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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第五回《タトゥー》について

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第五回は《タトゥー》について。琉球弧には琉球王国時代以前から受け継がれてきた「ハジチ」と呼ばれる刺青の文化がある。

ハジチへの憧れ

 私は最初からタトゥーに対してポジティブだったわけではない。両親が教育関係者だったため(教育関係者であることはあまり関係ないかもしれないが)平均的な日本人が抱いているのと同じような偏見をタトゥーに対して持っていた。

 姉の影響でヒップホップが好きになってから、彫り物を見ることに関しては好きになったものの、自分の体に彫りたいとまでは思えなかった。そんな私がなぜタトゥーを自分の身体に彫りたいと思うようになったのかというと、私が恩納村の民族博物館の市史編纂室でアルバイトをしていた頃に「ハジチ」について知ったことがそのキッカケだった。

 ハジチとは琉球王国時代から沖縄の女性が手の甲や指に彫ってきた刺青のことである。遡ることもできないくらい昔からあったのかもしれないが、琉球王国に薩摩が介入してくることによってだんだんとハジチは廃れていき、昭和に入った頃には完全にその風習はなくなってしまった。

 私はハジチのことを知った時にとても衝撃を受けた。沖縄にこのような文化があったということをそれまで全く知らなかったからだ。

 そして、なぜ今まで学校教育でハジチについて教えてくれなかったのだろう、と憤りを感じた。日本の歴史についてはテストまでして覚えることを強要しているというのに、なぜ沖縄の歴史についてはほとんど触れられることないまま学校教育が終わってしまうのだろう、と。

 博物館に勤めていた頃の私はすっかり沖縄の歴史好きになっていたこともあり、そうした沖縄の歴史を沖縄の地においてさえほとんど教えようとしない日本の教育が絶望的なものに感じられた。そもそも日本の教育は洗脳的で、軍事国家時代からほとんど変化していない時代遅れな教育だと私は思っている。とはいえ、教育についても歴史についても私はさほど詳しいわけではないので、ここ最近で何か劇的な変化が起こっているのだとしたら是非教えて欲しい。

 話がずれてしまったが、私には当時の沖縄の人たちが本当のところハジチに対してどういう見方をしていたのか想像することしかできないものの、ほとんどの沖縄の女性が誇らしいと感じていたと信じている。長い歴史の中で受け継がれてきた文化というものは、その土地の人々にとって必要だった、もしくは大きな意味があったからこそ受け継がれてきたのだと私は考えている。ハジチもきっと、沖縄や奄美の人達にとって、自然界、人間界で生きるための知恵として、日々の生活に必要なものとされていたのだと思う。

 人をコントロールする場合に一番手っ取り早い方法は個性を摘むとことだ。個性を摘んで誰が正しいのかを刷り込み、信じ込ませる。タトゥーもハジチもこのコントロールのための標的になりやすいのだと私は考えている。それがその土地その土地にしかない固有の文化ならなおさらだ。ひとたび誇りや個性を潰してしまえば、後には純朴で無知な人間が残るだけなのだ。

 このことは沖縄の歴史だけに起きた問題じゃないと思う。それが現代世界の実情、どこにでもありふれた風景なのだと思う。一見SNSの普及によって個性が尊重されているように見えるが、そんなことは決してない。私が身を持って体験しているから分かるのだが、ただ同じ感覚を持った人間達と繋がりやすくなった、それだけなのだ。

 私たちの世代の人間は現代に生まれて良かったねと言われることがあるけれど、私はそんな風に思ったことが一度もない。もちろん便利だなぁと思うことはあるから、便利で良かったなぁとは思うんだけど、私がどの時代に生まれていたとしても私なりに生きて楽しんで苦しんで不器用で今と大して変わらなかっただろうと思うのだ。結局、時代ではなく自分自身の問題だと私は思う。

 だいぶ話が別な方向に進んでしまったけれど、常々この世について考えているとナチュラルに生きることが難しい世界だなぁと思ってしまうので、ついつい話が膨らんでしまう。特にハジチについて考えようとすると、色々な感情が込み上げてきてしまうのだ。

 

針が皮膚を突く音

 さて、ハジチを知った私は「いつか私もハジチを突いて欲しい」と願うようになった。ただ、私のファーストタトゥーはハジチではなかった。

 コラムの第一回から書いているように、私は絵だけしかやりたくない人間で、それを職業にするしか生きる道はないと思って生きている。しかし博物館勤めの仕事は私にとってあまりに楽しすぎて、このままこの道に進んで学芸員の免許まで取得しようかなんて考えも浮かび始めてしまったため、これはいけないと私は博物館を辞め、辞めたと同時に心臓にピンが刺さったタトゥーを胸に彫った。このデザインは映画監督のティム・バートン監督の絵本『オイスターボーイの憂鬱な死』に登場するブードゥーガルへのオマージュだった。

