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芳賀英紀 『対談|百年の分岐点』 #01「歌舞伎町で学んだ清く正しい“不良”の生き方」Guest|中村保夫

芳賀書店三代目がいま会うべき人に話を聞きにいく対談シリーズ。記念すべき一人目のゲストは“反社会的社会派出版社”東京キララ社の中村保夫代表。共に神保町を拠点とする両名による“不良”的経営論。

神保町を拠点としている出版社は数多く、それぞれの会社に独自のカラーがあり、いずれ劣らぬ魅力的な本が毎日のように生み出され続けている。しかし、そんな群雄割拠の神保町においても一際の異彩を放っている出版社といえば、思いつくところは一つしかない。反社会的社会派出版社、そう、東京キララ社である。

なにせ会社の特殊顧問があの特殊マンガ家・根本敬なのだ。アーカイヴにはチカーノギャングのドキュメンタリーと釣崎清隆の死体写真作品集が並び立ち、さらに最近では異色の文学プロジェクトである『ヴァイナル文學選書』を立ち上げると、息をつく間もなく伝説の雑誌『BURST』の後継誌『BURST GENERATION』を創刊。代表の名は中村保夫、神保町の製本屋の長男として生まれ育った生粋の東京人である。

当メディアの代表である芳賀英紀もまた、神保町に八十年の歴史を持つ芳賀書店の三代目だ。世代は異なれど、ともに東京に生まれ、神保町を舞台にしのぎを削ってきたもの同士。そうであればこそ、分かり合える部分も少なくない。神保町の変革を見据えた二人の男が語り合った

自分の頭で考え、自分の頭で判断して生きていける人、それが「不良」

芳賀 東京キララ社さんについてはずっと以前から知っていたのですが、中村代表とようやく初めてお会いできたのは2年前くらいですよね。その後は仕事上の絡みもあり、ちょくちょくお会いしてはいますが、今回、あらためてこの対談シリーズの最初のゲストに中村さんを指名させて頂いたのは、僕たちには互いに神保町で会社を経営しているという共通点があり、また中村さんの経営理念や哲学、あるいは生き様には、どこか自分と似た部分があるように勝手に感じてきたからなんです。

早速ですが、芳賀書店も東京キララ社も中小企業ですよね。僕自身はこの「中小である」ことについて強い自負を持っているんですが、中村さんはどれくらいそこを意識していますか?

中村 中小である、中小でやっていく、という点は僕も強く意識してますね。たとえば、今後、どんなに売上が上がったとしても僕は社員を10人以上にはしたくないんですよ。会社が大きくなると、社員を養うために商業的な出版物も出さなきゃいけないような事態になるかもしれない。そうした不本意な事態を避けたいんです。東京キララ社らしいコンテンツを出し続けるためにも、中小であることが大事だと思ってますね。

芳賀 たしかにキララ社のコンテンツは独特ですよね。実は最初にキララ社という名前を聞いたときはもっとキラキラした爽やかな出版社をイメージしていたんです(笑)。でも、実際に出されている本はアウトロー色の強いハードコアなものばかり。そのギャップに同じく本の業界にいるものとして、怖さと面白さを感じてました。ただ、ハードコアと言っても、出版目録をよく見てみると、単に過激なものを並べてるというのではない。中村さんがとことんポリシーを持って本を作られていることが分かるんですよね。

中村 たしかにアウトロー色の強い本は多いですね(笑)。いわゆる一般社会の尺度において「普通」から外れた人たち、そういう人たちを紹介していきたいという思いは実際にあります。なぜかというと、自分もまた子供の頃から「普通」に馴染めなかったから。ただ、それは必ずしも法を犯している人たちということではなく、広い意味での「不良」であるということです。『ハングリー・ゴッド』という本を作っている時に、著者であるCOOLSのリーダーの佐藤秀光さんが「不良っていうのは、一人で生きていけるやつのことをいうんだ」と言ったんです。組織に飼いならされ、誰かにもたれかかって生きているのではなく、自分の頭で考え、自分の頭で判断して生きていける人、それが「不良」なんだ、と。キララ社が関わっているのは、そういう意味での不良たち、チカーノのKEIさんにせよ、伏見直樹さんにせよ、立派な不良ですからね。

