僕の話だ。僕はイデオロギーを恥じるべきではないことを知りながらもこれまで恥じてきたし、今だってどこか恥じている。あるいはこう言ってよければ、僕は「大きな物語」を恥じている。

ジジェクらと同様に花咲氏もまた、こうした不幸な状況を、活動家として、音楽家として批判してきた一人である。花咲氏いわく、とりわけ日本においてはこの病の根が深く、その背景にはかつて左翼のスターであった大思想家・吉本隆明の「転向」や、オウム真理教の地下鉄サリン事件、そして平成のサブカルチャーの功罪があるという。すでに対談本文をお読み頂いたなら、石丸氏、花咲氏の言葉から、何か新しい知見を得られたのではないだろうか。しかし、ただ「知る」だけでは不十分であるということは、すでに書いた通りだ。

そこで是非とも一度、一切の屈託を捨てて、自分の胸に手を当ててみて欲しい。あなたはどんなイデオロギーを生きていますか?  あなたはあなたの「大きな物語」について、語ることができますか?

 


 

太陽肛門スパパーンと人間

 

石丸 花咲さんは結成30年になる太陽肛門スパパーンというバンドを率いるカルチャー人でありながら、ゴリゴリの左翼でもある。何年のお生まれです?

花咲 僕は67年生まれですね。

石丸 自分は65年だから、同世代。でも、歩んできた道はまったく違う。花咲さんは、そもそも顔からして本格左翼のツラがまえ。ネット時代の左翼にはいない風貌です。自分はと言えば80年代に雑誌『宝島』に出会い、それ以来、サブカルチャーの世界で生きてきた、まだ「サブカルチャー」という言葉もなかった時代からのサブカルノンポリティカルの権化です。

花咲 僕は高校時代にオルグされてますからね。正統派左翼ですよ(笑)

石丸 正統派本格左翼! なんという言葉の響きだ。自分の上の世代には、左翼はまだいっぱいいたんですよ。でも、われわれの時代は、学生運動はもはや完全にマイナーでしたから。今日はあらためて、本格左翼の花咲さんと「平成におけるイデオロギーとカルチャー」についてを語ってみたいんです。平成以降、イデオロギーの時代ではなくなった── と言われますが、とはいえ、音楽、映画、アートなど、なんだかんだカルチャーの世界はいまだに左派が主流です。しかし、花咲さんは、今のそうしたカルチャー左派に対して、強く問題意識を感じてらっしゃるそうで。

花咲 ええ。結局、今の日本で目立っているカルチャー左派はただのリベラルでしかないですから。そして、リベラルがことさらに主張しているのが個の自由と平等ですよ。ただ、個の自由や平等というのは、そもそも極めてブルジョワ的な考えなんです。そして、そこでいう個の自由というのは、消費者としての選択の自由でしかなく、平等というのは市場における平等でしかない。それは結局、個の分断とネオリベラリズムに帰結していくんです。言ってしまえば、そんなものは所詮、「とりあえずビール」に対して「僕はウーロンハイ」というような自由でしかない。まあ、いきなり結論めいたことを言えば、平成という時代は、カルチャー左派がそうした「僕はウーロンハイ」的なノリに矮小化された30年だったんです。

石丸 非常に面白い考察です。そこを掘り下げる前に、まずは平成前夜について、花咲さん個人の左翼としての歩みと絡めながら話をお聞きしたい。おそらく、平成の左翼カルチャーを用意したのは昭和という時代なわけですから。

 

 

三里塚と宝島、中核派と清志郎

石丸 そもそも、花咲さんはどういう形でオルグされたんです?

花咲 僕は埼玉県で生まれたんですが、高校は熊谷高校という学校に通っていたんです。その時に、当時の大宮の戦旗荒派(※)の方が署名活動をしていて、そこに引っかかってオルグされた感じですね。あの頃、80年代の前半はやはり主要課題として三里塚(※)が目に見える形としてあったし、光州事件など死を賭けた韓国学生の軍事独裁政権への闘いにも魂を揺さぶられるものがありました。

※戦旗荒派…1969年、共産主義者同盟から、前段階武装蜂起論による武装蜂起を主張する塩見孝也らの赤軍派が分裂した。その主張に反対した荒岱介らが形成したのが「戦旗派」。

※三里塚闘争…千葉県成田市の三里塚及びその近辺で継続している、新東京国際空港の建設または存続に反対する闘争。

それに熊谷高校にはまだいい意味でバンカラな気風が残っていたので、学内闘争も結構盛り上がったりしたので……。日の丸君が代強制化に対する運動とかですね。また高校の伝統行事で校庭に水を撒いて裸で泥だらけになって走り回るってのがあったんですが、それを体育教師がつぶそうとして、それに反対する実力闘争も一定の高揚をみました。スカした県南の高校と違ってノリがよかったのはGOODでしたね。

石丸 ああ、そうか、三里塚の時代でしたね! 自分は7歳から千葉大付属の小学校に通っていたんで、学生運動をやってる学生の姿を、小学生の頃によく大学のキャンパス内で見かけていました。小学1、2年生くらいの頃に、千葉大の学生への内ゲバによる襲撃事件とかがあって、集団下校になった覚えがある。小学生だったから三里塚ってなんのことなんだかまるで分かってなかったんですが、ヘルメットをかぶってデモをやっている大学生の姿は見ていた。

