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亜鶴 『SUICIDE COMPLEX』 #03 サスペンションとブランディング── ケロイドは言うことを聞かない

タトゥー、身体改造、ボディビル、異性装……絶えざる変容の動態に生きるオイルペインター亜鶴の、数奇なるスキンヒストリー。第三回は初めてのサスペンションとブランディングの体験について。

よりシンプルに、よりミニマルに

 10代の終わりの頃はよくクラブに出入りしていた。今のように風営法の関係で深夜営業が出来なくなってしまう前で、ちょうど摘発が始まろうとしていたかどうかの頃だった。当時、週末ともなれば幾多のクラブイベントが夜通し開催されていて、どのイベントに行き、誰に会うか、どうハシゴして回るか、なんてことを週末が近づくごとに考えていた。

 クラブに集まっている人たちは、見た目にこそ多様性を感じるものの、「同じものが好きな人」というミニマルな共通項を持っていた。どの集合体に帰属するか、どのコミュニティに出入りするか。初めてクラブで遊ぶようになった頃は、どこか近世ヨーロッパのサロンに立ち入っているかの様な感覚を覚えたものだった。

 その頃の僕には、インテリ崩れのボンボンであることを恥じる気持ちがあり、ファッションはなるべくそうしたイメージから遠いものを選ぶようにしていた。たとえば当時の僕が惹かれていたのは、KORNというバンドのVo.ジョナサンのAdidasジャージにドレッドという、ダボっとしたルーズな雰囲気のファッションだった。またSKINDREDというバンドのVo.ベンジー・ウェッブの醸し出すアフリカンギャングスタ的な雰囲気にも強く惹かれていた。エピゴーネンと言えばそれまでだが、そうしたモデルケースとなる相手に見た目を似せていくことで、自身を擬態し、ダンスフロアに自らを同化させていこうとしていた。

 僕が高校を卒業して間もなく、エクステを付け、ドレッドヘアにしたというのも、そういうわけだった。ちなみにそれから10年以上経つが、一度も髪を切ったことはなく、今では全て自毛で編んだドレッドヘアを維持している。

 

クラブ通いをしていた頃

 

 ところで、僕は昔から今に至るまでNIKEが好きで仕方がなく、人生における唯一とも言える明確な目標がNIKEと仕事がしたい、CMに出たい、というものだったりする。NIKEのスウォッシュマークこそ、この世でもっとも視認性が高く、シンプルにして洗練された、最強のロゴだと思っている。

 この審美基準は身につけるあらゆるアイテムに対しても採用されていて、原則的に僕はシンプルかつインパクトの強いものばかりを集めている。たとえばボディピアスにしても、ホールの数を競うような美意識もその手のコミュニティ内にはあったりしたが、僕はそこには関心が薄く、ただ1つの穴を拡張し続ける、という方向により興味が向いていた。

 タトゥーにしても同じだった。ファーストタトゥーこそ、ニュースクールと呼ばれるジャンルのタトゥーを入れたが、アメリカントラッドの様に図柄をパラパラと身体にコレクションしていき、やがて全身を隈なく覆い尽くしていく、という方向は、結果として向いていなかった。

 よりシンプルに、よりミニマルに。

 さらに、よりインパクトがあり、より分かりやすく、より派手に、と突き進んでいった先で、ブラックアウトと呼ばれる皮膚を広範囲に真っ黒に塗りつぶしていくタトゥーに到達したというのも、今思えば、当然の流れであったのかもしれない。

 

サスペンションへの期待と失望

 ニューヨーカー的なライフスタイルを好んだ両親に育てられたことの影響か、当時、クラバーとしていかに周囲に擬態してみても、選ぶ小物がシュッとした感じだよね、なんて言われることが多くあった。相手からすると褒めていたのだろうとは思うけど、僕としては擬態の粗さを指摘されているが感じがしてとても嫌な気持ちになったのを覚えている。

