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亜鶴 『SUICIDE COMPLEX』 #05 失職と別離── 僕は「選ばない」ことを選んだ

タトゥー、身体改造、ボディビル、異性装……絶えざる変容の動態に生きるオイルペインター亜鶴の、数奇なるスキンヒストリー。第五回は亜鶴の「今ここ」のリアルをめぐって。失職、別離、事故、退去命令、それはたった一ヶ月の間に起こった出来事だった。

HAGAZINE」にはみんなの気休めになるような記事は、ひとつとして掲載されない。いずれの記事も、現状を追認する「Sub」ではなく、現状を打破する「Counter」であり、現在を「Radical」に問い直しながら、同時に「Alternative」かつ「Ethical」な選択肢を模索している。ちなみに言っておくと、僕は「HAGAZINE」によって君の人生を良くしたいとか楽しくしたいとかはこれっぽっちも思っていない。君が変わることによって世界が変わりゆくこと、その可能性にこそ僕はコミットしたい。

 これは本メディアHAGAZINEの編集人、辻さんがプロローグに記している言葉である。どうしたことか、HAGAZINEには気休めになる記事はひとつとしてないらしい。たしかに、どの記事もかなりこってりとしている。それは読み手にとってのみならず、本メディアに連載をさせて頂いている僕に対しても同じで、HAGAZINEは早くもしっかりと僕の人生に影響を与え始めている。

 今回は、今までのように僕の人生を時系列で追ったものではなく、僕にとっての「今、ここのリアル」を隠すことなく書き綴りたい。このコラムを読んだあなたの人生をきっと揺るがすことが出来ると信じ。

「選ばない」という選択とその結果

 僕には9年間に渡り付き合ってきたライフパートナーがいる。その方を仮にAと呼ぶことにする。そしてつい先日、Aと僕との恋人としての関係が終了した。

 まずは手短にAとのこれまでを記してみたいと思うが、Aと出会ったのは僕がまだ未成年の頃だった。当時はMixi全盛期、僕がMixiの身体改造系のコミュニティに出入りしていたということは連載にも書いた通りだが、Aもまたそこにいて、よく自身の写真や日記を投稿していた。流行とは切り離された奇抜なサイバーファッションで、自身の美学や哲学、クラバーとしてのライフスタイルを明確に打ち出しているように見えたAの姿や発言に、僕は勝手にファン心理を抱き、AMixiでの投稿をひそかに楽しみにしていた。

 当時、僕には別の彼女がいて、その彼女は所謂メンヘラと呼ばれるタイプの方だった。絵の学校、作品制作、アルバイト、そして手間のかかる恋人との暮らしという状況は、いささかオーバーワークとも言えるもので、僕はほとほと疲れ切っていた。そんな時、慰労会として鍋パーティーでもしようよ、と誘ってくれたのがAだった。

 結局、僕らはその鍋をきっかけに親密になり、やがて付き合いだした。そこから東日本大震災、Aの家庭の問題、僕自身の人生の変遷、途中から仲間として追加された我が愛犬、喜びも苦しみも、全てにおいて歩みをともにしてきて、気がつけば9年ほどが経過していた。

 僕は元より感情表現が乏しい。そして日常においては言葉数が少ない。そうした部分を含め至らないことも多くあったと思う。Aはそんな僕をつねに支えてくれたと思うし、恋人としてだけでなく、相棒、相方、あるいは最大の理解者として、僕を力づけてくれていた。僕にとってAとの日々は紛れもないパーフェクトな日々だった。

 そのAと、これまでのような恋人関係を解消しなければならなくなった理由。それは僕がAの他に、もう一人好きな人ができてしまったためだ。その一人を、仮にXと記すことにする。世間的に言えば二股となるのだろうか。僕はAとともに暮らしながら、Xとも関係を持つようになった。

 二人を同時に好きになったということに対しては罪悪感はなかった。そもそも僕は愛情とは質量を伴うものではないと思っている。もし仮に僕自身が100vの愛の出力をできる人間なのであれば、たとえば二人を愛するときに50v50vに半減されるということはなく、100v2ポート出力が可能だと僕自身は考えている。

 だから、Xと関係が生じたことによって、Aに対する愛情や気持ちが分散したのではなく、あるいは気持ちが冷めてしまったのでもなく、Aに対しての愛情は今まで通り持ったままだった。人には人それぞれ役割があり、僕にとって異なる役割を担うもう一人の存在が登場しただけ……そのはずだった。

 Xの存在、そして僕の恋愛観の本質を、Aに隠し続けることも出来たのかもしれない。しかし、Aは元より勘の良い人である。それに秘密にしたまま関係を続けるのは、仮にその行為自体に罪悪感はなくとも、隠しているという時点でAに対しては明らかな背信であるし、いかに僕の中で愛情に毀損はないとはいえ、世間の目からすれば1号2号のように映ってしまうこと、そしてXはAの存在を知っているのにAはXの存在を知らないという非対称性は、どう贔屓目に見ても誠実さを欠いたものであった。最低限の筋の通し方として、いずれAには全てを話さないといけない。そう感じていた。