花咲 なるほど。まあ僕も高校の時に初めて参加したわけで、それまでは左翼でもなんでもなかったんです。興味半分、それこそ小田実の「何でも見てやろう」じゃないけどそういう気分でデモについてったりしただけで。最初に行ったデモは日比谷野音からスタートするやつで、それは明確に覚えています。

ただ、僕はその時、あんな激しいジグザグデモをヘルメットかぶって機動隊とバンバン対峙してやるものと知らなくて、物見遊山気分で下駄はいていったら、革靴でもう裸足をふんずけられまくって、ありゃぁーこれはもう日和ってやめよーって思ったんですね。

ところがそのとき一緒に行った熊谷高校の三人のうちの一人が、夏休み終わってみたら完全にオルグされて活動家になってた。その友人に情熱的にオルグされる形で僕も運動の道に入りました。

石丸 同時代に生きていても見ていた景色はまるで違うんだなあ。自分は千葉市に住んでいたけど、近所の県道を通る三里塚デモ行進とか、どっかお祭りごとというか、スゴイな~!と、自転車に乗って見物にいってたんです。ジグザグデモも懐かしい。機動隊がわーっと来てヘルメットの一群ともみ合いになってね。独特の迫力があった。あの中に花咲さんがいたのかもしれない。

花咲 実際、千葉にはよく行ってましたよ。援農したりね。泊まり込んで農民の手伝いをしたり、とか。

石丸 成田のですね。当時の千葉大のキャンパスの中は、左翼の立て看板が林立してて、自分は「それが大学というものだ」と思っていたけど、あの頃はまだ左翼が熱い季節だったんですよね。今はもう三里塚に関しては一区切りついてるんでしょうか? 『週刊三里塚』という機関誌なんかは今も出てまよね。ネットでも読める。

花咲 まだ反対している農民の方もいらっしゃるので、区切りなどはついていないですね。政府の謝罪などでは決して済まない問題なので、原則的にはやはり廃港にするのが正しいと思っています。

石丸 それでこそ本格左翼。ところで、あの管制塔占拠事件(※)が起きたのは――

花咲 あれは78年の3月26日です。開港の直前でしたが、あの事件によって開港は遅れたんです。子供ながらにすごい衝撃でしたよ。そんなことが可能だったのか、と。高校時代に僕が署名からオルグされたというのも、あの事件を見ていたからというのもある。

※管制塔占拠事件…三里塚芝山連合空港反対同盟を支援する極左集団が、開港間近の新東京国際空港に乱入して管制塔の機器等の破壊活動を行った事件。これにより空港の開港が約二ヶ月遅れた。

石丸 日本のテロ史上に残る事件ですからね。あれはショッキングだった。

花咲 一つの希望にはなりましたよね。まあ、そういう流れがあって高校時代にオルグされたわけだけど、当時、蕨ブントには埼玉県の高校生がいっぱいいたんです。いろんな学校から若い子たちが来てた。ただ、サンパチ分裂(※)以降、僕ら高校生を対象に中核派が逆オルグをかけてきて、ようは「そんなとこやめて、こっちこいよ」というわけなんだけど、実際、それで僕らも一度、中核派に入ったんです。

※サンパチ分裂…三里塚反対同盟内の組織分裂。1983年3月8日に北原鉱治事務局長を中心とする「北原派」と熱田一行動隊長を代表とする「熱田派」とに分裂した。

石丸 やはり中核派はかっこよかったですか。

花咲 まあ、高校生の目には中核派の方が本気に見えましたよね。

石丸 なんてったって暴力革命ですからね。

花咲 そうそう、気合が入ってるなあ、と。

石丸 一方、自分はといえば千葉大付属の中学を出た後に、東京の巣鴨高校へ入るわけです。もうそこは学生運動の雰囲気はゼロ。全員が受験戦争の最前線にいて、一方で自分は『宝島』を知り、カウンターカルチャー(=サブカルチャー)と出会った。音楽的に言えば、忌野清志郎と出会ったわけです。もう、ここでかなり人生が分岐してますよね。かたや中核派、かたや清志郎なんですから。

 

『宝島』(1981年11月号)

 

花咲 ガモ高なんですね(笑)、今はガモ高と言えばヒップホップの名門感がある。ライムスターの二人もガモ高だし、太陽肛門工房シネシネ団のメンバーである映画監督の楫野裕が仲のいいBLYYというラッパーもやっぱりガモ高ですから。

石丸 KAMINARI-KAZOKUのDJ PATも巣鴨ですね。

花咲 まあ、僕は中核派に行ったわけだけど、とはいえ、活動としてはゆるいものでしたよ。当時、中核派の高校生担当の人はすでに一線を引いたおじさんだったんですが、法政大学なんかで全国の高校生を呼んで茶話会とかをやってましたね。

ただその後、やはり僕は文化色が強いというか、一方でバンドをやったりしてたので、京大西部講堂とか若松映画とかの影響で中核より赤/黒ヘルカルチャーみたいのに憧れがあって、高校時代に皆でオルグの人に「やめさせてください!」っていってやめたんです。

