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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #04 アジャンはタトゥーを“処方”する──タイのサクヤンと黒魔術タトゥー

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第四回は東南アジアのハブであるタイ国を巡る。古くから伝わる幸運のタトゥー・サクヤン、そして闇の呪術的タトゥーについて。

タイの僧侶に伝わる伝統的な刺青「サクヤン」

 タイの空港にランディングするといつもホッとする。

 インドのいっときも気を許せない喧騒の後はもちろん、ヨーロッパのあか抜けた空気にちょっと感化された後でも、あるいは東南アジアの似たような雰囲気の国から戻ってきたときでも、およそどんなところから着いても、とりあえずはホッとするのだ。去年タトゥーコンベンションのために渡ったときは、拠点にしてすでに10年以上経つ日本の勝手知ったる便利三昧の後だったにもかかわらず、やっぱりホッとしていた。いったい何度訪れたことだろうか。単純に出入国回数で言ったら日本よりも多い。

 様々なお愉しみで有名なこの国なのだが、自分自身が何に特に惹かれているのかは果たしてよくわからない。別に何もしなくてもいい、部屋に冷房だけあれば。北の山や南のビーチに行ったりせずに、ずっとバンコクにいてスターTVネットワークでCNNMTVとかを見るともなく眺めているだけでもいいのだ。ビルの壁面のエアコン室外機からポタポタと水が滴ってくるようなしけた路地の、年取った元オネエのおっちゃんの屋台で鶏、タケノコ、キクラゲの生姜煮みたいなやつをぶっかけた飯を一人でかき込みながら、心の中でただいま、と呟く自分がいる。前世はタイ人だったのかもしれない

 

 

 いや、そうではないだろう。僕が付き合っているのは主に現地の人々ではなく、さまざまな国からさまざまな理由で長期滞在している外国人達なのだから。東京にも六本木界隈に随分長いこと住んでいるのに一向に日本語がしゃべれない外国人たちがいるが、僕はちょうどああいう感じだ。異邦人という、ある意味何者でもない存在になるのが心地よい場所。だからここが好きなのだと思う。

 タイのタトゥーといえば何と言っても有名なのはサクヤンだろう。11~13世紀のインドからの仏教伝来以降、少なくとも800年以上もの長きに渡って寺で僧侶達によって施されてきた、幸運を祈る護符のタトゥーだ。800年以上前ということはおよそ700年前と言われるタイ語の成立よりも古いわけで、だから使われている言語は当時アジアに広まっていたバーリーサンスクリットとも呼ばれるインド由来の文字だ。デザインはインドのヤントラやマントラに相当する上座部仏教の図や経文を中心としたものであり、「耳なし芳一」が耳を除く全身に護符として経文を書いて怨霊と対峙したという有名な昔話がある日本の僕らにとってはとても馴染みやすいアイデアなのだが、その施術方法には大きな特色がある。

 通称「バンブー」と呼ばれることからも大昔はその辺の少数山岳部族達のように竹の棒の先を尖らせたり棘をセットしたようなもので施術していたのかもしれないが、近代は万年筆の烏口のような先端部を備えた装飾的な金属の棒がメインで、さらに最近ではカーボン製の釣竿みたいな素材の棒の先に最新のタトゥー用の針をセットしたりしてる者もいる。その棒を、和彫りのような浅い角度ではなく皮膚面に対して垂直に近い角度でリズミカルに上下動させて彫っていくのだ。

 

 

 また現代タトゥーの流行以降、特に最新のタトゥー用の針をセットするような使い方が生まれてからは、サクヤンというジャンルを超えてその手法(バンブー)がそのまま現代タトゥーにも使われている。というか、サクヤンはマシーンで彫ってもサクヤンだし、バンブーは純粋に技術的手法なので本来必ずしもワンセットということではないとも言える。そしてバンブー作品の精度はいまやマシーンによるものと見分けがつかないほどに洗練されている。施術時間はマシーンよりももちろん掛かるが、痛みは小さく回復もスムーズだというのが、実際に彫られてみた僕の感想だ。ちなみに僕に彫ってくれたのは世界的に名の知れた一流のタトゥーイストだ。ひょっとすると規格品であるマシーンよりもタトゥーイストごとの手技の個性や能力の違いは大きいのかもしれない。

 いや、そんなこと言えばマシーンだってそうか。結局は。

 

大島托によるサクヤン作品

敵を呪い殺す忌むべき呪術タトゥー

 またサクヤンの影に隠れて一般の旅行者にはあまり知られていないが、タイには広く黒魔術的なタトゥーも存在する。闇の呪術タトゥーとでも言おうか。幸福をもたらすサクヤンの術理があるのであれば、災いを扱う力学も同じメンタリティの体系内には存在しているというわけだ。これらは犯罪結社のメンバー内などでやはり長きに渡って共有されてきた。事が本質的に秘密の性格を帯びているためスポットライトが当たることもほとんどないが、旅行者相手の水商売や賭博のシーンにはわりと普通に散見されるタトゥーでもある。売春婦や賭け対象のムエタイ選手の主な出身地でもある貧しいタイ東北部がやはりこのタトゥー文化が今だに残るエリアだとされている。これとサクヤンとは表裏一体の関係なのだと僕は思う。

