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檀廬影×菊地成孔 『エンタシス書簡』 二〇一九年三月/檀→菊地「転居と死の衝動」

元SIMI LABのラッパーであり小説家の檀廬影(DyyPRIDE)と、ジャズメンでありエッセイストの菊地成孔による往復書簡。

 

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拝啓 菊地成孔様

 昭和二十六年、世間を賑わせた、昭和文壇の珍事件、坂口安吾による伊東競輪不正告訴事件の舞台となった競輪場の裏山に建つ、鉄筋コンクリートに居を移し半年余が経ちました。建物の目前に広がる竹林から鳴り響く鈴虫と蝉の鳴き声はこの部屋のBGMとなっていつしか聞こえなくなり、たまに誰かと電話で話す時に「凄い虫の鳴き声だ」と言う言葉に「ああ、言われてみれば確かに鳴いているな」と思い、言い放ちながら、この一瞬だけは虫の鳴き声を聞き、意識してみるのでした。

 河出文藝賞の最終選考で落選してからというもの、小説原稿もこの意識も宙ぶらりん、無気力で、もう文学も音楽もやめて、美しい自然の中で木こりにでもなろうか、などとだらしなく夢想する日々を過ごしています。

 ところで、この家に訪れた者がベルを押すのを未だ聞いたことがありません。壊れているのかと思い試しに押してみると、今までに聞いたこともない程けたたましく震える電子の音がするのでした。ガス屋も水道屋も郵便屋も誰一人としてこのベルには触れずに、必ず二回か三回鉄の扉を素早くノックする。それを聞いた僕は素早く愛想よく飛び出していく。ささやかな謎です。この扉には叩かずにはいられない何かがあるのでしょうか。それともその扉の奥でうごめく俺の血の半分の記憶が遥か彼方アフリカの大地に木魂すトーキングドラムやジャンベの音色に思い馳せるエネルギーに同調し、リズミカルに戸を叩かずにはいられなくするのでしょうか。

 ある時、ノックを聞いて扉を開けると、顔も体格も声までもが坂口安吾に似た郵便屋さんが立っていて我が目を疑いました。扉を閉じてから今みたものがも俺の妄想ではないことをよくよく確認してみましたが、どうやら本当であったらしい(俺は精神の具合が悪いと幻聴やら妄想やらが肥大爆発して現実と混同してしまうことがよくあるので実生活に於いて度々このプロセスが必要になるのです)。それから度々訪れては優しい笑顔を残して立ち去っていく彼はあるいは坂口安吾の落とし胤かもしれません。

 あまり家具を持たない俺は、引っ越しが済むと無造作に布団を広げ眠りにつきました。何故だかわからないけどここへ来てからのひと月余りというもの、激しい睡魔に襲われ昼も夜もほとんどの時間を昏々と眠り続け、現実が夢に夢が現実になり、実物の睡魔の姿を見たような気さえしました。見る夢は大概が悪夢で、ある時に、これはもしや北枕では無いか?そう直感し方角を調べてみるとやはりそうで、今までこんな事を気にもしたことがなったけど、あまりに長い時を悪夢の中で過ごした事に辟易し枕の位置を真逆にして眠ってみると不思議な事に悪夢はピタリと止み、代わりに自分の意識が周辺の山や草木に溶け込んでいくような眠りになりました。これはもしかしたら都会よりも自然のエネルギーによる影響が多いせいなのかもしれない、と変に納得し胸を撫で下ろしたものです。

 しかし目覚めている短い時間は相も変わらず絶え間なく自殺衝動に襲われ、幾度となく窓ガラスに向かって全力疾走して突き破り、地面に打ち付けられるイメージをやっとの思いで拭い去り、脂汗をかき、用を足しながら、ため息まじりに、ふと頭上に目をやると丈夫そうな配管が通っているのを目にとって、「ああ、この配管なら俺の体格でも首を括れるかもしれない」そう小さく呟き、「いやっまだ早い、まだ死ぬな」顔を左右に激しく震わせながら強い口調でそう言うと、また発作。自分と自分との戦い。当分自我が希薄になり、三十分くらいすると、息を荒げ小刻みに震える自らの肉体を知覚して、「さあ落ち着け」そう言って変なテンションで酒を買いに行くこともしばしばでした。