早稲田にノンセクト団体があるのもわかったので、ノンセクトでやってったら文化的なものとうまく接合できるかな、という頭もあって。

石丸 なるほど、そこからはノンセクトでやってこられた、と。実は自分は大学が法政なんです。法政は最後の学生運動の牙城だったんだけど、自分には全然そういう思いはなくて、高校時代なんかは法政って言えばスターリンのライブ会場ってイメージだったし。入学して以降も、学生運動にはまったく興味が湧きませんでしたね。あくまでパンクライブとかをやるサブカルチャーな大学というイメージです。

花咲 法政の学館大ホールはパンクの聖地でしたからね。

石丸 でもパンクって左翼的なんですけどね。スターリンですから。ただ当時から自分は、イギリスのパンクと日本のパンクは違うなと感じてた。セックスピストルズとスターリンでは思想性が違うんじゃないか、と。花咲さんはパンクはどうでした?

 

『STALINISM NAKED』

 

花咲 高校時代にはスターリンとか聞いてましたよ。実際にパンクバンドもやってましたし。

石丸 当時は日本のパンクの勃興期。ピストルズが78年に登場し、80年代に日本にそれが入ってきた。

花咲 埼玉県だと亜無亜危異(アナーキー)っていうバンドがいて、僕が中学くらいの頃にメジャーデビューをしていたんです。彼らは和光市の出身なんで。そういう意味で、パンクのプレゼンスは高かった。亜無亜危異がクラッシュのカバーで反天皇の歌を歌ったりしていて、それが検閲に引っかかって、みたいな話もあり、僕としても共鳴していたところはあります。そういう意味では左翼とパンクは親和性が高い。

石丸 亜無亜危異は国鉄服を着てライブをやってたんだけど、千葉はまた千葉同労(国鉄千葉動力車亮同組合)が強くて、ストとかで1週間電車を動かさなくて学校が休みになっちゃって。小学校時代は学校が休みになるからって理由でストを応援してました。

 

『アナーキー』

 

花咲 国鉄服、着てましたね。ただ、当時、平成に入る以前から音楽というカルチャーにおいては左翼的なものが少ないな、とは感じてました。映画界にはそれこそ若松孝二がいたり、大島渚がいたり、というのが見えやすい形であり、また演劇界にも反天皇制劇団「風の旅団」があったりと、より直接的に左翼表現をしていたんです。ただ、音楽というのはどうしても弱いというか、すぐにコマーシャルな感じになってしまうな、と。そこは不満でしたね。

 

内田裕也とはっぴぃえんど

石丸 その点、フォークはどうなんです?

花咲 そうそう、左翼といえばむしろフォークだった。うたごえ運動から始まり大阪労音への流れ。元々はアメリカのウディ・ガスリーとかで、当時は労働組合運動との連携も強くあったという点にも感動してましたね。

石丸 ピート・シーガーの「We Shall Overcome」とか、プロテストソングの流れがあるわけですよね。

花咲 そうなんです。だからフォークは聞いてました。ただ一方、ロックの方になると、商業主義が強くなる、というか、どこかぬるい感じがありましたね。

石丸 日本のロックはミッキー・カーチスさんはじめ進駐軍発ですから。現実に「NO」と腕を突き上げるところから始まってないんですよね。内田裕也さんとかにしても。

花咲 そうそう。ただ、裕也さんは僕は尊敬しています……はっぴぃえんど的な日本ロックの系譜に比べればはるかにシンパシーありますね。かつて「日本語ロック論争」というのがあったじゃないですか。ようはロックを日本語で歌うべきか英語で歌うべきか、という論争で、英語派の裕也さんらと、日本語派のはっぴいえんど派で論争になったわけです。当時はよく分からなかったけど、今あの論争を振り返ってみると色々と示唆に富んでる。

 

「新宿プレイマップ」1970年10月号(画像引用元:http://www.tapthepop.net/extra/32212)

 

結局、現在を見ると、はっぴぃえんど派が歴史修正主義的に完全勝利しているように見えますよね。下北で音楽をやってる若い奴らも、みんなはっぴぃえんどを崇拝してる。日本ロックの始祖のような扱いなんです。でも、当時、裕也さんがやろうとしていたことをあらためて考えてみると、あれはナベプロ、ホリプロ的な日本の芸能界に対するカウンターだったわけですよ。英語で歌うということが、当時、すごくアクチュアルなことだった。

石丸 ナベプロ、ホリプロ的な日本の芸能界に対するカウンター! なるほど。

花咲 その後、はっぴぃえんどが結局は芸能界に組み込まれていったことを考えると、僕は裕也さんの方が正しかったんじゃないかな、と思う。裕也さんはその後にプロデューサーとしてフランク・ザッパを呼んだりしていて、つねにアクチュアルに動いてたわけです。一方、はっぴぃえんどにはそうしたアクチュアリティはまったくなかったわけで。彼らは最初からボンボンというか、ようはブルジョワなんですよ。

そもそも裕也さんは京大西部講堂での滝田修潜行2周年記念のライブにも出演されていますし、左翼コミュニティーとも実は強いつながりがあります。それがなきゃロックとかいったって茶番でしかないでしょ。矢沢なんかどこがロックか、って思いますね。吉本主義者の糸井重里が「大衆の原像」よろしく矢沢永吉を持ち上げたりした構造を我々は厳しく批判していかなければならないと思います。

