logoimage

中村保夫 『神保町バブル戦争』 第十一回「コロンブスと酋長の息子」

東京キララ社代表の中村保夫が綴る、バブル期の神保町を襲った「侵略者」たちの実態。下野と母・怜子は、この連載を読んでまるで焦っているのかのように、乗っ取り行為の仕上げにかかった。

歴史を語るもの

 前回までのおさらい。乗っ取り屋の下野順一郎(通称:増尾由太郎)と実の母・中村怜子が結託し30年以上行ってきた常軌を逸した行動を10回に渡り暴いてきた。この異常なまでの金銭欲と支配欲で結ばれた最恐(狂・凶)のコンビは、洗脳、ペテン、不法、脱法など悪の限りを尽くし、創業者一族の祖母や父、その親族を会社から追い出し、中村家の財産を略奪し、僕ら兄弟の人間の尊厳を蹂躙してきた。

 悪事を遂行するには「建前」や「綺麗事」が必要だ。もっとも悪人だと思われたくないのは悪人本人なのである。正当な血統である後継者の僕に会社を継がせるために、バブル景気に群がる詐欺師どもに騙された経営能力のない父を会社から追い出さなければならないという言い分や、一滴の血の繋がりもないくせに「美成社」という社名を創業者である祖父の名(中村要松)を用いて「ヨーマツ」と称号を変更するという罰当たりな行為がそれに該当する。

 下野が実家に乗り込んできた頃、「これを読みなさい」と僕に一冊の文庫本を手渡した。タイトルは忘れてしまったが、その内容は10代の僕にとって衝撃的なものだった。スペインやポルトガルがアメリカ大陸を植民地化するにあたり行ってきた虐殺と略奪の記録であった。宣教師による詳細な描写に、僕は吐き気を催した。征服者は、未開で野蛮とされた先住住民に対し「文明」と「キリスト教」を与えてあげる立場であり、「正義」の名の下、非道の限りを尽くした。女はレイプし、男は虫けらのように殺していった。それには理由など必要ないし、もちろん処罰なんてない。ただし、酋長だけには特別に、敬意を表して、火あぶりにしたという。

 下野がこの本を僕に読ませた理由はどこにあるのだろう。当時は教科書では教えてくれない白人による非道な植民地支配を、「リベラル」を自称する立場から僕に布教するためと思っていた。だが今思うと、これから始まる中村家に対する暗示だったのではないだろうか。新大陸「美成社」を発見したコロンブス「下野」は、先住民「中村家」の生殺与奪の権利を手にし、酋長の嫁「中村怜子」を手篭めにした。酋長格の「父」や「祖母」には表向きには敬意を表し、新大陸から略奪した黄金の極一部を手渡し追放した。世継ぎである僕は処刑台で磔にされていて、埋蔵された黄金を掘り尽くした暁には、足元の薪に火がくべられるのだ。その時が現実に僕に訪れた。前回、僕が20年以上に渡って請求し続けた決算書が届いたと書いたが、その記事がアップされた直後のことであった。この連載の熱心な読者となった様子の下野と母・怜子は、まるで焦っているのかのように、乗っ取り行為の仕上げにかかった。その核心部分について書いていきたいと思う。

 コロンブスはこれで新大陸の征服・略奪が完遂したと思っているだろうが、そうはいかない。唯一の計算違いは、大航海時代の事実を記すのが自分の手下である宣教師ではなく、原住民の酋長の息子だったことである。

 

臨時株主総会

 実家を継ぐためという名目で九州の大分に9年間も修行に行かされた僕に決算書を見せられないのは、とてつもない不正が行われてきたからだということは誰にでもわかるだろう。それが突然、二十数年越しに送られてきたということには、明らかに悪意という意図があるとしか思われない。十数年前に弁護士から忠告された「乗っ取りの仕上げ段階」に差し掛かっているのは間違いない。決算書とともに、4月30日に開催される「定時株主総会」のお知らせも同封されていたが、わずか数日前の通知でこちらの闘いが準備できるはずもないし、2012年の「役員会」のように、どうせすべてを同意する旨の書類が用意されていて、それに印鑑を押すことを強要されるだけだ。しかも、内容は役員人事である。勝手に会社ごっこをしていればいい。

 

決算書とともに送られてきた定時株主総会のお知らせ

 

 ところが、6月の中旬に今度は以下の「臨時株主総会」の通知が送られてきた。議題はこれまで長らく実家の実権者にすり寄ってきて、中村怜子政権において監査役を努めてきた永倉ハツへの「退職慰労金」の支払い。そして、重要なのは「株式不発行会社へ移行するための定款変更」だ。2020年7月1日から株式会社ヨーマツがこれまで発行した株券はすべて無効となる。ただし、株主の権利は従前通りとのこと。

 

 