 俺と同じ種類の精神病を患っていた友人が年末に自殺しました。他人想いの優しい人で、きついけど最後まで頑張ろう。と励まし合っていましたがだめでした。然し闘い抜いた彼女の、これが寿命だったのかもしれませんね。言葉にならぬ思い。自分の一部が欠けたようでした。

 日本酒を注いだグラスを傾けながら、(俺は一体何のために生きているのか。この憎い病気の為に生きいるのか)考えました。この病状の為に失われた青春、時間、機会、多大なるエネルギー。考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい。同時にもしももっと恵まれて順風満帆たる人生を生きていたなら?そう自問自答すると、俺はもっと馬鹿げた人生を歩んでいたかもしれません。愉快なパーティー野郎。イカした車にイカした女を乗せて、遊び回る伊達者。

 でも、同時に長い間そういう生活に憧れてもいました。小難しいことなど一切考えずに、ただ目前の快楽を追い求め刹那的に生きる。そういう意味で不良文化に対する多大なる興味もあります。しかし俺にはそれが許されなかった。それ故に不良文化のみならず、古今東西の様々な文化を外側から眺め関心をそそられてきたのかもしれません。

 長い間「普通」というものに憧れてきました。多くのステレオタイプに侵された事と、いろんなものに憧れすぎたせいで自我が脆弱になってしまったのかもしれません。自分自身が一般的な日本人ではない為に普通とは何であるかずっと考えてきました。

 現代の日本社会は少しだけ多様性が許容される風潮が出てはきましたが、俺の幼少期、九十年代は「ハーフ」ただそれだけの事で虐められる事はもとより社会全体から村八分にあっている。という実感がありました。村八分といえば日本社会全体が大規模な農村的なシステムの上で成り立っているのかもしれません。高度経済成長期頃に若者を中心に大都市に人が流れ込む以前は漁村、農村が人々の社会生活の中心であったことを考えてみれば無理もない。未だに部落生活の尾を引きずっており、不要になったその尾っぽを断ち切ることが日本社会の進化に繋がる道の一つではないかと妄想する今日この頃であります。

 こういう社会において俺は自分を先天的アウトローと自己認識し、ドロップアウトせしめられた少数派に対する共感と許容範囲が狭い日本社会の構造はマジョリティの精神すらも蝕み、自殺大国としての地位を不動のものとしていること憂慮しています。

 

PS. 最近、沢山の本を入手しましたが読むのが遅い俺はとてもさらりと読める気がいたしません。膨大な情報を脳に直接入力できる時代が早く訪れることを願っています。

 

 

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〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

檀廬影 だん・いえかげ/平成元年、横浜生まれ。日本人と黒人のハーフ。二十歳よりDyyPRIDE名義でラップを始める。2011年、音楽レーベルSUMMITより 1st ソロアルバム「In The Dyyp Shadow」 、グループSIMI LAB 1st アルバム 「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」、2013年、2nd ソロアルバム「Ride So Dyyp」、2014年、2nd グループアルバム「Page 2 : Mind Over Matter」をリリース。2017年にSIMI LABを脱退。現在、小説家。

菊地成孔 きくち・なるよし/1963年、千葉県銚子市生まれ。ソングライター、サクソフォン奏者、ラッパー、文筆家、音楽講師。近著に人気ラジオ番組「菊地成孔の粋な夜電波」(現在終了)のトークを纏めた『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5』『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン6-8』(共にキノブックス)、新宿区限定リリースの掌編小説『あたしを溺れさせて、そして溺れ死ぬあたしを見ていて』(ヴァイナル文學選書)などがある。