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遠迫憲英 『神々のセラピー|サイケデリック精神医学』 #03 廃墟に吠えるさかしまの天皇──山塚アイとボアダムズ

精神科医・遠迫憲英が精神世界の迷宮を綴った虚構手記。音楽とドラッグと精神分析。交錯していく現実と妄想。1988年、少年たちはペパーランドにいた。その日、初めて岡山でライブをするボアダムズを観るためだった。

ワーンツースリーフォオ、ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガーーーーーーーーーー! 

ワンツスリフォ! ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガーーーーーーーーーーーガガガガーーーーーーーーー! 

ガガガガーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

 

 爆発したような髪型はドレッドともアフロともつかなかった。小柄で、しかし引き締まった身体には古着のスエットが何枚も重ね着されている。下半身にはタイトなジーンズ、そしてスニーカー。全身をくの字に曲げながら、アスリート並の瞬発力で、その日、山塚アイはジャンプしていた。

 

フェーギャー! オッ! オッ! フェーギャー! オッ! オッ! 

ラバーマン! ラバーマン! ギャーーーーーーーーー! ノー! ノー! ノー! 

ラバーマン! ラバーマン! ギャーーーーーーーーー! ノー! ノー! ノー!

 

 言語未満の衝動的な吠え声、叫び声。ハナモゲラ語、魔術的にはエノク語、いわゆるボア語。ときに絶叫、ときにゲップ、歌詞がもつ物語性や意味性、あるいは感情からも解放された、剥き出しの音声。飛び、跳ね、うずくまり、手足を伸長させ、弓のようにからだを反り返らせて叫ぶ。その姿はあまりにも自由で、あたかも大地を覆う全ての生命の衝動が、そのままこちらの全身へとぶつけられているようだった。

 右にはギターの山本精一がいた。ベースはヒラ、ドラムは吉川豊人。ボアダムズの原型となった最強のメンバーである。ギリギリと軋むギターとカッティングのリズムが、今奏でられている音響がロックであるということをかろうじて判別可能にしている。しかし、それは各部の接合部に油をさされていない歯車のような、ガタガタでポンコツのロックではあったのだが──。

 

ボアダムズとシャーマニズム

 パンク登場以降、ニューウェーブによる内省、インダストリアル、ノイズ・ミュージックによる死や狂気への接近を経て、オルタナティブな音楽は限りなく過去の文脈や情緒から離れようとしていた。むしろ、過去から遠ざかるために積極的にドラッグを用いた結果、死に接近していたようにも思える。それが80年代初頭のサマー・オブ・デス・ムーブメントであり、サイキックTVを筆頭に、Nurse with Wound、Current 93などのノイズ魔術結社、そしてホワイトハウスなどの音楽的抑揚すら否定するホワイトノイズで埋め尽くされた虚無的音楽などを誕生させていくことになった。

 サイキックTVが初来日したのは1986年だった。PSYCHIC TV FINAL WARS 1986、中野公会堂。来日4回講演の3日目に出演予定だった山塚アイ率いるハナタラシは、ライブ会場に火炎瓶を持ち込み、出演停止になった。それはライブ前月の雑誌フールズメイトの誌面上で、山塚アイ本人によって犯行予告され、その予告通りに実行されたものだった。

 ハナタラシはデビュー前年のライブで、観客に一切の危険について出演者主催者には責任がないという誓約書を書かせた上、ライブハウスに持ち込んだショベルカーで、ライブハウスを破壊するというパフォーマンスを行っていた。別のライブではチェーンソーで誤って自分の足を切りつけ、その衝撃的な写真がフールズ・メイトに掲載されたこともあった。

 フールズ・メイトは1986年当時、ノイズやインダストリアル、ニューウェーブなど、西洋のポスト・パンク以降のアーティストを扱う、ほとんど唯一の音楽雑誌だった。雑誌自身がトランス・レコードという自主レーベルを持ち、ポジティブパンクとインダストリアル以降の西洋音楽の影響を受けた、ゴシックな志向を持つアーティストの作品を数多くリリースしていた。YBO2、ソドム、RUINSなどがその代表的なバンドで、俺たちの地元である岡山からも黒色エレジーというバンドがレコードをリリースしていた。