 弁護士に相談すると、株式不発行会社への移行自体はよくあることであり、どうせ僕一人で覆せるわけではないので、出席してもしなくてもなんら変わらないとのこと。発行済の株が無効になるといっても、株券自体は35年前からずっと母親の手元にあり、僕に渡されることはもちろん、見せてもらったことさえ一度もない。何株所有しているのかも知らされていない。経理資料同様、会社を私物化する母と下野によって秘密にされてきた。そこで僕は、これまで頑なに株主名簿の開示に応じなかった母に以下の手紙を出した。

 

 

 ここで熱心な読者の方々に思い出してほしい。連載の5回目に書いたが、下野が実家に乗り込んできた当初に僕は母に「下野に会社の株を一株も渡してはならない」と言い、それに対し母は「わかってる」と返事をしている。

 6月25日に送付した僕の質問に対し、その返事は7月中旬に届いた。「別紙同封の当社の今期決算書、別表二、持ち株主の株式数に記載されている通り」とあるが、直前に送られてきた決算書にはその該当箇所は意図的に省かれていた。初めて見る株主名簿の内容は35年前から懸念していた通りであった。下野のような人間の考えることは10代の僕でも手に取るようにわかっていたという証でもある。しかし、ただ一つを除いて。

 下野順一郎の持ち株は100株であったが、その息子・下野創が14,800株を所有していた。下野順一郎は70代後半であることから、息子に譲渡したのであろう。相続税対策なのか、はたまた他に何か魂胆があるのか。

 

下野順一郎が30数年前から描いていた乗っ取りの最終形

 

 前回、「事件屋の世襲だけはやめてもらいたい」と下野創に向けて書いたが、人の遺伝子とは残酷なもので、彼は堂々と父親の背中を追っているようだ。彼の情報もいくつか寄せられている。父と一緒になって福岡で東京建物を相手に住民運動をしているという。住民運動自体は悪いことではないが、父親のように揉め事を金に変えることばかりに現を抜かしていると、いずれは犯罪者になってしまうと忠告したい。

 下野は息子を「医者にでもならせる」と言っていたが、実際には高千穂商科大学に通ったらしいので、医者にはなっていないようだ。下野は、東大や京大を出ていないのは人間にあらず、医者や弁護士になれない人は敗北者という考えの持ち主だ。このおぞましい価値観は随所に見られた。僕が映画監督になりたくて独断で早稲田の推薦を希望しないと学校に提出した際に、「東大や京大には及ばないけど、早稲田や慶應だってそこそこの学校だから、出ないよりは出ておいた方が得」と言ったことは連載の第2回で書いた。そして、ここで少し三一書房時代のエピソードを書きたい。

 

三一書房の「ロックアウト宣言」の原本

 

 僕が大分での9年間の不動産修行から戻ったばかりの1998年の年末、下野からの誘いで労使紛争が勃発した三一書房に入社するが、当初の役割は編集担当役員の林さんと下野のボディーガードであった。極端に臆病者の下野は、どこに行くときも僕を同行させた。朝の5時や6時に携帯が鳴るのは日常茶飯事で、8時にどこどこ駅の改札に来てくれといった内容だった。三一書房の労使紛争が激しかった時期は、盟友・河合弘之弁護士の事務所に行くことが多かった。いつものように、河合弘之に会いに行く下野に同行した僕は二人の会話に唖然とした。この二人にとってクライアントであるはずの三一書房の役員に対し悪口を言っていたのだ。「林さんはどこの大学を出たのか」と訊く河合に対し、下野が「早稲田だ」と答えると、二人して「だからバカなんだ」と笑い合った。僕からすると、そんなレベルの低い話を、人がいる場でする二人のほうがはるかに知能に劣るように見えた。奴らからすると、僕は人間以下の存在なので、その場にいないに等しいのかもしれないが、僕からするとこの二人は、ただ単に東大を卒業しただけの浅薄で人間性に乏しい残念な存在に感じた。

 三一書房の役員連中で一度だけ飲み会が開かれたことがある。その二次会はカラオケスナックだった。聞き慣れないイントロが流れると、下野は「ああ、私だ」と言ってマイクを持って歌い出した。曲は「京都大学校歌」。「余興」という言葉の意味を知らないのだろうか。誰一人、楽しむ人がいないなか、下野は外しまくった音程でうっとりと歌い上げた。歌い終わると気持ちよさそうに紅潮した顔で「僕は東京大学を出ていますが、本当は京都大学に行きたかったんですよ」とそのままマイクを通して言った。

 あまりにも気持ちよさそうなその表情に、僕はあることが頭をよぎった。当時、ロス疑惑の三浦和義がカメラマンにフラッシュを焚かれている映像を見たワイドショーのコメンテーターが「ああいう異常性欲の人は人から注目を浴びることで性的に興奮し、時には射精する」と言ったことである。以下はそれをもっとも強く感じた下野のエピソードがある。

