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芳賀英紀 『対談|百年の分岐点』 #02「損得勘定で人を裏切る人間は生きている価値がない」Guest|中村保夫

芳賀書店三代目がいま会うべき人に話を聞きにいく対談シリーズ。前編に引き続き、“反社会的社会派出版社”東京キララ社の中村保夫と共に、これからの出版界、日本文化、神保町について語り合う。

#01「歌舞伎町で学んだ清く正しい“不良”の生き方」はこちら

点の世界から線の世界へ

芳賀 いま中村さんが仰ったように、本を教材として捉えるというのはとても大事なことだと思ってます。最近、コンビニからの成人誌撤退が話題になりましたけど、成人誌に関してはそういう教材的な部分が一切ありませんでした。純粋な嗜好品になっていた。だから、撤退もある意味では仕方がないことというのが僕の考えなんです。

中村 たしかにさきほどの不自由の話と繋がりますが、ハードルというのは重要かもしれませんね。コンビニで好きなだけエロ本が買えるというのは、実際どうなんだろうというところはある。欲を簡単に満たせるということと、自由であるということはまったくの別物ですから。便利さを追求していった結果、現代は欲望に忠実に生きるということが非常に簡単になった。しかし、質的にはまるで向上していない。むしろ低下している。

雑なたとえを言えば、会社のストレスを発散するために酒飲んだり、パチンコしたり、キャバクラや風俗に行ったりして、それで人生楽しいですか? と。まあ時々は楽しいでしょう。でも、そこに狂っちゃってる人とかを見ると悲しくなりますね。

芳賀 もったいないですよね。たとえばキャバクラ通いにはお金が掛かるわけで、少なからず能力があるからこそ、そういう暮らしができているわけです。なぜ、その力をもっと違う方向に使わないんだろう、と。

中村 文化全体がどんどん底辺に合わせるようになっている気がします。かつてはレベルの高いものに追いついていこうというスタンスが普通にあった。でも、商売に重きをおくと、底辺に合わせていくほうが楽だし儲かるんです。だから、みんなそっちに流れる。そういう世の中になって長い気がしますね。レベルの低い人に合わせて何が悪いんだと思う人もいるかもしれませんが、今の状況というのは、レベルの高い人たち、レベルの高いものを求める人たちからするとものすごくストレスなんですよね。

芳賀 性風俗文化についてもそう。5年くらい前、東京オリンピックが決まったくらいの頃、僕はこのままいくと立ちんぼが増えるって言っていたんです。結果的にパパ活がブームになって、事件も起こってますよね。僕はいち書店の社長に過ぎませんが、それでも日本の文化を守りたいし、成長させたい、という思いは当たり前にある。しかし、メディアの人と関わっていると、この国のカルチャーを向上させたいという意識がこの人たちにあるんだろうかと、正直、疑問に思ってしまうこともあります。

中村 本来、個人があって、家族があって、地域があって、国があって、地球がある。地球の環境まで考えられる人間か、国の将来まで考えられる人間か、あるいは自分の損得までしか考えられない人間かというのは、結局、全てその人の器で決まるんです。

だから僕自身は極力大きな器でありたいなと思っていますが、最近はみんな自分のことで精一杯になっている印象ですね。些細なことですけど、昔はこんなのいなかったよなっていう人、今はいるじゃないですか。居酒屋の出入り口とかでたむろして歩道を塞いでいる人たちとか、ありえないでしょう。なぜ邪魔だということに気づけないんだ、と。だから僕はあえてその真ん中を通って「邪魔ですよ」ということを教えてあげるわけですが(笑)

芳賀 僕には妻と子供がいるんですが、その目線で言えば、そうした自分のことしか見えていないような人が、果たして本当に家族を形成し、命を紡いでいけるのか、おおいに疑問ですね。抽象的な言い方をすると、点として生きている人が多い気がする。僕は反抗してきたとはいえ、なんだかんだ自分が歴史の線と繋がっていることを強く感じてるんです。ただ、そうした線を感じずに、ただの点として生きている人も多いのかもしれない、と。

中村 いまや点の世界だと思いますよ。僕らはたまたま家が商売をしていたという点で歴史を感じやすい。実際、僕にも家と会社を守らなければならないという意識は幼い頃からずっとありました。もちろん、したくないという気持ちもあったけど、しなくちゃいけないという義務感があったから、ずっと悩んできたわけです。

でも、今はそんなことを考える必要もない世の中になってきてる。家業があったとしても、子供にはもっと安定した会社に就職してほしいと考える親も増えてますよね。ある程度は仕方がない。ただ、仕方がないとはいえ、1000年単位で続いてきた線をここで途絶えさせてしまってはいけないとも思いますよね。

芳賀 まずもって先人に失礼ですよ。それは自分が今いる環境に対する感謝がないってことですから。その感謝がない人間がいくら頑張っても感謝される人生にはならないぞって僕は思うので。もちろん、感謝するというのはただ従順するということとは違う。「ありがとう、だけど僕はこう思う」といった反抗はできる。ちょうどキララ社の刊行物がアウトローでありつつ、世界に対するリスペクトで溢れているように。実際、読者からの感謝の声とか多いんじゃないですか?