『ハングリー・ゴッド』(著・COOLヒデミツ/東京キララ社)

芳賀 中村さんがおっしゃる意味での不良であることは僕も意識しています。ただ、一人で生きていける人間が本当に一人で生きていくのではなく、そうした力を持ちながらも人間関係を築いていくことが大事だとも、僕は思っています。そこまでいってこそ本物だな、と。僕もまたそこを目指しているわけですが。

中村 そうですね。結局、ホンモノのまわりには人間が集まってきますから。根本(敬)さんがチカーノギャングのボスと会った時に「実るほど頭を垂れるギャングスタ」と言ったのが言い得て妙ですが、アウトローの世界でも上にいけばいくほど立派な人が多い。人を威嚇して力を誇示するのはただのチンピラです。組長さんたちになるとそうじゃない。言葉も丁寧だし、年下の僕に対しても敬語をしっかり使う。人対人である、ということをすごく大事にしてるんですよね。そこを間違えてしまったら自分が痛い思いをするということを知っているから。

芳賀 アウトローの方から学ぶことは本当に多いですよね。中村さんは去年に『新宿ディスコ・ナイト 東亜会館グラフィティ』という本を出されてますが、若い頃は歌舞伎町のディスコに入り浸っていたと書かれてました。実を言うと、僕も歌舞伎町にばかり出入りしていた時期があったんです。それこそ人間関係における義理やスジ、間違ってはいけない部分というのを、僕は歌舞伎町という街に教えてもらったと思ってるくらいです。別に文章化された掟があったり、誰か師匠がいたというわけじゃないけど、あの街に生きるさまざまな人たち、それこそアウトローな人たちとも関わっていくと、不文律のような可視化できない空気に否が応でも敏感になってく。僕が10代後半の頃はそういう空気がまだギリギリあった気がしますが、今はすっかりなくなりましたね。

『新宿ディスコ・ナイト 東亜会館グラフィティ』(著・中村保夫/東京キララ社)

中村 僕が歌舞伎町に入り浸っていたのはもう30年以上前ですけど、歌舞伎町ってどんな人でも受け入れる懐の広さがありましたよね。ヤクザも不良外国人もサラリーマンも学生も、関係なしに入り乱れていて、その混沌とした空気の中で、誰から教えられるわけでもなくルールを覚えていったわけです。そういう意味では僕にとっても歌舞伎町は生きる上での勉強の場になったと思ってます。

実際、真面目ぶった大人たちよりも、悪い人たちの方がしっかり向き合ってくれてましたから。たとえば、元ヤクザの知り合いなんかは「なんか欲しいもんあるか? チャカでもなんでも売ってやるぞ」と高校生の僕に言うわけですよ。実際に頼めばなんでも売ってくれるわけですが、ただ「でもシャブにだけは手出すなよ。シャブに手出したらぶっ殺すからな」とも言ってくれる。そこに偏ってはいますが愛を感じるわけです。そういうところがあの頃の悪い人たちには本当にあった。

芳賀 どこまでが良くて、どこからが駄目か。そういうことを教えてくれましたよね。なおかつ次の世代にはお前らが教えてやってくれな、というメッセージもそこにはあった気がします。長い尺で物事を考えていて、まさに「不良」でしたね。

中村 ただ、芳賀さんが歌舞伎町に出入りされる以前に、歌舞伎町も大きく変わってしまっているんですよ。KEIさんもよく言ってますが、バブルで日本のヤクザ、いや日本人はおかしくなった。価値観の全てが金になってしまったんです。治安という点では、歌舞伎町は昔の方がずっと悪かった。でも、僕はむしろ今の歌舞伎町の方が不気味さを感じますよ。だって、昔はスジさえ通していれば何も怖がる必要がなかったですから。

