檀廬影×菊地成孔 『エンタシス書簡』 二〇一九年七月/檀→菊地「ヒプノセラピーと十字軍」
元SIMI LABのラッパーであり小説家の檀廬影(DyyPRIDE)と、ジャズメンでありエッセイストの菊地成孔による往復書簡。
✴︎✴︎✴︎
スピリチュアル系の情報によると、地球自身にもちゃんとた意識があり、我々のように苦しみながらも生き、日々進化している。という話を何かで読んだことがあります。
金がないのでボロくなった服ををいつまでも大事に着てる私を優しい友人たちは「また同じ服を着ているな」などとはおくびにも出さず付き合ってくれています。
服装を気にするのは人との待ち合わせ場所に15分は早く着いていないと気が済まない心配性の人格で、出かける際に真剣にファッションを考えてるとこだわりのあまりの強さに気が変になり。服という概念自体が異常なものに思われ、それに比べれば素っ裸で街を彷徨くことがいかに自然で健全なことかと思わざるをえず、かといってそうするわけにもいかないので服装に無頓着の人のふりをして外へ出かけていきます。
僕の青春は精神病と飲酒と生活の為の数十個の仕事とその合間のわずかな時間で行ったライブと紡いだ歌詞と文章が全てでした。
本の印税は滞納していた年金と健康保険料の支払いに消え、またもバイトを掛け持ちする羽目になりそうです。三十路男の生活力の乏しさに涙も枯れました。
先日、某出版社の現地取材の為にタイを訪れる企画が持ち上がったのでたのしみにしていたのですが予算の問題でその話はなくなり久しぶりに海外に行ける事に踊っていた胸はこの肉体から飛び出してフッとどこかへ羽ばたいて行ってしまいました。
今までに精神病の治療の為にできる事を考えた時に自分には二つしか思いつきませんでした。一つ目がマジックマッシュルームやLSDなどの幻覚剤を用いてする自己治療。二つ目が頭蓋骨に穴を開けるトレパネーション手術でした。しかし幻覚剤は法に触れますし、下手をすれば症状を悪化させる可能性があるし。二つ目のものは闇医者を探さねばなりませんし少し勇気がいります!笑。
ところが最近、私にしては珍しくまともな考えが浮かびまして、それというのもヒプノセラピーなのですが先日これを受けになけなしの金を持って横浜に行ってまいりました。
あるマンションの一室に着くと神経質そうな笑顔を浮かべた女性の先生が出迎えてくれ薄暗い部屋で催眠治療は始まりました。幾つかの手順、方法を用いて意識の底へ意識の底へと何段階にもわたり意識の階段を下り、暗闇の中でふと自分の足元を見るとサバトンと呼ばれる西洋の甲冑の鉄の靴を履いた足が見えたのです。この男は幼少期、木陰の下でオールドイングリッシュの様な字体で書かれた本をぼろぼろになるまでよく読んでいました。そこは1400年頃のドイツかフランスで、読んでいる本は聖書の様でした。「僕は神様の為に戦うんだ」幼少期より、そう深く胸に刻みいい年頃になるとオカッパ頭に甲冑姿で城に出向き聖杯をもらい神に祈り終わるとバケツの様な鉄製のヘルメットをかぶって聖戦へと出かけました。なかなか腕の立つ良い戦士で神が味方についていらっしゃると信じておりましたので全く恐怖心も罪悪感もなく。異教徒を斬り殺し、刺し殺し、血みどろの戦いをいたしました。
近頃は地球の次元が徐々に上昇していると嘘か本当か囁かれておりますが。この中世の欧州の物理次元の波動といったら大変荒く重いのです。溶けた鉛の中にいるような息の詰まる重さ。そのあまりの苦しさに別人の人生を俯瞰していたこの肉体からはたくさんの涙が出ておりました。そして敵の城の下まで迫った時に大きな岩か木の杭か何か大きなものに押し潰されて、肉体はぐにゃぐにゃと人形のようにひしゃげあっけなく死んだのです。そして魂は即座に肉体より出でて少し高い位置から今繰り広げられている聖戦という名の愚かな人間の争いを見て悲しみました。こんなものは信仰じゃない。自分が聖戦だと信じて疑わなかったものが間違っていた。そうがっくり肩を落としてあの世へ一時帰国してこの生は幕を閉じました。
先生に礼を言いマンションの一室を後にすると、ファミレスで食事をしながら中世の聖戦についてネットで調べました。すると十字軍というものに引っかかり調べていくと、その甲冑のスタイルや戦う意図など全てが俺がイメージの中で観たものそのままでした。俺は退行催眠に於ける前世というものが必ずしも現実にあった事だとは考えていませんでした。もっとある種の意識のメタファーのようなものをイメージで見せられるくらいに考えておりましたが、何やら違ったようです。なぜなら俺は今こうして調べてみるまで十字軍がどういう団体であったのかもよく知らなかったのですから。
この治療の後、意識は遠くふわふわと宙を舞い何かの模様を形作っては消えるというようなことを繰り返し、論理的思考とは程遠い場所にあり、眠気覚ましにビールを飲んでおりました。尿意を催し、トイレに行って用を足し終わり手洗い場に向かう直前に個室から一人のサラリーマン風の男が出てまいりました。彼は手を洗い、ハンカチで拭くと、まだ乾ききっていない両手で僕の頬を撫でました。
「格好いい!イッケメーン!俺はゲイじゃないけどお兄さんみたいにかっこいい人となら一回くらいやってみたいな!どう?」
「いやそれはちょっと」
「いいじゃん一回くらい! ね? あ、でもこれは秘密だよ!」
「いやあそれはないっすねえ」
「俺なんてどう?」と格好良くもなく若くもないサラリーマンはしつこく俺を誘う。
「きれいなニューハーフとかならまだしも、あなたとはちょっと、、、」半ば混乱気味に意味深な文句で断る俺。
彼はやっと諦めると「このことは内緒だよ!」とウィンクをして去っていった。席に戻ると長い旅から帰ってきたような倦怠感を感じながら飲みかけのビールを飲み干し、新しく注文したビールを飲みながら、なぜ俺は昔からゲイにモテるのか考えてみましたが見当も付きません。女にはモテず男にモテる事にどんなカラクリが潜んでいるのか。
しかし今のサラリーマンの目や仕草から感じた狂気。見ず知らずの中年の男に両頬を撫でられる嫌悪感よりもむしろ同情する気持ちの方を強く感じました。というのもこの男の行動が防衛本能によって発現したものであったなら、それはまだ健全な精神活動を営む為に必要だったわけで。首をくくる代わりに赤の他人の頬を撫でて気がすむのなら人はこのような醜態を晒してでも生きるべきだと思うのです。そしてできることなら美人のニュ―、、、じゃなく美女に言い寄られてみたいものだと思う今日この頃でありました。
✴︎✴︎✴︎
✴︎✴︎✴︎
〈MULTIVERSE〉
「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行
「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性
「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue
「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”
「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー
「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る
「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