ケロッピー前田 『クレイジーカルチャー最前線』 #04 第3の耳を持つ男ステラークの未来身体|Interview with Stelarc (1995)
驚異のカウンターカルチャー=身体改造の最前線を追い続ける男・ケロッピー前田が案内する未来ヴィジョン。現実を凝視し、その向こう側まで覗き込め。未来はあなたの心の中にある。
ステラークが目指した人間と機械の融合
現代アートのパフォーマー・ステラークは、オーストラリアを拠点に活躍するギリシャ人の美術家であり、1970年代~90年代の約20年間はここ日本に住み、時代を先取りするような数々のパフォーマンスを行なったことでも知られている。
ステラークの活動においてまず最初に注目すべきは、76年に身体にフックを貫通して吊り下げるボディサスペンションを世界に先駆けて行ったことだろう。彼のユニークネスは、徹底した未来志向に基づき、人間の身体そのものの改変を目指し、地球にいながらにして無重力体験をできるパフォーマンスとして、サスペンションに辿り着いたことにある。
また、一方で、ステラークは、人間と機械との融合を真剣に考えて、Ear On Arm(第3の耳)やThird Hand(第3の手)などの、センセーショナルな創作活動を続けてきた。
実は僕は1995年の東京でステラークをインタビューしている。すでに20年以上前になるが、彼が当時語っていたスケールの大きな発想と実践への合理性はいま振り返ってもなお新鮮である。そこで、以下に1995年に行ったステラークへのインタビューの一部を掲載してみたい。
Interview with Stelarc (1995)
―日本に来られた理由を教えてください。
「私が日本に来た理由は、ずっと西洋の哲学や芸術を勉強してきたので、その対極にある東洋の国に行くことで、西洋文化に片寄った自分の文化的なバランスを整えたかったのです。そして、もう一つの理由は日本が他のアジアの国に比べて、優れたテクノロジーを持っていたからでした」
―日本で行なった最初のパフォーマンスについて教えてください。
「私は、日本に来て1週間後には、最初のパフォーマンスを行っています。それは、1週間、自分の目と唇を縫い合わせておくというもので、『真木画廊』だけがそんなパフォーマンスをやらせてくれました。76年に初めてのサスペンションをやったのもその画廊でした」
―最初にボディサスペンションをやろうとしたときはどんな感じだったんでしょうか?
「サスペンションについての特別な知識は全くなく、インドの宗教的儀式も知りませんでした。ピアッシングについても知識はありません。医者の友達に身体でフックを刺しても大丈夫な場所を聞いて、医学や解剖学の本を読んで、自分でフックを刺す場所を考えました」
―ステラークさんはその後も様々なスタイルのサスペンションに挑戦されていますよね?
「サスペンションをやるたびに、すべて違う方法で吊られました。『真木画廊』で最初にやったものは水平でした。2回目は垂直、3回目は逆さ吊り、4回目は水平の上向きでした。それらはすべて違うシチュエーションで行われました」
―サスペンション以外の身体改造にも関心はありますか?
「もちろんです。私は、身体改造にすごく興味があります。21世紀に向けて、私たちの社会は、身体的経験よりもマルチ・メディア(インターネット)やテレビによって作られたファンタジーに支えられるようになってています。だから、身体改造ムーブメントがやっていることは『身体を通じて人間とは何かを理解すること』であり、『人間の身体とは経験のための媒体(メディア)にすぎない』ということを確認することなのです。『身体を経験のための媒体として再確立し、観察者ではなく体験者として、痛みという経験を身体で全体として感じ取ること』が、ピアッシングやタトゥー、そして、身体改造がやろうとしていることでしょう。つまり、身体改造は、それ自体がテクノロジーと人間との融合であって、それは単なる装飾ではなく、哲学の表現であって、一時の流行という枠を越え、新しいリアリティが登場する予兆となっているのです。そして、身体改造はとても強い個人主張(インディヴィデュアリズム)の現れなのです。なぜなら、外観に見える改造は非常に強い視覚的な刺激を与えるもので、それは『思考』ではなく、まさに『行動』だからです」
―実際、多くの身体改造愛好者たちがステラークさんをリスペクトしていますね。
「私が行ってきたパフォーマンスは、自分の身体を用いて新しい美学の可能性を探っているのです。だから、伝統的なタトゥーや宗教的儀式的な身体の加工&装飾とは異なるものです。私がやろうとしている未来への可能性の探求の中には、人々には全く期待されていないものもあるでしょう。でも、真の芸術的行為は、その人のためだけでなく、人類全体に対してオープンなものであるべきなのです。つまり、個人の表現を越えて、『人間とは何か』といった領域で、全く新しい可能性が開けるようなものなのです。そこまで行かないと、私たちが話そうとしているアートとしては、十分ではないのです」
ステラークは、その後も精力的な活動を続けており、06年には、先述した自らの腕に耳型の素材を埋め込む「第3の耳」を発表し、世界中で大きな話題となった。将来的には埋め込んだ“耳”に聴覚機能を持たせ、ネット接続し、世界中の人たちが腕の“耳”を通じて、音を聞くことができるようにしたいと語っている。ステラークの身体は、いまも未来へと疾走を続けている。
〈MULTIVERSE〉
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