たとえば、当時ある暴走族のリーダーが僕のことを気に入らないからシメると言ってて友達がみんな心配していたんですね。理由は大したことではないんですよ。僕もスジ違いなことはしてないから、何も怖くありませんでした。まあ、喧嘩になっても死ぬわけじゃありませんしね。あの頃はみんな喧嘩慣れしてたので、暴力にも節度がありましたから。

逆に今の時代はそうはいかない。ちょっとした喧嘩で簡単に人を殺してしまうし、喧嘩の動機に関しても道理がない。物事を判断する尺度がないんです。一般社会を見ていても同じですよね。せいぜい合法か違法か、損か得か、程度の尺度しか持っていない。ネットの世界なんかはまさにそうした尺度だけで物事が判断されていってる気がします。

芳賀 人が自分で物事を判断する力がなくなってきてるからこそ、AIへの期待も高まっているんでしょうね。もう誰かに代わりに判断してほしい。だけど、人じゃあてにならないから、もっと機械的に判断してくれるAIにお願いしよう、と。

中村 そうですよね。僕が育った神保町の住民はちゃきちゃきの神田っ子ですから、曲がったことは大嫌いで、善悪の判断は共通認識として共有できていた。だから、何かあれば、誰かの意見を待つ必要もなく、自分の頭で判断することができた。でも、そんな人間として当たり前のことができない人が最近は本当に多いですよね。

例の一つとして、以前、ある企業の方と本の打ち合わせをしていたんです。デザイナーから表紙案が3つ出ていて、僕が担当の方に「どれがいいと思いますか?」と聞いたところ、「会社に持ち帰って決を取ります」と返ってくるんです。「いやいや、そういうことじゃなくて、担当者としてのあなたはどう思ってるの?」とさらに聞いてみるんですが、一切反応ができない。主観でものが言えないんです。そういう意味では、ある程度の価値観の共有というのは本当に大事だったんだな、と思います。

芳賀 価値観の共有があったからこそ、そこから思考することができたんですよね。あるいは、その価値観について自分の頭で疑うということもできましたし。最近、SNSを見てて思うのは、何が出来事が起こった時に判断がすごく機械的に下されて、そこから先がない。「間違ってる」と判断された途端、それが「絶対悪」のようになってしまって、それ以上の思考がストップしちゃってるように見えます。これはすごくナンセンスだなと思いますね。

中村 だからこそ、僕は自分の頭でつねにものごとを判断して生きている「不良」たちの本を作っていきたいんですよね。それを読んだ人たちに少しでも影響を与えたい。実際、KEIさんの本を読んで影響を受けた人というのは本当にたくさんいますから。

芳賀 東京キララ社が出している本はどれも明確にメッセージがあるように感じます。今後、そういう部分が本の世界においてはすごく重要だと思うんです。というのもここ最近、一般書店に入ると並んでいる本から「買ってください」という声ばかりが聞こえてくる感じがするんですよね。あれ、本ってこんなに媚びてたっけ? って思う。「これが俺の正義だ、お前ら読んでみろ」くらい上から強いメッセージを放ってる本が以前はもっとあったように思うんです。キララ社の本からはいまだにそういう尖ったメッセージを感じるんですよ。

中村 ありがとうございます。ただ、僕としては基本的に本の中に演出や意図を入れたくはないんです。なぜなら、本には著者がいて、すでに著者の存在そのものがメッセージだから。僕は著者が表現したいことをそのまま形にすることを手伝うだけなんです。面白い人がいて、面白く生きてる。その生き様を剥き出しのまま届けたい。うちの本には普通の人が言ったら絶対に怒られるようなこともいっぱい書いてありますが、苦情は来たことがありません。それはその言葉の背景に生き様があるからだと思っているんです。

もちろん、こんな時代ですからある部分だけを抜き取られて晒されれば炎上するということもあるかもしれません。ただ、実際に本を読んでみれば、その善悪が簡単には判断しえないということが分かるはずです。うちの本はどれも「法律違反だからダメ」「傷つく人がいるからダメ」といったようなマニュアル化された思考をはねつける本になっていると思います。だから、是非ともうちの本を読んで考える力を養ってもらいたいですよね。それは学校ではなかなか教えてもらえないことだし、昔の不良は教えてくれたけど、今の不良は教えてくれないことですから。