 労使紛争の際に、ロックアウト宣言した三一書房の経営陣は、実務を行える人材が不足していたため、様々な人たちが寄せ集められていた。実家のヨーマツは、無償で三一書房に事務所を間貸していたのだが、母があるとき「私の会社なのに、出入りする人が私に挨拶しない」と怒り始めた。それに対し下野はこう言った。

「社長(母)が女だから、社長だとわからなかったんですよ。女だけどちゃんと社長で〈偉い人〉だとわかったら挨拶しますから」

 僕は「ああ、こいつ(下野)は偉い人にだけ挨拶するって決めてるんだ」と思い合点がいった。「そうかしら」と言う母も同類だ。

 当時、僕は二つの立場で下野に会っていた。ヨーマツの後継であり役員の中村保夫、三一書房に入社したばかりのボディーガードの中村保夫。僕はどちらの立場でも、下野に会えば人間として当然の行為として、きちんと挨拶をしてきた。が、返事が返ってくるのはヨーマツの事務所で会った時だけだった。河合弘之が代表を務める「さくら共同法律事務所」で会うときは三一書房の社員の立場だったので、例え数十センチの距離で挨拶したとしても、うんともすんとも返事がないし、視線さえこちらを向かなかった。

 母が女で社長に見えないから舐められて挨拶をしてもらえないと思った下野は、あるときヨーマツの事務所に関係者を呼び出した。数人の名前を呼び、起立させた上で下野が口を開いた。

「この人は中村怜子といってヨーマツの社長で、ヨーマツで一番偉い人です。この人は三一書房の社長の鈴木武彦さん、三一書房で一番偉い人です。そしてこの人は耀辞舎の社長の岡部清さん、耀辞舎で一番偉い人です……」

 下野は関係する会社の社長を一人ひとり紹介していった。僕は「こいつ(下野)は自分以外がバカだと思ってるから、分かり易いようにいちいち〈一番偉い〉と説明しているのかな。そう言わないと理解できないと思っているこいつが一番バカなのにな」と思っていた。ところが、そういった理由ではないことがすぐに判明する。

 下野は全員を紹介し終わると、最後に「そして、これらの会社をすべて統括するのが、私、増尾由太郎です」と言って立ち上がると、これ以上ないほど気持ちよさそうにうっとりとした表情を浮かべた。僕は三浦和義に対してコメンテーターが言った言葉を思い出した。

 下野がわずか十数人を前に、「この場でもっとも偉い私」に酔っている姿は滑稽でしかなかった。

 最後に話を本題に戻そう。下野順一郎、中村怜子およびその親族・関係者に見せたいものがある。それは僕が母に「下野に一株も渡すな」と言った少し後、母・中村怜子が祖母・中村はついに宛てた手紙である。

 

 

 そして、これはすべてのシナリオを描いていたのが下野だという証である。

 

 

 この締めの一文、「美成社時代の資産は一円も減らすことなく、中村家の次の世代に残せると確信しております。」というのが、この下野による赤字指示によって加筆されていることがわかるだろう。この手紙で創業一族である中村家を安心させ、そして完全に会社から追い出すことに成功した下野順一郎と中村怜子は、なんの躊躇もなく中村家の資産を私物化していく。第7回で書いたが、「顧問を辞任」したはずの下野は以後、のうのうとヨーマツから不当で高額な収入を30年以上にわたって得続ける。母は、新潟・越後湯沢から嫁に来た時から憧れていた青山に、自らが代表となったヨーマツから横領した金で億ションを購入する。

 下野は「一円も減らすことなく」とあえて赤字まで入れて書かせたが、「次の世代」となるため、9年間も不動産修行に行かされた僕は、未だに一円たりとも恩恵を受けていない。これが詐欺でなくてなんなのであろうか。自らの息子である下野創が大株主となっている現状について、母と下野がどう言い訳するのか聞いてみたい。まさか、「次の世代に残せると確信」の「確信」であって、「約束」をしたわけではないとでも言うのか。証拠はこれだけでなく大量にあるが、それは次回、最近入手した劇的な経緯についての話とともに書き記したい。

 

 

〈MULTIVERSE〉

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

PROFILE

中村保夫 なかむら・やすお/1967年、神田神保町の製本屋に長男として生まれる。千代田区立錦華小学校、早稲田実業中学、同高校卒業。2001年に東京キララ社を立ち上げ、「マーケティングなんか糞食らえ!」をスローガンに、誰も踏み込めなかったカルチャーを書籍化し続ける。書籍編集者以外にもDJ、映像作家として幅広く活動。永田一直主催「和ラダイスガラージ」で5年半レギュラーDJを務め、現在は両国RRRで定期開催されるDJイベント「DISCOパラダイス」を主催。数々のMIX CDをリリースしている。著書には『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』(東京キララ社)、映像作品には『CHICANO GANGSTA』(監督)『ジゴロvs.パワースポット』(監督・編集)などがある。