 サイキックTVの来日ライブに火炎瓶を持ち込んだハナタラシは、その暴虐無人を恐れた各地のライブハウスから出禁を食らってしまい、ライブの場を失っていた。そのために新たに結成されたのが、ボアダムズである。そしてトランス・レコードから発売されたボアダムズの1stシングルが、「ANAL BY ANAL」だった。村上ポンタの教則レコードのドラムをバックに、山塚アイがのたうったり唸ったりしているだけの、カスのような内容の酷いレコードだったが、崩壊した精神を表すようなスカスカの音の中に耳をすませば、そこには不思議なロックのフェティシズムがあり、ブルージーなフレーズの残像があった。

 

 

 徹底的に意味が破壊された果ての廃墟、その暗黒の死の底から立ち上がろうとする原始人の息吹、それがボアダムスのサウンドだ。言語を獲得し、自意識を獲得するより以前、つまり、ホモ・サピエンスになる前の非人間の音楽。俺たちにはボアダムズが、現代人が失いつつある内なる原始人性を音楽の中で開放し、表現しているように思えた。それはハナタラシの頃とも確実に異なっていて、その変化にキッズだった俺たちもまた敏感に反応していた。果てのない自殺を繰り返すノイズ・ミュージックは、ハナタラシによって観客と表現者間における死の恐怖を媒介としたコミュニケーションに至り、そして、ボアダムズはさらにその先で、あたらしく何かを創造しようとしている。そのクリエイティヴィティに感激していた。

 それはシャーマニズムだった。山塚アイは自分自身を“音”の依り代として開放していた。表現していたのは音それ自体で、山塚アイは陶酔の中でその音を増幅し、観客の意識へと作用させていた。シャーマニズムとはクリエーション、つまり創造の秘密である。俺たちもまたボアダムズを通じて、その秘密に触れたような気がしていた。

 

Boredoms Live at Okayama Pepperland June 11.1988

 ここは1988年のペパーランド。黒色エレジーとの対バンで、ボアダムスの岡山初ライブが行われている。ライブが始まると初っ端から、

 

サリドマイドカー! ギャギャギャギャギャギャギャギャーーーーーーーーーーー! 

サリドマイドカー! ギャギャギャギャギャギャギャギャーーーーーーーーーーー!

 

 理解を超えた衝撃に、たちまち俺たちの頭は真っ白になった。

 曲が終わると人懐っこいMCが一言、その直後、山塚アイの飛び跳ねる身体に合わせて、ドラムとギター、ベースが瞬発的に追従した。サラリーマンのような容姿で、見識の深い、かつ見識を破壊する痙攣的なギターを奏でる山本精一、マッシュルームヘアにフレアパンツでディストーションが深くかかったブルージーなベースを掻きむしるヒラ、そして、長髪にヒゲもじゃ、素肌に毛皮をまとった出で立ちで、ドタバタと自由なドラミングをするもうひとりの原始人・吉川豊人。山塚アイの雄叫びと掛け合うそれらの音は、音楽によるまったく新しいコミュニケーションの形を提示しているようだった。

 今日この場にいる客は30人くらいだろうか。俺の横ではヒロシがニヤついた顔で山塚を凝視している。俺もまたビデオカメラをまわしながら(当時のライブハウスは余裕で許された)同じように山塚の一挙手一投足に目を奪われている。そしてもうひとり、シューローという少年が俺たちに並んで、俺たちと同じように放尿していた。放尿とはもちろん感激していることの比喩だ。シューローは後にグンマという仮名で西新宿にLOS APSON?という90年代モンドブームの先駆けとなる特殊レコードショップをオープンすることになる人物だが、やつが本当の意味で音楽と邂逅したのは、間違いなくこの瞬間だった。

 

 

 シューローを初めて見たのがいつだったかは定かじゃない。俺たちが中1の頃から入り浸っていた駅前のスティングや商店街のスターダストなどのゲームセンターで、シューローはしょっちゅう一人でゲームをしていた。やっているのはいつもシューティングゲームで、操作パネルの横に100円玉を積み上げ、クリアするまでしつこくプレイし続けていた姿が印象的だった。服装は不定形で、学生服のときもあれば、ダンガリーシャツにチノパンというナードなスタイルのときもあったし、アロハシャツにサンダルというヤンキースタイルのときもあった。