 クラブシーンにおいて、お坊ちゃんあがりであることは、あまりカッコいいことではなかった。少なくとも僕はそう感じていた。だから、自分の出自をより曖昧にするために擬態を繰り返し、一層クラブという空間に深く潜り込もうとした。その流れで僕はクラブイベントのスタッフとして働く事になり、そしてあるとき、イベントの出し物として行うサスペンションショーの被検体にならないか、というオファーが来た。

 サスペンションとは簡単に言ってしまうと「皮膚に太さ4mm、長さ6cm程の穴を開けそこにフックを通し、吊り上げる」というパフォーマンスである。さまざまな吊り方があることで知られるが、僕が経験する事となったのはスーパーマンスタイルという、うつ伏せになった状態で全身に10箇所の穴を開けて、吊る方法だった。

 

初めてのサスペンション

 

 もちろん、以前からサスペンションに関心はあったし、機会があればやってみたいと思っていた。雑誌やネット記事の触れ込みでは、サスペンションは吊り上げられる事で重力に逆らうわけなので、吊られているときは「まるで空を飛んでいる」かのように感じられ「肉体から精神が分離しているかのような恍惚とした浮遊感を味わえる」という話だった。さらに、その日のイベントには百人近いギャラリーも集まり、その中で吊られるのだから、さぞかし強い昂揚感を味わえることだろうと、僕自身、かなりの期待をもって臨んだ。

 

浮遊感ではなく重力を感じた

 

 だが、いざ吊られてみると、感覚の度合いとしては正直、拍子抜けするようなものであり、「別段……」という感じで終わった。元来、痛みに対して鈍感だというのもあるかもしれないが、さして痛くもなく、背中の至る箇所に開けたホールからの流血もなく、ただ全身を強く引っ張られているだけ、としか思えなかった。

 さらに想像していた浮遊感などは全く得られなかった。逆に身体の重み、物質としてのマッスをよりリアルに感じた。相性もあるのだろうが、勝手に抱いていたイメージや聞いていた話とのギャップに、結構がっくりきてしまった。

 元々、このサスペンションという行為は、アメリカ先住民のサンダンスという儀式に起源を持つらしい。たしかにショーの見た目には非現実的な感じがあり、ビジュアルにフォーカスした場合、宗教的な儀式性を感じさせるものだとは思う。ただ実際に経験してみると、そこまで騒ぐほどの事ではなかった。一体、この体験に先人達は何を見出していたのだろうか。

 あるいは、かつての先住民たちが儀式として行なっていたサスペンションは、衛生面や安全面が担保されていなかったはずだ。おそらくは、事後にインフェクションを起こすようなこともあっただろう。それはすなわち「死」の危険と隣り合わせということであり、そうしたリスクに崇高さが付帯したと想像することもできる。はたまた、やはり相性の問題に過ぎず、僕以外の人は本当に浮遊感を感じているのかもしれない。それは身体が違う以上、確認しようがないことだ。

 そうとはいえ、僕にとって、サスペンションがまったく面白くなかったか、と言えば、そんなこともない。実践したからこそ得られた興味深い発見もあった。それは吊った後の皮膚の伸張である。肉と皮膚の間にフックを通し吊れば当然そこには隙間が出来るわけだが、プレイの後、数日間は、皮膚と肉が剥離した状態のまま、そこに空気のレイヤーが残り、皮膚を押すとベコベコと動き、かつズルズルとスライドするのだ。

 これはサスペンションに付帯することとしては副次的であり、それまであまり語られていなかったし、聞いていなかった。だからか、僕には吊られた体験そのものよりも、こちらの方が面白く感じられた。

 イベントとしては成功だったと思う。そして、ショーにおいてあまりにそつなくサスペンションをこなしたことから、以後、僕はショーモデルとしてでなく、来る次のショーに備えての、実験体として使われることになった。初めてのサスペンションはクラブイベントでの出し物だったのに、検体となった時にはとあるバーの片隅で、ただ粛々とことを進めるだけの肉人形だった。もちろんギャラリーなどもいない。そこがバーであったのも、そのバーには天井に単管が走っており、負荷を掛けた僕の身体を吊っても問題ない耐久力を備えていて、またサスペンションをするに十分なスペースがあったから、というだけのことだった。

