大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #05 トラベリングタトゥーイストの主たる業態とSNS時代の新しい展開
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第五回はトラベリングタトゥーイストとオンザロードの主だった業態と、SNS登場以降の業界の大きな転換について。
日本に拠点を構えて以降、僕は都内の他のスタジオのタトゥーイストたちとも交流するようになり、時には大人数で忘年会をやったりすることなんかもある。これはタトゥーのことばかり話して盛り上がる完全なるオタクの会だ。海外のスタジオでゲストワークをやったり、コンベンションに参加したりしている人はけっこういる。中には僕より長く外でキャリアを積んできた人だっている。
旅のタトゥーイストと聞いて浮かんでくるイメージは、僕らプロのタトゥーイストの間でも実際はさまざまだ。いろいろな形態があるのだ。外に出たりせず、横繋がりもなく、ずっと同じ場所でスタジオを構えてやっていても、オンザロードは向こうから勝手にやってくるからタトゥーイストなら誰しもそこに接触ぐらいはしているけれど、そもそも型にハマりきれないから旅をしている人々なので、それがいったいどういう感じかなんてのはそれこそバラバラだろうし、類型化は難しいのだろう。
僕はかつて自分がそうだったということもあり、旅をしている人間にはどこか「いたたまれなさ」みたいな影があるのかなと思っている。子供の頃はよく分からなかったが、今見ると「男はつらいよ」の寅さんには共感してしまうところが多い。
トラベリングタトゥーイストの主だった業態
ここでいったん当時のトラベリングタトゥーイスト、オンザロードの主だった業態と、最近のそれとをあわせてなるべく分かりやすく整理してみたい。
①出たとこ勝負タイプ
まずは出たとこ勝負タイプだ。前々回のインドの話の中で紹介した、訪れる先々でレストランやバーなどにフライヤーを出させてもらって全く未知のお客さんを募る方式。僕の原点にして一番好きなやり方だ。何がどうなるかわからないワクワク感があって楽しい。完全なる空振りや面倒なゴタゴタに巻き込まれるようなこともままあるが、それもまた楽しさを増幅するためには必要な失敗である。自由とはそういうものなのだ。そういえば、長旅を終えて東京に帰ってきた時もしばらく僕はこのやり方を下北沢で実践していた。行きつけのレコード屋とそこらじゅうの電柱にフライヤーを貼りまくった記憶がある。仲間内には駅前でチラシを配っていた者もいる。タトゥーを入れそうな人に直接手渡すのだからもっと効率的かもしれない。
もっとアウトドアなやり方ではマーケットの露天商たちに混ざって、あるいは文字通りの「オンザロード(路上)」で、チラシすら撒かず、地べたにゴザを敷いて営業、なんていうヒンズー教の裸の修行者みたいなのもいる。僕はインドのヒッピーのフリーマーケットとヨーロッパの観光地の目抜き通りでそれぞれ一回ずつゴザ営業をやったことがあるが、これは現在では衛生イメージ的にアウトだろう。いや、当時でも充分に白い目で見られていたのかもしれない。ゴザにはせめてデザイン資料を並べるだけにしておいて、施術は部屋で行うのがいい。僕の昔の弟子の一人には僕の空気の読めなさ加減だけを継承して井の頭公園の週末マーケットに電池式のマシーンを抱えて参加していた者もいた。彼はその後もメディアに広告を出すこともなく、ホームページにもSNSにも手を出さない硬派を貫いたあげく、今は別の仕事をしている。もう一度言うけれど、自由とはそういうものなのだ。だからそれでいいのだ。
②コネクション利用タイプ
次は知り合いのコネクションで仕事をして各地をまわるパターン。前回のタイの場合はこれに当たる。充分なお客さんを集められるかはそれぞれのコネクション次第なのだが、何よりも安全性においてこれは手堅いパターンだと思う。アマチュアの多くは最初は自分の部屋で友達のツテでやっていくものだろうし、これはタトゥーイストなら誰もがそれなりに通る道でもある。僕は元来、友達付き合いが割と苦手な方で、ほんのなにげない雑談を続けるようなことも頭を抱えたくなるほどヘタクソなのだが、なぜだか良い仲間たちには恵まれてきた。悪意に晒されたようなことがほとんどないのだ。新しいアイデアを形にしたい時にはすぐにモデルが見つかるし、ヒマな時にはお客さんをどんどん紹介してくれる仲間がいた。そのおかげで僕は今でも生きている。小手先の人間関係に不器用なのはちょっと長い目で見たら悪いことじゃないのかもしれない。
ポップカルチャーとしてのタトゥーそのものが黎明期だった70~80年代などは特にタトゥーイスト自体がどこに行っても旅芸人みたいに珍しかっただろうし、プロとして専業になった後でもしばらくはこの方式のみがレギュラーなスタイルだったという上の世代のヨーロピアンも何人か知っている。また、日本はタトゥーをめぐる特有のアンダーグラウンド環境があったので、現代でもなお看板やホームページなどの一切の宣伝をせず顧客グループ内からの紹介制のみでやっている一流タトゥーイストも多い。そのグループが大きな地域にまたがるようなものだった場合は必要に応じて出張彫りという形態も取ることになり、そうなるとオンザロードでもあるわけだ。
