代沢五郎 from O.L.H. 『Fetish Guitar Ethic Committee』 #02 Danelectro——手抜きの美学
X-RATEDノワールファンクバンド〈Only Love Hurts a.k.a. 面影ラッキーホール〉の主催者・代沢五郎(sinner-yang)がナビゲートする“フェティッシュギター”の銀河系。第二回は「ビザール・ギター」の代名詞的存在であるDanelectroの手抜きの美学について。
大量複製文化の本質は巧妙な「手抜き」にある
アメリカン・ビザールの代名詞的存在のDanelectroはNathan Danielによって1947年に設立されました。モンゴメリー・ウォードや、シアーズ・ローバックといった大規模百貨店にアンプを供給した後、1954年にギターの製造を開始しています。自社ブランドであるDanelectroの他、シアーズの流通ではSilvertoneというブランドで販売されました。国土の広いアメリカでは40年代後半から百貨店のメールオーダーが一般化していたらしく、その販売網に乗せることに特化したDanelectroはターゲットをビギナーに絞った低価格帯の商品構成になっています。日本でもある年代以上の人には懐かしい「二光の通販」的なものですね。
この1444はSilvertoneブランドのもの。Silvertoneはシアーズ・ローバックが自社で販売する音響製品に使用したブランドで、ギターの他にもラジオ、レコードプレイヤーなどもラインアップしていました。ギターの製造はDanelectro以外にもHarmonyやKay他、複数のメーカーに委託していましたが、60年代後半からはTeiscoやGuyatone等の、より製造コストの低い日本のメーカーに移行したようです。
1951年にFenderが世界最初の量産エレクトリック・ギターBroadcasterを発表した時も「板きれを2つネジ止めしただけのものなんてギターじゃない!」と酷評する向きもあったようですが、このDanelectroは低価格帯を狙っただけあって、更に上を行く手抜きです。ボディは建材に使われる集成材の板で作った箱。ピックアップは口紅のケースにコイルと磁石を入れたもの。ボディサイドは塗装せずに壁紙張りと、徹底した既製品の流用。「残りものでカンタン!~かしこい主婦のアイデア・レシピ」的ギターです。しかし、手抜きは手抜きでも、巧妙で露骨な手抜きは美に昇華します。それは家事の本質でもあり、大量複製文化の本質でもあります。
この人の、下位打線に対する手抜きも本当に美しかった。
Danelectroは1969年で生産が終わりますが、Dano愛にあふれたJerry Jonesというメーカーが80年台後半から2011年まで、構造上の欠点を見直した高級コピーモデルを少量作っていました。僕も持っていましたが、造りは素晴らしい一方、オリジナルとはずいぶん音色が違います。手抜きしなきゃいいってもんじゃないのが不思議なところです。00年代からはDanelectroブランドが復活し、初期は中国で、後に韓国で生産をしています。これらもオリジナルより断然マシなつくりなんですが……。
ほとんどブラックしか見かけることのない1444ですが、これはレアなレッドです。ボディを兼用したDanelectro U1と同様に、カラバリもあったのでしょうか?