 

 

 私にとってそのファーストタトゥーは決意のタトゥーだった。誇らしい気持ちで家に帰って母親に見せたら泣かれたのを今でも覚えている。なぜこの人はこの世の終わりみたいな顔して私のことを見るんだろうかと思ったけれど、親心とはこんなものなのかと考え直し、お母さんの気持ちもわかるが私には必要だった、だから何も言わないでくれ、と伝えた。

 両親にはこれ以上はやめてくれと懇願されていたが、もともと歯止めが効くタイプの人間ではない私はどんどんタトゥーにハマっていってしまった。皮膚上にはいろんなアーティストのいろんな絵があっという間に増えていったが、一方で私は博物館で働いていた時の「ハジチを彫ってもらいたい」という想いも忘れることができなかった。

 二十代前半の時に知り合いのタトゥーアーティストにハジチを彫って欲しいとお願いし、断られてしまったことがある。そのアーティストの方も沖縄に対する想いは非常に強い人だったのだが、今と昔とではハジチの意味合いが変わってくるし、入れる場所も場所だし、自分にはできないと言われたのだ。この人はとても考えがしっかりしていた。この人がそう言うのだから、きっとハジチを入れるには今の私にはまだ何か不足があるのかもしれないし、やはり現代ではハジチを彫るということは難しいことなのかもしれないと思った。

 しかし、物事にはタイミングというものがある。私の運命なのか、あるいは私の願いが強かったからなのか、私のハジチを入れたいという夢はその数年後に突然叶うことになった。

 ある日、友達から突然連絡があり、東京の大島托さんという方が沖縄でハジチのリバイバルをする予定だけれど施術をするモデルの人を探していて森花さんどうですか? という話を持ちかけてきたのである。私は即答した。しかも話を聞くと昔の施術方法にできるだけ近づけた方法で施術をしてくれるのだと言う。もうこれはハジチを彫る運命だったんだと思った。

 そうして施術していただく日がきた。タトゥーマシンではなく、指先に摘んだ針で皮膚を突く音はとても神秘的な気持ちにさせてくれた。なるほど、突いてもらうまでは分からなかったが、これは神聖な儀式だったに違いない、と思った。同時に沖縄の女性たちが千年以上もハジチを突きつづけてきた意味が分かった気がした。思い過ごしかもしれないけれど、ハジチを入れられたことで私は自然界と繋がれたような気さえした。その一瞬一瞬が感動的で素晴らしく、これを野蛮だと決めつける人間の気が知れないと思った。

 沖縄は古くから神の島だと言われている。かの有名な岡本太郎も魅了された島だ。私は最近まで沖縄の本当の素晴らしさがわかっていなかった。今は岡本太郎の気持ちがよくわかる。

 また私は新しくなれた。いや、新しくなりつつも戻れた、という方が正しい表現かもしれない。施術そのものは2時間くらいの短いものだったが、私はそのハジチを施術してもらったことによって多くをもらうことができた。

 

 

現代のハジチャーとして

 タトゥーについて人それぞれどう思ったって私は良いと思う。嫌いな人は嫌いでいればいいし、好きな人は好きでいればいい。ただ、それぞれの意見を押しつけることは愚かしいと思う。

 人間は争うことが好きな生き物だ。みんな自分の意見が一番素晴らしいと思い込んでいる。でも、その意見はほとんどの場合、その人のオリジナルのものではない。そして、本当に自分自身のオリジナルの考えを探すなんてムリに等しい行為だとも思う。

 でも感覚は違う。感覚はそうではないと思うのだ。感覚だけは誰とも完全には共有できないし、強要もできないし、教えることだってできない。私はハジチを入れたとき、ハジチを感じた。それはハジチについて考えることとは全然違う。もっと絶対的なものだ。だから、タトゥーに限らず、自分のナチュラルな、深い部分から感じる本当の感覚を、若い子たちにももっと感じて欲しいと私は思う。

 現代でも昔でもタトゥーに対してはそれぞれ色々な考え方があるかもしれないが、私はハジチが大好きでタトゥーが大好きで、自分の皮膚に刻まれた文様の全てを誇りに思う。これからもっとハジチについて学びながら、私自身が現代のハジチャーとして、本当にそれを施術したいという方だけに施術していけたらと考えている。

 あれやこれやと考えるから物事はややこしくなり絡まってほどけなくなる。もっとシンプルに感じたらそれでいいんじゃないかな。考えることを少しやめて、見て、聞いて、感じて、その感覚がどうだったかで、自分の気持ちを探り出し、タトゥーにせよハジチにせよ好きか嫌いか決めればいい。人間の世界はややこしすぎる。

 

 

(photo by MORIKA)

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。