石丸 教授(坂本龍一)も芸大出ですからね。自分なんかからすると、バンド系の音楽やってる人というのは、みんな大きく左翼だと思ってたんだけど、はっぴぃえんどと裕也さんでは、たしかに雰囲気が違う。裕也さん軍団は、安岡力也さんにせよ、桑名正博さんにせよ、反体制でしたから。

花咲 そう、裕也さんファミリーはなんだかんだとっぽかった。クスリもやれば喧嘩もやる。熱いんです。一方、はっぴぃえんどにはそういう要素がない。松本隆にも割と初期から学生運動に対するアンチテーゼのようなものがあり、それをポジティブに押し出すという流れが明確にあった。実際に松本は「ロックアウトで大学に行けないというとき、テレビを見てて機動隊を応援していた」というようなことをエッセイに書くわけです。あえて、そういうことをポーズとして見せるところがある。僕らからすると、そういうひねくれた態度がカッコいいみたいな、スカしたシニシズム的な気分は、すごくまずいなと感じていたわけですよ。

 

 

石丸 それははっきり「まずいんだ」と。提言ですね。

花咲 まずいと思いますね。実際、それが平成以降、今になってもなお尾を引いてる。若いミュージシャンの間でも支配的な感覚じゃないですかね。団塊ジュニア世代以降の「集団主義は嫌だ」みたいな感じ、あるじゃないですか。飲み屋に入って「とりあえずビール」の流れに対抗し、「僕はウーロンハイ」とあえて言うような感じ。ビールを飲みたくないわけでもないが、あえてそう言いたい、みたいな。

石丸 さっきおっしゃってた「とりあえずビール」の話ですね。時代の気分なんでしょうか、そういう人、増えてますよね。とくに理由があるわけではないけど、なんとなく違うことを言ってみたいという感じ。

花咲 違うことそれ自体がどうこうは言いませんが、重要なのは、その「なんとなく違うこと」があまりに「違くない」ということですよね。そのオルタナティブはオルタナティブじゃないんです。だって、あえて「ウーロンハイ」ということに、なんのアクチュアリティもないじゃないですか。ミクロなところで小さく歯向かってみせても、マクロなところは微動だにしない。むしろ、強化されていくだけなんですよ。

石丸 そういう意味では、80年代から平成以降、はっぴぃえんど的なノリが大勝利しているように見えますね。

花咲 そう、まずいんです。はっぴぃえんどが神のように信仰されている一方で裕也さん的なものは「ダサい」みたいになっていったわけですから。裕也さんって「ファミリー」って言われているように、ノリは集団主義的なんですよね。そういう集団主義に対してシニカルに構え、個人の自由、それも単なる「ウーロンハイ」的な自由が顕揚されていったわけで。

 

 

石丸 おもしろい!

花咲 実際、カルチャー左派はみんなそっちについたわけですが、もともと左翼というものは集団主義なんですよ。群れなければ資本と国家の前にプロレタリアートは無力でしかない。だから左翼とカルチャー左派は全く別物と思っていい。それこそ坂本龍一や大友良英らの脱原発というのもそうで、アティチュードが反「とりあえずビール」になってる。「僕はウーロンハイが飲みたい」的なチョイスでしかない。これで俺は戦った、個の自由を貫き通したぞ、と。

石丸 うむ。

花咲 でも、結局そういうものはネオリベラリズムの前ではあまりに無力なんです。個の自由を求め、集団主義を嫌っていけば、単に市場と個しか残らないわけです。そして、その時の自由は、資本主義社会における消費者の自由でしかない。左翼はずっとそうした個の自由の虚しさ、それが資本主義的な幻想に過ぎないということを言ってきたわけですから。

つまり、「僕はウーロンハイ」みたいなお前の主体性なんて別にいらないんだって話です。80年代、全共闘に対して斜に構えていく中でそうしたノリが生まれて、平成に至ってそのノリが全面化したという印象ですね。ウーロンハイ飲んで自由とか言ってるくらだったら、みんなでビールを飲むほうがはるかに革命的なんですけどね。

石丸 本格左翼としては「とりあえずビール」こそが革命的なんだ、と。でも、いまや「とりあえずウーロンハイ」がロックであり左派である、という風にみんな思ってますよ。

花咲 それは本当に不幸な話です。

 

糸井重里はなぜ吉本隆明にこだわるのか

石丸 今、花咲さんは80年代的なノリを批判されたわけですが、自分なんかはモロに80年代カルチャーの人間です。80年代カルチャーというのは、おっしゃる通り、全共闘世代、全共闘的な気分に、明確に「NO」を示しているカルチャーだった。YMOもそうだけど、彼らは自分もまた学生運動に参加していながら、そうした自分の過去に対して距離をとっていったわけで。糸井重里もそうですよね。だから、80年代のサブカルは政治にコミットしないんです。自分自身、政治とは意識的に距離を取ってきた。それが時代の雰囲気だった。

