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PlasticBoys 『夢には従わなければならない それは正夢だからだ』 #07 1988年セカンド・サマー・オブ・ラブ&アシッドハウスの勝ち馬に乗れ

伝説のゲイクラブ「PlasticBoys」の入り口の扉の、三角形の絵の下には、こう書かれていた。“夢には従わなければならない それは正夢だからだ”

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伝説のゲイクラブ、

『PlasticBoys』の入り口の扉の、

三角形の絵の下には、こう書かれていた。

 

夢には従わなければならない それは正夢だからだ

 

 

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M|A|R|R|S名義でPump Up The Volume(1987年)の世界ヒットを飛ばしたC. J. MackintoshとDave DorrellがWAG Clubの毎週土曜日にLOVEという名前のアシッドハウスのパーティーを開催していた。これらのTシャツは、DJ Marboにより日本に輸出され、渋谷Made in World、原宿ロンディスで販売された。

 

WAG ClubのLOVEのフライヤー

 

 

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 1988年の夏のイギリス、分断されていた若者達はダンスするために集合していた。ダンスは我々が言語を発明する以前から、求愛行為などの種を保存するために用いられてきた本能的なコミュニケーション手段だ。それは、文明化以降も、権力への抵抗、戦闘前の儀式、共同体の協力を得る手段として伝承されてきた。

 

 あの夏、当時のイギリス社会では生産性とは真逆の存在と見なされていた失業中の若者達が、政府の許認可を得ていない違法の海賊放送(パイレーツラジオ)や、個人間の固定電話や口コミの連絡網を経由して、倒産した工場、倉庫、オフィスビル、農場などの大きな空間に集結していた。そこには、サウンドシステムも持ち込まれていた。個人主義に分断されていた若者たちは、シャーマンとしての役割を持つDJがプレイするハウスミュージック(ダンスクラシックスの一番踊れるドラム、ベースライン、リフの繰り返しを曲にしたもの)と、「気付薬」としての役割を持つMDMAエクスタシーで、朝までダンスし、セロトニンを出しまくることで、生まれて初めて連帯をしたのである。

 

 それらは、一見すると非生産的な集合体であった。資本主義的に言えば無(無能)の集合体である。しかし、それらの無は有を産んだ。ダンスに特化した音楽に、ダンスに特化したファッション。身につけたものは、Tシャツであり、スニーカーだった。Tシャツには、スローガンやサイケデリック・カルチャーを引き継ぐ蛍光プリントのアートワークが施された。スニーカーはオールドスクールと最新型が入り乱れ、ただのスポーツウェアだったものが、ストリートウェアへとイメージがアップグレードされた。これらを装着しダンスする若者達は一人一人がMicro Mediaだった。さらに、彼らが集合することでMicro Media Unitedとなると、やがて感化された中産階級、上流階級の若者達もが集まり始め、人が人を呼び巨大なムーブメントとなったのである。

 

 第二次世界大戦後、イギリスはアートスクールを介して、アート、デザイン、音楽を労働者階級に解放した。アートスクールを卒業した若者達が、ビートルズ、ローリングストーンズなどのブリティッシュロックを生み、それはグラムロックへと引き継がれ、マルコム・マクラーレンによるパンクロック、ニューウェーブなどの音楽とファッションを創造し、1988年のセカンド・サマー・オブ・ラブ&アシッドハウス・ムーブメントへと繋がった。それらはすなわち、イギリスのダンスミュージックの歴史である。ブリティッシュロック以前は、イギリス人はエルビス・プレスリーでダンスし、それ以前はアメリカのジャズでダンスしていたのだ。

 

 彼らは、日曜日に教会に祈りに行く代わりに、週末に仲間に会ってダンスすることで自分を取り戻す。あなたが好む(信じる)音楽、ダンス、ファッションは、宗教と同様の働きをするのだ。

 

 現在、インターネット、SNS、スマホを通じてパーティーの情報を得ることはたやすくなったが、そうしたパーティーのレポートを読み、そこに行った気になっているだけでは、有は産まれない。教会もダンスも、信じるものが集まり、その現場において、言語的、非言語的にコミュニケーションを図ることが大事なのだ。じっさい、彼らは、このルーテインを毎週繰り返してきたのである。