 かつそのタイミングでHAGAZINEにはポリアモリーの記事が掲載されていて、理念を持って非モノガミー的なライフスタイルを実践されている方を身近に感じつつ、自身もまた、自分の人間関係における価値観について、あらためて模索するようにもなっていた。

 芳賀さんや辻さんに状況を打ち明け、意見を頂いたりしたこともあった。Aへのカミングアウトのタイミングを図りつつ、とはいえなかなかにそのタイミングを掴めぬまま過ごしていたのだが、結果としてはいわゆる「バレる」という、カミングアウトにおいては最悪の形によって、Aがもう一人の存在を知るに至ってしまった。

 これは紛れもなく僕自身の落ち度だった。隠してしまっていたこと、そしてバレてしまったことを含め、Aには非常に申し訳ないことをしてしまったと反省をしている。ただバレてしまったからには、これは誤解だだの、勘違いだだの、遊びだからだなんて言う気休めや嘘を口にすることはAに対しても不義理であるし、もう一人、僕が好きになったXに対しても背信行為であると思い、自分が感じ、考えている全てをありのままAに、そしてXにも話すことにした。

 正直いうと、僕はAのことを僕の一番の理解者として信頼していたこともあり、ある程度は僕の思いや考えを汲んでくれるのではないかと期待していた。ただ、僕の率直な告白はAの認知を混乱させただけだった。冷静になってもらいたくて僕が思想めいた話をすればするほどAはますます混乱し、結果として一旦、恋人としての関係性を解消するに至った。これがおおよその事の顛末である。

 たとえばXと絶縁という形をとって、僕が考えを悔い改めるという形をとり、僕がAの恋人としての責務を全うするという選択肢もあっただろう。実を言うと、Xの口からもその提案をされたりもしていた。しかし、それは僕はにとっては嫌なことだった。

 僕はそもそも人間関係において、絶縁だとか、関係を切るだとかいうことを理解することができないタイプだ。以前も交際していた相手と別れるということはあったが、どこかその「別れる」という言葉の響きに納得はできていなかったし、たまに別れた恋人の悪口を言いまくっている人であったり、仕事を辞めるたびに人間関係をリセットするような人がいたりもするけど、僕には何一つそうした振る舞いをする感情が理解できない。

 だからAとの関係を継続するための代償として、新しく出来た好きな人であるXとの関係を絶縁するという選択を取ることは、どうしてもできなかった。それは、どちらのことも選択をする気はない、ということである。いわば、Aとの関係、Xとの関係をともに絶縁することなく継続したいという、僕自身の欲望を押し通すために、僕は選ばないという選択をしたわけだ。おそらくAには僕のこの決断がエゴイスティックなものに見えただろうと思う。

 そして、この「選ばない」という選択に僕がこだわった理由は他にもあった。僕自身が日々身をもって経験している搾取の構造に僕自身が入りたくなかったのだ。あるいは迂闊だったかもしれないが、この件において自身の思いや考えを説明するために、僕はAに対してポリアモリーというワードを出した。その言葉を例として引用した段階で、どちらかを選択すること、または隠密機動隊としてどちらかの関係をどちらかに秘匿するということは、許されなくなった。安易な引用、安易なサンプリング、曖昧な形でその文化を引用することで結果的に無自覚な文化盗用をしているだけのビッチにはなりたくなかった。これは単純に僕のプライドの問題かもしれないが。

 どうあれ、Aの心情を思うと僕のせいだとしても、ひどく胸が痛い。心から安心していたはずであろうAにとっては僕の言葉によって心身が分裂するような思いを感じているだろうから。僕はきっと手続きを誤ってしまったのだ。本当に申し訳ない事をしてしまったと思う。

 

 

失職、別離、事故、退去命令

 新たに好きになった人、Xの話も記しておく。

 Xとの出会いはAよりも古かった。連載にも記したが僕の中学時代は個人HPやモバゲーが流行っており、その頃にSNS上で見かけ、僕に衝撃を与えた人がXだった。

 きっと僕に年齢も近いだろう少女が、すでに自身の手で舌を割いたりピアスを開けたりし、その行動をSNSに記していた。あるいは僕が今このようになっているのは、中学時代にXの存在に衝撃を受けたからだ、と言っても過言ではない。

 個人HPからモバゲー、そしてMixiへ。プラットフォームこそ変えながらも、僕はいつも同じようなコミュニティに属していた。Xもまた同じで、特に個人的に連絡先を聞いてやりとりをするわけでもなかったものの、つねにネット上ではその存在が身近にあった。

 とはいえ、Xとはたまに言葉を交わす程度で、会うことなどはなかった。あくまでもネット上の顔見知りだったXと、初めて対面したのは、その存在を僕が認知してから5年が経った頃のことで、それは多分、本連載でも記した僕がモデルとして参加したサスペンションイベントだったと思う。もしかしたらスタッフとして自身が働いていたクラブイベントだったかもしれない。そのあたりは、やや曖昧ではある。

