logoimage
HAGAZINE

中村保夫 『神保町バブル戦争』 第五回「依存と洗脳」

東京キララ社代表の中村保夫が綴る、バブル期の神保町を襲った「侵略者」たちの実態。24時間おこなわれ続ける下野による洗脳。当初、疑念を抱いた母も、やがて深く下野へと依存していった。

 この連載の合間にアップされた1980年代新宿ディスコの記事の反響の大きさに驚いている。元々はあるサイトのために書いたが、2ヶ月以上放置されたものだ。それをわずか2日でアップしてくれたHAGAZINEさんには本当に感謝している。

 最近、アンダーグラウンドな表現に携わるこんなニッチな業界の中にも存在する「権威主義」に辟易としている。弊社の特殊顧問である根本(敬)さんは「世の中、金じゃないと言うためにも金が必要だ」と言うが、まさしくその通りで、「金」を「権威」に変えてもその図式は成立する。

 僕にとってこの連載に登場する下野順一郎(通称:増尾由太郎)は、僕の生き様を決定づけた優秀な「反面教師」であり、それはもちろん東京キララ社の理念や方針にも色濃く反映されている。

 そういった意味で僕の新宿ディスコ時代は、「神保町バブル戦争」の番外編とも言えるので、そちらもぜひお読みいただきたい。

詐欺師の確信

 下野の策略により、両親が離婚することとなった。下野はそれにより財産と愛人(母・中村怜子)を手に入れ、母は長年の夢だった青山の億ションを手に入れることとなる。その反面、父・素明は家族と自分の会社を失い、僕は後継として引き継ぐべくすべての財産だけでなく、人間の尊厳まで奪われようとしていた。

 家族で暮らす調布の自宅を出て、母ときょうだい(弟・篤史と妹・美香子)と一緒に暮らすことになったのは僕が高校を出たばかり、18歳のときであった。実家の製本屋「美成社」の創業一族である祖母・はついと父・素明がいなくなった東陽町のマンションには、堂々と、そして頻繁に下野が出入りするようになった。

 マンションはメゾネットタイプなので、僕の部屋からトイレに行くためには、一つ下の階に行かなくてはならない。そしてトイレはダイニングキッチンを通り過ぎた玄関に近い場所にあった。引っ越してから数ヶ月の間、僕が夜中にトイレに行くと、ほぼ毎日と言っていいほど下野がダイニングテーブルで母と向かい合っていた。夜中に忍び込んでも僕らにバレないようにメゾネットタイプを選んだのであろう。

 残念なことに僕と弟・篤史の兄弟は基本的に深夜番組を見たりレコードを聴いたりして朝まで起きている。だから、下野と母の会話は僕と弟には筒抜けだった。同時に下野の魂胆も筒抜けだ。

 前回、下野が「いいですか、法人と個人は別の人格なんですよ。会社で一番偉いのは社長なんです。あなたは社長なんですよ。だからあなたは美成社で一番偉いんですよ」と母に言ったエピソードを書いた。そのときは下野と初めて会ったときから感じていた胡散臭さがピークに達した瞬間だったが、次の下野のセリフで、胡散臭い人から詐欺師そのものへと彼の評価が変わった。

「いいですか、会社というのは株を51%持っている方の勝ちなんですよ。50%じゃダメですけど、51%持ってれば勝ちなんです。いいですか51%ですよ」

 以前とまったく同じようなバカを諭すような不自然なまでに優しい口調で、下野が母の肩に手を置きながら繰り返し言い続けていたのだ。中村家の後継者として生まれ育った僕が、「こいつは最終的にウチの株を49%持つつもりだ。これは中村家の大変なピンチだ」と身を引き締めた瞬間だ。僕のその後の生き方が確定した瞬間と言ってもいい。

 

 

怒鳴り声と猫撫で声

 僕の父・素明は中村家にとって三人の姉を持つ、待望の末っ子長男だった。大切に育てられたからこそ、父に経営者として甘い面が生じたことは否めないが、とにかく中村家が待ち望んだ男児が父だった。中村家の後継者となった父の第一子は、流産か死産かは不明だがこの世に生を受けることは叶わなかった。そして、戸籍上の第一子にあたるのが長男の僕である。その中村家の遺伝子が拒絶反応を示したのだ。「これは一大事だ!」、本能の警鐘が鳴り響いた。僕は次の日、母と廊下で会った瞬間に面と向かって言った。

「あの男は詐欺師だ。美成社の株を一株も持たせたらいけない」

 僕の勢いに押されたのか、母は「わかってるわよ」と呟いた。

 その後も様々な現場に直面した。下野が母に与えた指令ができなかった、または「できません」と弱音を吐いたときは、机を拳で何度も叩きながら言うことを聞くようになるまで怒鳴り散らした。その非文明的な威嚇行為は、異常なまでに気が強い跳ねっ返りの母が「はい」と従順になるまで続いた。僕からすると、IQが高く東大出がご自慢という下野のその威嚇行動は、ゴリラが胸を叩くのと何ら変わらぬ粗野な行為に思えた。

 母は連日、下野に怒鳴られながら資料を作らされていた。これから始まる、中村家乗っ取りのための準備が着々と進められていた。この頃の母はほとんど寝る時間を与えられなかった。数日間、そんな状況が続いたかと思うと、今度は急に「良くやりましたね〜」と甲高い猫撫で声を発し、母の頭を撫でながら褒める下野。またもや深夜のダイニングキッチンで異様な光景を目にした僕は、反吐の出る思いをしたと同時に「これは洗脳だ」と完全に悟った。