花咲 あえて、ですよね。

石丸 そう、あえて。ただ80年代は「あえて」やってた、つまり、それが新しいんだ、政治と距離を取るのがカウンターなんだと思ってやってたんですけど、平成に入っていくと、その「あえて」が抜け落ちてしまっていくわけですよ。そこでカウンターでもなんでもない、イデオロギーの抜け落ちたサブカルチャーだけが残った。大局的な視野があるわけじゃないけど、とりあえず個別の自由や平等にはコミットする、ようするにリベラルとしての左派ですよ。でも結局、それが一体どういうカルチャーで、どういうシーンだったのかって考えると、よく分からないところがある。だって「資本主義をぶっつぶせ」とか、そういう目的がもうないんですから。

花咲 たしかに80年代には全共闘世代へのアンチテーゼというのが、一つのカウンターとしてあったとは思います。ただ、僕くらいの世代になると少し感覚は違くて、それこそ高校生の時に糸井重里とかを見ていて、おいおいチャラすぎんじゃないか、と思ってた。元左翼だった人間が「おいしい生活」って開き直りすぎだろう、と。もはやそれ「あえて」でもなんでもないだろう、と。だからこそ僕は左翼活動に入ってったわけですが、その後、90年代に入っても左派カルチャー人の脱イデオロギーは続いていくわけです。僕はこの流れを作った人物として、やっぱり吉本隆明という人物が問題だった、と感じてますね。

石丸 ビッグネームでました。

花咲 実際、糸井さんなんかは吉本さんの講演音声をアーカイブして無償公開したり、吉本さんリスペクトが露骨じゃないですか。渋谷陽一にしても、自分にとって三人の神様として、ビートルズ、手塚治虫、吉本隆明の名前を挙げている。いくら時代が変わっても、左翼であった人間が資本主義社会と折り合いをつけていくことにやましさを感じないわけがないんです。でも、そのやましさを吉本隆明が癒してくれるんですよ。あ、もう左翼じゃなくていいんだって。

石丸 自分は吉本隆明を読んだことないんですよ。高校時代に宝島で80年代カルチャーに入ってるから、徹底してノンポリティカル。宝島は、世の中を「右翼/左翼」ではなく、「メジャー/マイナー」に二分して見せたんですよね。それが80年代カルチャー的な地図だったんだと思います。朝日ジャーナルもあったけど、自分なんかは読んでない。20歳代の中頃のときに朝ジャに子供のウワサについてを書いたことはあるんですが、年上の人から「朝ジャに書くなんて凄いじゃないか!」と言われてもピンとこない。そんなですから、自分には吉本隆明が80年代にどのような悪影響を与えたのかがよく分からないんです。

花咲 もちろん吉本隆明が左翼としてアクチュアルな時代というのはあったんです。かつては花田清輝ら旧世代の左翼に噛みつく形で登場し、当時のある種の左翼におけるスターであったことは間違いない。しかしやはり決定的に問題なのは彼の無惨な「転向」の正当化です。

有名なのは84年に朝日ジャーナル誌上で行われた埴谷雄高とのコムデギャルソン論争ですよね。それまで資本主義社会を批判してきた吉本が雑誌anan誌上にコムデギャルソンを着て登場した。ようは消費社会を肯定してみせたんです。これこそが大衆であり、これこそが庶民であり、これでいいんだぜ、と。それに対し、埴谷雄高が「資本主義のぼったくり商品を着ている」と批判したというのが論争の構図です。

 

『anan』1984年9月号(画像引用元:https://twitter.com/fukuhen/status/720887943284457473)

 

石丸 ふむ。面白いですね。

花咲 まあ、このインパクトは全共闘世代には大きかった。左翼界の大物である吉本さんが開き直ったんだったら、俺たちも開き直っていいよな、と。なんら大したことはない、それだけの話なんですが。

石丸 吉本さんという人は「現代とはこういう時代で、こういう問題があり、我々が進むべき道はこうだ」ということを時代時代で発信していたわけですよね。その中でかつては資本主義を批判して賛同を得ていたのに、それが80年代になると今度は消費社会を礼賛してみせた。この開き直りは、どういう理由だったんでしょうか。

花咲 僕からすれば、彼自身が頭の中がとっちらかっちゃった、としか言いようがない。彼は「生活者」とか「庶民」という言葉を好んで使っていましたが、背景にはインテリ左翼批判があるんです。お前らいくら観念論を振り回したところで、庶民はそんなの気にも止めないんだぜ、お前ら地に足が全然ついてないぜってね。まあ使い古された言説ですよ。ただ、そういう言説にある種の人たちは弱い。インテリには庶民コンプレックスがありますからね。結局、吉本さんのひねくれた転向は、いろいろあって運動に挫折した人たちの正当化に使われていくことになったんです。

ただ、少し考えてみればおかしいことだらけなんですよ。コムデギャルソンを庶民は着ませんから(笑)。ギャルソン着て、anan読んでるのが庶民という発想自体がそもそもおかしい。西武デパートに「おいしい生活」ってコピーを書くのが庶民を思ってのことなのかというと、んなわけない。せいぜい、それは消費者をターゲットにしたマーケティングでしかないんですから。

 

 