中村 刑務所からはよくお手紙がきますね(笑)

芳賀 そんな出版社がいまどれくらいあるのっていう。僕はそこにキララ社の魅力があると思っています。

東京という故郷を守るために

芳賀 ここで少しとりとめのない話をしてもいいですか?

中村 ええ、もちろん。

芳賀 僕は芳賀書店の経営に携わるようになった頃、ちょっとした分裂状態に陥ったことがあるんです。就任当時から、僕は外交官として書店のマスコットをやると決めていたんですが、そうした外で宣伝活動をしている自分と、社内で実際の事務処理にあたっている自分、さらにプライベートの自分、それらがバラバラになってしまって、一時期、ものすごく混乱したんです。ここ数年でようやくバラバラだった自分が一つにまとまってきたんですが、一時期は一体なんのために生きてるんだろう、なんのために仕事してるんだろう、と真剣に悩んでて。中村さんはそうしたことを考えることはないですか?

中村 なんのために生きているのか、という問いは僕にとって非常に大きいです。あるいは、なんのために生まれてきたのか、と言ってもいいけど、実際、その問いから僕の人生は始まってるところがあります。というのも、僕は子どもの頃、喘息持ちだったんですよ。今みたいに吸入器もいいものがなく、効くまでに一時間くらいかかった。本当につらいんですよ。発作がくると亀のように丸まって耐えるんですが、いつも「死にたい、死にたい、こんな苦しいんだったら死にたい」と呻いてて、そのまま気絶するように寝てしまっていました。

そういう日々を送っていたから余計に生きることへの問いは幼い頃から身近にありました。結局、その問いに対する明確な答えは分からないままですが、ただ、どうせ死ぬなら何かしらの爪痕を残しておきたい、という強い気持ちだけはあった。ようするに死んだ後に生きていた事実が消えて無くなってしまうような人生は嫌だったんです。そのために出来る限りのことをしようと思い、そこからずっと走り続けてる気がします。

芳賀 分かります(笑)。僕も小学生の頃に大病を患い、そこで価値観がひっくり返りましたから。よく歴史の教科書を読みながら、僕もいつかここに載る人物にならねばならない、なんて思ってたものです。

中村 なんで幕末に生まれなかったんだろう、とか思いましたよね。僕も伝記本は子供の頃によく学校の図書館で読んでいて、偉人たちのように立派に生きなきゃいけないと思ってました。そういう教育のための本ですからね。ただ、それが原点で100ピュアだとしたら、その後に成長していく中で、さまざまな妥協をしいられたり、嘘をついたりしているうちに、気づけば0ピュアまですり減ってしまうわけです。

もちろん、100%ピュアなままで生きていけるとは思っていないですけど、どれだけそのポイントを減らさずに抵抗しながら生きていけるかというのは、ずっと考えてきましたね。大人になると色々あるじゃないですか。失敗の責任を同僚に押し付ければ出世できるとか、ここで友達を裏切ればお金が入るぞ、さあどうする? みたいな状況が。ただ、いくら成功しようが損得勘定で人を裏切るような人間は、生きている価値がないとはっきり思うんですよ。

芳賀 そういう瞬間はありますね。以前、僕も手持ちのお金がまったくなかったタイミングである週刊誌の記者に声をかけられたんです。ようは、僕が知っているある方の情報を出せば、簡単に大金が得れる、と。正直、一瞬は迷いました。でも結局、売れませんでしたね。

中村 こんなことを言えば叩かれるかもしれませんが、東京には金で全てを買えると思っているような恥知らずな人間が本当に多い気がします。ただ、東京の下町で生まれ育った僕に言わせれば、そういう連中は東京人ではない。東京のほんの一面しか見ずに地方から来た成り上がりです。

地方の人は東京を自由で開放的な都会だと思ってるかもしれないけど、僕からすると全くそんなことはない。礼儀や挨拶なんか田舎よりも厳しいと思いますよ。東京で自分のやりたいことだけやってワガママに生きているのは田舎者の証です。僕らにはそんなことはとてもできないですから。やっぱり身勝手な振る舞いをすることは恥ずかしいことだし、近所の目だってある。下手なことなんてできるわけがないんです。