 シャンとビルマとが激しく争っていた800年前、シャン軍兵士の安全を祈願する目的で施された護符タトゥーがサクヤンのルーツだと言われている。トライバルタトゥーは当時も東南アジア全域に存在していたことだろう。その風習と当時最新の思想体系であった仏教世界とが戦乱の最中という大きな動機の力によって混合したのだ。

 ブラックマジックのタトゥーもまた時を同じくして生まれたに違いない。目的はもちろん、敵であるビルマ軍を呪い殺すために、だ。防御と攻撃はどちらも戦術として重要だが、その後、東南アジアでは他に類を見ないほどに安定した王国を築き上げたタイの穏健な社会、特に豊かな都市部では、しだいに攻撃性の方は野蛮なものとして封印されていったであろうことは想像に難くない。現代ではタイ東北部を除く大部分のエリアでは罰当たりの忌むべきものとしてタブー視され、すでに入っている人には除去手術も勧められているような黒魔術タトゥーではあるが、その背景にはサクヤンを彫る専門の僧侶の間でもバーリーサンスクリットを高度に理解するための知識が薄れて主にその形式だけを受け継ぐようになっている現状も相まった、無知や偏見があると考える専門家もいる。

 去年タイで放送された、サクヤンの形骸化の実態を告発する内容のドキュメンタリー番組はタイの人々に大きな衝撃をもたらしたと聞く。が、僕らプロのタトゥーイストは、それをやっている側でもあるしその部分には特別な驚きはない。アカデミズムと、パッケージされたエンターテイメント商品との間に、ある程度の隔たりがあるのは、両者の目的が違う以上仕方ないことでもあるし、それは他のジャンルでも一般的に見られることなのだ。

 むしろ、それをシリアスに捉えて動揺したり憤慨したりしたタイの人々の反応から伺える、サクヤンの地位の高さ、というか期待度の高さにこそ僕らは驚くのだ。それは、聖職者のスキャンダル、ということなのか。

 仲間内の何人かのサクヤンタトゥーイスト(アジャンと呼ばれる)の仕事ぶりを観察していると面白いことが分かる。そのデザインの打ち合わせが僕らのそれとは全然違うのだ。まず彼らが行うのは現在のクライアントの状況の聞き取りだ。健康、家族、友人、恋愛、仕事、ギャンブル、借金、などなど、それは人生のトータルな状況に関してだ。そしてその中で問題点があれば原因をあぶり出し、クライアントがどういう方向でそれを解決していきたいのかを探りつつアドバイスしていくのだ。それによってデザインと部位が決まっていく。極論すればクライアントは何を彫られるのかは前もっては知らないということでもある。いろいろな思いや決意はあるにせよ、なにはともあれクライアントのデザイン趣味を優先して進めていくモダンタトゥーとはそこが大きく違うのだ。その様子はまるでクライアントを「診断」し、タトゥーを「処方」するという感じだ。施術も経の唱和や儀礼的な段取りが伴って、いかにも「治療」の雰囲気がある。

 

マシンによるサクヤンの施術風景と完成したサクヤン作品(画像提供:亜鶴)

 

 そういえばアルプスで発見された5000年前のミイラ、「アイスマン」に彫られているタトゥーは、鍼灸のツボの位置に正確に施されていたことが最近の研究から判明したという。

 医術と芸術とは現代では全く関係ないものとしてカテゴライズされているが、その発生の段階を遡るのであれば両者のルーツには一緒くたに魔術があった。アートと呼びたくなるようなクリエイティブで美しい医療技術を目の当たりにして感動したり、タトゥーを入れてみたら思いのほかいろいろと癒されたりもする我々はとうの昔から魔術の術中にある。

サクヤンはトライバルタトゥーではない

 ところで、サクヤンはトライバルタトゥーではない。トラディショナルではあってもトライバルではない。それは日本の和彫りがそうではないのと同じ理由だ。これらは部族という小さな単位を離れた農耕技術発展後のもっと大きなくくりの社会の中で生まれて発展してきたタトゥーの文化なのだ。