石丸 なるほど。おっしゃる通りですね。

花咲 たしかにインテリと庶民には乖離があるんです。でも、それでいいわけです。そこには断絶があるわけだけど、それはそれとしてやっていくことが重要なのであって。マルクスもレーニンもブルジョワの出自なわけですから。むしろ、そうしたインテリが庶民づらして見せる方が欺瞞的なんです。たとえば、自分が金持ちの家に生まれたインテリだとすれば、その上でどうするのかっていう話なわけでしょう。もちろん革命の主体はプロレタリアートなんだけど、インテリ左翼が飲み屋の親父をやったらそれで庶民なのか、といえば、それは違う。消費社会を肯定して、周りと足並み揃えて消費生活をすることがアクチュアルなのか、といえば、明らかにそんなことはないんですよ。

石丸 僕は本格左翼と話すのは初めてなんですが──刺激ありますね。会話の中に、普通にマルクスとかレーニンという名が出てきて、率直に感動している。それこそ当時の自分は吉本隆明の意味をよく理解していないから、なんでこのおじさんがギャルソンを着ただけでみんな騒ぐのかな──と、チンプンカンプンでした。でも、そういうことだったんですね。大先生が資本主義の踏み絵に応じてくれたから、みんな安心して踏み絵に応じれるようになった、と。学生運動をやっていた大勢が俺も踏むわ~、と。

花咲 そうそう、糸井さんも中核派の幹部クラスだった人ですから、うしろめたさがないわけがない。だからこそ、吉本隆明に固執し続けたんじゃないですかね。あるいはコピーライトにしても、彼の中ではこれこそが現代のプロレタリア文学だくらいの転倒があるかもしれない。そうした癒しを吉本隆明はもたらしたんです。

石丸 なるほど~。実際、広告業界って元左翼運動家が多いんですよね。きっと彼らなりの理論武装はしていたんだと思います。でも、左翼ってなんだかんだ核心にあるのは資本主義批判じゃないですか。その核心を捨てちゃって、なおかつ左派であるって、一体どういうことなのかよく分からないんですよねえ。結局、個人の自由とか平等とか人権とか、そういう耳障りのいいものばかりが、漫然と左翼的な感覚として残ることになったわけですよね。

花咲 そう、それがリベラルです。最近は格差や貧困の問題などが関心を集めてますけど、その格差や貧困を生む原因となっているネオリベラリズムはリベラリズムによっては批判できない。これはさっきも言った通りで、個人の自由に向かう限り、市場が巨大化するだけだからですね。

 

だめ連から素人の乱へ

石丸 そうした80年代を経て――「とりあえずウーロンハイ」の平成が到来したわけです。花咲さんが太陽肛門スパパーンを結成したのも平成に入ってすぐですよね。もちろん、太陽肛門スパパーンは猛然と左翼カルチャーなんですけど、太陽肛門という響きは圧倒的にアングラであって、マス向けではない。知る人ぞ知るエクスクルーシブなバンドなわけです。平成にはなにかマスへと広がっていくような、左翼的カルチャームーブメントというのはあったのでしょうか。

 

 

花咲 マスとなると難しいですが、局所的にはありましたよ。たとえば高円寺に「だめ連」っていうのがあったじゃないですか。

石丸 懐かしい!ありましたねえ。あかね(※)には行ったことないけど、主宰のぺぺ長谷川さんや神長恒一さんとは面識あります。ペペさんがyoutubeに出てるのとか、面白いですよ。

※あかね…早稲田大学文学部キャンパス前にある交流バー。だめ連の拠点としても知られる。

花咲 だめ連をやっていたぺぺとは高校時代からの知り合いなんです。高校は違うけど同級生で。まあ、だめ連とかはアイディアとしてはすごく面白かったと思う。「だめ」なのが「いい」という価値の転覆を彼らは図ったわけで。

石丸 90年代半ばごろですか。すごくヒットしましたよね。一つの時代の若者像を作って見せた。

 

『だめ連の働かないで生きるには!?』

 

花咲 そうそう、あの頃の問題意識というのは、イケていることをやってしまうと、結局、資本主義に回収されてしまうということだったんです。だから、そうした市場に回収されない「ダメ」な方が素晴らしい、より「ダメ」に生きていこうぜ、と。これは画期的だった。しかし、その後、このだめ連から派生して、「素人の乱」というリサイクルショップを中心とした運動から生まれていく。この「素人の乱」は僕からするとリベラル的だったんです。

石丸 松本哉さんですよね、興味あります。本格左翼からの視点を聞かせてくだい。

 

『素人の乱』

 

花咲 まあ、簡単にいうと、素人の乱というのは、スモールビジネス万歳みたいなところに落ち着いてしまってるんですよね。しょぼい起業をして生きていくみたいな、そんな感じ。結局、スティーブ・ジョブズが大好きなカリフォルニア系のリバタニアンみたいになっちゃった。ようするに自立と自己責任です。ダメ連の面白かったところは「資本主義社会では自立はありえない」ということを前提としていたところ。だから、パラサイトを肯定したわけです。ヒモ、ゆすり、たかり、略奪、色々とありますけどね。そういう形でしかポジティブな生のあり方はないと言い切ったところがだめ連の面白みだったのに。