 検体になるというのはつまり、どのような吊り方が出来るか、何Kgまでの重みをホールに掛けられるのか、吊った状態で回れるのか、飛び降りれるのか、吊られながら体勢を変える事は出来るのか、などさまざまなことを試してみる上で僕の身体をテスト用に使ってもらうということだ。

 過酷そうに聞こえるかもしれないが、すでに安全性が確立された中で行われるショーよりも、そういった皮膚の限界へのチャレンジの方がまだ、僕にとっては面白く感じられたものだった。

 

ケロイドで模様を描くブランディング

 それと同時期くらいに、僕はブランディングも初体験している。サスペンションと比べ、ブランディングは、そのわかりやすさが良かった。真っ赤になるまでバーナーで熱した鉄を皮膚に押し付けた時のバチバチと爆ぜる音、立ち込める煙、そして何より自分の肉が焼ける匂い。その匂いは自分の身体がただの肉塊であることを明確に意識させてくれるものだった。

 

ブランディングの施術

 

 ただし、プレイ後のアフターケアはサスペンションなどとは比較にならないほどに面倒くさい。ハードなケロイドを作成するために、わざわざ痛みに耐えて火傷を作ったのだから、それを綺麗に治癒させてしまっては元も子もない。

 ケロイドとは、ストレスの結晶があたかもそれ自体が意思を持つかのように、皮膚の下から表面へと突き上げてきている状態である。だから、極力治りが遅くなるようにコントロールし、かつ肌にストレスを掛けつつ、ケアしていく必要があるのだ。

 僕は左前腕にブランディングを施したのだが、自身の気持ちとは裏腹に、身体は皮膚に起こった異変にいち早く気づき勝手な治癒を始めていく。傷口にジュクジュクとした白血球の残骸が溜まってくるので、それに抗うように日々丹念に洗い流し、ある程度の薄皮が張ったところでブラシの様なもので傷口を擦過しなければならない。生傷に対するアプローチなのでなかなかに痛いし、精神的にもつらい。何より自分の腕から死臭がするというのは、それまでに体験したことがないものだった。

 

施術後の状態

 

 このようにブランディングはとても手間がかかるものなのだが、僕はこの手間が結構好きだった。それに、まったく同内容のケアをした場合でも人によって治り(ケロイドとなった時のフォルム)が変わる、というのも面白かった。

 一般には嫌われる対象であるケロイドを、あたかもペットの様に扱い、丁重に丁重に育てていく。もちろん、ケロイドを飼いならすことは難しい。つねにこちらの予想を裏切ってくる。自分の意識とは別に、皮膚そのものが意識を持って生きているように感じられて、興奮した。ケロイドはまさに皮膚の内外を行き来する現実だった。

 施術に用いる特殊な器具もほとんど必要なく、システムとしては簡単だが、コントロールが難しく、偶然性に依拠せざるをえない。僕はそうしたブランディングにハマり、そこから、自らの手によって何度か前腕周辺にブランディングを施してみた。現在はタトゥーで覆われてしまって、パッと見ではブランディングの痕はわかりにくい。しかし、いまだ近くで見ると明らかに、僕の左前腕にはボコボコとしたケロイドが隆起していることがわかる。

 

このようにケロイドで模様を描いていく

 

〈MULTIVERSE〉

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue

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PROFILE

亜鶴 あず/1991年生まれ。美術家。タトゥーアーティスト。主に、実在しない人物のポートレートを描くことで、他者の存在を承認し、同時に自己の存在へと思慮を巡らせる作品を制作している。また、大阪の心斎橋にて刺青施術スペースを運営。自意識が皮膚を介し表出・顕在化し、内在した身体意識を拡張すること、それを欲望することを「満たされない身体性」と呼び、施術においては電子機器を一切使用しないハンドポークという原始的な手法を用いている。

【Twitter】@azu_OilOnCanvas