中村保夫 『神保町バブル戦争』 第七回「株式会社ヨーマツの誕生」
東京キララ社代表の中村保夫が綴る、バブル期の神保町を襲った「侵略者」たちの実態。三一労使紛争で暗躍した第四の男・岡部清という人物、そして株式会社ヨーマツの誕生の裏側について。

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気がつくと前回から3ヶ月近くの月日が経ってしまった。連載のアップを望む声が多数寄せられ、ありがたいやら申し訳ないやら。決してネタがないということではなく、どこから手をつけて良いのか毎回悩むほどのネタとそれに伴う膨大な資料があるなかで、東京キララ社の日常業務と年末に近づくにつれ増えたDJをこなさなければという先の見えないトンネルを抜けきった今日(12月29日)、この原稿を書いている。
来年からは最低でも月に一度のアップを目指す。そうでなければいつまで経っても終わらないからだ。よくイベントなどで「(連載は)あと何回くらい続くんですか?」と声をかけられる。
「まだまだ全貌の5%ぐらいで10%もいってないですよ」
そう答えると、大抵の人が驚く。高校時代から三十数年継続している大河ドラマ級の闘いのすべてを書いていたら、いつまで経っても終わらない。とは言え、些細なことであっても自分が重要だと思う事象は書いていきたい。
「乗っ取り屋」とのバトルはこれからどんどんとエスカレートしていくので、来年もお付き合いいただけたら幸いである。
第四の男
裁判の結果、両親は正式に離婚した。あとは壮絶なる金の奪い合いだ。創業者一族として代々の権利を有する中村家(父・祖母・その他親族)vs.離婚後も中村姓を名乗り中村家の後継である僕を担ぎ上げ財産を奪おうとする母・怜子——という構図だが、母には物事を判断する能力が著しく欠けている。そこに付け込んで食い物にしようとしていたのが乗っ取り屋・下野順一郎(通称:増尾由太郎)である。と同時に彼のベスト・パートナーであり長年の盟友でもある河合弘之弁護士がもれなく付いてくる。この2人は知る人ぞ知る、事件屋の名コンビだ。これに滝島税理士を加えた3人は、後に三一書房の労使紛争の際、経営者側に外部から乗り込んできたものとまったく同じ顔ぶれだ。
ちなみに三一書房の労使紛争中に、下野が手下として経営陣に送り込んだ岡部清という男がまた相当な曲者であった。下野は労使紛争勃発時に三一書房の社長であった鈴木武彦を更迭させ、岡部を代表として三一書房をコントロールしようとするが、社長となった岡部は下野に反旗を翻し、下野に代わって三一書房の独裁を始めた。
下野の忠実な子分として下野の手法を学んできた岡部は、三一闘争を機に下野と同じ「事件屋」として独り立ちを始めた。三一書房の人や取引銀行の担当から話を聞いたが、三一に関連した会社や親族などをだいぶ食い物にしたようだ。岡部から被害を受けた方、もしくは情報をお持ちの方はぜひ連絡いただきたい。
そもそもこの岡部という男は実家の近所にある小さな出版社に勤めていたのだが、僕の実家がバブル前に「雪華社」という出版社を取得した頃から「美成社」に出入りするようになり、やがて母から誘われ「美成社」に入社した。
岡部は、僕に「あなたのお母さんには一生の恩義がある」と語る男気のようなものが好きなタイプの人間だった。知識自慢で特に戦争オタク。何かというと話を戦争に結びつけ熱く語りだす。忠誠心は強いが下には非常に厳しい。時に常識を逸脱する奇行に及ぶこともあり、僕からすると何を考えているかわからない要注意人物だった。
この岡部が僕の実家に「部長」として存在するようになって暫くして下野が登場した。岡部はその時に「人生の師が現れた」と言ったそうだ。この師の登場により、岡部の人生、そして、それ以降に岡部と出会う人の人生が狂っていく。しかし、岡部の話はまた改めるとして、ここでは再び、下野に話を戻そう。
私文書偽造
母は下野が会社に来るようになると、従業員にこのような命令を下した。
「(下野順一郎のことを)増尾先生と呼びなさい。そして先生の言うことは絶対だからね。いい、自分の頭で考えちゃダメよ。言われた通りにすればいいんだから」
これもまた母が完全に下野に洗脳されていた証である。
下野は完全に「美成社」を掌握していた。母を洗脳し、手篭めにしていた。下野が母・怜子に対し、友達付き合いを禁止した話は以前に書いた。仙台に住む同級生だけは例外として会うことを許されていたので、時々、その友人に会いに泊まりがけで出かけることが何度かあったが、ある日、母は決意を固めた様子で僕に「今日は泊まりに行くので夜は帰らない」と言った。僕は「仙台の人?」と訊いたが、「違う」とだけ答え、母は出かけて行った。「ああ、下野だな」と僕はすぐに分かった。神保町の住民が母と下野がホテルに入るところを目撃した、とその答え合わせを聞いたのは、それから30年近く経ってからだった。