 しかし、部族の、という条件を特定集団の、と置き換えるならそれらの文化の実像はとてもトライバルタトゥーを持つ部族に近い特徴を備えている。まずタトゥーに集団に帰属するための通過儀礼としての側面があること。そして柄やデザインに関して、全身規模までを視野に入れたバランスであること、多分にシンメトリーな基本形があること、それに付随する意味合いの共有があること、などだ。さらにタイの僧侶達にはサクヤンだけではなく金属片を皮膚下に埋め込むインプラントのファッションがあり、苦行パレードとも言えるベジタリアンフェスティバルでは身体串刺しデモンストレーション、サクヤンフェスティバルの動物霊の憑依なども有名だ。日本のヤクザには性器に真珠やプラスチック片を埋め込むインプラントや指を切り取るアンピュテーションの風習がある。これらは非常にトライバリーで石器時代的な身体装飾そのものなのだ。古代の風習が少しばかり形を変えて、あるいは復活して現代まで生き残ってきたものとも言える。

 タイと日本には歴史上長い期間、他国に占領されたことがなかったという共通点がある。その楽観性がもたらしたであろう部分として、英語の習得に疎い点などがよく挙げられているが、独特なタトゥーや身体改造文化の有りようもまたそこに起因しているのかもしれない。

 とにかくタイのサクヤンや黒魔術タトゥーは古代に東南アジア全域に広がっていたトライバルタトゥー文化のエッセンスをそのまま吸い上げ、途切れることなく存続し、それはおそらく現在のタイのアジア随一と言える現代タトゥー大流行の強力な原動力にもなっているのだ。

 友人であり大先輩でもあるジミー・ウォンがタイで最初の現代タトゥーのスタジオをバンコクで開いたのが1971年。ベトナム戦争時のアメリカ兵達の、タイでの束の間の休日のニーズに応える形のスタートだったという。それから47年後の現在のスタジオ数を彼に聞いてみたら若干嘆くような感じで5000だと笑っていた。ホントか冗談かは定かではないけれど、実際それぐらいに見える。これはバンコク市内だけでの数だ。爆発的と言っていい。

タイにおけるオン・ザ・ロード

 僕のようなオン・ザ・ロードがタイで仕事をしようという場合、知り合いのツテが頼りだった。インドみたいにチラシをバンバンそこら中に貼りまくるようなことはしない。タイの警察やマフィアは縄張り内の旅行者のやっていることに首を突っ込んでくるタチなので彼らとのゴタゴタは避けたいからだ。その背景にはものすごい勢いで増え続けるタトゥーショップ間の熾烈な競争がある。ローカルのタトゥーショップが街に一軒だけで、彼等とやる分には問題ないというのであればそこで世話になるのもいいが、それが二軒以上あるようならライバル店にチクられてやっぱり警察の留置所行きだ。

 

 

 都会の街や主だった観光地は二軒以上どころの話ではない。たいていの国では短期の個人旅行者にそんなやかましいことは言ってはこないし、だからこそインターナショナルを謳うタトゥーコンベンションが成り立ったり、スタジオ営業のテコ入れにもなる外国人タトゥーイストのゲストワークが可能となるわけだが、厳密に法律を当てはめるのなら僕らオン・ザ・ロードは不法労働者ということにもなるのだ。そのへんの事情における国や地域による温度差を感じ取ることは重要で、実際トラベリングタトゥーのみならず、服とか石とかアクセサリーとか、個人的でささやかな商売を行なうあらゆる旅行者たちが、このタイにおいてトラブルに巻き込まれているのを見たり聞いたりしてきた。すべてがマイペンライ(気にしない)と微笑めるわけでもないのだ。

 だからここではあらかじめ現地の知り合いにお客さんを集めてもらっておいたり、旅行者が立ち寄る場所に顔を出して知り合いを見つけてはそのツテを手繰ったりして、ゲストハウスや友人宅の一室で施術して、あくまで友達同士の遊びという体を取るのが安牌なのだ。

 心配しなくても旅行者のネットワークは大きい。そして音楽ファンのネットワークもまたしかり。僕がそのころ国境をまたぎながら追っていたのはそれら両方の要素を併せ持ったトランスパーティーを廻る旅行者の巨大な群れだった。友達100人できるかなどころではない。大げさでもなんでもなくその界隈では僕は繁盛ラーメン店の無愛想頑固店主ぐらいには顔が知られていたのだ。北部の町のマッサージ屋でグリグリボキボキ揉まれて唸っている時でも、南部の島のパーティーの砂浜に組まれたドデカいスピーカーの前でガン踊りしているような時でさえも、僕を見知っている旅行者からタトゥー依頼の声が掛かったものだ。僕より前の世代でもトラベリングタトゥーイストたちの多くがロックなりパンクなり、ハードコアやヘヴィメタだったりと、それぞれ特定の音楽シーンと結びついてきたのには、このようなネットワーク上の有利もあったからだと思う。

 ゲストワーク、コンベンションといった業界用語も出てきたところで、次回はその辺の解説も含めて僕らオン・ザ・ロードの仕事のやり方のいくつかを紹介してみようと思う。

 

 

〈MULTIVERSE〉

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html