③ゲストワークタイプ
三つ目は自分の作品アルバムやデザイン集を持ち込んで、その土地のタトゥースタジオでゲストワーク(短期のアルバイトみたいなものか)をするというのもある。受け入れるスタジオにとってはレギュラー陣と一味違うテイストがラインナップに加わることは営業的にプラスだし、アーティストにとっては飽きられたらすぐ次の土地に行けばいいという気軽さがある。全てのジャンルをオールラウンドにこなすよりも、一つの特技があるタイプの人に向いているやり方だ。
これは欧米ではごく一般的なトラベリングタトゥーのスタイルで、複数タトゥーイストを抱える大きめのショップにはだいたいゲスト用の宿泊部屋も用意されている。そのベースになっているのは一店に2~3年、あるいはもっと長期の在籍をし、そういうスパンで複数のスタジオを渡り歩くことでいろんな技術を身につけた後、満を持して自分自身のスタジオをオープンするというキャリアアップ方法の文化だ。
日本ではどこかのスタジオでキャリアをスタートして、途中で別のスタジオに移籍するというのは本当にまれだ。下手したら辞めたスタジオから仰々しく「破門状」なんてものが全国のスタジオに配られたりすることもある。かつての徒弟制度の名残りと現代資本主義社会の雇用の現状との間のギャップがこじれているのは日本の労働環境全体にも当てはまるのかもしれない。欧米の人材の風通しの良さはタトゥーショップだけの話ではないのだし。
いろいろなスタジオでゲストワークをやった。今ならヨーロッパや北米ならだいたいどこの大都市にも知り合いのスタジオがあるから、そういうところを数珠つなぎに移動しながら旅をすることもある。環境が特に気に入って、それこそ年に何回も世話になるオランダみたいなところもある。そもそも僕が旅だけの生活に見切りをつけて、日本に拠点を構えはじめた大きな理由の一つは、そうやってお世話になってきた各地のスタジオの仲間たちが日本に立ち寄った時に、今度はホストとしてスムーズにゲストワークできる場所を提供したかったからなのだ。だから複数タトゥーイストが所属するような路面店を立ち上げることを当初から目標にしていたのだが、実際は自分自身の商売を軌道に乗せることに手間取ってしまい、今のところ路面店なんて夢のまた夢と化している。僕が得意としているポリネシアンをはじめとする本格的なトライバルというジャンルが実質的にほぼ存在していなかった日本のマーケットに、それを一から根付かせるためにずっと苦戦していたのだ。でもまあ、これまでに幾人もの優れた外国のタトゥーイストたちをゲストに迎えることはいちおう出来ている。
④タトゥーコンベンション
オンザロードにとってはタトゥーコンベンションも重要なポイントだ。これはさまざまなアーティストを公募して催されるイベントのことで、欧米を中心に盛んな文化であり、後述する機会もあるかと思うがタトゥーマガジンの流行とも深く関係している。規模は国際展示場みたいな大きなスペースのものもあれば普通のバーみたいなところでこじんまりとやるものもある。地元では見れないようないろいろなタイプのタトゥーイストが一堂に会し、それぞれが彫っている様子も見ることができ、もちろん実際に自分で交渉して彫ってもらうこともできるという、初心者からコアな愛好家までが楽しめるような場になっている。アクセサリーやバイクや服などのブースも出ているし、プロやアマチュアのタトゥーイスト向けのさまざまな道具屋たちも参加している。
自力で行ける限りの全てのコンベンションにエントリーしてそれをひたすら回り続けるような生活をするタトゥーイストも多かった。中には地元の自分のスタジオを畳んでそれをやってる者もいた。こうなると、完全なるオンザロードだし、それを可能にするだけのイベント数もあった。出場料や宿、交通費を払ってなおかつ儲けを十分に出し続けるのはなかなか大変なのだが、腕にかなりの自信が出てきた者達にとっては、コンベンションの中で行われるコンテストで優勝すれば雑誌に取り上げられたりして最高の宣伝になるし、オンザロードたちにとっては3のようなゲストワーク先を効率よく見つけるための社交の場にもなっていた。