下野と母・怜子の利害関係は完全に一致した。下野の力を使い、後継者である僕をダシにして中村家の財産を奪い、それを二人で山分けしようという魂胆だ。
「全部私の財産だ! 誰にも渡さない!」
いつしか母は安い漫画の登場人物のようなセリフを大声で怒鳴るようになった。それも頻繁に。頭がおかしくなっているのは間違いなかった。
東陽町のマンションを1年ほどで引き払うと、母と僕らきょうだいは文京区・安藤坂にあるマンションへと引っ越した。家賃は70〜80万円ほどの4LDKだ。僕らきょうだいは全員、実印を作らされ、それを強制的に母親が管理することとなった。実印は悪用し放題じゃないか。僕は不審に思い、母に言っていた。
「印鑑を押したり、手紙を出す時は必ず僕の同意を得てくれ」
当たり前のことを言っただけだが、母は激昂した。
「そんなことは分かってるんだよ!!」
一応は自分の親なので、その言葉を信用せざるを得なかった。しかし、現実には、僕らの名前で裁判を起こしたり、手紙を書いたりと、私文書偽造のオンパレードだった。その証拠はばっちりあるので、いずれエピソードとともに晒したいと思う。
ここでややこしいのは、私文書偽造という明らかな犯罪であろうとも、親族間の争いに警察は不介入であるということだ。だから、下野は母の背後に立ち、一切、前面に出てこない。会社を乗っ取る際も同じである。責任がなく偉そうにできる「会長」を自ら名乗り出すのが下野のやり口だ。すべて計算尽くなのである。
祖父の名
母と下野の碌でもない企みがどんどんと進行していった。まずは、中村家が代々使用してきた商号を「(株)美成社」から「(株)ヨーマツ」へと変更した。
ある日、下野が「創業者である(僕の祖父)中村要松さんは大変立派な人でした。その方に敬意を表し、会社名を変更します。カタカナでヨーで伸ばしてマツ。株式会社ヨーマツです。どうですか、いいでしょう?」
そう自信満々に言い放つ何の血の繋がりもない部外者に僕は反対した。理由は二つある。創業者である祖父は僕が中学の時に亡くなっている。そんな会ったこともない、知りもしない人の名前を、親族でもないお前が勝手に使うと言うな、というのがまず大きな理由。そんなものは会社を創業者から奪い取る際の「正統性」の偽装工作でしかない。
そして、もう一つの理由はそのネーミングセンスの悪さだ。
「まだ株式会社要松の方がマシだ」
しかし、僕が何を言おうと、すべて下野の一存で決まる。お祖父ちゃんの名前が悪用され、汚された気がして最悪だった。下野は同時に、祖父・要松の肖像画を描かせて会社に飾るようにした。祖父の写真を持っていなかったからだ。そんなことくらいで、正統な後継者として認められるはずがない。はっきりと写真なんかどうでもよく、要松さんが残した財産にしか興味がないと言えばいい。
下野は綺麗事を言っておきながら、僕ら子供たちの見えないところで「ヨーマツ」の持ち株比率を高めるために増資を仕掛け、親族間を裁判の嵐に巻き込んだ。もし要松さんが生きていたら、下野のやったことは何一つ絶対に許さないだろう。
そして次は、父が借金をこさえた時や離婚の時などに相談し、大変お世話になっていたはずの伯母・佳代(よしよ)とその夫である嘉悦学園の理事長・嘉悦克の夫婦と縁を切った。
最初から母と下野は、嘉悦家を利用するだけ利用して縁を切るつもりだったのだ。こういう人間が自分の母親かと思うと恥ずかしい。
裁判に疲弊した(一般の人は誰でもそうなるし、そうなることを前提に下野たちは闘いをしかけている)父親を始めとする親族は、怜子と和解するしか道はなかった。しかし、父も祖母も伯母も、中村家の誰もが下野を信じていなかった。だから、すべての財産は僕に継がせるという合意を結び、父と祖母を安心させた。しかし、その合意を僕が知るのはそれから30年近く経ってからであった。裏ではその合意を僕が知ることができないような作戦が実行されていたのだが、それについては次回のテーマとしたい。
ちなみに下野が中村家の問題を解決したらヨーマツの顧問を辞任する、という約束も中村家の親族としていたようだ。最後に、少し時系列が飛んでしまうが、その辞任の文章を見ていただこう。
実はこのファックスを送った日に、株主総会(もしくは役員会)がヨーマツで開かれていた。僕も召集されていたのだが、下野が顧問を辞任した直後に、再任されたのである。それも下野自らその会議を仕切り、シナリオ通りに。社長はじめ社員もすべて自分の息がかかっているのだから、簡単なことだ。
「私は辞任したのですが、皆さんが再任したいと言うのでしたら、私には断る理由がありません。約束を守って辞任したのは本当ですし、あとは皆さんの意思で新たに選ばれたのですから、嘘は吐いてないですよ。これは何の問題もないことです」
下野は紅潮した顔で、誇らしげに全員を見渡していた。
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