石丸 松本さんは、いまや何軒もお店やってますよね。

花咲 そう、結局はプチ実業家でありプチジョブズなんです。それって、「僕はウーロンハイ」のメンタリティなんですよね。世界に一つだけの花になりたいという。

石丸 う~ん、平成っぽいなあ。

花咲 ようするになんだかんだ寄生が嫌なんです。寄生することで自由が奪われるという感覚がある。人の金で生きていくということ自体が嫌。とにかく自立したい。でも資本主義社会には逆説があって、他人の金で生きていくことくらいしか自由はないんです。素人の乱はこの逆説に対してあまりに鈍感。他人の金で生きていく以上は主体性がないじゃん、だから起業すればいいじゃん、となってしまった。でも、そんなことはない。だってヒモの方が自由なんだから。吉本隆明も自立派なんて呼ばれていましたが、自立は自己責任とセットです。ようするに、ネオリベラリズムと極めて近いんです。

石丸 自分視線では、素人の乱もネット以降の動向って印象が強いですよね。だってネットがあると、人と繋がるのが簡単なんだもん。簡単だからこそ「自立」とか言いたくなっちゃうんじゃないかな。ただ、世代的な部分なのかな、自立しないとカッコ悪いっていう感覚は自分には全然ないんですよ。自分は去年脳卒中をやったんですが、入院してリハビリをやって、退院するときに生活や行動に関しての「自立診断評価」を病院から受けるわけです。症状が軽かったから「自立」の最高評価を受けるんだけど、「え!」と。そもそも社会で自立して生きている自覚もないのに、病院が自立の太鼓判を押してきた。

花咲 世代的な問題はあるかもしれませんね。団塊ジュニア世代以降、特にそうした感覚が強いですから。いや本当に「自立」に対するこだわりが強すぎて、ほぼ宗教的な妄執になってるようにさえ見える。

石丸 起業なんてまさにそうですよね。別に人の会社に入ったっていいじゃない。自分的には、起業はかっこいい自己実現の最高型ではまるでないんだけど、でも今の人たちって起業して、自分で立ち上げて成功する、みたいな話が大好きですよね。花咲さんは何か立ち上げたりしてないんです?

花咲 まあ、立ち上げることは必要に応じてあるけど(笑)。ただ結局それをやり過ぎていくと、「とりあえずビール」に対しても反発しなきゃいけない、みたいな状況になる。これは倒錯ですよね。実際、たとえばですけど、町内会の会合なんかに出たときに「とりあえずウーロンハイ」とかいうと「なんなんだ」ってなるじゃないですか。

石丸 ですね。大した意味もなくみなとちがうことを言うのは町内会のノリじゃない。ようするにそれって、自立と自治を混同してるんでしょうね。

花咲 そうそう、自立と自治は全然違う。町内会は国家権力との絡みもあるから微妙なとこだけど、まあ一応は自治なわけですよ。自治の内部においては、当然、規則もあるし、モラルもあるんです。

石丸 花咲さんの言葉を借りるなら、端的に言って町内会は国家権力の細胞ですよ。そもそも民主主義じゃないですからね、町会長を決めるのは選挙じゃないんだから。同調圧力も強い。相互に干渉しあうし、個人の自由なんて議題にも上がらない。でもそうやって自治は成り立ってる。

花咲 自治と自立はむしろ相性が悪いんです。実際、埼玉の田舎とかでは町内会の会合が非常に重要なんです。たとえば地域に根ざして左翼活動している人は、町内会に入らないと活動する場所がないわけだから。真面目な人はきちんと町内会に入って、コネクションを作りつつ、活動を展開してる。それが正しい態度。そこでウーロンハイと言う自由なんてものには意味がなくて、むしろそういう自由は自治を弱めるだけ。

石丸 自分の知る限りでも、昔からその町に暮らしてる共産党系の人達は町会に参加してますよ。でも、安倍政治は許さないって言ってる多くの人は、たぶん町内会には入ってないんじゃないかなあ。でも、なんだかんだ言って町内会はいまだに大きな存在です。コネクトしていかないと、自分たちの考えは広がっていきませんよね。

花咲 あぁ、ただもちろん僕もまた「安倍政治は許さない」一員ですし、場合によっては彼らと共闘することもあります。しかし、極左お断りなんて堂々と言っているのを見ると、こりゃだめだって思っちゃいますよね。まあでも、実際、地に足のついている層というのはマイルドヤンキー的になっていってますよね。音楽で言えば湘南乃風、EXILEの流れです。右寄りなんですよ。

 

 

石丸 なるほど。ヒップホップもその流れにありましたね。90年代後半や2000年代初頭のヒップホップって右派でしたから。それこそ左派が凋落して、資本主義と肩を組んでいく中で、ウーロンハイ的な自立に対抗する形で、一方にはヒップホップ的な自治の精神が台頭してきていた。ちなみに関係ないけど、「マイルドヤンキー」という言葉を作った博報堂の原田曜平さんも巣鴨高校ですね。

花咲 ああ、ヒップホップは右傾向でしたね。僕としてはすごく問題意識を感じてました。共同体意識がある人はみんな右派になってしまっていて、左派と呼ばれる層には「僕はウーロンハイ」の人ばかり、という状況に。本来、共同体の問題って左派がずっと追求してきたことなのに、すっかりそこが抜け落ちてしまった。くどいようですが、マルクスは個人の自由なんて言ってないです。むしろ、その限界について書いていたわけで。