80年代初頭、このPro-1をはじめて見て衝撃を受けました。不真面目にもほどがある。ギターであることを目指してないギター。本質より実存が先行する場合があるんですね、ギターにも(笑)。
Pro-1は1963~1964の発売で、ブラウン・スパークルの1色展開の筈ですが、これは1962年製で、しかもレッド・スパークル。渋い赤にまばらなラメが散る様子は、まるでおせちの重箱。一年中おとそ気分のめでたいルックスです。いろいろ調べたところ、どうやらプロトタイプらしいです。激レアですが、残念なことにネックが再塗装、いわゆるリフィニッシュされた状態で発見しました。
オリジナルのブリッジは、スチール板を折り曲げただけで一切の調整ができません。弦高はマイクロ・ティルトでネック角度を調整することで無理やり何とか出来なくもないですが、オクターヴ・ピッチはお手上げ。超ショート・スケールとあいまって、まともにチューニングは合いません。てか、きっと合っちゃいけないんだと思います。だってギターであることを目指していないギターなんだから(笑)。
たかがギターと言えど、一応文化遺産ですから、不可逆的な改造はすべきじゃないと思っています。しかし、こいつはネックが既に再塗装されていたことと、あまりにも音色が気に入ったために実用化に踏み切りました。ギターじゃないギターをギターにする試み。物理的改造でもありますが、同時に思想改造でもあります。
まず、ebayで同年代でレギュラー・スケールのDanoネックをゲット。恐らくConvertibleというモデルのネックです。リペア・ショップに持ち込んで改造をお願いしました。ブリッジ位置を変えずにつけるためにはネックをカットする必要がありました。トラス・ロッドが一般的なアジャスタブル・ロッドではなく、補強用のT型金属バーが埋め込んであるだけだったのでこんな無茶ができました。手抜きに感謝。ブリッジはハード・テイルのストラト用に交換。これでバッチリ、チューニングが合います。
実用性を手に入れましたが、かわりに思想性は失なわれました・・・・・・。
これらの改造をお願いしたリペア・マンから「集積材箱ボディがヤワでヘナヘナだから、ついでにセンターブロックを入れて補強したほうがよいかも」との助言で、ボディに小さなセンターブロック、要するに芯を入れてもらいました。空洞ボディに芯を入れると音色もしっかりして良いとのことでしたが……。あれっ、マジメな月並みな音になっちゃった。
センターブロックを外してもらうと、良い湯加減のアーシーな音色が蘇りました。ビシっと一本芯が通るとかえってつまらない。漢には漢なりの、根性無しには根性無しなりの生き方があるんですね。
数年前に流行った大家族モノのお父さんとか、風俗嬢になってみたりまた女優を目指したりの二世タレントとか、本能のみを羅針盤に大海原を行くがごときフラフラした人が、何故か目線をそらせない魅力を持つのと近いのかも。浄土を目指してない補陀落渡海。勉強になりますね。
1952年の発表当時は “アイデア商品”の域だったエレクトリック・ギターは、その後の音楽マーケットの変化と拡大に大きな影響を与えながら一般化し、60年代中期には生産数が急増します。そうなるとオトナの出番というわけで、ギター・メーカーは60年代中期から次々と大資本の参加に取り込まれます。1964年にはFenderがCBSに、1969年にはGibsonがNorlinに、そしてDanelectroは1966年にMCAに買収されます。MCA買収後、少しだけテイストが変わりますが、本質的なDanelectroの手抜き体質は変わりません。そういえば、大洋漁業からTBS傘下になった頃の横浜ベイスターズもそうでした。Danelectroもケータイゲーム屋に買収されたら、少しはマシなギターを作るようになってたんでしょうか?
否。それではこの白痴美は生まれません。
それまでの建材を二次利用した集成材の箱ボディから、やっとエレクトリックらしいソリッド・ボディに。でもブリッジは相変わらずスチール板を折り曲げただけの一直線の固定式。でも奇跡的にオクターヴ・ピッチは合いました。写真の現物は2・3弦の下にアルミホイルを敷いてかさ上げして指盤のアールにあわせています。
僕が心配することじゃないですが、アリゲーター・フィニッシュと呼ばれるこのワニ革っぽい塗装は普通の塗りつぶしよりコストがかかるんじゃないんでしょうか?それとも、塗装ムラや仕上げのバフ掛けの心配がいらなくて更にローコストなのかな?
「ダメなダメな、ほんとにダメな、いつまで経ってもダメな♪」という歌(原曲は三浦弘とハニーシックス)が良く似合うダメなDanelectroですが、そのわりに不思議とネック・コンディションだけは良いのです。
近所の茶飲み友達にして、日本のヴィンテージ・ギター鑑定の第一人者・波多野光男さんも「古いDanelectroでネックがダメになってるのはあんまり見ないね」と仰ってました。バカは風邪をひかないのはギターも同じなんでしょうか? 驚きのポプラ・ネック。
ちなみに、このベースと同シェイプ、同カラーの12弦ギター・Dane #2N12をArto Lindsay師が使用しています。ギタリストならざるギタリストが弾く、ギターならざるギター。必然ですね。
MCA買収後のDanelectroは、プロモーションにトップレスのガールズバンド”The Ladybirds” を起用。さすが、わかってます!
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