 後のオウム事件でも、睡眠を奪って判断力をなくしてから洗脳するというまったく同じ手口が使われていたようだった。角田美代子事件、北九州監禁殺人事件など洗脳で人を支配する事件が起こるたびに、「こんなことは氷山の一角で、日本中に同じようなケースはいくらでもある。死人が出たからマスコミが動くだけだ」と僕は思った。僕の母もあっという間に、下野に洗脳され、支配されるようになったのだ。日に日に下野に対しての抵抗を止め、言いなりになっていく母を、僕は見過ごすわけにはいかなかった。しかし、いくら実の母であっても、男女関係になってしまった相手からの洗脳を解くのが、どれほど難しいことかを僕は思い知る。

 ある日、僕は「あいつに株を渡してないだろうな?」と母を問い詰めた。すると母は「うるさい!! そんなことはわかってるのよ!!」と不自然なほどの大声を挙げた。怪しい人物に洗脳されて全財産を巻き上げられた辺見マリがテレビ番組で「洗脳されている人は、洗脳されていると指摘されると切れる。洗脳されていない人は少しでも不安になるもの。反射的に切れる人は完全に洗脳されている証し」と語っていたが、まったくその通りである。とにかく母はまともに会話が通じなくなり、母がおかしなことを言い出すたびに、僕は指摘した。

 「言っていることがおかしい。増尾(下野の通名)に洗脳されている」と僕が言った途端に、母は「お前に増尾先生の何がわかるんだ!!!」と大声で怒鳴り返す、それが日常になっていった。僕は理屈が通らないことを声の大きさで黙らせようとする人間が大嫌いなので、絶対に理不尽な威嚇には負けないように言い返すことを心がけてきた。だから、母方の親族の法事などの集まりでも度々、僕は母と口論になった。

 

 

ヒトラーの崇拝者

 洗脳初期は母も下野の言いなりになることに抵抗があった時期もあった。そんなときには本音らしきことも時折口にした。

 「先生がね、先生と河合弘之弁護士と滝島勇一税理士(三一書房事件と同メンバー)、そして会社の社員(下野が連れてきた親族など)以外の人と交流しちゃいけないって言うの。でも、先生にお願いして仙台に住んでいる友達とだけは付き合っていいと認めてもらったの」

 これは僕に出した母からのSOSサインだと思っている。

「異常なことだと思わない? 何でそこまで他人から支配されないといけないの?」

 僕がそう言うと、母は複雑な顔をしていた。しかし、欲望を遂げるために絶対的な信念をもった詐欺師には、いくら実の息子でも敵わない。次第に母は自分の頭で考えるのを止め、下野の言いなりになっていった。抵抗して怒鳴られるより、何も考えずに依存する楽な人生を選んだのだ。

 後に知ったのだが、母はその頃から会社の部下である事務員に「いい、自分の頭で考えちゃだめなのよ。先生の言うこと素直に聞きなさい」と言うようになったという。

 まだ18歳だった僕は自分の欲望(金と女)のために、一つの家庭を支配し不幸のどん底に陥れ、財産も人間の尊厳まで奪っていく下野順一郎というサイコパスと一生をかけてでも闘う決意をした。僕が19歳になってからの本当の意味での闘いを、次回から明らかにしていく。これまでの連載とは次元の違う、想像を絶する出来事の数々にご期待いただきたい。

 最後に、異常なまでに支配欲の強い下野を表す文章を紹介したい。1967年7月20日(僕が生まれる2日前)に、下野が起こした三菱銀行襲撃事件後の取材記事から抜粋する。総会屋・鈴木政徳という人が証言した下野の人物像である。

 「彼の(総会屋)デビューは一昨年三月の内外編物(本社・千代田区神田)の株主総会ですが、(中略)彼は一方ではヒトラーの崇拝者で、ボクもヒトラーを尊敬していることを知ると、ヒトラーの本を二冊くれたんです」(1967年8月9日号「アサヒ芸能」)

 こんな人間があなたの家に突然乗り込んできて、一家を思うままに支配し始めたらどうしますか?

 

特報:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が、10月に那覇の沖縄県立博物館・美術館で開催。現在、クラウドファンディング募集中。

 

〈MULTIVERSE〉

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「肌の色、国籍? そんなもの関係ない。“大和魂”をレペゼンするネオ右翼として、東京をハイセンスな街にしていくだけ」ストリートワイズが語る新宿オーバー・グラウンド・エリア|漢 a.k.a. GAMI × TABOO1

「REVOLUCION OF DANCE」DJ MARBOインタビュー| Spectator 2001 winter issue

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「旧共産遺産は“僕たちの想像力がいかに制限されているか”ということを僕たちに思い知らせてくれる 」── 対談|星野藍 × 中村保夫

 

logoimage

PROFILE

中村保夫 なかむら・やすお/1967年、神田神保町の製本屋に長男として生まれる。千代田区立錦華小学校、早稲田実業中学、同高校卒業。2001年に東京キララ社を立ち上げ、「マーケティングなんか糞食らえ!」をスローガンに、誰も踏み込めなかったカルチャーを書籍化し続ける。書籍編集者以外にもDJ、映像作家として幅広く活動。永田一直主催「和ラダイスガラージ」で5年半レギュラーDJを務め、現在は両国RRRで定期開催されるDJイベント「DISCOパラダイス」を主催。数々のMIX CDをリリースしている。著書には『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』(東京キララ社)、映像作品には『CHICANO GANGSTA』(監督)『ジゴロvs.パワースポット』(監督・編集)などがある。