僕は、エポックメーキングな才能があるわけではないし、超絶技巧を誇るわけでもないのだが、一風変わった特徴のあるキャリアを地道に積んで年をとってきたので、今では世界中の多くのコンベンションから招待されるようになった。ブースばかりか宿泊先まで無料のケースもある。今じゃなくて若い頃にこんな待遇があったなら旅にもっとバリエーションが増えたのになぁチクショー、とは思うが、凡人の人生はそういうものだ。コンベンション期間の3日間ぐらいでは終わらないような大きな作品を得意としているので、必ずしも条件にフィットしているわけでもないのだが、ありがたい話なので、いろんなしがらみのすき間を縫うようにしてなるべく参加させていただいている。僕をチョイスするオーガナイザーたちにはその他の面子の揃え方にも一定の傾向があるようで、コンベンションで出会う常連のタトゥーイスト仲間などは家の近所の友人並みに頻繁なペースで顔を合わせていたりもする。そこで交わされる情報はものすごく貴重だ。
SNS登場以降のタトゥー業界
これらのトラベリングタトゥーの手法は現在ではインターネットの普及によって大きく様変わりした。まずはホームページを構えることが一般的になり、オンザロードといえどもネット空間上に拠点を持つことが出来るようになった。続いてブログなどの手軽に情報を更新できるツールが流行って細かくリアルタイムでの発信が出来るようになり、やがてそれらの機能を統合するような形でSNSへと進化していった。
Facebook やInstagram などの巨大ソーシャルメディアはアーティストとクライアントの繋がりをよりダイレクトで広大なものへと変容させた。4のコンベンションへの参加や3のスタジオでのゲストワークも、全て事前にショップスタッフやクライアントと打ち合わせて予約の段取りが出来る。十分に集客できなかったらキャンセルでもいい。つまり空振りはもはやない。
ぶらっと一人旅に出る場合もチラシを配ったり、仲間に連絡をする必要もない。どこそこにいつからいつまで行くという告知内容の投稿をすればいいだけだ。4の宣伝よりも規模こそは小さいが有効度ははるかに高い自分のフォロワー達に向けたダイレクトな宣伝でお客さんを募り、2の隠密行動で施術。警察やマフィアに踏み込まれる心配も全く無い。そして必要なクライアント数を自分のアート性優先で選別して揃えたら、適当なホテルやB&Bなどを予約して航空券を手配。全部スマホの画面上の操作で完了だ。
これらソーシャルメディアの作り上げるマーケットは実力のある有名タトゥーイストがひたすら一人勝ちするようなシステムではあるが、言い換えれば実力さえあれば他の煩雑なプロセスはそれほど踏む必要がなく作品本位で正当に評価されるシステムでもある。SNS以前、腕は優れていたのに商売のセンスなどが無くて廃業していった幾人もの仲間たちからすれば、ほんの10年ほど時代が追いついて来なかっただけの話だったわけで、とても残念なことだったと思う。シーンのバラエティもトレンドも世界規模でスピーディーに変化する今は、タトゥーの黄金期だというのに。
一方、コンベンションもタトゥーマガジンもソーシャルメディアの勢いに太刀打ち出来ず最近は動員数や部数を急速に失ってきている。僕等の世代はコンベンションでトロフィーを手にしたりタトゥーマガジンに出たりしたら、それはもう大変な騒ぎだったものだが、今はSNSのフォロワー数が増える方が現実の商売としては重要なのだ。もちろんSNSと比較した場合のタトゥーマガジンやコンベンションの良いところはある。なんと言っても編者や企画者がその道の専門家だということだ。仕事でも趣味でも専門と言えるような領域を持つ人には容易に分かることだと思うが、玄人と素人では見えている景色が全く違うものだ。だからこそ専門家が唸るようなハイレベルなタトゥーイストとそのヴィジョンを、ちゃんとした解説をつけて紹介するようなメディアが衰退してしまうのはコアなファン層にとっては何とも味気ないことになるのだ。今、世界の最先端の果てでは何が起きているのか、忘れ去られようとしている重大な真実とは何なのかを、僕は知りたい。
SNSはヒットチャート番組みたいな分かりやすさを生み出し、業界の人気全体を押し上げているが、そういう時期だからこそ、もう一歩深いところに踏み込んでいくためのガイドとしての役割が、出版やイベントにはあると思う。ヒットチャートのポピュリズムに長い間ずっと飽きずにハマり続けていられるファンなんてそんなにいないわけだから。
ちなみに黄金期とは書いたが、それゆえに、僕自身が今、タトゥーイストを志していたとしたらプロにまでなれるかどうかはきわめて怪しいとも思っている。箸にも棒にもかからないようなヘタクソだった揺籃期ですらも、まあまあそれなりにサポートしてもらえて挫折することもなく成り立っていたのは、僕の場合、学生時代からのバイト三昧の経験知があったのと、当時の情報不足という暖かい産湯のような環境があったからこそなわけで。
途中だったので次回は再び話をタイに戻そう。欧米発のポップカルチャーとして急速にタイ社会に浸透していたモダンタトゥー。しかしながらその様子にはいかにも東南アジアの発展途上国っぽさも随所に見られた。そのどうしようもなさや貧しさゆえの工夫の向こう側には、かつての高度経済成長期の日本の姿も見えてくるような気がするのだ。
〈MULTIVERSE〉
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