大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #07 死後の闇を照らすフラクタルの文様──ボルネオ島の首狩り族タトゥー・前編
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第七回はボルネオトライバルについて。多部族が密集するボルネオ島をバラエティ豊かに彩るフラクタル文様に魅せられて。
ボルネオトライバルの流行
90年代のトランスミュージックシーンで流行していた模様にフラクタルというものがあった。
これは幾何学上の概念で、部分と全体とが果てしなく同じパターン(自己相似という)となる非常にトリッピーな図像のことだ。当時はコンピューターグラフィックスの一般への普及によって様々なバージョンの高精度なフラクタル図像が出回り、これを蛍光色でアウトプットしたものがパーティーコスチュームやフライヤーのデザインとして広く使われていたのだ。
よく分からないが、トランスミュージックの誕生もコンピューターによる音源作成技術の普及と関わっていることを考えると、それ自体が音楽のフラクタルみたいなものを想定したものでもあったのだろうか。とにかくその頃はインドでもタイでもヨーロッパでも、僕の周りには華やかなフラクタルがいつも咲き乱れていたものだ。
自然界にもフラクタル状のものはたくさんある。たとえば一本の木の形と小枝の先と葉脈とが全て同じようなパターンだったりする様子がそれだ。他にも雲の形や川の流れや海岸線の地形などもそうだ。タトゥーの柄を見渡すならば、ボルネオのトライバルタトゥーこそがそれだ。小さな渦巻きの集合がさらに大きな渦を形作るそれは陰と陽の無限のせめぎ合いを想起させる。1億年以上も昔からそこに生い茂っているという地球上最古の深く広大な熱帯の密林から生まれたフラクタルだ。生命そのものを感じさせるそのパターンが、身体という動くキャンパスに映えないわけがない。
90年代のパーティーピープルの趣味嗜好にそういう要素で適っていたからこそ、インド時代の僕は来る日も来る日もボルネオトライバルを彫っていたのだろうか。例え話ではなく、それこそ目を閉じていても描けるほどに。いや、70~80年代から、もっとアブストラクトで自由なラインのクレイジートライバルはずっと流行っていたわけで、そのムーブメントの爛熟期のトレンドとして90年代のボルネオトライバル風のラインのブームが来たという方が世界的観点から見たらきっと正しいのだ。
それはデタラメのカッコよさから法則性の美しさへの回帰のような流れだったのかもしれない。そしてその時、僕のいたシーンがたまたまトランスミュージックのパーティーで、世界を旅することとも相まったエスニックな部族趣味や自然志向が強く、和彫りやアメリカントラディショナルといったメジャー路線への志向が比較的に薄いコミュニティーだったというだけのことなのだろう。
闘争と交流が生んだバリエーション
タトゥーにまったく縁がない方々のためにさらにざっくりと補足しておこうと思う。書のように角張ったり、サラッとした流れの黒のラインの構成で出来上がっているのが、典型的なクレイジートライバルだ。ゲームやマンガのキャラクターによく描かれている、何がモチーフとも言えない黒のラインの集まりのタトゥーはこれが多い。さまざまな距離感で描きやすいという作家サイドの理由からだと思うが、実はその点こそがクレイジートライバルの最も優れた部分だ。とにかく分かりやすく、そして目立つのだ。
自分自身をマンガの登場人物ぐらいまで突き放して簡略化することが出来ればタトゥーに限らず人生はOKだと思う。僕は少年マンガで十分だ。大事なことはだいたいそこに描かれている。女というものへの理解があまいのは仕方がないとしても。
それに対して、基本的な印象はすごく似てはいるが、全体的に渦巻きがいくつもあるカーブ主体のライン構成のやつが、僕らの言うところのボルネオトライバルだ。これは正確にはボルネオ寄りのクレイジートライバルだとも言える。つまりボルネオ部族の伝統デザインとクレイジーとの中間だ。
もともとボルネオを含む南太平洋諸地域のトライバルタトゥーの印象をフィリピン系アメリカ人のレオ・ズルエタなどが大まかにすくい上げてモダンアートにまとめ上げたものがクレイジートライバルという潮流で、それが後に伝統的なボルネオトライバルデザインの持つ法則性をもっと深く再吸収していったことでボルネオトライバル風のラインがあらためてブームとなった——と、そういうわけだ。
では本家本元たる伝統的なボルネオトライバルタトゥーとはどういったものなのか。
ボルネオ島には100種類以上の言語が存在していると言われ、部族の数も非常に多いのだが、タトゥーということでは特にダヤク(dayak)、イバン(iban)、カヤン(kayan)、ケンヤー(kenyah)など複数の部族の存在が良く知られ、かつては首狩りや食人の風習があったことでも知られるように、互いに激しい闘争をくりかえす好戦的な生活を送っていた。ボルネオトライバルデザインには全般的に一定の法則をもった渦巻き状パターンがあると言えるが、それぞれの部族のデザインには共通性の中にありながらも独特の特徴があり、そこから闘争、交流という二つの異なった関係のなかで出来上がったアイデンティティの成り立ちを推測できるようにも思える。
