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PROLOGUE Ⅰ
2019.3.20

 

 芳賀さんと出会ってもう3年になる。

 最初、僕に芳賀さんを紹介してくれたのは、脚本家の神田つばきさんだった。その頃、僕はコアマガジンという出版社に勤めていて、神田さんの自伝小説『ゲスママ』の編集にあたっていた。『ゲスママ』のリリース後、出版イベントの開催場所を探していたら、本を読んだ芳賀さんから「芳賀書店でやりませんか」という連絡が神田さんへ入り、担当編集者である僕がその交渉を進めることになった。結局、スケジュールの調整がつかず、イベント自体が実現することはなかったが、これを機に僕は芳賀さんと出会い、その後、友人として親交を持つことになった。

 初対面から奇妙に馬があった。第一印象は「クサい男」。普通だったら恥ずかしくなってしまうような綺麗事をまっすぐな目で語る芳賀さんとの対話は、しかし、僕にはとても心地よく感じられた。仕事の打ち合わせのはずなのに、タトゥーの話やファッションの話、志摩紫光の話やジョルジュ・バタイユの話で何時間も盛り上がった。年齢も近くて、芳賀さんは僕の三つ上だった。この人となら何か面白いことができるかもしれない、その直感は多分、僕だけではなく芳賀さんも感じていたと思う。

 その後、僕はコアマガジンを退社し、フリーランスになった。特に次のあてがあったわけでもなかったが、運よく仕事にも恵まれ、忙しい日々を送っていた。芳賀さんとはちょくちょく連絡を取り合っていて、共に下戸ということもあり、会うのは決まって喫茶店だった。話すことといえば今後の仕事についてだ。とはいえ、それはほとんど四方山話と変わらないもので、あれこれと空想的に企画ばかりを出し合っては、実現のあてもなく紫煙をくゆらせているだけだった。

 実を言うと、芳賀書店について、僕は多くを知らなかった。かつて寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』など、日本のアンダーグラウンドシーンのメルクマールとなるような本を作っていた出版社であったということは、芳賀さんと出会った後に人伝てに知ったことだ。あるいは芳賀書店の会議室に置かれていた『日本刺青大全』を目に、「へぇ、芳賀書店ってこんな本まで作ってたんだ」と意外に思ったりしていた。

 いまだ芳賀書店との間に芳賀さんという存在を介したつながりしか感じていなかった僕に、あらためて芳賀書店との因縁のようなものを意識させてくれたのは、ジャーナリストのケロッピー前田さんだった。出版社時代の芳賀書店を牽引していた編集者・矢牧一宏さんの存在、そして矢牧さんがその後に伝説の雑誌『血と薔薇』の創刊に関わっていたということ、さらに矢牧さんと共に出帆社の立ち上げを担った福田博人さんという編集者が白夜書房(コアマガジンの親会社)の名付け親になっていたということ、いずれも前田さんから聞いて初めて知った事実だった。ちなみに前田さんとは10年来の付き合いで、編集者になりたてだった僕に『血と薔薇』の存在を教えてくれたのもまた前田さんだった。

 もともと妄想的なところがある僕は、前田さんの話を聞いて大いに興奮した。過去から連綿と繋がれてきた透明のタスキを「次はお前の走順だ」と差し出されているかのような気持ちになった。コアマガジンへの入社、『血と薔薇』との出会い、芳賀さんとの出会い、そして芳賀さんに抱いた直感、いずれも点に過ぎなかった個別の出来事が、太くまっすぐな線で繋がった気がした。前田さんからその話を聞いた夜、僕は気が立ってしまって眠ることができなかった。気がつくと僕はパソコンを開き、「HAGAZINE」の企画書を書き始めていた。

 構想は二人で練った。とにかく尖っていたい僕と、優しさを大事にしたい芳賀さんとでは、時に意見が割れることもあった。ただ、一貫して二人の中で共有されていたのは、単に「面白い」だけのメディアだったら作る必要はないよね、ということだった。あらためて媒体をゼロから作るのであれば、確固たる視座と、確固たるメッセージを持った媒体にしなければならない。客観性や中立を偽装せず、きちんと読者に「押しつける」媒体でなければならない―― 二人でそんな話をし始めたのが2018年の4月。あれから約1年が経ち、今日、「HAGAZINE」は世に放たれようとしている。

 思えば、子供の頃から不同視だった。右目は視力がいいのに、左目はほとんど見えない。だから、僕のパースペクティブはいつだって偏っているし、そんな僕が編集するわけだから、「HAGAZINE」の内容もまた、きっと大いに偏向したものになることだろう。たぶん、左の死角から拳を放たれたら、僕はモロに顎を打ち抜かれてしまう。ただし、自分で言うのもなんだけど、僕はかなりタフな方だし、僕の右カウンターはなかなかに強力だ。それにサイドには芳賀さんだっている。ガラ空きの左のガードは芳賀書店の三代目に託すとしよう。

 そういうわけで、「HAGAZINE」にはみんなの気休めになるような記事は、ひとつとして掲載されない。いずれの記事も、現状を追認する「Sub」ではなく、現状を打破する「Counter」であり、現在を「Radical」に問い直しながら、同時に「Alternative」かつ「Ethical」な選択肢を模索している。ちなみに言っておくと、僕は「HAGAZINE」によって君の人生を良くしたいとか楽しくしたいとかはこれっぽっちも思っていない。君が変わることによって世界が変わりゆくこと、その可能性にこそ僕はコミットしたい。かつて、出版社時代の芳賀書店がそうしていたように。

 さて、そろそろ編集を始めようと思う。性懲りもなく、もう一度。この無数の世界を。あの無数の未来を。

 

2019.3.20 辻陽介