 対面し、あらためて挨拶はしたが、それからまた再び会うということはなかった。ただ、これもまた記憶が定かではないのだが、どうやら初対面のイベントの時にメールアドレス交換をしていたらしい。僕の携帯電話にはいつのまにかXのアドレスが登録されていた。

 再びXとコンタクトを取ったのは、その9年後、昨年のことである。年始に僕は自身のタトゥー施術場をオープンしていた。その顧客拡大を狙う目論見もあって、アドレスに登録されているタトゥーが好きそうな知り合いに、かたっぱしから連絡していたのだ。Xのアドレスを見つけたのもそのタイミングで、あまりに久しぶりの連絡であったため気が引けるところもあったが、酔っ払ったタイミングで連絡してみた。すると、9年程前から偶然にもお互いアドレスが変わっていなかったため、すぐに「あの時の!」となった。

 初めてネット上で見かけてから約14年の間に、実際に会ったのはクラブイベントで偶然に遭遇した一回だけ。そんなXと連絡を取り、わざわざ機会を設けて会うとなったのは、それが初めてだった。

 自身のスタジオをオープンするに至った経緯などは追ってこの連載でも記していこうとは思っているが、僕には僕なりの、世間からは特殊といわれる身体論をベースとして絵画制作含め活動しており、いわゆる一般的なタトゥー屋さんとはタトゥーに対するスタンスが違っていると自認している。そんな特殊と言われる僕なりの身体論を僕のスタジオに遊びに来たXに対し語っているうちに意気投合し、そこからスタジオのお客さんになっていただき、施術で会うたびにお互いの話をしていて……というのが、まあ大体の流れだ。

 Xは元よりAとも面識があったために当初から僕に対してAとの関係を傷つけないように最大限の配慮をしてくれていた。そのXに対して大丈夫だと言い、一線を越えにいったのは紛れもない僕であり、最終的にAXも傷つける結果となってしまった。僕はただ倍力でこの関係を回していくことが出来るはずだと自身の力を過信していたのだろうか。二人と関係を持ったことの是非とは別に、誰も幸せな未来に引っ張ることが出来なかったということに対する自責の念、自分自身への失望、そして二人への申し訳なさが今回僕の心を何より苦しめた。

 未だAとは一緒に暮らしている。この後、どういった形に転じていくかは正直なところ僕にはわからない。なぜなら僕は選択をしないという選択をしたためだ。自分自身の小狡さを自覚はしている。ただAには本当に幸せになってもらいたいとも思っているし、その幸せを僕はともに築いていきたいと思っていたのに現状で真逆の状況になってしまっていること、諸々の事象を考えるだけで胸が苦しくなる。

 ちなみに余談なのだが今年のGWから僕の誕生日(6/13)までに起こった厄災が半端ではなかった。まず4年ほど勤続していた広告代理店の上層部が喧嘩により分裂を起こしたことで、止むを得ず職を失うこととなった。

 そして、そこから上述したライフパートナーとの関係解消があり、さらに、その直後、2tトラックに巻き込まれて手首の骨を折るという事故にあった。またさらにその後に、8年近く住んでいる我が家からの退去命令が管理会社から言い渡されてしまった。不運続きにより、あまりにバタバタした日常を送っていたということもあって、家賃と物件の契約更新費の支払いをするのをすっかり忘れていたのだ。

 今まさに管理会社に掛け合っているところなのだがここで家まで失ってしまうと最高にヤバい。半端ではないカルマの濁流に揉まれながら今を過ごしている。

 僕は僕自身だけを幸せにしたいとは思ったことがなく、いわゆるアーティスト活動においても仲間たちを全員引っ張っていく役目でありたいとも思っているし、恋愛関係においても自分自身だけが気持ちの良い関係ではよくないと思っている。

 ただ、そのように考えて生きてきた結果、短期間にここまでの厄災が降りかかっているとなると、もはや僕は山にでも籠り、外界からの接触を遮断して生きるべきなのではないか、だなんてことを思ってしまわなくもない。

 Aには「受け入れてあげることができなくてごめんね」だなんて言われてしまった。周囲にも、僕の考えを話すほどに「頭がおかしい」「どうかしてる」と言われた。たしかに僕はおかしい。気狂いなのかもしれない。ただ、今回の僕の選択は、僕が僕なりにリアルへと誠実に向き合った結果の、今この時点での答えでもある。

 本当に明日がどうなるのかなんてまるで想像がつかない。予期せぬ乱数に揉まれながら、その場面、場面においてどういう決断を下していくのか。今まさに変容の只中にあって、アドレナリンジャンキーとして生きてきた業を背負ってこれからもしぶとく生きていく決心を固めているところだ。

 

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

亜鶴 あず/1991年生まれ。美術家。タトゥーアーティスト。主に、実在しない人物のポートレートを描くことで、他者の存在を承認し、同時に自己の存在へと思慮を巡らせる作品を制作している。また、大阪の心斎橋にて刺青施術スペースを運営。自意識が皮膚を介し表出・顕在化し、内在した身体意識を拡張すること、それを欲望することを「満たされない身体性」と呼び、施術においては電子機器を一切使用しないハンドポークという原始的な手法を用いている。

【Twitter】@azu_OilOnCanvas