芳賀 東京には東京の流儀がありますよね。そもそもが集落ですから。そこで生まれた僕らとしてはそうしたルールを守らざるをえないし、守りたいという気持ちもある。そういう中で、地方の方々が入って来て盛んにしていただくのは商売人としてはありがたいわけですが、ただ、東京もまた集落であるということを忘れて欲しくないとは思いますね。

中村 地方から来た成り上がりの人たちも、地元では地元のルールに従って生きていたはずなんです。しかし、東京に来るとなんでもありになってしまったりする。実家は昔、それなりに大きな製本屋でして、母親は新潟から玉の輿を狙って嫁いできたのに、本当の東京人って質素な生活なんですよ。

それに失望したのか、母はのちに実家の会社を極左の活動家と結託して乗っ取るんですが、それからは青山に億ション買って、毎日のように高級イタリアンだとか、うなぎ、寿司、松坂牛のすき焼きとか食べまくって、本当に下品な生活をするんですよ。生粋の東京人は金があるからといってそんなバカみたいに派手な生活はしません。だって、それは恥ずかしいことなんですから。下品な金の使い方をしていい気になってるのは東京人じゃない。

芳賀 神保町はまさにそうした外から来た人に食い荒らされてしまった街ですからね。

中村 誰にだって家があり故郷がある。それは地方でも東京でも同じ。ただバブルがその当たり前を変えてしまったんです。神保町が誰かの故郷ではなく、投資効率のいい土地として見られるようになってしまった。実は神保町は地上げの発祥地でもあるんです。芳賀書店のすぐ裏の東洋キネマから始まり、地上げの波はあっという間に神保町中に広がりました。そこから同心円状に東京から全国へと広がって、バブル経済を迎えるわけです。実際、僕の小学校の同級生の9割は神保町から消え去りましたから。

芳賀 ひどい話ですよ。当時は法規制も十分には整ってなかったでしょうから。

中村 自分の住んでいた村がダムに沈むのと変わらない話です。しかし、周囲の反応は違いました。「でもバブルでいい思いしたんでしょ?」と、故郷を壊された話が金の話にすり替わってしまうんです。地方から上京してきた人たちにとって、東京はお金を稼ぎに行く場所だ、というのは分かります。でも、東京で生まれた人にとっては東京が故郷であり、地方の人と同じく実家は実家でしかないんです。

それが「資産」に置き換わってしまい、よそ者に食い物にされたのがバブルという時代でした。実際に都心の人間はかなり被害にあってます。僕も家を奪われて、神保町を離れていましたが、5年前に再び戻ってきました。それはどこかで雪辱を晴らしたいという思いがあったからなんです。

だから、神保町という街で芳賀さんとお会いできたということが、僕はとても嬉しい。神保町ってなんなのか、人それぞれ見え方は違うと思うけど、僕の中ではやっぱりカルチャー発信の街だと思ってるんです。出版業界は元々全て神保町で完結していたわけですから。そして、芳賀書店もその中ですごく重要な役割を果たしていた。それが今、こうして芳賀書店から新たにweb媒体が誕生したり、また『ヴァイナル文學選書』をはじめ、うちと芳賀書店が組んで新しい企画に挑戦を始めたりしてる。かつての神保町の活気を少しずつ取り戻せてるような気がするんです。

芳賀 長いことさびれてましたから。古本屋も減り、飲食店もなくなり、この街って一体なんなんだって時期がありました。ただ最近は古書屋に人が戻ってきて、にわかに活気を取り戻しつつありますよね。

中村 そう、復活してきてる。そうであれば、そこをリードする人も必要だと思うんです。現在は空位。ならば、僕と芳賀さんとでそこを頂いちゃっても面白いんじゃないかと、密かに思ってるんです。

芳賀 面白いですね(笑)。あらためて僕たち発信でカルチャーを生み出し、世の中に提示していきましょう。初代が出版で、先代がビニ本で名を馳せた。じゃあ三代目の僕は何をすべきか。芳賀書店を背負った人間として何をなしうるか。これは僕がずっと考えてきたことです。中村さんと組むことで、芳賀書店そのものをアップデートできるような気がしています。

中村 ええ、僕もまた楽しめると思っています。

 

中村保夫/1967年、神田神保町の製本屋に長男として生まれる。2001年に東京キララ社を立ち上げ、「マーケティングなんか糞食らえ!」をスローガンに、誰も踏み込めなかったカルチャーを書籍化し続ける。書籍編集以外にもDJ、映像作家として幅広く活動。本誌にて『神保町バブル戦争』を連載中。

PROFILE

芳賀英紀 はが・ひでのり/1981年生まれ、東京都出身。神保町の老舗書店「芳賀書店」の三代目として21歳の時に社長に就任。エロスの求道者としてSEXアドバイザー、SEXコンシェルジュとしての活動も行う。