logoimage

神本秀爾 『History Hunters ラスタファーライの実践』 #06 グローバル化に葛藤するボボ・シャンティ──しかしホウキのリディムは鳴り止まない

文化人類学者・神本秀爾によるジャマイカ・レゲエの旅。ラスタファーライの歴史と実践を追う。グローバル化はボボと世界を繋ぎ、それはボボ内部に葛藤をもたらした。しかし一方で、ボボの実践は新たしい文脈で機能し始めてもいる。

ボボのホウキは聖俗を跨ぐ

前回、ホウキ製作は経済活動であり、ボボの信徒のアイデンティティにとっても大切な行為でもあるということを述べた。ホウキは卓上を掃く小さなものから天井まで届くような長いものまであって、僕が調査をしていたとき、値段は100ジャマイカドルから400ジャマイカドルぐらいだった(当時のレートで140~560円程度)。

ボボの信徒の多くは丁寧に掃除をする。コミューン内の小道はきれいに掃き清められるし、床の拭き掃除までやる信徒もいる。住居や生活空間をきれいにするのは、その目的がわかりやすいが、掃除をすることは邪悪なものを追い出したり、それらと距離を取ったりするためとも言われる。日本でも同じようなことを聞くことはあるので、とてもしっくりきた。特にダウンタウンのバスターミナル周辺の猥雑さとか散らかった様子に驚かされた身としては、掃除をする彼らの姿はお寺でお坊さんが掃除をしている姿と重なって新鮮だったのを覚えている。コミューンという、世俗と違うルールで動いている世界だと思っているからだろうけど、安息日の前にほとんどの信徒が掃除をしている姿を見たり、その音を聞いたりすると、少しずつ聖なる時間と切り替わりつつあることを実感したりもした。

話を戻すと、ホウキには掃除道具という一般的な用途があるため、まったくラスタと関係のない人も買ってくれる。バスで街中や住宅地に移動して行商することがほとんどで、長いホウキの場合は1,2本、普通のサイズのものの場合も多くて5,6本ぐらいを持ち歩くのが限界という感じだった。長袖長ズボン、そうでないときはマントを身に着けた彼らがホウキを肩にかけて颯爽と歩く姿はけっこうかっこよかった。何度か行商に付き合ったことがあるが、信徒の馴染みの顧客の女性には、「今日は中国人のラスタ仲間も一緒なのね」とからかわれたこともある。

 

 

 

ファッショナブル化とその反動

ボボで暮らす彼らの経済活動のなかではバッジがとても面白かった。ホウキと同様にバッジも男性のみが作っていた。ボボ系のアーティストがステージで手にしているときもある短い杖なども作り手、使い手ともに男性に限られるのだが、バッジにも基本的に同じルールが適用されていた(着用する女性も少数いる)。大きく分けると男性的なカテゴリーに入る「聖なるもの」のひとつだと言うことができる。

正装のときでも普段着のときでも信徒の胸には、このバッジがついていることが多い。スタンダードなモチーフは、人物ではセラシエや王妃のメネン、エマニュエル、ガーヴェイ、その他ではアフリカやライオンなどである。バッジはたいてい、ベニヤ板かココナッツの内側の硬い殻をベースに作られる。値段は安いもので50ジャマイカドルで高いものが300ジャマイカドルぐらい(70~420円程度)だが、たいていは100ジャマイカドルから200ジャマイカドル(140~280円程度)だった。

こういったバッジをつけることは、ラスタであること、そして場合によってはボボの信徒であることを意味する。セラシエやメネン、アフリカやライオンは宗派の違いを目立たせないモチーフだが、エマニュエルのものを身に着けているのはボボだけである。ただ、スタンダードなモチーフであっても、背景のラスタカラーの配置(上から赤・黄・緑)で、ボボの信徒が作ったものは見分けることができる。このバッジだが、ラスタ系のアーティストとファッションが結びついた時期に、変化が起きた。

ギャングスタ・ラスという言葉を自分のキャッチフレーズのように使ったのはMunga Honorableというアーティストだが、それ以前にその代名詞のようだったアーティストがタービュランス(Turbulence)だ。2000年を過ぎた頃が、彼らが最も流行の最先端だった時期で、彼らは、たとえば当時はやっていたブランドもののTシャツにティンバーランドのブーツをはいたりして、地味なアースカラーとかミリタリー系だった、それまでのラスタ系のアーティストと一線を画した。2004年のSting(年末のビッグイベント)はラスタ系がメインの年だったし、そこから数年間の間に発売されたCDを見た限りでは、人前で外してはならないとなっているターバンを外し、ドレッドを見せているものも多く、ボボ系のアーティストもファッションがいちばん「乱れている」時期だった。

何が言いたいかというと、その時期はボボ系のアーティストが、ある程度ファッショナブルな存在だったということである。そのことが第5回目の連載の冒頭で紹介した“REGGAY IS DEATH”ビデオの公開という出来事と結びついていくのだ。そして、その流れがバッジにも反映されていたのがとても興味深かった。

 

 

 

この写真はマーカス・ガーヴェイの誕生日を祝うイベントのときに撮影したもので、コミューンの外に住んでいるボボがバッジを販売している様子だ。スタンダードなものもあるが、多くのマイナーなアーティストの顔がモチーフのものも販売されていた。こういったアーティストは、ボボ的な要素を自分のキャラクターを売り込むための資源として使っている場合が多い。実は、写真の人物自身も音楽をやっている。そして、これは推測だが、アーティストをモチーフにしたバッジは身近な仲間がグッズのような形で製作し販売しているのだと思う。