 やがて俺たちはシューローを見かけると話しかけるようになり、一緒にゲームをプレイする仲になった。俺とヒロシがゲーセンの後にいつもライブハウスへ向かっていることを知り、シューローもまた音楽に興味をもったようだった。俺たちと一緒にライブに行きたいとシューローが言い出したのはちょうどボアダムズの岡山初ライブが決まった頃で、俺たちはボアダムズのライブをシューローのイニシエーションにしようと決めた。そしてライブ当日、奴は見事に放尿したのである。

 俺が言いたいのは、たった一度の音楽の体験が、その人のその後の人生をまるっきり変えてしまったり、価値観を根底から覆してしまったりするということが、本当にあるということだ。音楽は人間の意識を操作し変容させる。それによって、人は救われたり、狂ったり、誰かを殺したり、自ら死んだりする。音楽はただ楽しいだけのものではないのだ。あの夜、シューローの人生は不可逆的に変わった。そして、ステージの山塚を目に放尿するシューローの姿に、俺たちもまた、音楽が自己や他者の意識を変容させる可能性があるヤバいものだということを知った。

 

ポストモダンの虚無に君臨するさかしまの天皇

 当時、山塚アイは間違いなく天才だった。自意識の死を経てシャーマンとして再生していくというプロセスを、本能的に理解し、また実践していた。そして、このシャーマニズムとは、日本文化の無意識に根ざしたものでもあった。いまだ日本の基盤をなしている天皇制とはシャーマニズムに他ならない。山塚は戦後の民主主義の中でその本質を隠蔽され、西洋文明を追従するなかで忘れ去られた、シャーマニズム的創造の手法を現代に再現し、ポストモダン的な虚無主義に対峙させたのだ。それは山塚アイの本能的直感であったとも言えるし、あるいは彼の祖父が大本教信者で、幼少期から大本教の祝詞奏上に馴染み深かったこととも関係があったかもしれない。

 いずれにせよ、山塚アイとボアダムズの実践は、日本に生まれ、日本史の突端を生きる俺たちの無意識に鳴り響いた。もちろん、シャーマニズムそのものは普遍的だろう。だからこそ、ボアダムズの創造性は日本を超えて世界中へと伝播し、ソニック・ユースや、ビースティ・ボーイズ、プッシー・ガロアなどアメリカのオルタナティブ・ロックの最高の知性たちによる熱狂的な支持をも得たのだ。

 俺、ヒロシ、そしてシューローの3人は、ボアダムズが岡山初ライブを終えたその晩にバンドを結成した。パートはボーカル、ギター、自転車。音さえ出れば何でも良かった。自転車は鉄棒で叩いてもたいしていい音はでず、また自転車である意味もまるでなかったが、俺たちにとってはそれが無意味であるほど良かった。

 冗談とも真剣ともつかない遊びのなかで、俺たちは音作りを始めた。同時にボアダムズに影響を与えたと思われる、過去のフェティッシュな音楽のアーカイブを聴き漁った。それは俺たちをパンク以前の実験的ロックへと導いていくことにもなった。サイケデリックロック、ハードロック、そしてファンク、ブルーズ。ポストモダンの廃墟から、再び生命力をもった音楽を立ち上げるためには、相対主義のもとに虚弱化したリアリティを蘇生しなければならない。その上で俺たちがアクセスしたのは魔術的音楽、ドラッグミュージックの系譜だった。

 パズルのピースは早くも揃いつつあった。サイケデリックミュージック、そしてドラッグ。早急に体験する必要があった。まもなく俺たちはインドに飛んだ。

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

遠迫憲英 えんさこ・のりひで/精神科医。大学時代は音楽活動、格闘技に熱中。またバックパッカーとしてインド、東南アジア、中米、地中海沿岸など各地を放浪する。幼少期から人間の意識についての興味が深く、古代の啓明とテクノロジーの融合を治療に活かすべく精神科医を志す。平成21年にHIKARI CLINIC(http://hikariclinic.jp/)を開院。