『KEI チカーノになった日本人』(著・KEI/東京キララ社)

自由とは己の正義感に忠実であること

芳賀 話は変わりますが、僕が芳賀書店を継いで神保町に根を張りだしたのは18年前くらいで、実は最初の頃、僕は神保町がそんなに好きじゃなかったんです。先代と先先代の仕事ぶり、あるいは争いのようなものを間近で見てきたというのもあり、どこか閉鎖的な街というイメージが強くて苦手でした。それにもともと神保町は出版と古書の街。うちもかつては出版社でしたが、僕が代替わりした時にはすでにエロ一色で、正直、色んな目もあったんです。

もちろん、その後、神保町で仕事をしていく中で、この街に対するコミットは強まっていったわけですが、それでもまだ自分が新参者であるという感覚がなかなか抜けなかった。だから、2年前に神保街で生まれ育った中村さんと会い、その後、東京キララ社の『ヴァイナル文學選書』(※)の立ち上げにも関わらせていただけたことは僕の中でとても大きかった。どこか、ようやく神保町人として受け入れられたような気もしてるんですよ。

ヴァイナル文學選書・新宿歌舞伎町篇『北新宿2055』(著・漢a.k.a.GAMI/東京キララ社)

『ヴァイナル文學選書』…201810月に、石丸元章を発起人に始動した文学プロジェクト。コンセプトはある街をテーマとした掌編小説を、ある街だけで販売すること。形状も独自性が強く、綴じられていないバラ刷りの束がビニールによって包装されている。現在、第一弾の「新宿歌舞伎町篇」が新宿区限定で販売されている。

中村 いえいえ、こちらこそ本当に感謝してます。僕も芳賀さんとの出会いには運命的なものを感じてるんです。というのも、僕は不思議と子供時代に好きだったものやターニングポイントになっていたものが、いままで全て仕事に繋がっているんですが、実を言えば芳賀書店もまた少年時代の僕にとってある意味大きな存在だったんですよ。といっても、最初はネガティブな存在だったんですけど。

たしか芳賀さんの先代がビニ本で摘発されて話題になったのが昭和55年くらいだったと思いますが、それは僕がちょうど中学にあがるタイミングだったんです。僕が入学したのは早稲田実業という中高一貫の私立の男子校ですが、それから6年間の学校生活を楽しく過ごすためには、最初が肝心じゃないですか。入学式の後、教室でそれぞれの自己紹介が行われるわけですが、僕は「神保町からきた中村です」と挨拶したわけです。そしたら、たちまち「ビニ本!」「芳賀書店!」と言われまして。

小6から中1になる微妙な年齢、特に僕はまだセックスの意味もよく分かってないくらいウブだったのに、危うくあだ名が「芳賀書店」になりかけた。それ以降は芳賀書店の話が学校で始まりそうになると、無理やり話題を変えてましたね(笑)

芳賀 それは本当にご迷惑をおかけしました(笑)

中村 もちろん中学も2年生くらいになれば、今度はグッと芳賀書店が身近な存在になっていくわけですが。ただ当時、あんなに避けようとしていた芳賀書店と30数年たって一緒に仕事することになったわけですから、人生とは不思議なものだと思ってます。それに『ヴァイナル文學』って、ある意味、ビニ本なんですよね。そういう意味でも芳賀さんと『ヴァイナル文學』で絡んでいるというのは面白い。本来であれば、僕はあれを自販機で販売したいくらいなんです。僕はビニ本世代ですからね。

芳賀 僕は昭和56年生まれなので、先代がビニ本で摘発された直後に生まれてるんです。いわば、ビニ本が終焉しつつある時代に生まれ育った。とはいえ、芳賀書店としてはその後もしばらくはバブルが続いていたんですが、僕が経営を引き継いだ2000年ごろには完全に経営は破綻してました。だから、僕のキャリアは過去の芳賀書店の残債整理から始まってるんです。もちろん、それはお金だけの話ではなく、エロを生業にすることで蓄積された業も含めて。

だから、芳賀書店の歴史に敬意を抱きながらも、一方でそれを批判してきたことによっていまの僕がある。でも、それを言えば中村さんもそうですよね。神保町で製本工場を営んでいた家に生まれて、しかし、その生家との確執や対立を経ていくなかで、いまの中村さんに至ってる。あらためてお伺いしたいんですが、様々な過去を経て、中村さんが出版社を立ち上げた最大の理由はなんだったんですか?