石丸 なるほど。知らぬ間にだいぶこじれてしまったんですねぇ。

花咲 結局、今に続く問題の根は80年代後半から90年代初頭、つまり「平成」前期にあるように思います。ベルリンの壁の崩壊や天安門事件によって、資本主義の大勝利が表面上、決定的になってしまった、少なくともそのように感じた人が多かったのは事実ですから。実際は全くそんなことはないんですけどね。

唯一、桐山襲さんなんかは、天安門事件に対する「共産党の虐殺はひどい」「共産主義は最悪だ」という世間の風潮に対し、冷静な批評を行ってたいたように思います。そもそも鄧小平は走資派じゃないか、そして彼らに「自由と民主主義を」と言うのは簡単だがそれは彼らがコムデギャルソンを着れればいいということなのか、というような鋭い問題提起をしていました。ただ、その声が日本でポピュラリティーを得ることは残念ながらなかった。

もう世界中が吉本隆明的にコムデギャルソンを着てやっていくしかないっていうのが大方のムードだった。僕なんかは、それってどうなの?  むしろ希望がないんじゃないの? って思うんですけどね。

石丸 結局その後、中国はコムデギャルソンを着たわけですよね。あるいは旧ソ連も。そこでいうと、当時、冷戦体制崩壊後の変化で自分の印象に残っているのはtATuの来日ですね。ロシアからきた二人組の女の子、覚えてます?

花咲 いましたね、懐かしい(笑)

石丸 彼女たちは二人ともレズビアンを公言してて、ステージ上でパフォーマンスとしてこれ見よがしにキスしたりしてて、まあきっと、当時、表現の自由を手に入れたばかりのロシア市民社会においては、それこそがセンセーショナルな自己表現だったと思うんです。その彼女たちが初来日の時、2003年かな、テレビ出演をドタキャンするという騒動があったんですよ。そしたら、まあ、ものすごい叩かれた。今でいう炎上。無責任! プロとしておかしい! 日本人へ失礼! 自由な表現には責任が伴う! とかバッシングの嵐。自分は、すっかり面白くなっちゃって、その後のtATuの東京ドームコンサートを見にいったんです。

花咲 ああ、あれはかわいそうだったなぁ。でもライブ行ったんですね、すごいな(笑)

石丸 客席はガラッガラでしたよ。ダフ屋から1000円で3階席のチケット買ったんですが、席が空いてるからって2階席に通されて、興行としては大失敗ですよね。でも、彼女たちの表現、それはああいうテレビで見せる反抗的な態度や騒動を含めてですが、それって、吉川晃司が紅白に出てギターに火をつけたりとか、80年代の日本のパンクやロックが通ってきた道でもあるし、古くは60年代にルー・リードがやっていたようなことでもある。ソ連が終わったばかりの自由の後発国であるロシア社会では、彼女たちの示す態度というのは、最も新しい価値観をふくんだ若者表現としてきっと賞賛されていたわけです。

ところが、彼女たちが示して見せた若者らしい自由の在り方は、自由が成熟した自由先進国の日本においてはもはや叩かれるものになってしまっていた。ようするに日本においては、2000年代には、「反抗するにも自己責任で」というノリがすでに出来上がっていたんですよ。あるいは資本主義のルール内での自由は最大限認めるけど、仕事をドタキャンするというような逸脱はダメ、という。「僕、ウーロンハイ」的な自由が欺瞞だなあと思うのはまさにそこですよ。つまり、ウーロンハイを頼むのはOKだけど、何も頼まないのはNGなんです。

花咲 大問題ですよね、本当に。

 

 

「反資本主義リアリズム」左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な関係・後編を読む>>

 

 

〈INFOMATION〉

東京オリンピック閉会式≒太陽肛門スパパーン30周年記念ライブ(特別ゲストOLH〈aka面影ラッキーホール)

2019年9月1日(日)open17:00 start18:00 @下北沢ガーデ【世田谷区北沢2-4-5;下北沢駅下車徒歩5分】前売り4000円

https://smash-jpn.com/live/?id=314

 

フジロックフェスティバル2019 オレンジカフェ【翔んで関越】太陽肛門スパパーンfeaturing 中尾勘二・しじみ・藤井信

2019年7月27日(土)午後4時~@新潟県苗場スキー場

https://www.fujirockfestival.com/artist/detail/5429

https://www.fujirockfestival.com/artist/timetable/27

 

 

✴︎✴︎✴︎

 

花咲政之輔 はなさき・まさのすけ/1967年埼玉県出身。音楽集団「太陽肛門スパパーン」主宰。兄弟バンド「ザ・ヒメジョオン」としても活躍。

 

✴︎✴︎✴︎

 

(Text by Yosuke Tsuji)

 

〈MULTIVERSE〉

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

 

logoimage

PROFILE

石丸元章 いしまる・げんしょう/GONZO作家。80年代からライターとして活躍。96年、自身のドラッグ体験をもとに執筆した私小説的ノンフィクション『SPEED』を出版、ベストセラーに。その他の著書として、『アフター・スピード』、『平壌ハイ』、『DEEPS』、 『KAMIKAZE神風』、『fiction!フィクション』、『覚醒剤と妄想』など。訳書にハンターS.トンプソン著『ヘルズエンジェルズ』。