タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。今回はキング・オブ・トライバルタトゥー「ポリネシアン」編、第二回。マルケサスの文様パターンをアップデートさせた二つの要素とは?
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十五回からはいよいよザ・キング・オブ・トライバルタトゥー「ポリネシアン」編。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十四回はいまやカナダ人以外で知る人はほとんどいないハイダデザインの豊穣をめぐって。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第13回はバンクーバー編の幕間。大島がかつて日本を旅立ち、彼の地でタトゥーを生業にした理由について。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十二回は北アメリカの先住民・ハイダ族のトーテミズムと赤いタトゥーをめぐって。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十一回の舞台は90年代のカナダ・バンクーバー。まったく信じがたいことだったが、それはきわめて手軽に、いくらでも好きなだけゲットできたのだ。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。1990年代にヨーロッパで花開いたケルティックタトゥー。しかし、その流行は10年ともたなかった。移ろいゆくタトゥーシーン、その盛衰をめぐって。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第九回の舞台はスペイン・バルセロナのスクワット。ヨーロッパの“トライバルタトゥー”として知られる「ケルティック」をめぐって。
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第八回は前回に引き続きボルネオトライバルシーンをめぐって。ボルネオタトゥーのリバイバルを牽引するエルネスト・カルムとジェレミー・ローという二人の偉大なるタトゥーイストとの交流の中で見えてきたタトゥーの本質とは。
大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html