中村 僕の人生において最も大きなテーマが「自由」であることです。頭の悪い上司に理不尽なことを言われて、それに耐えて生きるくらいなら、僕は死んだほうがいいと本気で思ってるんです。人間はみんな自由であるべきだし、僕もまた自由に生きていきたい。その上で自分が何をしようかと考えたとき、ごく自然に表現の世界に行きついたんですよね。

表現といっても、たとえばテレビに出てる芸能人などは、事務所にも所属しているしコンプライアンスもあるという点では色々なものに縛られている。自由ではないんです。では、そういうものに一切囚われずに自由に生きている人は誰だろう、とまわりを見渡したとき、物書きや漫画家や写真家たちの中にはそうした人が多かった。そういう自由に生きている人たちと繋がっていくなかで、必然的に出版社を立ち上げる形になったんです。

芳賀 キララ社の根底には自由というテーマがあったんですね。自由はすごく振れ幅がある言葉で、たとえば自由を単なるワガママのことだと思っている人もいます。ただ、中村さんのいう「自由」は、自分の正義感や信念に従って生きるということですよね。たとえば、巨大な組織に属していたら、時として、自分が正しくないと思うこと、すべきじゃないと考えていることにも同意しなきゃいけなくなるかもしれない。それが中村さんが考える上で最大の不自由ということなんでしょうね。

中村 それはものすごい不自由ですよ。ただ、組織にいるから不自由で仕方がないとも思わないんですけどね。僕は九州での会社員時代が9年間ありましたが、言いたいことは全て言っていたし、しょっちゅう上司ともめてました。まだ20代だったから許されたところはあるのかもしれないですけど。

芳賀 20代のうちは許されますよね。ただ、その20代のうちにきちんと反抗できるかがけっこう大事なんじゃないかとも思います。もちろん、ただのわがままじゃだめです。反抗する上ではベースとなる価値観がはっきりしてなきゃいけない。そういう意味で、僕たちは二人とも生まれついて不自由と戦ってきましたよね。

中村 家があるというのはそういうことですよね。一般的にはすでに終わったものとされる家父長制が僕のなかには生きていますから。

芳賀 ある意味、それはラッキーなことだとも思うんです。早い段階で分かりやすい不自由を知ることができたからこそ、自由を求めて反抗し、その反抗をスジの通ったものにするために自分の思考を磨くことができた。逆に最初からぼんやりと自由な環境にいると、自分が自由なのか不自由なのかさえ考えることもなかったんじゃないかって。もしかしたら、人は自分で選んででも一度は本当の不自由を経験したほうがいいのかもしれない。

中村 多分、それは正しいです。だけど僕は異常人格なので、修行のためとはいえ「不自由を経験する」ことはお断りですね(笑)。ただ自分に関してはそれでよくても、他人に対してアドバイスすることは難しい。僕の生き方を他の人が経験したらストレスで自殺してしまうかもしれないですし。そうなると結局は各々で考えてもらうしかないんですよね。だから、うちはそのための教材を出しているつもりです。

 

中村保夫/1967年、神田神保町の製本屋に長男として生まれる。2001年に東京キララ社を立ち上げ、「マーケティングなんか糞食らえ!」をスローガンに、誰も踏み込めなかったカルチャーを書籍化し続ける。書籍編集者以外にもDJ、映像作家として幅広く活動。本誌にて『神保町バブル戦争』を連載中。

 

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PROFILE

芳賀英紀 はが・ひでのり/1981年生まれ、東京都出身。神保町の老舗書店「芳賀書店」の三代目として21歳の時に社長に就任。エロスの求道者としてSEXアドバイザー、SEXコンシェルジュとしての活動も行う。