さまざまな技術と芸術性を併せ持つ家具などの工芸で欧米では昔から知られているボルネオの諸部族だが、特にタトゥーということで言えば、最も人類学的に有名なのはカヤン族、そしてそこと関係の深いケンヤー族の習俗だろう。どちらもボルネオ島の沿岸部に広く展開していた部族であり、歴史上、マレー半島やフィリピンなど周辺の島々を経由して大陸との関わりがわりとあったことが知られている。タトゥーのデザインや、あるいは技術そのものもそのような外との交流の産物であったのかもしれない。
部族の男たちは「使い捨て」の消耗品
女性のそれは施術に4年以上の時を有するという、両腿に細かい柄を密集させ、遠目からは一見真っ黒に見えるほどに覆い尽くすというもので、死後の闇を照らす明かりという宗教儀礼的に重要な意味を持ち、それゆえにタトゥーイストは女性のみだった。
タトゥーが死後の闇を照らすというのは、小さな死と再生の物語の体験であるタトゥーがワクチンのような働きを持って、その後の大きな本番の死と再生に臨む時の安心と勇気、つまり自信を与えるという心の仕組みをドラマティックに説明しているのだと思う。これはさながら人生のフラクタルだ。怖れ、挑み、馴染む。細胞から宇宙まで、このトランスミュージックのレイブの一晩みたいなパターンを人生の全局面に渡って繰り返し楽しむのが、我々の性質なのかもしれない。
こうした死後のパスポートとしての意味合いを持つ女性のタトゥーは世界中でとても多く見られる。そしてそういう地域では得てして男性にタトゥーはあまり入っていなかったりもする。そのことをもって、男性と違って女性は穢れているからタトゥーで浄めなければあの世で救われないのだ、というニュアンスで捉え、それを野蛮な男尊女卑の考えと位置づけてしまうのは初歩的なミスだろう。
それらの部族社会の認識では、死と再生のサイクルを潜って連綿と命を紡ぎ続けるのは女性だけなのであって、男性は単発で終わる戦士や狩人などの道具みたいな存在なのだ。つまり男性はそもそもあの世になど行けないからパスポートもヘッタクレも必要ない、壊れたら捨てるだけの消耗品なのだ。過酷にして非情だが、これは生物学的事実とも無縁ではない。
だからなのだろう、カヤンやケンヤー男性のタトゥーは特に意味付けされてはいないちょっとした御守りを兼ねたファッションとしてのものが大半なのだが、一方で男性の道具としての品質保証をするようなタトゥーもある。たとえば、首狩りに遭うリスクを冒してまでしてわざわざ別の地域まで行って彫られてくる肝試しのスタンプラリーみたいなタトゥーや、戦いや首狩りで功績をあげた戦士にのみ許される勲章のような特定のデザインのタトゥーなどが、それにあたるだろう。
だが、カヤンやケンヤーのことは現代タトゥーのマーケットでは実はほとんど知られていない。その復興に取り組むアーティストや作品を、僕のようなプロでも知らないのだ。
インドネシアと分かつ形でボルネオ島を領するマレーシアはイスラム教国家で、人口の半分くらいのムスリムたちにとっては原則的にタトゥーはタブーであり、ボルネオ島に関してはさすがに部族達がマジョリティなのでタトゥーを強制的に禁止することは出来ないものの、それでもタトゥーを取り巻く社会の空気としてはわりと保守的だと思っていい。そういう空気の中でも敢えてそれをやるのが男性メインとなるのは想像に難くない。カヤンやケンヤーの見事な女性の腿のトライバルタトゥーを現代の女性達にリバイバルする女性タトゥーイストの出現にはもう少し時間が必要なのかもしれない。
諸部族のタトゥーとその差異
現在、ボルネオトライバルタトゥーとして世界に広く知られているのは圧倒的にイバン族やダヤク族のそれが多い。これらはもともとはカヤンやケンヤー、そして漂泊の民である少数部族ペナン族などのデザインだったものを今からほんの150~200年ほど前に取り込み、彼らの流儀でアレンジしていったものだ。
カヤン、ケンヤーが儀礼的な女性のタトゥーで、イバン、ダヤクのそれは男性のファッションの文化だということのギャップは実際かなり大きいので、同じく男性ファッションタトゥー主体のペナン族のそれとの関係性をより重要視する専門家もいる。ペナン族とは特定の集落やテリトリーなどを持たず、広大なボルネオをほとんど家族だけのような小さな単位で、他の部族たちの縄張りの邪魔をしないように気をつけながらひっそりと移動し、シンプルな狩猟採集生活をしている人々だ。いちおう部族と呼ばれてはいるものの、人類史的なステージで捉えるならば部族社会形成以前の人々ということにもなるかと思われる。そういった彼らのタトゥーがことさら儀礼的意味合いを帯びてはいない娯楽性の高いものだったということは、トライバルタトゥーの、そのさらなる内奥を考える上では興味深い。