というのも、マイナーなアーティストはそもそもその周囲でしか知られていないため、他に彼らをモチーフにしたバッジを作る人は存在しない。また、売れているアーティストが周囲の人間や場合によってはコミュニティを引っ張るということもあるので、応援するという意味もあるだろうし、彼らが売れたら実際にグッズの売り上げがわずかだが収入源になるということもあるだろう。裏を返すと、多くの人がエリアやコミュニティ、クルーの枠を超えて応援しているようなメジャーなアーティストでない限り、身近なアーティストのグッズしか作りにくいという事情もあるのかもしれない。下の写真のバッジは最近たまたまネットで見つけて購入したものだが、シズラのジャッジメント・ヤードのクルーが製作したものと説明されていた。

 

 

グローバル化が生んだボボの新しい文脈

ボボのお祈りで使われる聖句、Holy Emmanuel I, Selassie I, Jah, Rastafariがステージ上や録音された音源上で使われるように、バッジというフォーマットもコミューンを離れ、世界に届くようになっている。こんな未来など、エマニュエルも想像がつかなかったはずだ。そして、彼の想像をはるかに超える形でボボ・シャンティもまた、世界と相互に繋がり合うようになっている。

グローバル化は、このような相互のつながりが強くなると同時に、個々の人間を、彼らが生活するローカルな場所から浮き上がった存在へと変化させる。人々は、こうして浮き上がった状況のなかで、生活空間とは遠く離れた人やモノと関係を結ぶ機会が増える。つまり、生活空間は、止まることのない関係の再編成がおこなわれる現場になる

こうした状況を加速化させたのがメディアの発達である。たとえばボボに関する情報も、最初は活字メディアである論文や本の一部として、その後はアーティストの音楽(とその映像)を通じて日本に届けられた。そうしている間に物理的なものを介さない形で、つまりはインターネットの記事や動画共有サイトでの情報として得ることができるようになり、現在はダイレクトにオンタイムでつながることまで可能になっている。このような時空間の圧縮[ハーヴェイ 1999]が進むなかで、ボボ・シャンティの人々もどのように自分を位置づけ、それぞれがどのようにして大切なものを守るのか、という課題に直面しているのだ。

このようなややこしい書き方をしてぼくが強調したいのは、ボボのバッジのモチーフにアーティストが描かれるようになったという単純な事実に向き合うにしても、当事者と自分が置かれている歴史的・社会的なコンテクスト(文脈)を無視しては、正確な理解にたどり着くことは難しいということだ。

ローカルなコンテクストから浮き上がった人々の、不安定なアイデンティティは、安定したアイデンティティを求めることもある。このような状況でアイデンティティは、再帰的(reflexive、反省的)に構築される[ギデンズ  2005等]。 “REGGAY IS DEATH”ビデオの製作者もこのプロセスのなかにいて、ボボとしての、より安定したアイデンティティを求めていたと考えることも可能だろう。ボボはどうあるべきかということを、周囲の状況を見ながら再定義することで、自分を安定的なものにしようとしていた、ということだ。複雑化しているレゲエとの関係を、どうバランスを取りながら良いものにしていくのか、ということを模索するよりも、望ましくないものとして切り捨てようとした方が、自分にかかる負担は少なく感じるのも事実なのだ。

ただ、バッジという具体的なモノに注目することでわかるのは、現実世界には、そう簡単に切り捨てられない複雑さが存在しているということでもある。ボボ・シャンティという空間はエマニュエルが作り上げた唯一無二のコミュニティで、多くの人を惹きつける教えもそなえている。グローバル化が進むなかで存在感を失い、駆逐されることはなかった。むしろ、ボボに関心を持つ人が人種や国籍や母語の違いを超えて世界各地に現れ、そのような多様な人々にとっての安定的なアイデンティティの拠り所として、重要な役目を果たすようになってきている。

ボボに関する情報は、昔と比べると簡単に手に入るようになった。それは、ボボの人々の自意識のあり方の変化もともなっている。例えば、2005年や2006年に調査をしていた時は、撮影の許可を得るのに多少苦労したような映像も、数年後には本人たちが積極的にSNSにアップしていたりもするようになって拍子抜けしたのを覚えている。彼らが、誰に、どのように見られるかをどれだけ想定できているかはわからないが(おそらくは多くの日本人のSNSユーザーのように、知人・友人向けがメインだろうけど)、その情報が、ボボに関するリアルな情報として、彼らが想定しなかった人々に、想定しなかったやり方で受け止められているのも事実である。

ボボがレゲエと密接な関係を結ぶようになって、たしかに内部では葛藤も生じている。今回はバッジを手掛かりに考えたが、バッジというフォーマット自体が廃れていない点で、ボボがレゲエに飲まれたというよりも、レゲエをそれなりにうまく飼い慣らしながらボボは存続してきたと捉えるべきだろう。そのことを示す映像がある。それは、カナダのトロントの、移民も多く暮らすエリアのコミュニティからアップされた、ホウキを主題にしたレゲエの映像だ。Jah YouthとRoyal Yuteという二人組のBobo Broom(2009)という曲で、冒頭でも紹介したように、ホウキの持つ意味について歌っている。SizzlaのKarate(空手)という曲にも使われているMarial Arts(2002)というリディムを使っているあたりも個人的にはとても気に入っている。なにより、ボボにまつわる実践がまた新しい文脈で機能しているということが面白い。

 

 

引用、または言及した文献(50音順)

ギデンズ 、A 2005 『モダニティと自己アイデンティティ−後期近代における自己と社会』、ハーベスト社。

ハーヴェイ、D 1999 『ポストモダニティの条件』、青木書店。

 

〈MULTIVERSE〉

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

PROFILE

神本秀爾 かみもと・しゅうじ/1980年生まれ、久留米大学文学部准教授。専門は文化人類学。著書に『レゲエという実践—ラスタファーライの文化人類学』(京都大学学術出版会)など。