 

 音楽、ダンス、ファッションがトリガーとなり、種の保存のアンカーを発動させる。アンカーとトリガーの効果を永続的にするためには、トリガーを日常生活の中で繰り返すことで絶えずアンカーを発動させ、トリガーとアンカーの結びつきを強化させていかねばならない。そうすることで、ダンスミュージック&ストリートカルチャーは生まれ、世界へと広がっていった。特に日本はイギリスのダンスミュージック&ストリートカルチャーとの親和性を1960年代から深く持ち続けてきた国だ。日本とイギリスでは文化も信仰も異なるが、時代を表現する新しい音楽、ダンス、ファッションは三位一体となって若者達の宗教となり、そうした差異さえも超越したのである。

 

 1988年のセカンド・サマー・オブ・ラブ&アシッドハウス・ムーブメントは破壊的創造であった。それまで、バンド、ミュージシャンをベースとしていたダンスカルチャーは、打ち込みのスタジオベースで制作されたハウスミュージックをメインとするようになり、その変革に、当時、もっとも無産的で、No Futureな日々を送っていた若者達がまず熱狂した。そして、熱狂は瞬く間にイギリス全土を覆い尽くした。

 

 ある日、パイレーツラジオLWRDJ Jazzy Mがオーナーを務めるロンドンのパットニーブリッジにあるVinyl Zoneというレコードショップでのこと。元Jamで、当時はStyle Councilの、Paul WellerJazzy Mにアシッドハウスのレクチャーを受けていた。旬のアシッドハウスとハウスミュージックをJazzy MPaul Wellerにプレイし、Paul Wellerはリズムを足でとってはいたものの、気に入った曲がない状況だった。2時間以上Jazzy MPaul Wellerのために曲をかけ続けた。結局、Paul Wellerが気に入った唯一の曲は、セカンド・サマー・オブ・ラブ&アシッドハウス・ムーブメントのアンセムであるJoe SmoothPromised Land(1988年) で、1989年にStyle Councilによってカバーバージョンがリリースされることになった。言うまでもなく当時、Paul Wellerは押しも押されぬスーパースターだった。

 

 また、別のある日、ソーホーのWag Clubで、Todd Terryのライブに行った時のこと、Dinosaur L Bangs Againremix(1988年)、Weekend(1988年)、Royal House – Can You Party(1988年)、Black Riot A Day In The Life(1988)Swan Lake In The Name Of Love / The Dream1988)Todd Terry Presents Royal House Yeah Buddy / The Chase1988)などのヒット曲連発で売り出し中のTodd Terryがライブを行った2Fのフロアは、かつてDavid BowieBlue Jean(1984年)のプロモーションビデオ用のライブを行った場所であり、1年前はレア・グルーブでJames BrownJB’s関連が盛り上がっていた場所だった。

 

 さらに、M|A|R|R|S名義でPump Up The Volume1987年)の世界ヒットを飛ばしたC. J. MackintoshDave Dorrellやはり、同じくWAG Clubで毎週土曜日にLOVEという名前のアシッドハウスのパーティーをやっていた(ちなみに、LOVETシャツはその後、DJ Marboにより日本に輸出され、渋谷Made in World、原宿ロンディスで販売された)。

 

 もうイギリス中がセカンド・サマー・オブ・ラブ&アシッドハウスの勝ち馬に乗れ状態なのだ。無名のアンダーグラウンドDJ、メジャーのポップアーティスト、NYの新進気鋭のアーティスト達のバトルロワイヤルの様相である。これぞ、マルコムマクラーレンの言葉通りの「CASH FROM CHAOS」だ。

 

 

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PlasticBoys 〈夢には従わなければならない それは正夢だからだ〉 2018 acrylic on paper. 150×112cm

 

 

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〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

PlasticBoys プラスティックボーイズ/幌村菜生・村山悟郎・有賀慎吾・DJ Marboによるダンスバンド

お問い合わせ:plasticboysibiza@gmail.com