とにかく、さきほども言及したがボルネオタトゥー諸部族にはスタンプラリーのように他地域のタトゥーを入れる風習があり、そういう動きによって歴史上いつも島全体にトレンドが変化しては波及していくというのを繰り返してきたのかもしれないが、なにしろ広大な密林の無文字社会で大昔に何がどうなってきたのかは今となっては知る由もない。なお、文字に関しては正確には歴史上、常にその文化が外から入っていた形跡もある。だが、ボルネオ島の社会はそれを積極的に選択してこなかった。知ってはいるが必要がなかったから使わなかったに違いない。無文字社会から文字社会への移行は不可逆的なものではないらしい。
イバン族とダヤク族の話に戻すと、ボルネオ島のマレーシアサイドに多く住むのがイバン、インドネシアサイドに多く住むのがダヤクだとされている。だが、僕の感覚では国による呼び名が変わるだけで両者はほぼ同じか近縁の関係なのかなとも思っている。ダヤクイバンなんて呼ばれていることもある。少なくともタトゥーに関しては同じだ。ボルネオ島自体もインドネシアではカリマンタン島と呼ばれているし。
彼らのタトゥーは、ぼってりとボリュームのある黒の塊が身体に対してシンメトリーに配置されるのが特色の、ダイナミックで男っぽい首狩り族のタトゥーだ。デザインはその渦巻きを軸とするパターン自体の特徴が強く、その独特のパターンを使ってさまざまなモチーフを描写するので、それらは紋様でありながら同時に絵画でもある。それゆえにトライバルデザインのルールが明解に出ていて扱いやすいこと、新しいモチーフ(たとえばクライアントの干支の動物や星座や文字とか)をアレンジしたりすることが簡単にできること、などが現代のタトゥー事情にフィットし人気となった理由なのだろう。
怖れ、挑み、そして馴染む
奥地のイバンの集落を訪ねてまわった時には、狩り取った大量の頭蓋骨を堂々とデコレーションしているロングハウス(文字通りに長屋)がまだあって嬉しくなった。本物の人骨が隠蔽されている社会から来た僕などはそういうので俄然テンションが上がってしまうのだ。やっぱりスカルはカッコいい。シンプルにそう感じている人間だ。
そして血を捧げることが荒ぶる神々を鎮めて森に安泰をもたらすということも単なる知識ではなく己の体験として分かっている。が、それらはすべて第二次大戦中の旧日本兵のものだということだった。一度途絶えていた首狩りが大戦時のレジスタンスの闘いとして再開されたのだという。あるいは日本兵ということにしておけば当時のパブリックエネミーに立ち向かった勇者の証として行政側からも黙認されるから全部まとめて日本兵ということにしているという説もあった。そりゃそうだ。せっかく先祖代々にわたって命懸けでコレクションした大事なモノなのに、よその常識や法律で取り上げられてしまったらたまったもんじゃない。現代の政府からしたら遺体損壊、死体遺棄、というかそもそも殺人事件なのだが、摩擦を避ける便宜上の抜け道を用意してあるのだろうか。なんにせよ、すごく新しそうなピカピカのスカルを見ていると、これって現在進行形? と感じたりもした。
マレーシアは多民族国家だ。いまどきはどこの国だって厳密に言えば多民族国家なのだが、ここは誰の目にもはっきりと分かる、明白なる多民族国家なのだ。イスラム教徒のマレー系、ヒンズー教徒のインド系、客家などの中華系、そしてボルネオのさまざまな部族たち。どれも決っしてマイノリティーではないし、それぞれが容易には混ざり合えないほど文化的に、見た目にも鮮やかなほどに、大きな違いを持ったグループ同士だ。それぞれがその特色を維持したままの共存は、互いに他のグループに対してそうとうな寛容の心と敬意を持たなければ成り立たないのだが、そんな、移民に超消極的な日本社会からすれば絵空事みたいに思える理想を、現実に上手いこと実践していけているすごい国なのだ。国際的にも今後の地球規模で進んでいく多民族共存社会のモデルケースとして参考にされている。日本も小学校からの英語教育のモデルとしているらしいが、文化の大きく異なる他者を理解して共存を目指さなければ破滅しかないのだという切迫した強い気持ちを抜きにして、上澄み部分の語学力だけをすくい取ろうというのはなんとも難しいことだと思う。
頭でっかちの漠然とした怖ればかりを頑なにつのらせて、言い訳だらけの緩やかな死を待つのではなく、とにかくフロアに一歩を踏み出して全身を使って本気で一晩中踊りまくり、汗みどろで夜が明けて、隣で踊っている見ず知らずの外人が分けてくれた一口の水がめちゃくちゃ美味くてありがたかった、というのが良いパーティーなのだ。怖れ、挑み、そして馴染むのだ。村の頭蓋骨はそういうコミュニケーションのコツとも関係があるのかもしれない。
そういう土地柄だからなのか僕はボルネオには仲間が多い。次回は、ちょっと前まで首狩りの風習を実践していた正真正銘の部族だった彼らが一体どんな人々なのかを少し紹介して見たい。
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